第10話:長い雨が降る時に

 体を戻したミズリと一緒に帰宅すると、エプロン姿のひまりが出迎えてくれる。

「お帰りー!」

「「ただいま」」

 手洗いうがいをしてリビングに向かうと、カレーの香りが立ち上る。

 雨に濡れたジャンパーを脱ぐミズリは家を見渡して問うた。

「まつりは?」

「しおりんとデートだよ」

「そっか」

「で、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんは東京をお散歩」

「父さん母さんを野に放って大丈夫かな……」

「イブキ様ついてるから大丈夫」

「不安要素でもあるね」

「わかるー」

 ひまりは気楽に答えつつカレー皿を用意。

 僕も手伝おうとしたら止められてしまった。

「お母さんは赤ちゃんとゆっくりして」

「じゃあ俺が、」

「お父さんも座ってて。二人とも病院で疲れたでしょ?」

 シュリさんから聞いてるよ、と一言。……彼女にはいつまで経っても敵わないな。

 せめて飲み物は自分たちで取ろうと冷蔵庫を開けていると、ひまりがふと言った。

「そいえば、今日は佳奈子ちゃんをナンパしたよ」

「「うん!?」」

「ノアさんの反応が面白すぎて笑った笑った」

「何をしているんだひまり??」

「まさか《変幻》してないよね……?」

「したに決まってるじゃーん☆!!」

 我が娘ながらいつか誰かに刺されておかしくない行動をする。

「……ピュアなあの子になんてことを……」

 ミズリが呻く。

 男性へと《変幻》したひまりはミズリとよく似ているのだから困ったことだ。

「佳奈子ちゃんに人見知りされまくってー、ノアさんの後ろにずっと隠れてた。ノアさんは私だって気づいて脱力」

「……次は許さないよ」

「わかった。もうやらない」

「うん、ありがとう」

 ミズリが撫でると、ひまりは照れ臭そうに笑った。

 盛り付けのできた皿を転移でテーブルに送る。

「「「いただきます」」」

 ひまり作のカレーはフルーツの味がほのかに香って美味な一皿だ。疲労に沁みる温かみがある。

「美味しい」

「ほんと? 私の作ったご飯がお母さんの血となり肉となり赤ちゃんの栄養になるなら……ぐふへっ、えへっ♡ 嬉しいな……♡」

「ふふふ。ひまりは素敵なお姉ちゃんだな!」

「……明らかに取り繕えてないのに……」

「? ミズリ、何か言った?」

「何でもないよ」



 部屋で仕事の作業をするというひまりを送り出し、ミズリと二人でソファにまったりする。

「……シュリとどんなこと話したの?」

「問診と健康相談が多かったね。そのほかはひぞれは可愛いって話が主」

「んにゅむ……」

「それと、シュリさん自身が家族で仲良くできるようになって嬉しいみたいだった」

 大変に喜ばしい。

「カルとはまた違うタイプのお医者様だなって思ったよ。会話の端々に鬼畜風味を感じた」

「親子だものな」

「そうだね。いろいろ相談にのってもらって助かったよー……母さんのことも聞けたし」

「おばあちゃんのおはなし? どんなふうだったんだ?」

「……。彼女の表現を借りると、『天真爛漫で行動力を持ち、独特の感性も魅力的な素敵な友達』だそうだよ」

「そうか!」

 まさにおばあちゃんそのものを表している。さすがシュリだ!

「…………。そうだね。俺もそう思うよ……」

「? ミズリ、疲れてるの?」

 なでなでしてあげなくては。

「ありがとう」

「ふふ。頑張りやさんのミズリにはご褒美があるんだ」

「?」

「大福をたくさん買ったの。フルーツソースが入ってて美味しいよ」

 ミズリはあんこが好きだから、評判の良い和菓子屋さんを知り合いにリサーチした。

「僕も味見したから、ミズリもきっと気にいる味!」

「……。…………」

 抱きしめられた。

「大好き」

「……俺も好き……」

 疲労しているのが伝わる。

「ミズリ、お布団に行こうね」

「……うん」



 出身を嫌うミズリにとって、自らの種族特性に向き合うのは苦痛を伴うはずだ。そんな中でも僕や周りの人に気をつかう彼を尊敬しているし、でも、そんなに無理をしないでほしいとも思う。

 自室から出てきたひまりが手を振る。

「お父さん寝た?」

「寝たよ」

 寝室に押し込んで寝かしつけた。

「寝かしつけいいなあ……じゃなくて。お父さんが眠れて良かった」

「そうだな」

 最近のミズリはあまり寝付けていなかったから。

「お腹、撫でてもいーい?」

「うん」

「えへへ」

 ぴったりと寄り添ってくれると体温で心地よい。

「お母さん明日は予定あるの?」

「特にないよ。ひまりは?」

「光太くんをナンパするからお母さんについてきてほしいな!」

「反省はどこに行ったのかな??」

 ミズリはなんだかんだでひまりに甘い。

 シェルに数学を仕込まれたこの娘、条件指定が曖昧だとその隙間を突きたがるのだ。

「というか! 光太相手にそういうことはダメだ」

「? どうして」

「……彼は《変幻》したミズリを見ている。心配をかけたくないし、ミズリを案ずる彼を無意味に混乱させることは望ましくないぞ」

 調子を崩すミズリを見て以来、たまに光太がおかずを届けてくれるようになった。ミズリには鉄分とカルシウムを意識しつつ栄養バランスの取れた料理、僕向けには柚子や大根を使った料理だ。

 渡す際、僕には赤ちゃんと僕の調子を気にかけてくれ、ミズリに牛乳を勧めては『嬉しいけどこの状態は普通に健康だからね!?』と返されている。

「ほへー……真面目で優しい子だね」

「うん」

「からかうのやめておくよ」

「そうしてくれ」

「って、ならますます挨拶しなきゃ。両親が社交辞令抜きでお世話になってますのお礼を!」

「うむ。僕もお礼しなければ」

 京と同棲しはじめたこと、悪竜たちやジンガナ、ハルネと暮らしはじめたことで食料品を送る頻度は増やしたが、光太は送った食品で料理を作ってくる気遣いを持ち合わせている。

「いっそのこと洗剤だとかに商品券をつけた方が彼のためだろうか……」

「その子、魔窟みたいな家に住んでるんだね……?」

「本人はいたって元気だよ」

「逆に怖いよ」

 実は僕も普通に怖い。

「……でもま、そんな状況にあるならいろんな繋がりで援助が入りそうだね」

「うん。現にあちこちから食材を持ってくるものだから余るくらいなのだとか。お返しを考えるのも大変らしく……僕たち側からは気にせず受け取っていいと伝えているんだが」

「律儀だこと」

「うむ……」

 しかしまあ、そこはおいおい調整していくしかないだろう。光太と京なりに集団生活での食事のリズムを探っているようだから、もともと調理スキルの高い二人ならば悪いことにはなるまい。

 ひまりは僕のお腹にひそひそと話しかけて楽しそうだ。

「……お姉ちゃんですよー……うふふ……♡」

「お兄ちゃんとおんなじことしてるね」

「そうなの?」

「うん。お腹にいるひまりに『お兄ちゃんですよ』って自己紹介してたんだ」

 あの頃はまつりも幼くて、ミズリを僕の元に引っ張ってきて『これはお父さんだよ』と紹介していた。ミズリも苦笑しつつ『紹介にあずかりましたお父さんです』と。

 そのおかげかひまりはお父さんっ子になったと思う。昨日もミズリのベッドに侵入して昼寝していたし。

 そういった一連の流れを聞かせると、ひまりはうつむいてもじもじし始める。

「……」

 娘に腕を回す。

 いつのまにか僕と同じくらいの背丈だ。

「お母さんだいしゅき……♡」

「僕もひまりがだーいすき」

「はぅん♡」

 可愛い愛娘を撫でれば、母親の僕の方が安心する。

 ……僕はいつも家族に助けられているな。

「明日はハルネと会う約束をしてるよ。ひまりも一緒に行こう?」

「行く! お母さんと一緒なら地の果てまでも行くよ!」

「ははは、さすがに地の果てではないよ? ……きっと楽しい集まりになるね」

「うん」

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