第四話の3

 嵐のような小休みが終わると、午前最後の授業を受けて、給食の時間になった。教室内の決められた場所で四つから五つのテーブルの向きを変えて島を作る。それを一班として、食事は班員と食べることになっていた。アキの通っていた小学校と同じ制度だった。

 給食係に給仕された食事を、アキは班員に学校の話を聞きながら食べた。クラスの各委員の名前や、簡単な人間関係、それと最近あった面白い話などだ。

「アキくんは何か面白い話ある?」

「うーん……」

 言われてみると、アキは笑いの種になるような話を持っていなかった。

「ないなぁ」

 ジローたちとの話に笑いがなかったわけではないが、あの大人たちのジョークを中学生に聞かせて楽しめるだろうかとアキは思った。

「なあアキ、昼休みになったらさ、校舎案内してやるよ!」

 そばかす顔の、少し肌の焼けた少年が口にものを入れながらそう言った。相当泳ぐのが好きなのか、髪は塩素で色が抜けて茶色い。活発な印象で、アキには好感触だった。名前はカズキと言うらしい。

 食器を下げて、アキはカズキと一緒に校舎内を巡ることになった。後でグラウンドに出て、他のクラスメイト達と遊ぶ予定もあるので、移動教室で使う場所を主に巡った。

「転校していくなら分かるけどさ、転校してくるなんてすんげえ物好きだよな」

 一階校舎端の美術室から、正反対にある工作室に向かう途中でカズキはそう言った。校舎一階には一般教室がなく、来賓用の待合室や小さな展示場と二つの特別教室しかない。全校生徒用の玄関口は賑わっているが、それ以外に人気はなく、閉まったままの窓の向こうから生徒たちの遊ぶ声が聞こえてきていた。

「怪獣ってそんなに怖い?」アキは素っ気なく聞いたつもりだった。

「そりゃ怖いだろ、崩壊区域から一番近い学校らしいぜここ。怪獣がここまで来たらもう逃げるしかないんだし。でもうちは引っ越す金なんてないしな。俺が中卒で働けばいいんだけど、親父とかーちゃんは許してくれないし」

 いいじゃないか、とアキは思った。カズキは両親に期待されているし、カズキも両親を想っているようだ。アキはまだ、両親のことを吹っ切れていなかった。日に日に顔を忘れていき、声を忘れていく。彼らの存在した証拠が自分の記憶だけになってしまったらと、その不安が大きくなっていく。胸の小さなわだかまりだ。

 カズキはそんな苦しみを知らない。この学校には怪獣災害で家族を失った人もいるのだろうが、これ以上の苦しみはもういらないし、そんなものを生まれさせるわけにもいかないとアキは自分に言い聞かせた。もう一度何かを、誰かを守るために戦いたいと思っていたからだ。

 アキは廊下を掃除している用務員の男性と、すれ違い際に目が合った。

 能天気なカズキは転校生への校内案内を終えると、二人でグラウンドに出た。約束していたクラスメイト達と合流するも周囲の人の多さでできることは少なく、バスケットのゴールを一つ使って順番にボールを投げ入れるだけにとどまった。アキはボールを久しぶりに触ったことに気付いて、見よう見真似でシュートをして外す。

 また手番が一周するまでにアキは新たな友人たちと話をして、彼ら自身のことやこの学校についての理解を深めた。

 勉強についてはアキが事前に危惧していたほど苦労することはなかった。小学生の時に熱心だったのが効いているらしい。教師は能力的にも人格的にも、特別優れているわけではなかったが、その点がアキにとっては親しみやすかった。基地のジローたちは超人的な資質を備えているような凄みがあり、かと言って人をわざわざ見下すこともしない。それはリスペクトを欠かさないとかという話ではなく、そういう行為を“無意味”だと思っているからで、仕事に深くかかわらない人間には――時として共に仕事をする相手にも――関心を持たず、平静な心を保ち続ける術を持っているからだ。学校の教師はすぐに感情を露わにし、どこか生徒を見下している。人間としてのレベルが同じで、ほぼ初対面でも考えていることが分かる点がアキにとっては好感触だった。

 下校時間になると、校門前にケンが車で迎えに来る。ケンはこの時間まで学校の周りで“待機”していて、他にもう一人アキの関係者が一般人を装って校外をうろついているはずだった。

「ありがとうケンさん」

「仕事の大半が待つことだけに、待つのは慣れてるからね。学校はどうだった?」

「うん……すごく懐かしい感じがした」

「その、がんばれそうかい?」

 ケンの言いたいことは分かったが、アキは曖昧に相槌を打つのにとどめた。

 アキが失ったものは大きく、そう簡単に取り返せるものではない。ただ、自分の感性が人並みであると知れたことはアキの新たな救いだった。同級生たちの輪に自然と馴染めて、会話でもそれほど浮かなかった。気の合いそうな子も多い。

 アキはそれから平和な一週間を過ごした。分からないことをクラスメイトに教えてもらい、教師のヒステリに付き合わされ、昼食時には余りのデザートを巡ってジャンケンをした。

 それはいつものように、前触れなく起こった。

 週刊漫画の最新話についてカズキたちが話しているのを興味深げに聞いていたアキは、胸の奥にざわめきを得た。風に炎がなびき、千切れ飛んだ火の粉が象徴めいて一方を指し示すように、アキはその存在を漠然と感じた。

 怪獣だ。

 三年前の戦いでレッドカイザーの上位世界のエーテルをその身に受けて以来、アキは怪獣の存在を感じられるようになっていた。

 だが、今回は何かがおかしい。身構えても地震は来ないし、怪獣はとても遠くにいるように感じられた。基地から離れているせいだろうかと勘繰ったアキは、自分の席から立ち上がった。

「ど、どうした」

 カズキたちが聞いてきた。

「なんか、すごい顔してるぞ」

 言われて、アキは自分の口元を抑えた。友人たちの態度を見るに、よほど恐ろしい顔をしていたに違いなかった。アキは冷静を装ったが、それが上手くいっていないことも自明だった。

「ごめん、体調が、その……早退するよ」

 それ以上何かを追及される前に、アキは自分のショルダーバッグを持って教室を出た。

 休み時間で人の多い廊下を抜けて一階に行き、廊下をモップで擦っている用務員に駆け寄った。

「連絡は」

 用務員の男は一瞬置いて驚いたようにアキの顔を見返した。それから小さく首を振る。

「時間の問題だよ、すぐに帰らないと」

「まさか、感じたのか」

 男は少し考えてから、耳に手を当ててもごもごと口の中で何か言った。ややあって、再びアキに向き直る。

「怪獣は出たそうだが、君の帰還要請は出されていない」

「は? 何を言ってるんだ」

 アキの体温が上がったように熱気が生まれて、陽炎まで作り出す。つい数分前まで同学年の友人たちと談笑していた少年と同一人物とは思えない剣幕で迫るアキに、男は一歩引きながら言った。

「怪獣は、海外に出たらしい」

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