第3話:ベイビー

 シヅリさんは翰川先生のお腹をおそるおそる撫でる。

「おばさま、くすぐったいよ」

「ああああああぁ……命の波動を感じる……」

「ユングィスの特性はわかるが、なんだか怪しい宗教みたいだな。……おばさまにとっては甥孫か姪孫になるね」

「……うん……」

「生まれたら紹介するよ」

「…………ありがとう」

 複雑な因縁はあれど温かな光景。

 そうは思ってもミズリさんは冷めた目でお姉さんを見ている。

「……ミズリさん、お姉さん苦手ならあんま無理しないほうがいいっすよ……」

 こそっと伝えると、彼ははたと気付いたように目を見開き、俺に会釈する。

「ああ……ごめんよ」

「や、その。……シヅリさんには俺から言ってもいいですし、無理せんでくださいね」

「ありがとう」

 翰川先生も旦那さんの様子に気付いており、それとなくシヅリさんに伝えて離れてもらっていた。

「そんなわけでおばさま。生まれた子をいじめたら許さないからな」

「いじめないわ。……ほんとうよ」

「うむ」

 俺にとっては、シヅリさんを連れてこの場を離れるかミズリさんとこの場を離れるか迷いどころだったが……押し入れからキノコとリチアさんが飛び出してきたのを見て即決する。

「リチアさん、先生とシヅリさんのこと頼んでいい?」

「いいよー」

 ミズリさんの手を無理やり引いて、俺の部屋へと飛び込む。

 彼はいつもの貴公子スマイルだ。

「シヅリとは何メートル離れられるのかな?」

「……距離じゃないっす。同じ空間にいればそこそこ離れられますよ」

 試したことはないが、魔法使いさんたちに相談しつつ検証したところでは、例えば博物館のような広い場所で離れても問題ないのではとのこと。

「まだ試してはないんですが……」

 セプトくんとパヴィちゃんと一緒に上野の博物館巡りをする約束がある。説明すると、彼は顎に手を当て思案。

「なるほどね。同じ家屋の中でなきゃまずいのか。……外では?」

「10mくらいなら離れられますよ」

「わかった。教えてくれてありがとうね」

「……」

 この確認はおそらく、俺とミズリさんが会う際に確実についてくる女神様について対策しているからだろう。

 翰川夫妻と俺が出会うなら確実に遭遇する。

「シヅリさんと離れることはできませんけど眠っててもらうことはできますからね」

 以前のように、俺の背後でこちらと違う世界の狭間に潜ってもらえば、ミズリさんが顔を合わせる必要はなくなる。

「無理だと思ったら遠慮なく言ってください」

「…………。そこまで気を遣わなくていいんだよ、光太」

「でも、だってその……」

 以前シヅリさんは『ミズリが可愛くていじめた』という内容をなんの躊躇いもなく俺に披露したことがある。それが悪いことで、ミズリさんにとっては許せないことであるともわかっていない風情で。

 その時にはいけないことだと言葉尽くして伝えた。シヅリさんも真っ青になってミズリさんに謝罪をしに行って……

「……あの時は、本当にすみませんでした」

 家を飛び出したシヅリさんに引き摺られる形で翰川家を訪ねた俺は、ミズリさんの拳が命中したシヅリさんが廊下のドアをぶち抜いて壁に叩きつけられる光景を目撃したのであった。

「光太のせいじゃないさ。そもそもキミ、止めようとしてたろ?」

「止められなかった時点で同罪だと思ってます」

「馬鹿力のユングィスを人間が止められる方がおかしいって。俺はキミに感謝しかないよ。……和解を勧めてきたら不愉快になっただろうけど」

「無理ですよ」

 いじめてきた奴が謝ったところで『仲直りしようね』なんて、口が裂けても言えない。

「……。ありがとうね」

 ミズリさんは誰より《大人》だ。

 正常なプロセスを踏んで感情を自分の中に落とし込む。

「よし、落ち着いた。戻ろうか」

「そっす……ね!?」

 目を離した一瞬でミズリさんの背丈が縮んだ。

「ミズリさん!?」

「? ……!?」

 この現象は彼自身に制御できているものではないのかもしれない。

 歩きかけて止まった足がもつれた。転ぶ。

 危ない姿勢でこのまま床へ——

「——バジルさん!!」

「はーい」

 クローゼットの扉を捲れあがらせながら飛び出した大蛇が、ミズリさんを受け止める。

「…………ありがとう……」

「どういたしまして、ユングィスさん」

「久しぶりに、やらかしたな……」

 少女の声音。これはつまりユングィスの特性だという性転換の発現か。見えていないので容姿はわからないが。

「光太はなんで目隠ししてんの?」

「見られたくないのではと思いまして」

 理解してすぐ両眼を覆った。

「妙な配慮だなあ……見られたくないのは姉二人にだから別にいいよ」

「あなたあられもない姿だから服整えた方がいいんじゃない?」

「え? あぁ……くそ、久しぶりだから用意してない……光太、クローゼットから何か借りていいかな」

「もちろんです。羽織りものがいいですかね」

 見えなくともバジルさんの気配に沿って動けばクローゼットまで移動するのは容易だ。彼女の尻尾はまだ入ったままである。

「いや、目隠しやめていいから。危ないよ?」

「……バジルさん、ミズリさんの格好教えてください」

「幼女が成人男性の服を着せられてるような」

 ミズリさんが着替えない限り絶対に彼の方を見ないことを決意した。

「よ、幼女じゃない!!」

 何やら騒いでいるが、バジルさんは彼を乗せた頭を持ち上げることで抵抗を封じた。

 クローゼットと向き合ったところで俺は目隠しを外す。

「コートとかちょうどいいと思う」

「バジルさんあざす」

 長めの秋用コートが見つかった。

 再び目隠しをしてミズリさんの元へ向かう。

「受け取ってください」

「…………。複雑だけどありがとう」

 バジルさんがもたげていた頭を下ろし、ミズリさんが着地する。

 少し経ったところで『見て大丈夫だよ』と言われた。伸びたルビーの髪と柔らかくなった顔立ちが結果を如実に表している。

 佳奈子よりも小さな背丈と、サイズの合わないコートからでもわかる細い体が心配だ。

「み、ミズリさん……牛乳飲みますか? お肉焼きます?」

「……いいよ。戻れば元通りだし」

「元に戻るのって何か……えっと、」

「考えられる原因は、ひぞれのお腹の赤ちゃんから俺と似た《言霊》……まあつまりはアーカイブが出てて、俺がチューニングに失敗したから影響を受けた。こんなところだろう」

 彼はもともとの衣服を畳み終えて立ち上がる。

「ひぞれのところに戻ってゆっくり調整するさ」

「……」

「心配してくれてるね?」

 う……見透かされてる。

 貴公子スマイルは変わらずで、ミズリさんはバジルさんの大きな頭を撫でつつ教えてくれる。

「ひぞれに見られたくなかったのはひぞれの内にユヅリがいたからであって、ひぞれ本人に見せたくないわけじゃ——」

「ねえ、まだ話してるの?」

「——死ね」

 ぐちゃりと。

 肉片が散った。

 赤い何かと肉肉しい何か。

 それを理解する寸前で人型に戻ったバジルさんに抱きすくめられ、認識を阻害される。

 ミズリさんが半開きだった扉をフルパワーで閉めた。当然、入ろうとしたシヅリさんは大変なことに。

 大変に。

「光太」

 理解に踏み込もうとしたところでバジルさんが俺の思考を止めた。

「ショックを抜くのとデフラグ消費はどっちがいい?」

「……デフラグでいきます」

「うん」

 バジルさんの助けを借り、精神ショックを処理する。

 その間にシヅリさんは再生。

 怒りとも憎しみともつかないミズリさんの横顔が目に焼き付いた。

「…………。さっさと扉を閉めなかった俺のミスだ。殺して悪いね」

「……ミズリ……悪いの、私……私だから……!」

「いや、いいんだ。……できれば視線を向けてこないでくれ。それと近寄るな」

「シヅリさん、眠ってください」

 未だサイケデリックな光景ながら、二人の間に無理やり割り込む。いまのミズリさんならまだ理性が勝っている。俺ごと薙ぎ払いはしないはずだ。

「でも、私、」

「あなたがミズリさんにできることは、もうそれしかないんですよ……!!」

「————……」

 ぐしゃりと顔を歪めてシヅリさんの姿がかき消える。

 それと同時、背後にわずかな気配が現れて……きちんと狭間にいてくれることに安堵した。

 ミズリさんに頭を下げる。

「……すみません」

 しかし、反応がない。

「?」

 顔を上げると、真っ青な顔で倒れる姿が見えた。

 バジルさんが受け止めて支える。

「……精神の問題じゃなくて、ふつうに体調不良。お医者さん呼べる?」

「れ、連絡入れときます!」

「じゃあ、リビングに運ぶね。電話終わったら来て」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る