第三話の4

 エーテルの操作がアキにできたなら、彼はこの一番に全てを賭けただろう。腕の一本くれてやって、もう一本の腕で怪獣を貫いたかもしれない。

 レッドカイザーは重力や空気抵抗をカットして余剰ができたエーテルを前面に集めて出力を上げるが、エーテル生命からすればわずかに強度が上がっただけにすぎない。閾値を超えるような出力が得られなければ、触れるもの全てを破壊する絶対無比の力は生み出せない。

(あれを使うか……いや、しかし……)

 レッドカイザーの迷いもつゆ知らず、アキはまっすぐ飛翔する。

 怪獣の帯が四本射出された。

 アキは超常的な反射神経で二本を弾き、その反動で空中にいながらもう二本を避けた。

 帯の一本が学校の一角を破壊した。

『やめろオオ!!』

 がら空きの怪獣の胴体に組み付いて、レッドカイザーは殴り、蹴りを繰り出す。

『動け! 動け! どこか、違うところへ!』

エーテル体に多少のダメージを与えたところで、物理的な威力が伴わなければ怪獣の落下軌道は変わらない。

 怪獣を回るリングに四本の帯が戻った。

『レ、レッドカイザー!』

 なんとかしてくれると思った。

 レッドカイザーは至近距離の一斉射をいなすことも、避けることもできなかった。

 赤い巨躯は四本の帯の威力を伴って地上へ墜落していく。

『だ、ダメだ!!』

 アキは思わず帯を掴んだが、それで何かが変わることは無かった。

『ダメだぁっ!!』

 レッドカイザーの背中が校舎を押しつぶす。

 土塵があがって、それと一緒に悲鳴が聞こえたような気がした。

 アキは全身が冷えていくの感じた。

 お父さん? お母さん! ユイ!

『やめろおおおおおおお!!』

 手を伸ばしても、全てが無意味だった。

 怪獣は仰向けのレッドカイザーの真上に着地し、凄まじい衝撃を発生させた。

 ああ、命が。

 怪獣は自重でレッドカイザーを固定して、また帯を回転させた攻撃を始める。是が非でもその赤い体を両断せしめんとする破壊の渦は、アキの守るべき場所を跡形もなく破壊していく。

 アキには何も聞こえない。何も見えない。痛みはとうに感じず、力は体になく、もはや一片の火の粉ですら、その心には灯らなかった。




「アキ!」

 母に呼ばれて、アキはリビングへ向かった。部屋で一緒に遊んでいた三人の友達もついていく。

「うおー!」

「すげえ」

 アキの母が作ったケーキに、友達が興奮したような声を上げた。アキ自身も、自分のために作られたホールのケーキの出来栄えには感動していたが、友達の手前恥ずかしくて感想を言うことはなかった。それでも子供の表情は口ほどにものを言って、両親はそれで満足していた。

 母が電気を消そうとしたのを、父が止めた。包装された大きな箱を取り出して、アキに渡す。

「ええ、今?」母は怪訝な顔をする。

「いいじゃないか」

 父は笑って、アキに袋を開けるよう促した。中から出てきたのは、アキが好きなアニメに登場するロボット……レッドカイザーだ。

 これにはアキも感情を抑えきれず、友達と一緒になって半狂乱になった。

「レッドカイザーだ!」

「いいな! いいなあ!」

 箱からレッドカイザーを取り出して、その大きさと重さと赤さにアキは感動する。アニメとの多少のプロポーションの違いなど全く気にならなかった。

 なんて大切なものなんだろう。お父さん、お母さん、ありがとう。

 レッドカイザーを抱えて、アキはテーブルの主役席に座る。いつまでも大事にし続けることを誓いながら、リビングの電気が切られた。

 暗い部屋の中で、八本のろうそくが揺れる。

「アキ!」

 アキは待ちわびた父の声を合図に、胸いっぱいの空気をろうそくの火を目がけて吹いた。




 底知れない気だるさを覚えながらアキが目を開けると、骨組みの見える高い天井と黄色い照明の光が見えた。ベッドは柔らかくないがすっかり体になじんでいて、脱力しきった体をまんじりともさせない。

 頭の中は空っぽだったが、アキには何でかそのままの方がいいような気がした。自分がどこにいるのかということにさえ関心を持たず、死んだように時間が過ぎるのを待っている。

 視界に白衣を着た男性と、スーツの男が映った。スーツの男はジローだった。アキと会った時よりさらに顔色を悪くして、隈も深くなっている。整っていたスーツもすっかりよれていた。

 二人はアキについて何か話していた。言葉は音として聞こえるが、アキが意味を理解することはなかった。

「肉体的に衰弱しきっているときにそんな話をして、精神がもちませんよ。まだ子供なのに」

「だからって元気になるまで待ちなさいじゃダメなんだよ、どっちみちこの国が終わっちまうんじゃ、ダメ元でやってみるしかないだろうが」

「人の心が無いんですか。冷静になってください」

「俺は冷静だよ。冷静で、頭も冴えてる。博打をやるのに最高なコンディションってやつだ」

 スーツの男は白衣の男をその場から去らせた。男が椅子をずらして、寝ているアキの頭のすぐ横に座る。

「久しぶりだねえアキ君。意識はあるんだろ、お医者さんが言ってたからね。言葉も聞こえてると信じたいんだけど。返事できるかな? しなくてもいいや。

 さて……ここは君の町から三十キロ離れたところにある、別の避難所だ。君はここで丸二日間寝ていた。昏倒する直前の記憶はあるかい? 君はあの赤いやつに助けられたんだ。どこから連れてきたのかは分からないが……。君の避難していた学校がどうなったかは覚えているかい?」

 アキは体の芯を冷やした。凪いだ海の中を漂うプランクトンが、不意の潮流で海面に迫るように意識が浮上していき、アキの忘れようとした現実が迫って来る。海面に出てその身を陽光に晒そうものなら、たちまちに焼けただれてしまうだろう。アキは自らの意思でそれを否定しようとして、皮肉なことに一層覚醒を促す。

「あ……あ……」

 アキの呻きなど聞こえないようにジローは続けた。

「赤いやつもろとも、怪獣に潰されたよ。正直、もうおしまいだと思った。怪獣の攻撃は物凄くて、近づくことも出来なかったからな。赤いやつはしばらくぐったりしていたんだが、急に動き出して強引に怪獣に掴みかかった。あれで腕が千切れ跳ばなかったのが不思議だよ。怪獣は赤いやつをふりほどこうとして吹き飛ばしたら、いつも消えるみたいにいつの間にかいなくなった。怪獣はそれから街の方へと歩き出した。俺たちは、もはや一寸も原型の残っていない校舎跡に寄って、無駄だろうと思いながら生存者を探した。その時赤いやつがまた現れて、君を俺たちの所に置いて、街へ向かう怪獣を追いかけていったのさ」

 ジローは持っていたタブレットを操作し始めた。

「学校での救助活動は続いているけど、今日で終わる。たった二日だ。それですんなり諦めがつくほど、現場は酷い有様だよ。あの日、あそこにはまだ五十人の人間がいたはずなのに、死体はおろか、血の一滴だって見つからないんだから」

 ジローが何を言っているのか、アキは理解したくなかった。死体も血もないんじゃ、みんな逃げたに違いないという考えが一瞬頭をよぎった。そしてあの時、レッドカイザーが校舎の上に載ってしまったとき。そこには確かに人がいて、校舎内で見たことのある顔が自分を見上げていたのを思い出した。

 その顔がユイになって、父になって、母になった。彼らが見上げているそこに、レッドカイザーの体は威力を伴って墜落する。

 ジローはアキにタブレットの画面を見せた。寝たきりでも見えるように、顔の上に端末を据えた。

 レッドカイザーが怪獣と戦っている映像だった。いや……レッドカイザーが、一方的にいたぶられている映像だ。

 その怪獣の姿に、受けた攻撃、失われたものが激しくフラッシュバックする。

「赤いやつはあれから二日間、ずっと戦っている。昼も夜もなく」

 ジローはアキの目がもう画面を見ていないのに気づいた。躊躇うようにタブレットを手元に戻して、ジローは席を立った。重い足取りで仮設救護室から出る。

 アキの胸は両親への思いでいっぱいだった。レッドカイザーが戦っていることなど、微塵も気にならなかった。

 もう二度と会えない。もう二度と名前を呼んでもらえない。もう二度と甘えることはできない。

 現実に浮上したはずのアキの心は、孤独という海の深淵へ沈んでいく。それに抗うこともしない。青はどこまでも深くなっていき、冷たい闇となってアキを迎える。

 アキは声を上げて泣いた。

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