ワンピースと海

閑静な住宅街の間を縫うように延びる細い道を抜けると、フロントガラスを塗りつぶす巨大な闇が飛び出す。

「わー!海だ!」

今日一のテンションで放たれた彼女の歓喜の声は夜の静寂を引き裂く。海沿いのひらけた道路を走っていると輪廻の果てへ飛び降りてしまいそうだ。


道の脇にあった小さなコインパーキングに車を駐めて浜辺に続く階段を下る。

白い砂浜を踏むとサラサラと崩れていく。思わず裸足で駆け出す彼女の白いワンピースが風になびいた。彼女の脱ぎ捨てたスニーカーが宙を舞う。それを拾い上げて彼女の後を追いかける。


辿り着いたのは、寄せては返す波打ち際。砂浜に残る無数の足跡の上に僕が歩いた軌跡が刻まれる。



真夜中の海は、何にも形容しがたい何かがあって、あるいはなにもなかった。

水平線すら存在出来ないそこは、ただ無限の有をはらんでいて、同時に開闢かいびゃくさえをも拒む無があった。

どこまででも行けそうで、どこへも行けなかった。

生ぬるい春の潮風が無秩序で不規則な潮騒を引きずったまま、感覚を失った僕の体にぶつかって、砕けた。

月明かりに照らされた水面は、スパンコールのようにギラギラと僕を睨んで、一匹のが振りまいた鱗粉のように優しく僕を見つめていた。

今まで一度も感じたことのないような静寂に満ちた衝撃と、無意識のノスタルジアの終着点のような異様な懐かしさを覚えた。

要するに、なにも分からなかった。僕の語彙では、もはやこの世界に今存在する言葉では表せないような空気が、時間が、そこには流れていた。


なにかは分からない。ただ確かにが僕を呼んでいた。

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