第14話:雨だれが穿つ氷

 目が覚めると、シュビィが僕を見下ろしていた。

「おはよー。生きてるか?」

「……」

 場所は目覚める前と同じ、シュビィ宅で僕に用意された客間だ。

〔生きている。あなたの方は大丈夫なのか?〕

「大丈夫。……結局あのあと病院で点滴打ってもらった。安静にしてろとサラに厳命されたから今日の俺は大人しい」

 彼の腕にはクララがおり、すやすやと眠っていた。

「回復したっぽくて良かったよ」

 大人しくしてろよー、と言うシュビィを前に、僕は自分のスマホを見る。……半日眠っていたらしく現在時刻は昨日の翌朝。智咲を家で待ちたいところだ。

「ノアくん、このシャツ着てみてほしいな!」

〔え……〕

「ノアくんのサイズを考えてシャツ作ったのー!」

 彼女の手元には上質な生地で作られた白のワイシャツ。

「目測が誤ってたら嫌だから試着お願いしまーす!」

 シュビィを見る。

 彼は『諦めろ』とだけ言ってクララを抱き直した。

「わくわく☆」

〔では、ありがたく……〕

 受け取ろうとすると、彼女は笑みを深くする。

「今着て?」

〔え。人前で着替えは、〕

「なんで私の邪魔をするの?」

 呪力渦巻く目がこわい。

 仕方なしにシャツを受け取り、布団に潜らせてもらって着替える。

 手探りでボタンを止めるのは案外大変だった。

〔……着替えました〕

「ありがとう!」

 ぱあっと無邪気に笑って、僕をじっと見る。

「……うん。サイズいい感じ」

〔そのようだ。ありがとう〕

「ふふ。佳奈子ちゃん用のブラウスとお揃いの刺繍入れてあるからね。……あ、ブラウス仕上げなくちゃ!」

 ここ最近のフローラは(光太の表現を借りれば)無邪気大爆発といった様子だ。普段はおっとりと穏やかである彼女が、狂気と無邪気に針が振れる妖精らしさを全面に出すのは珍しい。

〔あなたの奥方……たまに怖い〕

「? いつも可愛いけど」

 シュビィはさらりと惚気てから、小さく頷く。

「まーでも、最近、家事育児と俺のあれこれで……苦労かけてたから……」

〔……〕

「ノアたち来てくれて、縫い物編み物できるようになって、テンション上がってるんだな。助かったよ」

〔僕はなにも〕

「手伝ってくれたし、創作意欲を刺激してくれたし。俺とフローラからしてみれば珍しい客人で嬉しかったし?」

 僕の額をつつく。

「お前が元気になって話し相手してくれるだけでも十分」

〔……そういう、ものか?〕

「そ。もっと自己評価上げてこうぜ」

〔善処する〕

「シュレミアと同じ顔で同じセリフ言うなよ!」

 ひーひーと楽しそうに爆笑する。

 心地よい笑い声に釣られてか、抱っこ紐のクララも緩く笑う。

「ぁふ、ふ」

「お、クララ起きちゃったか?」

「ぁーうー……」

「まだ眠いか」

「う」

「よしよし。お兄ちゃんお姉ちゃんのとこ行こうな」

 立ち上がったシュビィが振り向く。

「ノア、佳奈子に連絡は入れてあるから、体調落ち着いたらタクシー呼べよ」

〔……うん〕

「ん」

〔ありがとう〕

「どういたしまして」

「ぁー」

 シュビィと娘さんに手を振って見送る。

 入れ違いに入ってきたのはフローラ。

「ブラウスできたー! 佳奈子ちゃんに渡してね」

 上質なシルクがひらめく。

 フリルのような襟とリボンのついた袖が愛らしいデザインは、智咲にさぞ似合うだろうと感じた。

 ……彼女の宣言通り、左袖の端には僕のシャツと同じ刺繍が入っている。

「ふふ、気に入ってもらえたみたいだね!」

〔……ありがとう〕

「ほんとはね、ノアくんの——ノアくんに、これからもいろいろとお洋服あげるね!」

〔ん……?〕

 何か言いかけてやめた彼女は、渦巻く呪力を部屋中に満たして笑った。

「……よし。ノアくんのためになること、しなくちゃね」

 瞳無き視線が僕の喉を観察している。

 呪力呪力と表現しているが、その実はスペルやプロンプトといった系列の魔力だ。魔力という意思——それ自体は良いも悪いもなく喜びも悲しみもないそれに、さまざまな感情が絡みついてねじれたもの。

 醸成されるまでには長い時間と、時には多大な犠牲を積み重ねる必要もある。

 しかしその反面、成り立ってしまえばこれほど恐ろしいものもない。

〔う……〕

 フローラの呪いを形づくるものはたくさんの女性……の、意識の残滓。囁いている、泣き叫んでいる、呟いている。そのどれも悲痛で……感情が掻き回される声だ。

「…………。ノアくん、くるしいね」

「……?」

「そのひともくるしかったね」

 泣いている。

 無邪気に笑いながら、その鮮やかに赤い瞳から涙を流している。

「くるしいのとってあげなくちゃ」

「っっっっっ」

 指が喉を貫く。物理的な現象ではない、魔術のような。痛みはない。

 しかし、僕には区別がつかなくて——喉から何か引き摺り出されていることだけ伝わる。

 引き摺り出されようとしている何かは脈打ち、痛みを発する。

「やだ、ていこうなんてしないで?」

 フローラの目は赤から紫へ毒々しく移り変わっていく。

 そして無邪気にこう言った。

「できる限りの苦痛を与えながら殺してやるから黙って死ねよ豚」



 抜き取られた何かは澱んだ氷の塊……ヒトデのような、紙人形のような形に見えた。手足を動かしてのたくってもフローラは楽しそうに端から粉砕する。

「きゃあ☆ ふふ、叫んじゃってかわいー♡ こっちに曲げたらどうなるのかな? ……っはは、あははは! おもしろーい♡」

「……」

 彼女はサディストというより、無垢なのだと思う。幼いからこそ残酷になれるといった妖精の性質だ。

「みんな、みんな見ててね! いまからこの子が面白いことするって! ……そうそう、えいっ! きゃははははははは!! ほら、もっと叫んで? 叫べよ、なあ? そうでなきゃあ私がこうして出張ってる必要もないんだよ。わかる? わかるか? なあ!!」

 フローラの家名:ルヴェニモは、表向きはまさしく手伝い妖精らしい仕事を家業としていたという。裏は呪いのスペシャリスト。呪いをかけるも解くも自由自在なその技術は世の権力者に頼られたとか。

 一説には——というか神話寓話を収集する伯父が言うには——家族を礎に発する呪いなのだという。ルヴェニモにおける家族のうち、弱い立場の女性を痛めつけることで積み重ねた呪詛を扱うのだとも付け加えていた。

 だから、フローラが呪いを解き放てば女性の……おそらく彼女の祖先の影が現れる。女性たちはフローラを守護する存在でもあり、手伝いもする。

 僕から摘出された呪いの核をいたぶるたび、フローラを取り巻く女性たちの影が盛り上がっており、うん……対価はおそらく、彼女たちを楽しませることかな……

 フローラはもはや僅かに痙攣するのみの核にうっとりと頬を寄せ、優しく囁いた。

「大丈夫だよ。あなたのことはきちんと私たちの糧にする。無駄にしないよ」

 核からの叫び声は聞こえない。というか、聞こえなくてよかったと本気で思う。

「私のために死んでね。死んだらあなたのこときっと大好きになるよ」

 悲鳴を聴きながらそんな発言をしてのけるメンタリティが恐ろし過ぎて耳を塞ぎたい。

 フローラはひとしきり呪いをいたぶって、砕いた核を女性たちへと分け与えた。

「えへへ♪ 仲良く分けてね。……さてさてノアくんは……顔色悪い!? 大丈夫!?」

 あなたが怖かったと言えるはずもなく。

 駆け寄るフローラに落ち着いてほしいと宥めてから、僕は自分の喉に触れ、恐る恐る声を出す。

「ぁ、う……」

 痛みと熱はない。

 ……ただ発声が下手なだけ。

「! ……良かったぁ……」

「!?」

 涙ぐまれて慌ててしまった。

「だって……ノアくんこんなに小さいのに、声も奪っただなんて……悲しかったの。酷いことする人たちがいるんだって……」

「…………」

 僕が思うより、周りのひとたちは僕を心配してくれている。

「あ、ぃ……と」

「ふふ……ありがと。通じて良かった。……ノアくんの体、時間が止まってて難しかったんだ」

〔申し訳ない〕

「いいの。いまを歩き出してくれたのが何よりだよ」

〔……ありがとう〕

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