第二話の5
敵意を剥きだした粗暴な物言いにアキはむっと来たが、事の是非は既についているので穏便に解決しようと思った。その子が人のものを盗んだので、取り返したいんです。ここで争う必要はないと思った。
ユイは違った。
「そのおもちゃ、アキくんのなの。返して」
冷たく言い放ったその態度に、アキは驚く。ユイもかなり気が短い方なんだろうか。一方で、寸前までの大人びた雰囲気は消えていない。言葉には怒りというより、きわめて高圧的で人を従わせようとする意図の方が強く含まれていた。
六年生だと思える少年は、それに簡単に反発して見せた。
「どこがだよ。これは弟のだぞ」
ここでアキは気付いた。レッドカイザーを盗んだのは子供ではなく、この上級生の少年なのだ。ユイはどういうわけかそれも素早く見抜いて、上から物を言ったのだ。下手に出ては言いくるめられる。
アキは怒調を言葉に含ませた。
「証拠ならある、俺のレッドカイザーは頭に傷があるんだ。これと同じ」
アキは自分の額を見せたが、上級生はまるで相手にしない態度をとった。
「しるかよ、おもちゃについた傷のどこが証拠なんだよ。大体、お前何年生? それでおもちゃとかなんとか言ってんの? 笑えるわ」
その言葉にアキは怒髪天を衝いた。
何だこいつは、一発ぶん殴らないと分からないのか? 少しばかり体格がよくて、なんだっていうんだ。盗みを働いた分際で、人を嘲笑する態度がアキは全く気に入らなかった。
腹を一発殴ろうとして握った拳に、ユイがそっと触れてきた。アキは背後のユイに振り返りかけて、やめた。
「別に、いい」
アキの言葉から怒りは完全に消えてないが、拳をほどいて冷静であろうと努めることにした。
「あんたの親に言うことにするよ。それは俺のレッドカイザーだから」
「は?」
今度は上級生が怒りを露骨にした。
「そうやってすぐ大人に頼って、ダサいわ、だっさー、だる。もしそんなこと言ってみろよ、マジでぶっ殺すぞ」
「できもしないのに言うなよ」
「んだと!」
掴みかかられて、アキは上級生の腕をつかみ返す。力は上級生の方が上だったが、アキは全力で押さえつける。少なくともいきなり殴られはしないが、強引に振りほどかれて顔面に一発貰うのは簡単に想像できることだった。
「やめなさいよ! 上級生なら年長らしく大人しく自分が悪いのを認めなさいよ!」
ユイが口をはさんでくると、上級生の少年はユイに激しい敵意の含まれた視線を向ける。教室内の大人たちは事の顛末を見届けようと眺めていた。
「ちょっと、やめなさいよ」
「怪我しないうちにやめときな」
二、三人から言われるが、上級生の少年は少しも力を緩めない。アキは少し考えて、大人の協力を得ようと思った。
「助けて下さい! この人、おもちゃを返してくれないんです!」
言うと一層上級生はムキになって、腕に込める力を増し、アキを一発殴ろうともがく。男性が二人寄ってきて二人を引きはがそうとする。
「君、その子の腕離して」
「離したら殴られます! すごい力を入れてるんです」
「君がそうやって抑えてるからだよ、殴られないから、ほら」
アキは相手の目を見た。確実に好機を探っている。目にものを一発くれてやろうとしている。大人たちの引っ張る力は当然、子供の組み合うのより強い。
アキは最後の力で一瞬だけ強く抑えると、パッと手を離して自分の顔面を両腕で覆った。引っ掻かれて痛みが走る。自分の方に腕を回して引っ張る大人に嫌味を言ってやりたかったが堪える。血の滲んだ腕の傷を見てから上級生の方を見ると、大人の腕の中でひどく暴れている。
「離せ! 離せえっ!」
アキは弟の方を見た。目が合って、弟はレッドカイザーに目を落とした。
「返すなぁ!」上級生が叫んだ。「それはお前のなんだから返さなくていいんだ! 絶対に返すな!」
大人たちはおもちゃの所有権について、完全に沈黙していた。部外者で、どちらが正しいのか分かっていないからだ。上級生の必死さと、あくまで冷静なアキとを見比べる。
ユイはというと、困っているようだった。アキと目が合うと、不安そうな顔をする。何から何まで全能というわけではない。これはアキの問題なのだから、アキがどうにかする必要があった。
アキは拘束から解放してもらって、子供の方に近づく。レッドカイザーを直接取り上げようとしたものの、背後に隠されてしまう。これに無理やり対処しようとすれば、今度はアキが泥棒扱いをされかねない。
事態は悪化の一途を辿ろうとしていた。兄弟の親が帰ってきたのだ。恰幅のいい両親が、野次馬の大人たちをどかしながら近づいてきた。そして自分の子供が見ず知らずの大人に拘束されて、まだ幼い下の子が怯えている様子に声を張り上げた。
「人の子に何してんだ!」
周りの大人が状況を説明しようにも、人によって言い分が違っているようだった。状況を正しく説明できるのはアキとユイだけだが、子供である彼らがそうしても、この混乱を収められる確信はまるでない。
母親はアキから守るように子供を抱く。父親の手によって上級生の少年が解放されると、アキを指さしてつんざくように叫んだ。
「あいつが悪いんだ! あいつが!」
根拠もなにもあったものではないが、彼の親はそれを信じたようだった。アキは敵意のある目を向けられながらも、ここでおめおめと引き下がるわけにはいかないと自分を鼓舞した。ユイだって見ているのだ。
「違う! そいつが……その人が、俺のおもちゃを盗んだんだ! 証拠はある、これと同じ傷があのおもちゃの同じ場所にある!」
「あれは俺が! 持ってきたんだよ、家から! 弟のために!」
子供だけで学校の敷地から出るのは禁止されているが、今話すべきはそこではなかった。
「じゃああんたのものだって証拠はあるのか!」
「お父さんとお母さんはどこだ」
怒りを滲ませて、少年の父は言った。まずいとアキは思った。親と親の話し合いになれば負ける。両親は優しいから、アキには新しいのを買うと言って、レッドカイザーを渡してしまうかもしれない。なにより、アキはレッドカイザーを探すのを諦めて友達のところへ向かったことになっている。嘘をついたことがバレれば、似た誤魔化しの手はもう使えなくなってしまう。
「関係ない」
アキは強がって答えたが、少年の父に腕をつかまれて教室の外へと引っ張られる。大人たちはその乱暴な手段に異を唱えて、「子供たちの話を聞くべき」だの「大人が子供相手に何怒ってるの」だのと口を挟むが、カエルの子はカエルだ。一声のたびに少年の父は怒気を膨らませていく。
「うるせえ! 関係ないやつは引っ込んでろ!」
アキはユイを見る。子供に抱えられたレッドカイザーと、アキとを交互に見ていた。ユイには無理だ。アキは踏ん張ってみるが、大人の力にはかなわない。上級生の少年は弟と母に寄り添って、肩で息をしながら勝ち誇った目をアキに向けている。
万事休すだ。もはや、手段を選んでいられる時ではなかった。
アキは意を決して、レッドカイザーを強引に奪う算段をつけた。拘束を逃れて、少年を突き飛ばし、子供を守るようにしている母を無理やり引っぺがす。レッドカイザーを手にしたらユイを連れて全力で走る。怪我をするかもしれないし、させるかもしれない。アキの社会的な信用はこの場の全証言者から失われて、後のことを考えると不利なことがあまりに多いが、もはやそれしかないとアキは思った。
一瞬体重を少年の父の腕に預けて、体のバネで弾むようにしてアキは自分の腕を手から引き抜く。驚いた少年の父に、アキの味方をしてくれた大人たちが組み付く。ユイが怯えた顔をしている、それはやってはいけないと。
アキは面食らって反応の遅れた上級生に走った。怪我をさせても構わないから、全力で突き飛ばそうとした、まさにその時だった。
『そこまで!』
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