第三話の7
瓦礫を越えると、遠くで戦っている巨大な影が二つ見えた。レッドカイザーは一方的に殴られてはまた立ち上がって向かっていく。怪獣も飽きもせずに、一回一回を全力で叩き潰していた。数日間を下位世界で戦ったせいか、怪獣の動きは以前より洗練されているようで、レッドカイザーに帯を巻き付けて地面に叩きつけるなどの攻撃も出来るようになっているらしい。
アキはゆっくりと瓦礫を下りながら、途中足を踏み外してアスファルトに落ちた。倒れたアキはしばらくじっとしていたが、ゆっくりと立ち上がってまた歩き出した。手や足に血が滲んでいた。呼吸は深く、震えていた。なぜ歩けているのかアキにも分からなかった。頭痛は酷く、目は朦朧として、耳は遠かった。熱っぽい体がひとりでに歩いているのかもしれなかった。あるいは運命に操られているように、アキは進んだ。
運命、運命か。アキは思った。こうして怪獣に立ち向かうために、両親は怪獣に殺されたのか。アキに死ぬような覚悟をさせるために、ユイは犠牲になったのか。そのために彼らはこの世界に存在したのか。
そうであってたまるかと、アキは虚空を睨んだ。
陽は西に、空は赤く。
アキは長い影を背後に伸ばす。
もし運命のもとに殺される命であったなら、それはだれが仕組んだのか。エーテル界の王か、より大きな枠を司る存在か。分からない。アキは何も知らないし、今は何も考えられない。ただ確実なのは、あの怪獣がアキから全てを奪ったこと。アキはそれを許せないと思ったこと。
今、力が欲しいこと。
「レッドカイザァアアアアアア!!」
アキは叫んだ。傷めた喉はもう二度と使わないだろうという意思のもと、埃っぽい空気をいっぱいに吸い込んだ。
「レッドカイザァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
全身で叫んだ。体が震えて足に入れる力も使い果たすほどの絶叫で、その名を呼んだ。
アキに巨大な影が被さって、見上げると赤い巨体が落ちて来ていた。それが地につく寸前跡形もなく消え去る。アキが目の前の地面を見ると、見慣れたおもちゃが一つ瓦礫の上に立っていた。頭にある傷は、彼の額にあるのとまったく同じ形だった。
『なぜ、来た』
アキの頭の中で響くその声色は厳しかった。しかし、頭痛はむしろ引いていき、アキの五感は鮮明さを取り戻していくようだった。
アキはおもちゃのレッドカイザーに歩み寄って、抱きしめた。知った手触り、合金の独特なにおいに我が家の香りが少しだけした。これが両親の唯一の置き土産であり、アキの半身であることをようやく思い知った。アキはアキたらしめるものを再び手に入れるためにここまで来たのだと自分で気づき、涙した。これまでで一番熱い涙が、レッドカイザーに降りかかった。
「ごめん、ごめんよ」
レッドカイザーは温かく、アキの言う言葉を待っていた。
「俺は……もう戦えないと思ったんだ。お父さんもお母さんも……死んだ。だから」
アキは涙が止まるのを待った。悲しみを振り払おうと思った。しかし、出来なかった。顔を上げて、くしゃくしゃの顔でレッドカイザーを見た。
「だから! あいつを倒したい! 仇を取りたい! 守るためじゃなくて、あいつを殺すために! 俺は!」
レッドカイザーを握る手から赤い血が滲んだ。
「力を貸してほしい、レッドカイザー!!」
アキの泣く声が、しばらくあった。遠くで怪獣の歩く音が聞こえる。夕陽に一人と一つは赤く染まって、一続きのもののように見えた。
『私がなぜ来た、と聞いたのは』レッドカイザーは諦めたような声で言った。『君にはもう、辛い思いをして欲しくなかったからだ。私が君を巻き込んだりしなければ、君は大切なものを失わずに済んだはずだと。君にはせめて、最後に残ったもの、その命を大切にして欲しいと思った。ただ、それは詭弁だった』
レッドカイザーは少し間を開けてから、続けた。
『君が再び訪れたなら、私は私の、本当のエーテルを使わなければならなくなる。それが唯一、ヤツを倒す手段だからだ』
怪獣はゆっくりと、アキたちの方へ歩み寄ってきていた。
『それだけは絶対にするまいと、自分自身に誓っていたことだった。だが、君は来てしまった。そして私には、君に起きた悲劇と、その覚悟を無視することはできない』
一息つくように言葉を切って、レッドカイザーは言った。
『今度こそ、死ぬかもしれないぞ』
それは悲しみを湛えていたし、最初の現界を思い出すような物言いに、再び奇跡が起きないとも限らない希望も含まれていた。
アキはレッドカイザーを抱いたまま立ち上がって、怪獣を見上げた。百メートルの威容はあと五百メートルとない距離まで近づいてきていた。
アキに恐怖はなく、不安もなかった。
ただ怪獣への怒りだけが、愛する人々を奪った相手への憎悪だけが……必要ならばこの身を投げ出す覚悟の炎の薪となった。
「レッドカイザー」
アキがその名を呼んだことが、了解の証だった。
『……現界』
おもちゃのレッドカイザーが黒色に染まり、アキの手へと、胸へと伝播して染めつくす。
現界のたびにいつもそうであるように。
アキは闇の中で小さく揺れる炎を見つけ、そこへ潜っていく。
どこまでも深く、深く。
その火はすぐ近くにあるように思えた。
だが、実は恐ろしい深みの中で輝いているのだと分かった瞬間、アキは凄まじい勢いで引きずり込まれる。
炎はみるみる巨大になっていき、宇宙に浮かぶ太陽もかくやと燃え盛っている。
アキは今、その炎に触れた。
真黒の巨人が瓦礫の街に現れた。レッドカイザーが辿る現界のプロセスが終わろうという時、怪獣はそれを待たずに帯を放った。四本の帯がまっすぐとびかかり、それは……レッドカイザーに届くことは無かった。
闇に満たされたレッドカイザーの体から、炎が噴き出す。上位世界のエーテルによって凄まじい強度を持っているはずの帯は瞬く間に焼失し、怪獣はたじろぐ。
炎だ。
人型の炎が真紅の鎧を纏ったような姿だった。肩や肘や膝などの関節から炎を噴き上げ、その背後の水平線へ沈みゆく、空を海を大地を赤く染める太陽すら我が力の配下であると言わんばかりに陽炎の外套に覆い、炎の化身はそこに堂々と佇んでいた。
怪獣は一歩下がり、二歩、下がった。
『アバンシュ様……』
レッドカイザーはしばらくじっと立っていたあと、言葉を発した。
『私は、レッドカイザーだ。来い、戦士よ。我が敵よ』
怪獣は明らかに混乱した様子で、この世のすべての炎の長たる威厳を持つ灼熱の城を見た。
怯えすら見せながら……しかし覚悟を決めたように、再生した帯を炎の化身へ放つ。
レッドカイザーはただ立っていた。そして西から風が吹いたようにその体から炎の波が生まれて、一瞬にして怪獣を飲み込み、灰も残さず灼き尽くした。
レッドカイザーの前には街も、街だったものもなく、怪獣がいたような痕跡の一切もなかった。
炎の化身はそれからも少しの間、出現した時から全く同じ姿勢で、腕をだらんと垂らしたまま立っていた。そうして太陽が静寂をもたらしたのと同時に、輝ける巨人は幻のように姿を消した。
第三次怪獣事変は、こうして幕を下ろした。
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