第三話の3

 アキは立ち止まって、斜面を汚した山を見る。怪獣はいつもその向こうからやって来る。敵の姿はまだ見えないが、重くのしかかるような緊張感がそこにはあった。地震の前に急に感覚が鋭くなって地鳴りを察知するように、アキの五感は臨戦態勢をとる。

「やるよ。今回も、この次も、ボクは守って見せる」

『力を貸そう』

 アキの意思に呼応するようにレッドカイザーのおもちゃが真黒に染まる。上位世界のエーテルが下位世界の理を改ざんし、その力を発揮するための形にコンバートされる。浸食はアキの腕を伝い、胸を、全身を黒く染める。

 アキの意識は全身に満ちる力を感じる。闇の中で揺らめく炎を見つけ、そこへ落下するように急速に迫っていく。

 そして光が広がり、アキの眼下には地を埋め尽くす人の営みの姿があった。

『現界』

『完了だ』

 アキの言葉にレッドカイザーが返事をする。

 赤い巨体が廃墟に一つ、立っていた。いつもは怪獣が先に現れるのに対して現界をしていたので、純粋に視界が開けているのにアキは新鮮さを感じた。

 アキを探しに学校から出ていた人がいたとしたら、レッドカイザーの出現に驚いて逃げ帰っただろう。両親にはひどく心配をかけるだろうが、それも今回までとアキは決めた。

『お父さんとお母さんに話そうと思うんだ。心配かけさせっぱなしだし。レッドカイザーも一緒に言ってくれる?』

『いいだろう』

 山の方に動きがあった。

 来る。

 今回はどんな姿の怪獣なのか、どんなエーテル特性を持っているのか……。

 アキの思考は衝撃に中断された。

『うっ!?』

 巨大な釘を胸に突き刺された感覚を得て、レッドカイザーの体は地を滑った。

 アキは意識をしっかり保って、何が起きたのかを見る。胸になにかが当たっている。平たい帯のようなものがピンと張っていた。いずこかへ続いているその帯を目で追うと、山を貫いて出て来ていた。

 これは、本体から伸びている! 察したアキはレッドカイザーの手で帯を掴もうとするが、素早く引取られる。帯はまっすぐ戻っていって山の向こうへ消えていく。

 アキは身構えるが、第二弾は来ない。

『射程の問題かもしれん。本体中央のエーテル流入源から離れると、下位世界本来の理が勝るようになるのだろう。前回のヤツと同じだ』

 レッドカイザーの意識は冷静に状況を分析しているのを聞いて、アキは嫌な思いになる。山の向こうからここまでの距離を、凄まじい精度・速度・威力でもって届かせる。今回はそんな攻撃を掻い潜り接近しなければならないのだ。今の帯が仮に腕なら、二本はあるだろう。

 山の輪郭が揺れた。山頂に怪獣が姿を現す。

『うそ』

 怪獣の下半身は青く、極端に細い白い胴体が寸胴のように伸びて、頭のあたりは丸みを帯びているものの目鼻口は存在しない。

 アキの目を引いたのは、胴体から離れて浮いているリングのようなものだ。そこには先ほどの帯が四つ垂れ下がっている。

 四つ腕! あの攻撃が同時に四つ放てるのだ。

『……馬鹿な』

 レッドカイザーも思わずといった調子で声を上げていたが、何か様子がおかしい。

 アキはレッドカイザーに、どう攻めるか相談しようとした。

『アキ』

 先に切り出したのはレッドカイザーの方だった。

『やつには勝てない』

『……え?』

『だが、守備に意識を割いている限り我々も負けることはない。この戦いはおそらく……』

 レッドカイザーが言い淀んでいる間に、怪獣が動き出した。山の斜面をえぐりながら、ゆっくりと歩いて下りてくる。

 怪獣の細長い胴体を通すようにして浮いているリングが、わずかに回転した。アキは野性的なカンで頭部をガードするが、帯の一撃は腹に入る。意識が痛みに引っ張られている間に、次の攻撃が脚に入ってバランスを崩すと、新たな一打で頭部のガードも崩し、空いた顔面に最後の一本がまっすぐ飛んでくる。

 頭部への強烈な一撃は、つんのめったような体勢だったレッドカイザーを仰向けにひっくりかす。

『あ、うっ……』

 全身が痛んだが、怪我はしていない。人体をもとに現界したゆえの触覚の名残で、突き詰めれば錯覚に過ぎないのだ。最初の怪獣が町を破壊した、落下攻撃を思い出す。

 あれに比べれば、こんなもの! アキは自身を奮い立たせる。

『アキ!』

 レッドカイザーが叫ぶ。アキは寝ころんだまま体を回転させる。打撃が二本当たるが、回転の勢いのままレッドカイザーの赤い体は立ちあがる。

 無機質な怪獣はレッドカイザーに向き直ると、四本の帯を一斉に伸長させた。

 アキは反射的に腕を動かし、顔面に飛んできたものと胸に目がけてきたものを両手でそれぞれ掴まえた。残りの二本が腹と右脚を突き、レッドカイザーは片膝をつく。

 掴まえた二本の帯が萎縮しようとしてレッドカイザーの腕を引っ張った。 

『レッドカイザー!』

 今手に力を集中させればこの二本を千切れる。アキはエーテルの集中を求めたが、レッドカイザーはそれを断る。

『だめだ、残りの二本が来る!』

 がら空きのレッドカイザーの胴体に、残りの帯が鋭い打撃を与えた。一定のリズムで断続的に強打され、アキは痛みに負けないよう意識の手綱をしっかりと握りこむ。

『だったら、重力を!』

 レッドカイザーはすぐにアキの言わんとすることを汲んだ。

二本の帯が怪獣のもとに戻ろうとするのを拒んでいたレッドカイザーの巨躯が、突然飛び上がった。帯の戻る力で急速に怪獣に接近し、怪獣本体に両足を蹴りつける。レッドカイザーは帯を掴んだまま、怪獣の体を足場に地面と平行に立つ。

『レッドカイザー! 足の裏でッ』

 足を振り上げて決めにかかろうとしたアキだが、巻き戻った帯が素早く、怪獣の足元に射出されレッドカイザーは地面に叩きつけられる。上位世界のエーテルで体を守っているレッドカイザーに下位世界の干渉によるダメージはないが、怪獣の二本の帯が素早く、連続で突きを繰り出す。レッドカイザーの体は徐々に埋もれていき、アキの意識は衝撃に白く染まっていく。

 ゆるんだ手から掴まれていた二本の帯を戻すと、怪獣はさらに苛烈さを増して連続打撃を繰り出した。体を回るリングの回転が速度を上げていき、それに応じて攻撃の速度も上がっていく。突きの攻撃は薙ぎ払いに転じ、巨大な扇風機と化した怪獣の“羽”が体をすっかり埋めてしまっていたレッドカイザーを切断すべく襲い掛かるが、その巨体は大地を割るような威力で搔き出され吹き飛ばされた。

『アキ! しっかりしろ! アキ!』

 レッドカイザーの意識が呼ぶ声にアキは正気を取り戻しかける。夢から目覚めるように意識が浮上していき、浮遊していた体がどこかへ落ちたことを知った。怪獣の攻撃を受けていないレッドカイザーの素の重量に、その建物は潰れることなく巨体の下敷きになっている。

『アキ! まずいぞ!』

 アキは体を動かして、自分の下敷きになっているものを見た。

 学校だ。

 アキと、両親と、ユイが避難しているあの学校だ。

 校庭や屋上にいる人々の顔が見えて、アキは戦慄する。すぐにここを離れなければならいと立ち上がり、振り返って怪獣を怪獣を探した。怪獣との戦いで学校を巻き込まない位置に移動しなければ……!

 アキが見つけると、怪獣はちょうど跳び上がった。

 四本の帯を使って地面を叩き、その反動で高く跳躍した。

 それはただの、垂直方向へのジャンプではなかった。

 距離が離れたレッドカイザーに向けて、弧を描いて正確に跳んできていた。

 怪獣の重量だ。アキは空中にいる怪獣がやけにゆっくりと動いているように錯覚した。最初の怪獣の落下攻撃と、それがもたらした被害と、自分が今どこにいるのかという現実が重なる。

『だめだ』

 意識裏に閃いたヴィジョンがかつてないプレッシャーをかけて、アキの心を押しつぶそうとしていた。それでも、アキは迫りくる最悪に抗った。

『ジャンプ!』

『どうする気だ!』

 レッドカイザーの体は地上にその体を留めるものすべてを振り切り、怪獣に向かって跳んだ。

『分からない! でも!』

 アキが避けても怪獣の落下する軌道は変えられない。是が非でも食らいついて、どうにか軌道を変えるしかない。

 やれる! レッドカイザーならできる!

 できなかったら……いや、そんなことを考えてはいけない!

 これは、やらなきゃいけないんだ!

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