第四話 レッドカイザー、受忍
第四話の1
その部屋は飾り気がなく、コンクリートの壁に覆われていた。部屋はガラスの壁で間切られて、入り口から入ってくると、その向こうにテーブルが置いてあるのが目に入る。ガラスの仕切りのこちら側と向こう側には同じ面に鍵のかかった扉があり、通路でつながっていて、管理者の許可によって行き来ができるようになっていた。
二台のカメラで部屋の内部の様子は随時確認されている。そのカメラに搭載されたサーモグラフィーよってその日の朝、異変が確認された。
電子音と錠の外れる音がして部屋の入り口から入ってきたのはジローだった。ジャケットを右脇にかかえ、シャツはパンツから出たままになっている。ジローはガラスの仕切りの前に置いてある椅子に腰かけて、テーブルの上に置いてある赤いおもちゃ――レッドカイザーに話しかけた。
「ごきげんよう、レッドカイザー」
『ああ』
「今のところ、怪獣余震はない。君の来訪は怪獣の出現に関係のあるものと見なくていいのかな。さすがに前回から二日しか経っていないのに、また出てこられたらどうしようと思っていたよ。いつまでたっても仕事が終わらなくなってしまうからね」
『現在、こちら側への上位世界のエーテルの流入は確認されていない。驚かせたようですまない。今日はこれと言った用事があって来たわけではないのだ。強いていうなら、下位世界の近況を知っておこうと思ってな』
ジローは前のめりになっていた姿勢を起こして、背もたれに体を預けた。心なしかリラックスし、緊張が解けたようになると、その顔に刻まれた疲労が姿を現して一瞬で歳をとったように見えた。
再び錠の外れる音がした。
「VIPのお出ましだ」ジローは言って立ち上がる。
部屋に入って来たのはスーツ姿の……ではなく、学生服に身を包んだ少年だった。シャツとパンツの組み合わせが似合わないその少年は、レッドカイザーの頭部にあるのと同じ縦一筋の傷が額にある。ジローは少年を見て微笑んだ。
「怪獣じゃないってさ」
「そっか」
アキは肩を落とすが、すぐに気を取り直した。ガラス越しのレッドカイザーに寄って明るい顔を見せる。
「怪獣がいないのにこっちに来るなんて久しぶりだね。できれば俺も話したいことがあったんだけど、今日はこれから出かけないといけないんだ。実は、今日から中学校に通うことになったんだ」
『勉学か、いいことだ。君はこの三年間、ずっと戦い詰めだったからな』
「できれば、いつでもこの基地にいて怪獣の出現し次第現界して欲しいのが本音だがね」
「すみません」
こなれた笑顔をジローに向けて、アキは形だけの詫び言を言う。中学への転入はアキの要望で、当初ジローはそれに反対の立場だった。しかし、彼なりに思うところがあり、学校側に話を通した上でアキの要求を通すことにしたのだ。ジローの小言が“お約束”であることをアキは理解していた。
アキとレッドカイザーは三年前の第三次怪獣事変以降、政府によって身柄を保護され、また保有する戦力を管理されていた。アキとレッドカイザーの接触については特に注意が払われ、怪獣出現時以外は触れてはならないと決められた。
一方で、長期間レッドカイザーとアキを互いから隔離してしまうと、融合現界を可能にしているアキの認知境界が歪んでしまう懸念から、本人の希望次第でガラス越しに対面することは許可されていた。アキはレッドカイザーを自らの半身だと認めているから、そのおもちゃ越しに上位世界のエーテルの流入を受け入れられるのだ。
と言っても、怪獣はこの三年間およそ一週間ごとに出現していて、アキとレッドカイザーの絆が時間によって綻ぶことはなかっただろうと、ジローは考えていた。それでも、アキには相変わらずレッドカイザーへの面会権限を与えている。
この基地は怪獣の出現する座標のすぐ近くにある。かつてアキが住んでいた町が近かったが、そこにはもう町などなかった。崩壊区域とよばれるようになったそこは瓦礫と土砂によって広く均され、山は丘のように背を低くしていた。
アキはまだ十三歳だというのに、友達もおらず娯楽も少ない。かつて両親を失った失意の中から、絶望を抱いて立ち上がったこの少年に、ジローは親心のようなものを感じていた。上司や“上”の方から達せられたアキに適応すべき厳しい規則の小さな穴を掻い潜り、ジローはこの子供のためにできることはやってやろうと思っていた。
「レッドカイザーはどれくらいこっちにいるの? 学校から帰ってきてもまだいる?」
『さあ……エーテル界は今騒がしい。君が帰って来るまでこちらにいるわけにはいかないだろうな』
「そっか」
「彼とは俺が代わりに話させてもらうよ」
再び肩を落としたアキにジローは言って、アキの背後にいた“護衛”に目配せする。
「アキ君、そろそろ」
「あ、はい。それじゃレッドカイザー、行ってくるよ」
『ああ……アキ、わざわざ言うこともないと思うが』
アキは部屋の入り口から振り返ってレッドカイザーを見た。
『その力は安易に使ってよいものではない、心しておくように』
「分かってるよ」アキは眉をひそめた慣れた笑みを浮かべる。
アキが護衛の男と共に去ると、部屋は広く静かになった。ジローはジャケットを自分が座っている椅子の背もたれにかけて、レッドカイザーと話す準備をした。
「エーテル界では、どんな事件が?」
『想像に難くはないだろう。あの日私が本来のエーテルを晒して以来、罪人が誕生し探し回られているという具合だ』
「エーテル界はなんというか、きわめて概念的な存在だと思っていたが。ずいぶんと人間社会に近い形なんだな」
『物質界とエーテル界は表裏一体だ。互いに影響を受け、また与えている。この世界がエーテル界に似ているのかもしれないぞ』
「その話が本当なら、エーテル界の事件は我々にとっても一大事になりうる、か。複雑な心境だよ」
ジローは膝に肘を付けて、脚の間で手を組んだ。
「あの日、君がアキ君に炎のエーテルを与えてから、彼は変わった」
『……ああ』
「結局の所、我々が本当に危惧しているのは、アキ君個人が及ぼす影響ではないんだ。エーテル界の侵攻はいつまで続くのか、いつまで君は我々のために戦ってくれるのか。そして、アキ君はどれほどの時を生きられるのか」
『分からない』レッドカイザーの言葉は本心からのものだった。『君たちと同じかもしれないし、もしかしたら……永遠に生きるのかもしれない。下位世界の存在が上位世界のエーテルを取り込んでしまって生じうる事態は、まったくの未知なのだ』
三年前の戦いで、アキはレッドカイザーのエーテルにその存在たりうるもの……“アキのエーテル”とでも呼ぶべきものを呑まれ、帰らぬ人になるはずだった。ところが、レッドカイザーが現界を終えるとアキは意識を取り戻し、五体満足で人の世に戻ることができた。
ジローに保護された後、アキとレッドカイザーはしかるべき機関で事情の説明と身体検査を行った。その時、アキの肉体は一見して特別な要素は見受けられなかったはずが、体温が三九度を平均としていることが判明したことから話が変わってくる。異変に最初に気付いたのはレッドカイザーだった。
アキの体は、レッドカイザーのエーテルの影響を受けて変異し始めていた。アキの認知境界はレッドカイザーとの融合を可能にすると同時に、自分の存在要素を守る殻としても働いていた。しかし、レッドカイザーの強大な炎のごときエーテルはその殻を熔かし、“アキ”を侵食したのだ。
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