第9話:雨が降る時に

 僕が頷いてすぐ、カルミアは血相を変えて僕を車椅子に乗せた。

 ベルトで固定して押し始める。

「カルミア?」

「ごめんなさい、対応科に戻ります!」

「……」

 今日は、不思議な日だ。

 みんなが僕を気にかけてくれて。

 先回りしてくれて。

 僕は何もしないでいいと——

「っ……」

 こわい。いやだ。

 僕はなにかの、誰かの役に立たなくちゃならないのに、誰も頼ってくれない。性能を使ってくれない。

 見上げてもカルミアは僕を見返すことなく、扉を開けて叫んだ。

「ミズリさん、ひぞれさんお願いします!!」

「わかったよ」

「!」

 僕の夫のこの声、《変幻》している。

「……カルくんさ……危ないから目閉じないでいいよ」

「嫌です。ただでさえ何もしなくても見える目ですから、それでミズリさんを見るなんて失礼はできません」

「うーん、頑固だなあ……」

 陰になっていた扉の向こうからひょこりと顔を出す。

 いつもより背が低くて顔立ちも柔らかなミズリは、僕を見て満面の笑み。

「ひぞれ」

「…………っうぇう……」

「ふふ、なんで泣くの」

 安心のあまり涙が出た。

 診察室にはシュリとスペードもいて、二人とも電子機器を手から離していたせいで僕が気付けなかっただけのようだ。

「うむ、やはり妾に見通せぬものなどない」

「……ハーツにも同じこと言ってあげたらどうかな?」

「色々あるのじゃぞ。生意気な小娘」

 額をそっとつつかれる。シェルと同じ、優しくあやす際の仕草だ。……スペード譲りだったのか。

 シュリとカルミアであれこれ準備してくれて、僕を手招きする。

「ひーちゃん、ソファにどうぞ」

「ありがとう」

「ミズリくんも」

「……ありがとうございます」

 女の子のミズリは前に見たよりも少しだけ背丈が伸びており、僕に寄り添ってくれる。

「ひぞれを抱きしめやすくなった」

「……うん」

 彼曰く、診察や治療はシュリがしてくれていたそうな。その関係でスペードやカルミアとも相談などするようになったのだとか。

「しかしお主リフユ似じゃのー」

「母とお知り合いだったんですね」

「うむ。元はマヅルと知り合ったのじゃが、結婚したと聞いてみれば嫁の頭がヤバくてのう」

「…………」

 ミズリの目がどよんとしようが、スペードが気にするわけもなく。

 シュリもほっこりとして手を合わせる。

「フユちゃんはおてんばさんですものね」

「おてんばで済ませられるかはさておき、マヅルにぴったりのおなごじゃな」

「ええ、ええ。私もそう思います……」

「良き友人なのじゃなあ。我が巫女の友なれば礼の品を送ろうぞ」

「ありがとうございます!」

 なんとも言えない味のある巫女と女神のやりとりをよそに、ミズリは自分の両親について悶々と悩んでいる。

「……父さん母さんとどう接していけばいいんだ……」

「うーん……」

 しかしながら、先の話題にも上ったミズリの父は《変幻》の制御に長けており、さらに母は言霊の応用に長ける。自らの種族特性をいまから制御しようとするミズリにとっては頼らざるを得ない。

 それを除いても新たな関係を築き始めた現在。葛藤が押し寄せているのだろう。

「……僕にも頼ってね」

「ありがとう。でもなんとかなりそう……な予感がする。今日は何度か予知しちゃったからさ」

「?」

 彼はすっと顔を上げ、一人の鬼と巨人の女王を見据える。

「スペード様たちはね、ひぞれの体や心に何かが起こるより前に防いでるんだよ」

「……」

「ひぞれ自身も足のことが万全に解決したとは思っていないだろうから、警戒を緩めたわけではないと思う。でも、どうにもならない時はいつか来る。その防止」

 そう、か。

 みんなやさしくしてくれて、あたたかいな。

「とはいえ平然と運命を操るんだから恐ろしい」

「妾を遮るものなど何もない!」

「その思考が恐ろしいんですよ?」

 スペードは巨人。竜や天使さえ恐れる種族の女王であり、偉大なる女神。

 こちらの世界に(辛うじて)馴染んでいることさえも恐ろしい、そんな存在なのだ。

「ひーちゃん、我が巫女のよき友よ」

「うん。なんだろう」

「お腹の子が無事生まれるまで加護をやろうぞ」

「ありがとう」

「今ならおまけでハーツもつけるぞ♡」

「おまけってなんだ」

 スペードのスマホとシュリのタブレットとハーツのスマホの気配とともに、ハーツが降り立つ。天井——というかZ軸の魔術的な概念を経由した特殊な転移。

 揺れた黒虹髪に光が散る。

「……」

「? どうした、ひぞれ」

「すまない。横顔がニズと似ていたからじっくり見てしまった」

「うわ、想像以上に嬉しくねえやつだった」

 四つ子竜で最も良識的な彼は自身の父に思うところがあるようだ。

「ハーツよ、ひーちゃんを祝福せよ」

「あ、うん」

「え。……い、いいのか?」

 神の力を借りるにはその神と近しい存在の助けにならなければならないルールがある。僕は特に何もしていない。

 そう思っておろおろしていると、ハーツは淡く笑った。

「アリアが世話になってるお礼だよ。気にするな」

「……」

「じゃ、お前に祝福を」

 指の一振りで莫大な魔力が渦巻き、僕の体を巡って抜ける。普通にあり得ない現象だ。

 恐ろしい技量……というか、本人にとっては息するように当然の魔法は祝福を授ける神の最上位だからこそ。

「生まれたら挨拶させてくれな」

「……うん……」

 とても、あたたかい。

 みんなこのましい。

「疲れてるみたいだから、少し休んでいったらどうだ」

「そうじゃのう」

 演算速度低下

 修復

 調整

 再探査

 究明

 修復——

「ダメですよ」

「ぴっ」

 鮮やかな緑と目が合った途端、コードが消えてしまう。

 困ったふうにわらうカルミアは父親そっくりだ。

 ミズリも瞳に白の線を走らせて予知を全開に……

 ……うん。

 今日の僕はいろいろとダメだな。

「すまない」

「いえ。仕事ですから」

 ゴーグルをかけると瞳が隠れてしまう。……疲れさせてしまって申し訳ない。

 神二人は消え、シュリは何やらメール中。

 そろそろ体力も限界で……眠たくなった僕をミズリが支えてくれる。

「カルミア。部屋を借りてもいいかな?」

「もちろんです。隣の部屋へ……」

 スペードに道を譲った。

「褒めてつかわす」

「光栄です」

「うむ」

 女王は僕の前に立ち、僕の頬に指を添える。

「ひーちゃん」

「なんだろうか」

「雨が降るとな、調子を崩すのじゃ」

「?」

「ひーちゃんの調子が悪いのはひーちゃんのせいではない。雨の日には高潔な才女も悩み、勇猛な戦士さえ喪ったものに涙する」

「……」

「雨のせいじゃ。……そういうことにしておけ。女王が言うのなれば飲み込めよ」

「……ありがとう」

「良い」

 微笑んだ彼女は自然な仕草でハーツの手を取り、姿を消した。

 続いてカルミアは僕とミズリを病室に導き、『ゆっくりなさってください』と去っていく。

「今日はみんなから幸せをもらう日だ……」

「良かったね」

「スペードを崇拝する人の気持ちがわかった気がする」

「ははは! ……《偉大な》って接頭辞は原初の神々への敬称をこちらに訳したものだけど、スペードに関しては本当に相応しいよね」

「そうだったのか?」

 シェルに教わったまま使っていた言葉だったから、彼が神々を心底尊敬しているのかと思っていた。

 そう言ってみると、ミズリはふき出して大いに笑った。

「あっはははははは!」

 爽快な笑声に安堵する。

「間違ってないかもね。うん。たぶん、スペードとハーツあたりに限ってはほんとに尊敬してるだろうから」

「むむう。……」

 シェルはいろんな人に敬意を払っている。

 ミズリに対してもそうだと思うのだが、指摘は藪蛇だろうか。

「まあそれは良いとして。ミズリの体調はどうかな?」

「だいぶ良いよ。まだ歩くのは下手だけどね……」

「ふふ。いざとなったら僕が運んであげる」

「うっ……り、リハビリがんばるから……!」

 頑張る夫が愛しい。

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