第12話:雨粒が落ちていく

 恥でしかない発声から数日後。智咲が京と光太の家に泊まるというから、僕はその間、シュビィとフローラのところへお邪魔する予定だ。

「ぁぁ」

「ぁーうっ」

「ぁうぶ」

「ぁぁぁぁぁ!」

 エメラルドの髪の赤子が一人と、彼より少しばかり小さいサファイアの髪の赤子が二人。謎の声を発しながら何やら会話している……ように見える。

 赤子用のふかふかマットの上、兄妹三人が楽しそうでたいへんに喜ばしい。

「ぁー!」

「ぁぁぁー」

「ぁぁぶっ!!」

「ぁー☆」

 きゃたきゃたと笑う赤子たち。……これほど盛り上がる会話、どんなものか聞いてみたいな。

「かわゆいねー」

 養母:ガーベラはにこにことミルクを準備しており、世話の態勢は万全のようだ。

〔なにか手伝えることはあるか?〕

「うーん……フローラ、ノアにお皿洗わせるからこっち来て」

 キッチンにいたフローラにそう呼びかける。

「え!? そんなことお客様にさせられません……!」

「いいからいいから。ちっちゃい時期はあっという間なんだもの、堪能しなくちゃね。……ノア頼める?」

〔うん〕

 赤子の世話は上手くできないし、フローラがお子さん方と過ごす時間になるのなら喜んで働ける。

 それに。

 キッチンから赤子とフローラたちを見ていられるのも幸せなことだ。非常に和むし癒される。

 幸福に眺めていると、額に冷却シートを貼ったシュビィがふらふらと歩いてくるのが視界の端に映った。

〔……シュビィ〕

 転移で腕を掴み、キッチンに椅子を用意して座らせる。

「だいじょぶ……だって。みず、取りにきただけ……」

〔呼んでくれれば届けるよ〕

 水のペットボトル数本とシュビィとともに、彼の部屋へと転移する。

 崩れた寝具はオーダーで整備。シュビィを無理やり押し込んで横たわらせる。いくら発熱していようと体を秋の室温に冷やしてはいけない。アリスからかつて教わった、首や脇に冷たいものを抱えさせる手法と、きちんと毛布をかけることを実践する。

「………………」

 シュビィはうわごとのような何かを呟いていたが、やがて力尽きて眠った。

 先日。大学の中庭で作業をしていたところゲリラ豪雨に直撃されたそうで、体調がかなり悲惨な状態だ。(そのため僕や養母が手伝いにきている)。

〔おやすみ〕

 外からは高熱を出しているだけのように見えるが、本当は入院した方が良いくらいの体内なのだろうな……

「あら、ノアくん看病してくれてたのね」

「!」

 扉を開けたのはシュビィの実母。

 彼女は冷却シートと保冷剤、それからスポーツドリンクを抱えている。

 遅れてフローラも入ってきた。

「ありがとう、ノアくん! ユニさんとリフユさんと、こちらユヅリさんが応援に来てくれたんだよー」

〔そうか〕

 良かった。シュビィと赤子三人との面倒をそれぞれ見るには、どう考えても僕と養母とフローラだけでは足りないだろう。

「えっと……それでね? ノアくんに頼みがあるの」

〔僕にできることならなんでも〕

「ありがとう。……ちょっとリビングに行ってもらえる?」

〔わかった〕

 どうやら急ぎのようだから転移で移動。

 哺乳瓶を持って双子の面倒を見る養父と目があった。

「あちらだ」

〔? あちら……〕

 養父の指さす方を見やる。

 リビングの隅にマヅル殿が体育座りをして、その首から頭を椅子にしたように三毛猫が収まって、猫が大好きなオウキ殿が泣いて抗議していて、それを見る養母が爆笑をこらえて涙目だった。

「……………………」

 なんだこの状況は。

「……俺だとよくないだろうから、マヅル殿にはノアから声をかけてもらえないか。赤子三人を見てあれこれ思い出されたらしくてな……」

 マヅル殿のお子様方も、女児の双子と男児が一人だ。それもあってのフラッシュバックか。

 色々と事情がおありだと聞くマヅル殿には僭越ながらも少しばかりの親近感があった。……失礼であるから態度や口に出して見せる気はないが。

〔マヅル殿〕

「……なんぞ、方舟の主……」

〔知っておられたとは。……大変光栄ですが、とりあえず猫を頭から下ろしてあげてください〕

「ねこ? ……む」

 そもそも猫が乗っていることに気付いておられなかったらしい。

「すまぬ。助かった。……ひまごもすまぬな」

「ぁー!!」

 三毛猫がすぐ目の前に降ろされてオウキ殿が喜色満面だ。猫もすりすりとオウキ殿にくっついている。

 養母が猫とオウキ殿を回収していった。

 マヅル殿は薄ぼんやりとした表情でぼうっとしていたが、やがて立ち上がる。

「……邪魔だろうから、帰る……」

 その腕を掴んだのは奥方だった。

「マヅルくん留守番できないでしょ。ダメ」

「ひとりで大人しくしているのは得意だ」

「そういうこと言うのがますますダメ。可愛いひ孫たちのためにお手伝いしよう?」

「私など足手纏いにしかなれぬ」

「いいからこっち来て」

「ひゅっ」

 …………。

 僕の養父母とはまた違った夫婦関係のようだ。

 途中だった洗い物を終えてリビングに戻ると、呪力渦巻く瞳のフローラが僕を見ていた。

〔……なんだろうか〕

「ノアくんの喉って呪詛なの? だったら私なんとかできるよ」

〔遠慮したい〕

「やっぱり呪詛だよね! 手伝ってくれたお礼に手助けするね」

 基本的に、狂気を発露させた彼女とは会話を成立させられない。

「でも解呪までは難しいかなあ……改善はできそうだね」

〔改善?〕

「核を抜かないと解呪できないタイプみたいだよ。シュリさんに頼もっか? ……うん、頼んでおくね!」

〔あの。僕の話、聞こえてますか? 会話がズレている気が〕

「オウキは元気だよー。心配してくれてありがとう」

〔母。我が母。どうか助けをください〕

 母は『ノアは真面目すぎるのよ』といいつつも割り込んで救出してくれた。

「さらっと返事してその場を立ち去ればいいの。フローラも苦しいなか応答してるんだから」

〔う、うん……〕

 ちらと見えるフローラが、ふわふわとした笑みで佇むその足元。三毛猫とそれを追いかけるオウキ殿がまとわりつく。

「! ……まあ、オウキ。ミケミケと遊んでたの? ふふふふ」

「ぁう!」

 母親に話しかけられてご機嫌なオウキ殿。……目がつんとする錯覚があった。

「フローラ」

「! ……ユニさん?」

 父はいつも、良いタイミングで声をかける。

「セレナとクララはお昼寝しているよ。可愛い子たちだ」

「え……」

「俺とリフユ殿とで見ているから、オウキとゆっくりしておいで」

「で、でも。シュビィが……」

「大丈夫。シュビィは私が担当するわ」

 折り畳みベビーカーをフローラに差し出し、ユヅリ殿が微笑む。

「雨も止んだ。この隙にお散歩してらっしゃいな」

「……」

「オウキと二人でゆっくりするの、なかなかないことでしょう?」

 長い時間がかかって、頷いたフローラは、オウキと三毛猫、それから手伝いを申し出た養母とともに外出した。



 セレナは、復調を果たしたマヅル殿の腕に収まっていた。

「ふ、フユ……赤子、やわい……あたたかい……こわい……」

「どうしたのマヅルくん。文章を組み立てられなくなったの?」

「どうしたら良いのか、わからぬ……」

 セレナ自身は心地よさそうに寝息を立てているのが対照的で可笑しい。

「フユ……」

「はいはい。サポートしてあげる」

 さて、クララの方はどうだろう。

「ぁーぶぅ……」

「素敵なサボテンだな」

 養父とともに、謎の分裂と減数を繰り返すサボテンと、やたらに瑞々しくて丸いサボテンを眺めていた。……後者はまだいいとして前者はどうなっているんだ?

 ああ。もしやこれが智咲の言っていた『ビオラさんとケテルさんが作っちゃった』サボテン。

「ぁー」

「眠たいな。でもサボテンが好きだな。そんなときはこれをあげよう」

「ぁう……!!」

「これもまたサボテンだよ」

 養父は嬉しそうに、サボテンを模した抱き枕を見せる。クララのすぐそばに置いてやると、抱き枕を鷲掴みにして眠り始めた。

 サボテンの添い寝……シュールだ。

「なんと愛くるしいのだろう、セレナとクララ……すごく甘やかしたい。たくさん可愛がって成長を見守りたい……」

〔……変わらないな〕

「それは嬉しいな。こればかりは変わりたくないものだ」

 父は愛しいものへ愛を注ぐことを嬉しそうにやってのける。それが案外と難しいことだと知ったのはつい最近だ。

「ノアも甘やかしたい」

〔遠慮する〕

「……。そうか」

 露骨にしょぼんとされると弱い。

 仕方なしに頭を差し出すと、父は幸せそうに撫で始めた。

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