第2話:ベイビー

「ところで皆さん、シヅリさんに会いに来てくれたんですか? それはすごく嬉しいっす!」

 翰川先生が強く頷く。

「もちろんそうだよ。ね、おじいちゃん!」

「……うむ」

 抱きつくシヅリさんを撫でるマヅルさん。

 なんて微笑ましい……と思っていると、リフユさんが俺の目の前を浮遊していた。

「光太くん、シヅリの面倒見てくれてるのね? ありがとう」

「え、あの……むしろ俺の方が世話になってると言いますか……」

「うふふふ。私たちの孫や子どもたちが世話になったって聞いてね。今日は礼をさせてもらいにきたよ」

「ご、ご丁寧にありがとうございます……でも、俺は世話と迷惑かけてばっかりですよ」

「謙虚だこと」

 彼女はそのまま天井近くまで高度を上げ、魔力の糸で蜘蛛のように垂れ下がる悪竜さんを抱きしめた。

 そのまま降りてくる。

「この子は?」

「さあ……」

 この目に光のない悪竜さんは誰が呼び込んだのやら。

 とりあえず和室の押し入れを開けてランプを持ち上げる。

「タミルくんわかる?」

「バジルが昨日連れ込んでたよ」

「えっ、嘘!? 言ってよタミルくん! 昨日お茶出してないよ!」

 今日の分のお茶菓子と朝ごはんは置いたのだが、昨日からいたとは知らなんだ。なんとも悔やまれる。

「キミってほんと頭おかしくて素敵だよね」

「いやいや、タミルくんたちのご兄弟に失礼はできないでしょ」

「……そ」

 リフユさんは『あらあら、ランプの魔神さん』と呟きつつ、悪竜さんの体に絡まる紫の糸を解いていく。悪竜さん自身は特に抵抗も反応もなく小柄な体をだらんと脱力させていた。

 思ったよりも長い藤色の髪が床にまで垂れ、俺は慌てて持ち上げた。

 やはりその瞳に光はない。

「…………」

「綺麗な髪。子守りの精霊ね」

「!」

 種族名。

「仕える神はどこ?」

「  しん だ」

「そう。なら私が雇う」

「……」

 しっかりと背筋を伸ばしてリフユさんを見据える。

「よろしく、奥様」

「ふふ。こちらこそよろしくねっ」

「フユ」

 シヅリさんと一緒にシバ子と戯れていたマヅルさんが、無表情ながら慌てた様子でやってくる。

 シバ子とシヅリさんもついてきた。

「なあに、マヅルくん?」

「軽々しく契約してはいけない。精霊が可哀想なことに、」

「軽々しくないよ。私も赤ちゃんいるんだからきちんと働いてもらえる」

「…………」

「……病気になる前から赤ちゃんがいたみたい」

「……………………」

 虚脱するマヅルさんをリフユさんが撫でる。

「よしよし」

「お母様……赤ちゃん、いるの……?」

「そうだよ。シヅリの弟」

「……………………」

 シヅリさんってマヅルさんとも似てるんだなあなんて思ったところでギブアップ。

 俺の心臓が感動で爆発してしまいそうだし、涙で前が見えない。

 必死で瞑想していると、ミズリさんが俺の目にタオルを押し付けてくれた。

「拭きなよ」

「……あざす」



 事態が収拾してのち、悪竜さんが名乗る。

「ヨーツ。子守り精霊の末裔。誠心誠意、奥様とお子さんのお世話をさせていただきます」

 目に輝きを取り戻した彼女は、撫でられて泣いて乱れてしまったシヅリさんの髪をブラシで整えるところだった。

「一応聞くのだけど……お子さんの範疇に私も入ってるの?」

「無論。奥様のお子、あるいはお孫さんまで管轄なりし信条こそ子守り精霊なれば」

「…………。そこまで手を出すと大変じゃないかしら。無理しないでね」

「ご心配をありがとう。同室の時くらいなのでさせてください」

「……ありがとね」

 そんな名乗りを受け、マヅルさんが頭を下げる。

「妻のことをよろしく頼む」

「神族の長が容易く頭下げるな。あと、あんたも奥様のサポートしろその物言いは他人事ってことかクソ男」

 ……リフユさん以外にはボロクソだ。

「サポートを、する。が……私は気の利かぬ男であるから自信がない。指示をしてほしい」

「OK。仕事がない隙にメタメタにこき使う」

「わかった」

 やりとりをくすくすと眺めながら、リフユさんとユヅリさんとで話している。

「お母様、何ヶ月だったの?」

「カルミア曰く4ヶ月」

「私にできることがあればなんでも言ってね」

「ありがと。早速だけどこれから病院付き添いしてもらっていい?」

「喜んで」

「うん、お願いね。……光太」

「あ、うす。なんでしょ」

 紙袋を俺に手渡す。

「これはほんの少しだけどお礼ね。お肉とお野菜」

「ありがとうございます! ……うわあ、見たことない牛肉があるう……」

 時間停止のフィルムに包まれて、見るからにして高級な肉と野菜類が入っている。

「ほ、ほんとに頂いちゃっていいんですか?」

「いいの。これからもひぞれとシヅリのことよろしくね」

「はい! ……いえあの俺がお世話になってます」

 リフユさんはくすくすと笑った。

 病院に行くのだと言って、マヅルさんとユヅリさん、それからヨーツさんと去って行く。

 残ったのは翰川夫妻と俺と女神様だ。

「わふっ」

「ん。……シバ子ちゃんもふもふだな」

 シバ子は翰川先生のお腹にそっと顔を寄り添わせ、うっとりしていた。

「先生たちの御用は?」

「子どもの名前を考えたいのだが……自信がない」

「……」

「キミと話すと元気をもらえる。頼ってもいいだろうか……?」

「存分に頼ってください!」

 とても嬉しい。

 彼女のネーミングを知るため、お子さん方について質問。

「そういえば息子さん娘さんいらっしゃるんですよね? お名前はなんていうんですか?」

「まつりとひまり」

「素敵な名前ですね」

 いつかお会いしてみたい。

「名付けたのは……」

「ひまりが僕。まつりがミズリだ」

 ああー、やっぱり。それぞれの感じが出てるなあ。まつりさんはマヅルさんからきてるんだろうし。

「心配いらないじゃないですか。相談するなんてまさか……いまのお子さんに大福とか朝市とか名付けようとしてるとか!?」

「そ、そんなことはしない!」

「ですよね!」

 もちろん冗談だ。名前をつけることの大切さがわからない彼女ではないのだから。

「じゃあきっと大丈夫ですよ。だって翰川先生とミズリさんご夫婦なんだから、お子さんにぴったりで素敵なお名前になるに決まってます」

 決定事項だ。

「心配ならお子さん方に相談したり、ご友人と話してみたりでどうでしょ。もちろん俺も相談に乗りますよ! ……頼りにならないかもですが」

「……」

 先生はふわりと笑って、自身のお腹に手を添えた。

「……キミに甘えてしまった。すまない」

「嬉しいですよ。先生にはお世話になりっぱなしですもん」

 手招きされたミズリさんが先生の隣に座る。

「いつもありがとう、光太」

「いえ」

「性別がわかるまでは男の子と女の子両方の名前候補を考えるつもりでね。……ひぞれ」

 そっと先生の背を支える。

「う、うん」

「?」

「実はもう、ひとつ考えてて……キミの名前からとりたいんだ」

「!? そんな、畏れ多いです……」

「畏れ多くない。女の子だったらひかりにしようと思う。いいかな?」

「…………ぢょっと、待っでくだざい……」

 感動と光栄で涙が止まらない。

「……だめ?」

「だめなんかじゃ……だっで……!」

「ふふ……ありがとう」

 ぐちゃぐちゃな顔にタオルが押しつけられる。シヅリさんが洗面所から取ってきてくれたようだ。

「あざます」

「気にしないで」

 情緒不安定な俺が落ち着くまで三人は見守ってくれていた。

「……これで僕の担当はOKだな」

「? 担当?」

 シヅリさんの呟きにミズリさんが答える。

「息子だったら俺で、娘だったらひぞれにしようかって、長男の妊娠の時に話してたのさ。ここまで幸いにも男女バランス良く生まれてたからそのままにしてたんだ」

「男の子の方の名前はミズリが考え中だぞ」

「そういうやりとりも素敵ですね」

 お互い話し合って決めていく夫婦は理想だ。

「ありがとう」

「お、畏れ多いです」

「京との生活はどうだ?」

「楽しいですよ。いろんな人の助けを借りながら、二人で距離感を模索してます」

「やはりそうか。キミと暮らし始めて京はのびのびとしている。とても喜ばしい」

「ありがとうございます。でも、俺も京に助けられてるんですよ」

 一緒にいれば楽しくて暖かいし、俺にはない知見からアドバイスをくれることも多々ある。加えて、互いが落ち込めば互いに寄り添ったり励ましたりとできるから心強い。

「昔から一緒に住んでたみたいにすごく心地よい感じです」

 願わくば彼女もそう思ってくれるなら幸せだ。

「ふっふっふ……実は、京はキミの知らないところで惚気ているのだ」

「えっ」

「僕は京とよく恋バナをするからな」

 聞いてみたいが、恥ずかしくて聞けない……!

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