第四話の4
崩壊区域に怪獣の出現している様子はなく、基地の守衛は朝アキを乗せた車が出発する時と同じ警戒レベルだった。つまり、異常なし、平常任務だ。駐車場に車が着くや否やアキは車を飛び出して建物の中に入っていった。基地は地上に出た一階部分と地下一階部分に分かれており、地上階は主に居住区や客間、地下には基地として機能するために必要な通信指令室や会議室、そしてレッドカイザーを保管している“特別資料室”などがある。
アキはまず地下の指令室に入って、次に会議室、そして資料室へと進んでいった。
アキにはレッドカイザーとの面会権はあったが、特別資料室に入るためのカードキーは持っていなかった。それは独断で、かつ一対一で会うことが事実上禁止されていることを意味する。アキは資料室の扉を叩いた。
「ジローさん! 俺です! 開けて下さい!」
頑丈な扉は中学生の子供の激しいノックに、しかし轟音と軋むような異音を響かせた。ただちに錠が外れる音がして、思い扉が開かれた。
「学校は早退したのかい」
ジローの表情には焦りが見え隠れしていた。帰還要請の出していないアキが帰ってきたことと、これまで一度としてなかったはずの崩壊区域外での怪獣の出現に戸惑いを隠せないようだった。
「なんで俺を呼ばないんです! 怪獣が出たんならレッドカイザーの出番でしょう!」
「言いたいことは分かるが、事態は複雑だ」
「何が!」
アキはジローを押しやって部屋の中に入る。ガラス越しにテーブルに乗せられているレッドカイザーが今、エーテル界の戦士の意識を宿していることはアキにはすぐに分かった。それはアキの中に上位世界のエーテルがある故に感知できたのではなく、長い付き合いの中で得たある種の直感じみたものだった。
アキは眉間にシワを寄せて、目を見張らせる。
「怪獣が出た、だから俺が倒す、これほど簡単なものが他にありますか! くそったれのバケモノが人を殺し始める前にやらないといけないでしょうが」
「アキ君……」
遅れてきたケンが、廊下から部屋の中を覗いた。アキは拳を握って自分の口に当てた。
アキは怪獣のこととなると感情をコントロールするのが難しくなってしまっていた。両親を殺されたことは未だ根強いトラウマで、それが怪獣への異常な攻撃性と憎悪を生み出すようになっていた。アキは自分がこのような欠点を持っていると自覚していたし、それによってしばしば興奮状態に陥ってしまうたびジローたちに気をつかわせるのを忍びなく思うこともあった。
視線を落としたアキは自分が学校の制服を着ているのを思い出した。それから少しだけ冷静になり、ガラス壁の前にある椅子に座った。ジローはしばらくその様子を見てから、ケンに向かって頷いて資料室へ入れると、口を開いた。
「君は我々の保有する戦力の一部という扱いだから、お上さんたちが正式に救助を送ることを決定するのを待たなきゃいけない。無断で出撃すれば侵略行為と取られかねないしね。まあ、問題はもっと複雑だが」
アキは舌打ちを我慢するように歯を食いしばって話を聞いた。
「向こうさんは向こうさんで、怪獣を倒して回ってる“赤い巨人”がうちの保有戦力だと認識していないだろうから、救援要請を出すという判断に至るのは難しいだろうね。怪獣あるところにレッドカイザーありって感じだ。このまま待ってれば赤いのが来て倒してくれると思っているかもしれないと。ここからが難しいところだ」
ジローは壁に寄り掛かった。
「レッドカイザーは確かに我々が保有しているが、それは当然国家機密だ。それが諸外国にバレるとエーテル界について情報を共有し始めないといけないし、君の処遇もおそらく国際機関に委ねられることになる。これからはいつどこに怪獣が出るか分からないんだからね。その点この国はイニシアチブを取れるだろうが、それを面白く思わない連中だっている。うちに力を付けられるくらいなら死んだ方がマシだって、とんでもない要求を出してくる可能性もある。具体的には、アキ君、君に対して人体実験を行い上位世界からの現界をより多くの人間ができるようにする必要がある、とか、君をエネルギー資源の一部として扱うとか。これはまだいい方で、想像力次第ではいくらでも悪い方向に考えられるし、何より恐ろしいのは、これが全部妄想で終わってくれそうにないことだ。
一方で、君の存在を公にすべきだという意見もある。国際機関など知ったこっちゃないって姿勢で、依然君を我が国の保有戦力と数えながら怪獣が出た折には救援要請を出してもらい、君を派遣する形になる。各国に恩が売れるし、外交上有利を取れ、君は今まで通りの安全を保障されみんながハッピー……とはいかないだろう。少し方針を打ち違えただけで、うちは敵まみれになってしまう。難癖付けられて経済制裁、貿易の停止、最悪宣戦布告の未来がある。政治屋は大変だね。
秘密裏に君を動かす手も当然考えたが……そうなると我々は一切の支援ができない。怪獣を倒すまでは上手くやったとして、そのあとが問題だ。君を外国で物理的にも政治的にも孤立させるわけにはいかないと、最も反対意見が多い」
話し終えて、ジローはアキを見た。アキが何を言おうと平静でいようという意思を見せながら、彼が口を開くのを待った。
アキは自分が何を言うべきか、頭で考えようとしていた。感情に任せるのではなく、理路整然とした一意見を口にしようと努力した。そうして、最後の希望をそこに賭けたようにレッドカイザーの方へ振り向いた。
「レッドカイザーは、いいの?」
『エーテル生命が下位世界で暴れているのは看過できん。かと言って、協力者の懸念を無下にするのも憚られる。私はこの下位世界を守りに来た身だが、それによって更なる混沌が生まれうるなら、動かないという選択もとるべきだと思っている』
レッドカイザーの返事を聞いて、アキは視線を落とした。目を瞑って、自分なりに納得しようとした。
「なんで、海外なんかに……」アキの声は震えていた。
『エーテル界の王が自分の持つ力について何か学びを得たのだろう。あるいは実験の一環か。今日以降、もうこの区域に怪獣が出ることはなくなるかもしれない』
ジローが少しいやそうな顔をした。この基地の存続やジローたちの今後について、確実に変化が訪れるからだ。怪獣がいなくては、崩壊区域にこのような基地があっても今後使いようがない。
「仮に支援が決定されたとして、アキ君たちはどうやって現地まで?」ケンが聞いた。
『それなら私に案がある。片道だが、瞬間的にエーテル生命の居場所まで行けるだろう』
「だそうだ」
ジローとレッドカイザーは事前にある程度話し合っていたようだった。では、帰りはどのように移動するかという話になって、現地のインフラに頼るか、こちら側で移動手段を用意するかという検討がその場で始まり、五分もしないでジローが「ここで決めることじゃないな」と言うと、解散の流れになった。
アキは特別資料室から追い出されたあと、しばらくの間じっと分厚い扉の前に立っていた。外の空気を吸おうと地上階へ向かい、崩壊区域の埃っぽい風にさらされながら、基地を囲むフェンスから命なき荒野を眺めた。
この崩壊区域はアキの心そのものだった。凪の海よりも静かだが、時に混沌の渦が芽吹きかけた緑を根まで焼き尽くす。この灰色の砂漠は怪獣が生み出し、怪獣だけが変化であり、怪獣のために用意された場所でもあった。今、そこから怪獣が奪われて、存在意義が失われようとしている。アキはそれを許さないつもりだった。自分から、町から、怪獣は何もかもを奪っておきながら逃げだしたように思えた。
邪悪な怪獣は自分が撃ち滅ぼさなければならない。しかし、この問題は今アキだけのものではなかった。大人たちの決めたルールに、アキは従う他ない。自分が彼らを生かしているだけでなく、自分もまた彼らに生かされているからだ。
また一陣、乾いた風がアキの火照った体を撫でた。
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