第二話の6
仕切りのいくつも置かれた教室にいる全員が、その轟きを聞いた。喧騒は一瞬でやんで、声の主を探すがどこから聞こえてきたかもわからない。
アキは、ユイに服を引っ張られて転んでいた。床に伏せながら、聞きなれた声の主の方を見た。子供が母の腕から抜け出して、アキの前にレッドカイザーを差し出した。
「おい」
慌てた様子の上級生を置いて、アキはレッドカイザーを受け取る。温もりがあって、アキの心に染み入ってくる優しい炎を感じた。
アキは立ち上がって、ユイに頷いた。教室を出ていこうとする二人に上級生が立ちはだかるが、弟が止める。子供は悲しそうに、アキに抱かれるレッドカイザーを見送った。
廊下をしばらく歩いて、誰も追ってこないと分かると、アキはユイに礼を言った。
「ありがとう、おかげで見つけられた」
「ううん、何も出来なくてごめん」
そんなことないとアキが言いかけて、大きなサイレンが聞こえた。不安を煽る緊急事態警報はこだまして不協和音となり、町とアキたちの心に絶望を満たそうとする。
怪獣の姿が確認されたのだ。
校内が一層騒がしくなった。
「急がないと」
ユイに急かされて、アキは階段を下った。人の出入りが激しくなっている玄関口で、アキは言った。
「いってくる」
「どこに?」
ユイの返事に、アキはあっと気付いた。手元のレッドカイザーも見れない。ユイはいたずらっぽく笑ってから言った。
「いってらっしゃい」
「……うん!」
校舎の裏手、フェンスで囲われている外周をアキは回って、生徒たちの間でよく知られている外れかけのフェンスに体を捻じ込む。子供が一人ようやく通れるだけの欠陥だ。
アキは廃墟の町へと走り出した。
「ボクは何も言ってないよ」
アキは何かを聞かれるより先に言った。レッドカイザーにユイとの出会いと、事の顛末を話しながら、アキは校舎から遠く遠くへと離れていった。
あの学校には守りたい人がいて、許しがたい悪行を成した人がいた。自分のやることに害をなす人には、やっぱり家族がいて守りたい人がいた。それでもアキには彼らを率先して守ってやろうと思えるだけの器量はなかったが、見捨てるという選択肢はもうない。
『ユイという子は』レッドカイザーは言った。『巫女やシャーマンと呼ばれるような、非物質的なものを感じ取る才能があるのかもしれない。そうだな、下位世界のエーテルとでも呼ぼうか。この物質界にはエーテルのような非物質はあり得ないが、君が特殊な認知境界をこの器との間に設けているように、観測者に依存した超物質的な仕切りが生まれることがある。ユイは他人の認知境界を覗き見て、その繋がりや隔たりを観測できるのかもしれない』
ユイは人の心どころか物質の性質や物品の所有者、製作者までも知れるのかもしれないと要約されて、アキはユイの凄まじい才能に感服した。彼女は言葉にはできない部分でより多くのことを知っていて、人の見る世界を覗くことができてしまう。
ユイはだから、気味悪がられないよう無邪気の仮面を被っているのだ。
そうであればもう隠す必要などないのだから、ユイにもレッドカイザーを紹介しようとアキは思った。
「そういえば、あの子急にレッドカイザーを返してくれたんだよな」
アキはレッドカイザーを手放すまいとした幼い男の子を思い出していた。十中八九、レッドカイザーが何かしたのだろうと予想はつけていたが。
『私は君のものではないから、彼に返してやって欲しい。正義の心があるならできるだろうと、そう言った』
アキは笑って、視界の端で山の形が変わったのに気づいた。
ずんぐりとした灰色の胴体に、青い甲羅のようなものと、短く太い脚と細長い腕がついていた。頭に当たる部分はないように見えて、やはりどこか非生命的な印象をアキは受けた。
アキは壊れかけた家の屋根に上って、手に持ったおもちゃと目を合わせてその名を呼んだ。
「レッドカイザー」
闇の中で炎が煌めき、アキの体に力が漲る。エーテルの理が物質の理を凌駕し、一人と一つの体は融合して、大地に巨神となって立ち上がった。
赤き甲冑、闘士の化身、今。
『現界』
怪獣の動きが鈍重であるのは、見るに明らかだった。アキは速攻で懐に入って、能力を発揮されるまでもなくトドメを刺したいと考えていたが、レッドカイザーに諫められる。
『ヤツのエーテル特性が分からないうちに仕掛けるのは危険だ。まず腕を無力化する必要があるが、腕を破壊するにも防御を一瞬やめなければならない。その時他に攻撃手段があれば、我々は一巻の終わりだ』
怪獣の腕は布のように薄いが、攻撃の瞬間、防御を失うレッドカイザーにとっては触れられただけで致命傷になりうる。レッドカイザーの質量は、アキの体とおもちゃの分しかない。この巨体はレッドカイザーのエーテルで満たされた泡のようなものだ。
怪獣が動き出したのに、アキは目を見張った。腕の先端部分が四つに割れると、その直下にある地面に異変が起こった。一定の質量が抉られ、持ち上がり、球状に成形される。怪獣の両腕の先に一つずつ、巨岩が浮かんでいる。
怪獣が岩石をレッドカイザーへ向けると、それがすかさず豪速で放たれた。レッドカイザーは半身になって躱す。岩石はずっと遠くまでまっすぐ飛んでいき、やがて失速して、町に墜落する。直径三十メートルはあろう巨石は勢いのままに衝撃派を発生させ、ばらばらに砕けたつぶてが降り注ぎ、広大な範囲を破壊した。
『町が!』
もう一つの岩石が放たれる。アキは今度はよけず、ドッジボールの要領で腹に受けた。
生身だったら内臓を吐き出していたかもしれないほどの威力を受けながら、レッドカイザーは地を滑る。動くほどに足裏の摩擦は強烈になり、二本の轍は削られたような跡となってレッドカイザーの足から伸びた。レッドカイザーが制止してからも岩石は等速で動きつづけようとし、やがて命を失ったようにぱったりと動力を失った。岩はレッドカイザーの両腕で抱えられながら自重で崩壊し、廃墟の町に土砂となって落ちる。
『遠隔でエーテルの力を与えているのか!』
『だ、だめだ。これは……何回も受けられない』
レッドカイザーのエーテルは外部干渉を任意で取捨選択できるが、痛みを受けないほどの防御を全身に得るのには出力が足りない。防弾チョッキを着ていても衝撃と痛みはなくならいように。
痛みは引いていくが、少年の中に痛烈な記憶は残り、苦手意識が壁となって立ちはだかる。
怪獣は四つ股の手を開くと、また町を削って岩石を作り出した。
『人の町を……!』
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