第8話:降る時に

 優しい言葉をかけてもらえても、たまにふと足のことが気になるのは止められない。

「むう……」

 記憶が《記録》になったとて、足の感覚がなくなって転んでしまったら……と不安になる。いま僕は一人の身ではないのだから。コードでクッションになるものを描いてしまえばいいのだが、足の調子が悪い時はたいていコードの調子も悪いもの。

「むむむう……」

 ロビーで会計待ちしていると、背後に京が立ったのを感じる。

「翰川先生?」

「……京。奇遇だな」

「はい。お会いできて嬉しいです」

「僕もだ」

 敬愛する親友の可愛い生徒。

「今日はどうしたんだ?」

 カルミアのカウンセリングだろうか。

「カウンセリングの日だったんです」

「そうか」

「先生はどうなさったんですか? ……調子が悪そうに見えます……」

 心配をかけてしまったようだ。首を振って笑ってみせる。

「いや。赤ちゃんのことで定期検診のような——落ち着いてくれ」

 京が泣き崩れてしまった。

「うぇぐ、っひぅ……尊い……新たな命を宿す先生が尊い……!」

「うーむ……」

 妊娠したことを伝えてからというもの、京はこの話題になるたび大変な感じになっている。

 しかし、立ち直りは格段に速くなった。

 光太との訓練のおかげなのだろう。

「……取り乱してすみません」

「大丈夫」

「はぁ、はぁ……翰川先生の、赤ちゃん……♡」

「落ち着いて」

 先の錯乱や動揺のようなネガティブ方向の感情では回復が速くなった一方、歓喜や愛のようなポジティブ方向に振れると本人も制御が利かないようだ。

 が、ここで京は瞳に青の火花を散らす。

「!」

 すわ自己改造かと思ったら、彼女は立ち上がって深呼吸を繰り返し、僕をじっと見つめた。

「……お子さんのお顔を見られる日を、祈っております……」

 これは自己改造ではない。パターンの活用……!

 京の成長に感動が沸き起こる。

「ありがとう、京……」

 それぞれに会計を済ませたら休憩室でお話をした。

 光太やジンガナ、悪竜たちと暮らし始めた彼女は生き生きと日々を過ごしているようだ。

「つい最近、リーネア先生が光太にバイクを譲ってくれたんですっ。持ってらしたの知りませんでした」

「バイク? ……もしやメタリックなブラックにブルーのラインが走った格好いいデザインの?」

「そうです! 格好いいです」

「ふむ……」

 リーネアいわく、『呪いのバイク』だそうなのだが……戦場の怪談やジンクスを一切信じなかった彼があそこまでいうバイクに乗って大丈夫なんだろうか。

「乗るたびに誰か飛び乗ってくるらしくって、光太ったら楽しそうなんですよ」

「……」

 うん。

 そうだろうと思っていたとも!

「京はほんとう、光太とナイスカップルだな!」

「へっ!? そそ、そそそそそうですか? ……嬉しいです……」

 可愛いなあ、京は。

「そう聞くと、光太はすでにある程度運転しているんだな」

「はい。天気がいい日は通学とかお出かけに使ってますし……あとは後ろにケースを取り付けて、ちょっとしたお買い物に出たりなんかも」

「ほほう。活用している」

「そうみたいです。……私も免許を取れましたので、車を検討してみようかなって思ってます」

「いいんじゃないか」

 重たいものを買って帰るにも、誰かを乗せるにも便利だ。

「も、もし良ければ、私が運転に熟練したときに、乗っていただけますか……?」

「もちろんだとも。ドライブデートだな!」

「デート!!」

「……。落ち着いて」

 光太とのデートはどうしているのか。彼に褒められた日には京の情緒は大丈夫なのか。雨が降り出した音を聞きつつも、さりげなく探ってみる。

「光太といると、すごく、安心するんです。その……私の調子の変化を私より速く察して、フォローしてくれます」

「……」

「息がしやすい……なんて言ったら大袈裟かもしれませんけれど。ほんとに……同棲し始めて良かったなあって思います」

「……。わかるよ」

「! …………ありがとうございます」

 光太本人はある意味で空気を読めないタイプだが、人の変化はすぐさま感じ取る。悪い予兆であるならなおさらに。

 かつての懐かしき札幌滞在時、僕自身は気づいていなかった足の異変を知らせてくれたことが何度もある。

「お世話になってばかりなんです」

「ふふふ、光太もキミとおんなじことを言っていたよ」

「っ……はう」

 それからもいろんな話をした。

 そのうち、僕は京の温かな視線に気づく。

「どうした?」

「あっ……あの、その」

 彼女は気付かれたことに恥じらって紅潮している。

「……先生がお元気になられたので嬉しくなってしまって」

「…………」

「ごめんなさい! あの、私なんか、なんにも……」

 反射的に抱きしめる。

 周りの人に恵まれて、僕はなんて幸せなんだろう。

「京、大好き」



 ダウンした京をジンガナが回収していった。

「……何がいけなかったんだろう……?」

「いまの京さんに、憧れの人からの告白は刺激が強すぎるんですよ……」

 呼んだらジンガナと一緒に来てくれたカルミアはため息。

 うう……

「でも、良くなってきましたね」

「そうなのか?」

「以前の京さんなら号泣かオーバーヒートより前に、自己改造をかけようとして錯乱し出すところですから」

「…………」

 カルミアは、京が思うよりも京のことを見守っている。京を引き取った当時はまだ人間味が薄かった弟のため、京とのやりとりをあれこれサポートしていたし、実際に診療も行っていた。

 だから、京のことをよく知っている。

「光太くんと暮らし始めて安定しましたね」

「そのようだ。僕のことを心配してくれて。心にゆとりが出てきたんだろうと思う」

「その通りですね」

「……うん」

 カルミアは物腰柔らかに見えるが、実はアリス譲りの合理主義者だ。

「ひぞれさんって、筋力が衰える病気の人に重い荷物を持たせようと思いますか?」

「思わない」

「良かった。……こちらから提案させていただきたいんですが、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だよ」

「コードで足を描くことはできなくとも、筋肉と骨、関節の動きをエミュレートすることはできるはずです。挑戦しませんか」

「…………」

 何度も試して、ダメだった方法。

 いまならできるかもしれないという、僕の心情と状態を読み切っての提案だ。

「挑戦するのは僕たちであって、あなたに危険な真似をさせるつもりはありません。よく話し合ってからになりますが、先に打診を」

「……うん。やる」

「! ……ありがとうございます」

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