第4話:ベイビー
呼びかけに応えてくれたのは、金髪三つ編みの天使さん。
「うむうむ。これこそユングィスの《変幻》」
ソファに眠るミズリさん——サイズの合った服に着替えた彼を診察してくれている。
「でもミズリでは珍奇……ひーちゃん的にはなにかあったように見えた?」
「…………お腹の赤ちゃんにユングィスの特徴が濃いらしく、姉二人の件で消耗していたミズリが調整に失敗した」
「大変そう」
「うん……そうなんだ」
「ぐーすぴー」
考え込む翰川先生の首には、小さな蛇となったバジルさんが巻きついて眠っている。すぐそばではキノコとリチアさんが日光浴。
それを見たサラノア先生が俺に問う。
「おまえの家、魔窟?」
「魔窟じゃないです」
いたって普通なマンションの一室です。
「……そこは気にしないでいただくとしてですね。ミズリさんの不調が……えーと……赤ちゃんと……その」
言葉を選んで視線が泳ぐうちに翰川先生と目が合う。
彼女はお見通しのようで、優しく手招きしてくれた。
「…………。翰川先生」
「うん」
「お腹に触らせてもらっていいですか?」
「どうぞ」
翰川先生のお腹に触れながら、彼女とお腹の子、ミズリさんの幸福を祈る。
背後のシヅリさんも手伝ってくれていた。
せめて、と。彼女なりに弟を案じ、幸福を願っていた。
それから数十分ほど経っただろうか。
ソファの上でミズリさんが目を開けた。
「……う……」
「おはよう、ミズリ。苦しくない?」
「…………」
奥さんに膝枕されていることに気づいたミズリさん。
じわじわと赤面していく。
「え、あれ……? あの……」
「女の子のミズリ、初めて見た。……ちょっと嬉しいな」
「だっ……大丈夫だから、起きるよ」
「だめ」
人差し指でミズリさんの額を撫でる。
「ミズリ、ほんとうは少し前から体調が悪かったんだろう? ……それと、やはりお母さん……ユヅリのことも苦手だから、家でもあまり休まらないだろう」
「や、全然大丈夫。そんなことないよ」
「僕はミズリに幸せでいてほしい。リラックスできない家なんてダメだ! 僕の体調も落ち着いてきたし、お母さんにはお父さんのところに行ってもらう手配をしている」
「でも、父さんと母さん——っるぇ!?」
跳ね上げた上体が先生に捕まり、うなじに顔を埋められる。たじたじなミズリさんは珍しい。
「ミズリの匂いがする」
「そ……そりゃあ、俺のままだし」
「いつもよりちょっと柔らかい。でもミズリだ」
「…………」
「みんな納得の上で話を進めている。あとはミズリが頷くだけだ」
力なく頷いたミズリさんを、愛おしそうに、大切そうに撫でる。
「大好きだよ、ミズリ」
「……う、ぁ……お、俺も好き……」
「ほんと? 嬉しい」
「ほ、ほんと……好き、です……」
……ミズリさんは翰川先生への愛溢れる変態だけど、押されると案外弱いんだな。なんだか和んでしまった。
「ふふふ……ミズリの敬語ー」
「う、あぇ……ひ、ひぞれ。抱っこしないでもらえると……その」
体格差のおかげで抱え込む形だ。
彼女は普段とは逆転した状況を楽しんでいる。
「うん。サラ、ミズリのこと診てほしい」
「りょ」
サラノア先生は聴診器を用いたり、触診をしたりと診察していく。もちろんその度質問を投げかけながら。
「こうなるのいつぶり?」
「……500年ぶりくらい……」
「それは大変。……やっぱり定期的に《変幻》した方がいいと思う」
「嫌だ」
「ひーちゃんからユヅリさんが離れた。ひーちゃんの前でもダメか?」
「…………」
「ミズリがいいなら僕はそばにいるよ」
すぐそばでバジルさんと戯れる先生が言うと、ミズリさんは躊躇いがちながらも了承する。
喜んだ先生は首に巻きつくバジルさんをミズリさんの首へ譲渡した。
続いてサラノア先生は翰川先生の診察を始める。
「んぐふっ、ぐへ、ぐへへ……♡」
「ふふ。サラに撫でられると嬉しくなるな」
「ひーちゃんの、心音に♡ 赤ちゃんの気配が混じって♡ 最高のハーモニー……♡」
「さすがだ、サラ。この時期の赤子から心音はほぼ聞こえないはずなんだが」
「赤ちゃん好き♡ だからたくさん聞き取れるよ♡」
診察、のはずなのだが……なんというか。
ソファ伝いにバジルさんを俺の首に移すミズリさんに質問。
「いまのサラノア先生って天使がしてはいけない顔をしてるように見えるんですが……」
「サラノアは妊婦と乳幼児が好きなんだ。いかがわしい意味の好意じゃないけど、愛が溢れて変態じみてる」
「そ、そうですか」
つまりミズリさんと似た感じだろうか。
「いま失礼なこと考えた?」
「なんで鋭いんです!?」
「いやまあいいんだけど。……チューニングが合うようになって助かった。ありがとう」
「……どういたしましてっす」
彼曰く、胎児もユングィスの言霊を放つそうで。
「赤ちゃんだから本人が感じるまま思うまま神秘を撒くわけで、それが今回俺と相性が良くなかった。これってお腹の赤ちゃんにどう言い聞かせるよって問題だからさ……ほんと助かった」
「いえいえ」
ミズリさんは奥さんと赤ちゃんのそばにいたいだろうし、助けになれて良かった。
だが、まだ顔色が良いわけではない。
「……調子はどうですか?」
「心配いらない。……と言ってはみても、もう少し落ち着いてからじゃないと戻れなさそうだ」
「なんかしてほしいことあったら言ってくださいね」
「今日の光太にはお世話になってばかりだね。ありがとう」
一応は家主であるし、ミズリさんにはいつも助けられているしでお互い様だ。
女の子のミズリさんはとても小柄だが、存在を疑問に思うほどの美貌は同じ。ある意味見慣れていて落ち着く。
なんてことを思っていると、彼は俺の首に巻きつくバジルさんを見つめていた。
「なんでしょ?」
「……ところで、その蛇さん何者?」
「あ。こちら悪竜のバジルさんといいまして、パールさんの姪っ子さんです」
「! ……道理で同じなわけだ」
「同じ?」
「パールの片親は魔法竜の中でも夕闇竜と呼ばれる一族で、蛇のような形態。名前の通りに鱗は夕闇色ってわけ。バジルちゃんのお母さんもそうなんだろうね」
「ほー、夕闇。綺麗ですもんねえ。ぴったりなたとえ……あいたっ」
バジルさんが俺の顎下にかぷっとする。牙があるので当然のように痛い。
「何ですかバジルさん?」
「……」
「離してもらえるとありがたいっす」
「…………。もうちょっと」
「はーい」
ミズリさんは苦笑気味に俺たちを眺めていた。近寄ってきたシバ子を撫でながら。
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