第三話の2
一方で、頭に上りつつある血の気は止まる気配がない。命がけで戦って、こんな恩を仇で返すような真似をされてはたまったものではない。
――アキはシラを切ろうとして、
「レッドカイザーは、正義の味方だから……」口を滑らせた。
「レッドカイザー?」
ジローは怪訝な顔をする。アキの頭に上った血の気は、今度は急速に引いていく。アキは深く考える力を失った状態で、それがどんな結果につながるかも予期できないまま、彼にとっての真実を口にしていた。
「レッドカイザーは、おもちゃの……」
「……ああ、アニメのやつか」
ジローは一人で合点がいったようだった。
「確か、赤いロボットが出るやつだ。なるほど、君はあの赤いやつをレッドカイザーと重ねるように見ていたわけだ。ふっ、なるほど」
ジローは改めてアキを見た。子供の考えそうなことだとでも言いたげな、にやけた表情をアキに向ける。つい口から出た言葉を、ジローは都合のいいように解釈してくれたようだった。悪い怪獣と戦う赤き巨人、正義のレッドカイザー。子供の見る世界はシンプルでいいと、アキは小馬鹿にされた気分だが、話はそれで丸く収まったようだった。
「あんまり長く引き留めると、ご両親に怒られてしまうな。おじさんが約束を破ったなんてチクらないでくれよ」
ジローは車の中から、疲労を隠せない顔に笑顔を浮かべながらアキを見送った。
解放されたアキは胸をなでおろしながら、学校の玄関に入っていく。だいぶ心を乱されてしまったが、なんとかなった。レッドカイザーの正体は依然不明。アキの思うままに守りたい人を守るためには、誰か、あるいはどこか特定の機関に身元を委ねるわけにはいかない。
「そうだ、ユイ」
アキは校内を彷徨っていた理由を思い出して、廊下を早足で駆けていった。
アキの姿が学校の中に消えたのを確認してから、車の外にいる男がジローに言った。
「監視は付けなくていいんですか」
「この人手不足でそれをやって、報告書を書くのは俺だぞ。勘弁してくれ」
ジローは座席に深く座り直す。待機していた三人が車に乗ってくると、ジローは自分の隣に座った男に尋ねた。
「どう見えた」
「普通の子供でした」
「そうだな、世間がどういうものか少し分かってきたような顔をした、普通の子供だった」
車が発信して、流れる家並みをジローはうつろな目で見る。これは何かの任務ですらない。ジローの独断で、信頼できる部下数名を連れてここに来た。本当ならば監視を付けたいが、四人で”遊んで”いたのがバレるだけでも大目玉だ。
ジローにとって最も悩ましいのは、事の重要度が自分でも分かり切っていなところだ。アキが赤い巨人に変身する確証はない。あるのは状況証拠で、それだけでアキを重要人物たらしめるのは不可能だろう。それほどの弱い情報にジローは目を留めてきたのだが、アキ少年には名状しがたいきな臭さを感じた。
二回目の怪獣襲撃の折、アキが学校から抜け出して崩壊した市街地へ向かったという目撃情報があった。直後赤い怪獣が出現し、両者の戦闘終了後、アキは戦闘地点から学校に戻ってきている。
最初の襲撃では、怪獣の死骸である土砂の傍らに佇んでいる少年の姿が確認されていた。
ばかげた話だとジローは鼻で笑った。子供が巨人に変身するだなんて、ナンセンス極まりない。けれども、土砂が怪獣の姿を取って人里に降りてきたという事実はある。赤い怪獣は完全に神出鬼没で、最初は町中に突然現れたという。赤い怪獣の正体がただの子供であることを否定するのは、もろもろの超常現象をなかったことにするのと等しい。
憶測が外れていても何の問題もなかった。あんな子供が、赤い怪獣に変身しているなどという事実は存在しないと知れるだけでも十分なはずだと、ジローは思っていた。
ただ、今は、ありえないことをありえないことと断ずる余裕も、調査する時間もなにかもがなかった。
「次は確か、新しい怪獣の死骸の分析結果の確認だったな」
「はい」
最初と同じ、どうせただの土だ。ジローには怪獣の出現と、それにまつわる一連の不可解な出来事は理解できる事物の範疇の外側にあって、そういうものであると諦めて分かった気になることでしか心に平穏を取り戻す術はないように思えた。
ジローが車のサイドミラーに目をやると、真後ろにある峰が崩れた山が映っていた。
一瞬、それが土気立った気がした。
ジローが目を凝らすよりも先に、強い揺れが車体を襲う。
強めのブレーキで車が停止する頃には、揺れはもう止まっていた。車内にわずかな混乱が生まれて、ジローの脳裏に……サッと、その”意味”が走る。
「怪獣予震か」
サイレンは怪獣を待たずに鳴り響いた。前回の怪獣襲撃時に学校を抜け出していたのがバレたアキは、両親にひどく叱られていた。それでも怪獣と戦うために現界をしなくてはならないから、アキは地震が終わるや否や学校を飛び出していた。
「また怒られるだろうな」
心配をかけさせるのはよくないとアキは分かっていたが、両親には何も言わなかった。今回の怪獣を倒したら、両親には本当のことを伝えてみようかと思う。もしかしたら一層心配をかけさせるかもしれないが、突然何も言わずにいなくなりよりかはマシだろうと、アキは考える。明日には町を去って遠くの避難所で生活するようになるから、その方がよかった。どこにいようとアキは、怪獣が出たら倒さなければならないからだ。
ふとアキは振り返った。学校周辺の家並はほとんど怪獣事変以前のままだが、人の気配は全くない。ジローと会ったことを思い出して、人の目を気にするようになっているようだった。
町が大きく崩壊したあたりで戦うためにアキは学校から離れていたが、またアキがいなくなったと、大人が探しに来るかもしれなかった。それで戦闘に巻き込まれてはたまったものではないと、アキは早めに現界しようと決めた。小走りで目的地へ向かう。
形の整った家がだんだんと崩れてくる。大きくヒビが入っていたり、屋根の一部が欠けていたり、窓がなかったり。やがて道路に瓦礫が溢れるようになってきて、倒壊しかけの建物が多くなってくる。
アキは最初の怪獣との戦いを思い出した。死者と行方不明者は合わせて四百人を超えている。二回目の怪獣の時も、レッドカイザーで受け止めきれなかった流れ弾でどれほどの人が亡くなっただろう。
アキは手元でほんのりと熱を発するレッドカイザーのおもちゃに話しかけた。
「実はさっき、ジローって人に会ったんだ。多分、ボクがレッドカイザーじゃないかって疑ってるんだと思う。レッドカイザーは、ボク意外の人と現界したりしてないよね?」
『なぜ?』
「レッドカイザーが町を壊してる写真を見せられたんだ。偽物だと思うけど」
『なるほど。だが、私はこの器にしか意識を下ろせない。怪獣が常に同じ場所に出現するように、私の現界する座標もこの器に限られている。この器が粉々に砕かれて、この器を個たらしめる認知境界がなくなった時、異なる器に意識を下ろすことになるだろうが……私の意思でそれを選ぶことはできないのだ』
写真は偽物だった。アキは安堵したが、それとは別の懸念も生まれた。
「ボクは上手く戦えてるよね」
『また、突然だな。君はやれることを精一杯にやっている。何も不安になることはない』
「でも、町が壊れていくのを見てると、もう少しうまくやれたんじゃないかなって思う時があるんだ。もっと人を助けられたかもしれないって」
『……私もかつて、多くの犠牲を築いてしまったことがある』
レッドカイザーはエーテル界でのことを話しているようだった。遠い、遠い過去の記憶を呼び覚ましたレッドカイザーの声は、アキの頭の中で独特の深みを持った。
『アキ、我々にはすべてを救えるほどの巨大な力などない。救えなかったものを忘れろとは言わない。だが、救えたものは確実にある。君のそばにいるものだ。君の家族と、ユイがいる。救えたかもしれない命は、救えた命よりも大きく存在しているように感じるかもしれない。しかし、それで自分の成し遂げたことに疑問を抱いてはいけないのだ。過去に戻る術はないし、我々は戦う決意をした。辛いことを言うようだが、これからも全ての人を守ることはできないだろう。その時々で、何を、誰を一番に守るべきかを考えなければならない。迷えば、身は滅びてしまう』
アキは黙って聞いていた。レッドカイザーの口ぶりは、かつて自分もアキと同じ道を辿っていたことを語っていた。そこで数えきれない後悔をして戦い抜き、今はエーテル界の王に歯向かう真似までしている。レッドカイザーの戦いへの意思と守りたいものへの執念はそれほどまでに強い。
瓦礫の町を踏みながら、アキはここで死んでいった人の顔と名前は誰一人として分からなかった。それから、守りたい人の顔を思い浮かべた。
幼いアキにとってはそれで十分だった。怪獣と言われようと妙な捏造写真を出されようと、アキはもう心を揺らがせないと自分に誓う。自分の世界のすべてを裏切り、同胞を討つレッドカイザーに比べれば、自分の悩みはとことん小さく思えた。
「そうだね」
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