第13話:n回目の探索思考

 僕を撫でて満足した父は、リフユ殿とマヅル殿のもとへと向かい、双子を合流させた。セレナとクララはお互いをきちんと認識しており、そばにいると柔く笑う。

「…………」

「ノア」

「!」

 父に呼ばれて顔を上げる。

「手伝ってくれてありがとう」

〔……こちらこそ〕

 貴重な経験をさせてもらった。

「そろそろ疲れただろう? 客間を用意してくれているそうだから、先に見てきてはどうかな」

〔……うん〕

 部屋にネームプレートをかけてくれているよ、との言葉に会釈して廊下へ歩き出す。

 養父はどうして背を向けていても様子がわかるのだろう。あまりにも敏いために、かつて『王は背中にも目がついている』と噂されたことさえあると聞く。

 そんなことを思い出しつつ、『のあ』と、ひらがなかつ木彫りで書かれた(出来栄えたいへん見事な)ネームプレートがかけられた扉を開ける。ささいな作品が魅力や味を含むのが職人妖精らしいといえる。

 ベッドとテーブルが整えられたシンプルな部屋。テーブル脇のソファに腰掛け、唇を動かす。

「……ぁ、く」

 灼熱と激痛のせいで口から吸い込んだ酸素が焼け付いたような気になってくる。

「…………」

 持ち込んだペットボトルの水を飲み干し、僕は苛立ちを燻らせたままふて寝した。

 それからどれくらい経ったのかはわからない。

 ぼんやり目が覚めてきた頃、誰かの声が鼓膜を揺らした。

「……う」

 ?

 ……だれ?

「ぁーう?」

「なーぅんなー」

「……」

 のっそりと振り向くと、同じ寝床の上から猫とオウキ殿が僕を覗き込んでいるのが見えた。

 背後には養母とフローラがいてにこやかに見守っている。

「……!?」

 どうしたらいいかわからず杖を探すが、養母がくるくると杖を回しているのに気づいて困惑する。

「ぁう。……ぁー」

「なーぅ、なん」

「ぁー!」

 いま対処すべきは赤子と猫の組み合わせ。目の前で起こる現象を観察する。

 まず第一に。

 猫の口から宇宙が噴出している。……いや噴き出したらまずいだろう!? やっぱりあの猫どこかおかしい存在じゃないか!

 オウキ殿はそれに無邪気に触れて、指で形作っている。これもおかしい……

 なんだあれはどうしたらいいんだあれは。

 助けを求めて周囲を見回す。

 セレナを抱っこするリフユ殿と目が合うも、良い笑顔でサムズアップをされてしまった。

 養父はクララを抱き上げるマヅル殿へのフォローで忙しく頼れなさそうだ。

 ミケミケが口を閉じると、宇宙はオウキ殿の手の中に収まる。粘土をこねるように指でぱちぱち叩く。と、取り上げるべきか……!? そもそもあれ触っていいのかわからん!

 オウキ殿が口に入れる前に。意を決して手を伸ばし、そっと掴む。

 気体と個体と液体が混然としたような得体の知れない感触に背筋が粟立つ。

「っ」

「ぁう」

 オウキ殿は僕を見上げ、宇宙をその手から押し出した。

「…………」

「ぁー!」

「なぅ」

 猫が尻尾を振った瞬間、宇宙が淡く広がっていく。そのひらりとした煌めきは桜の花びらにも似て、空気に溶け出す闇は陽炎に似ていた。

 オウキ殿はご機嫌に猫に寄り添いながら僕を見る。

「……」

「ぁーうっ」

「……………………」

「ぁぶ」

「…………ぁ、あ」

 元気付けられたのだと気づいた。

 このひとはいつも僕を助けてくれる。

 僕はお礼も言えないのに。赤子相手にオーダーなんて使えないから、意思を伝えられない。

「……」

 彼ならば、どうするだろうか。

 いつもの笑顔で、いつもの調子で、その心にどれほどの荒波が立っていようとも決意で塗りつぶして。『思い立ったが吉日だよねえ』と——なんでもないかのように言って、打開策を掴み取る。

「…………」

 かつての自分には到底できないことだった。

 でも、きっといまならできる。

「ぁ……ぃ」

「ぁーう」

「っ、あ、と、ぉ……!」

 彼はご機嫌に笑った。

 フローラいわく、僕に挨拶しようとノックをしても返答がなく、体調を崩しているのではと心配してくれたらしい。実際触れてみれば体温が高かったため(声を出そうとした時はよくそうなる)、皆さん集まってくれたとのこと。

 お礼を伝えているとフローラが微笑む。

「公園までお散歩したんだよ。ノアくんたちがいてくれたおかげだね! ありがとう」

〔僕は何の役にも立っておりませんから、その言葉は他の方々に、〕

「ノアくんの喉触らせてもらうね」

〔……。お願いします〕

 彼女は彼女の現実に生きているからあまり話が通じない。

 シャツの喉元を開けた瞬間にフローラの指が滑り込む。……禍々しい呪力を纏って。

 僕の背筋が凍りついたことなど気づかず、彼女は無邪気に微笑む。

「うーん。シュビィのに似てるね」

〔それは……どういう意味なんだ?〕

「ユングィスさんたちのに感触が似てるの。……下手にいじると危なそうだから、呪い以前に体側から普通の治療をアプローチしたほうがいいと思う。解呪は治療で手を尽くしてから始めましょ」

〔……〕

「とにかく。来てくれてありがとう。すごく嬉しいよ」

 その笑顔と言葉の選び方で、オウキ殿とラーナ殿は母親似なのだとわかった。



 しばらく部屋でまったりさせてもらうと告げ、僕は寝転がりながらアリスへの文面を考えていた。

(……どうしよう)

 人に厳しく、自分に対してはさらに厳しい妹。その彼女に送るメールはしっかりと考えて、

「ぁー!」

「ぁうぶー、ぁう」

「ぁぁぁぁぁぁ」

「なん」

「あらあら可愛いわねー」

 ……………………。

 ここ、シュビィ&フローラ宅は高級マンション。客間といえども赤子三人と猫と養母とフローラがまったりして余る広さを持つ。

〔なぜ、この部屋……?〕

「いまのリビング、ユニとマヅルさんとリフユさんとユヅリちゃんで真面目な話し合いしてるのよ。動いてもらうのもなんだし、ノアの様子も見られるし」

〔別に体調が悪いわけでは……〕

「フローラのこと見えてる?」

〔…………〕

 彼女は僕におどろおどろしい呪力絡む人差し指を向けており、なんというか恐ろしい。

「ノアくん。これから仲良くしようね!」

〔あの。……お手柔らかにお願いします……〕

「えへへ」

 呪力が消え、セレナを抱き上げる。

「ぁーう?」

「ふふふふ、ノアくんと仲良しになったよー。嬉しい」

 仲良しといえるのかわからないのだが、シュビィがいないために正気を保てない彼女にツッコミを入れる勇気はない。呪詛が暴走した日には対応不可能だ。

「ぁー!」

「セレナもノアくんにご挨拶しなくちゃね」

〔……してもらったよ?〕

「ノアくんは忘れんぼさんだから、繰り返し挨拶しなくちゃ」

「うーぁぶっ!」

 ご機嫌なセレナが愛らしい。

 フローラに持ち上げられて、僕と目が合う。

「ぁー」

「…………」

 応答ができないから、指を差し出して彼女に触れた。

「ぁぁぁぁぁぁぁ」

 なにやら興奮している様子を見つつフローラの発言について思考する。

 忘れんぼとは失礼な。

 完全記憶でないからには多少忘れていることもあるとは思うが、重度の健忘は患っていない。

 そこに考え至ったところで、ある可能性に気づく。

 もしや本当に忘れている?

 その場合は僕の方が失礼だ。

〔フローラ。……あなたは僕に、〕

「10回くらい挨拶したことがあるよ」

〔…………〕

「そのうち8回は窓から振り向きもしないかこっち見てても反応ゼロで、あとの1回はぼんやり頷いたと思ったら私の名前覚えてなかった。最後の1回、ガーベラさんにパターンねじ込まれて覚えたみたい」

「息子がごめんね」

「いえ。似た症状の子、他に見たことありましたから」

 ……………………思い出すべきか、

「ここで思い出さないで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る