Vol. 18

1.disorder

第1話:いつだって好き勝手

 スペードは女王。

 ハーティアはその従者。……と長年思っていたが、正式にはそうでもない。しかしスペードに付き従い、尽くしているので大した違いはないと考える。俺にとって慣れ親しんだ呼び名はハーツ。

 魔術はスペード、数学はハーツから教わった。それ以外のこともあれこれと。二人には多大な恩があり、向ける感情も複雑だ。

「…………」

 見るたび敬愛と嫉妬がないまぜになるのであまり見たくない竜神が、俺の書斎で床に突っ伏していた。

 両の膝は絨毯に沈み込み、上体はだらりと脱力。手はぞんざいに投げ出され——首を持ち上げてくれれば素晴らしい姿勢なのだが——ああ、いますぐに首を刎ねたい。

 だめだ。偉大なる竜神に準備もさせず首を刎ねるなど無礼にも程がある。場を清め整え、捧げ物も揃えて、きちんとしなくては。

「……アリアお前ひどいこと考えてるだろ……」

「そう言われましても」

 俺は原初の神を前にすると挙動が狂う。いわゆるバグだ。相手次第では会話さえうまくいかない。

「まあ首飛ばされたくらいじゃ死なないからいいけどさ……」

「しません。ただ、考えてしまうことはお許しください」

「わかってるよ」

「それと起き上がってください。あなた様を床にいさせるなどできません」

「…………ありがとう」

 のろのろと起き上がり、壁際のソファに力無く座る。

「何を悩んでおられるのです」

「三日後……俺はスペードとレストランに行く」

「良かったですね」

 スペードに恋しているのだからさぞや嬉しかろう。

「なに着てけばいいと思う……?」

「……。…………」

 いまのハーツの格好はYシャツにスラックス。これは確か以前ひぞれ・ミズリ夫妻から見立ててもらったものだろうか。あまりブランドに詳しくはないが、イタリアあたりの良い品だったと記憶している。

「ジャケットでも羽織れば今の格好で十分かと」

「わかってる。でも、あのスペードだぞ?」

「? 俺に発言を入力する際は意図と前提条件を明確にした上で、」

「はいはいそうですね。……スペードの格好と合わせられる気がしないから相談に乗ってほしい」

「…………」

 本人に直接聞けばいいだろうに、なんて回りくどい。

 とはいえ。服装に関して俺は門外漢だ。

「ハノン」

 書斎にやってきた娘を呼ぶ。

「なあに、お父さん」

「ハーツがスペードとデートをするそうです」

「でっ、でででデートじゃない……!」

「「はいはい」」

 デートだろうと単なる食事だろうとどうでもいい。それがスペードとのお出かけというのなら、彼女に恥をかかせるわけにはいかない。

「スペードと洋服の格を合わせた装いをするにはと悩んでいるそうです」

「本人に当日の服装を確認すれば一発じゃないかしら?」

「俺もそう思います」

「あら解決しちゃった。頑張って、ハーツ」

「見捨てないで……!!」

 足元から縋り付いてきて鬱陶しい。

「俺だってわかってる……スペードはいつもの白いドレスで来るだろうし……俺の服装も気にしないってわかってる……」

「ハーツって面倒くさいわよね」

「事実であろうと傷つけることを言ってはいけません」

「はーい。……とりあえず衣装部屋行きましょうか。ハーツ、来て」

「……よろしくお願いシマス……」

 頼りない足取りのハーツとその手を引くハノンを見送る。

 家にいる面々を思い返してタウラとノクトにメッセージを入れると、様子を見に行ってくれるとの返答。

 母のところへ遊びに行った妻と末っ子たちは楽しんでいるだろうか。妖精たちに押し付けられた書類仕事が恨めしい。

「アリア」

「はい、姉様」

 すぐ後ろの仮設ベッドにいた姉を振り向く。眠る姉はブレスレットを外しており、五感がほぼない。

 すぐに手を取って情報を共有する。

「アリア……お昼寝、一緒……」

「もう少しで終わりますから」

「……抱きしめてほしい」

「…………。マーチで許してください」

「マーチで、とはなんです。マーチで、って」

 冥界住まいで稀少度の高い娘が飛び込んでくる。

 いそいそと姉様に寄り添い、自然な動作でブレスレットを姉様の手首へ装着させた。

「まーちだ。まーち好き……」

「あたしも伯母上が大好きだよ。赤ちゃんとお昼寝気持ちいいね」

「……うん……」

「そばにいていい?」

「うん」

 嬉しそうな姉様。

 あまりに愛おしくて殺しそうだ。

 …………。

 やはり少し離れた方がいいな。

「父さん、大学で仕事してきたら?」

「! ……そうですね」

 娘の気遣いがありがたい。

 近場の扉を開けて大学の教員室に接続。……したはずが、負の宇宙と繋がってしまったので閉める。

 この家は俺の縄張りなのだから、ここまで空間に干渉できるのは一人だけだ。

「姉様」

「アリアといっしょ……」

「俺にも仕事があるのですよ」

「……んぅー……」

 姉のつわりは睡眠欲が増すこと。寂しがるのはよくわかるが、俺にも事情がある。

 このままでは姉への殺意が抑えきれない。

 寂しそうな姉に胸が締め付けられるが殺したい。

 首を刎ねあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ



「そんなわけであなたを呼びました」

「どんなわけでなのか全くわからないのですけれどー。爪まで銀色の戦闘態勢鬼畜野郎さんと対峙するとか拷問なんですけどー」

「そろそろ解除できるのでお待ちください」

 呼び出した七海の巫女はいつも通りやさぐれていた。

「ここどこですの? あなたのお部屋にしてはあなたの気配がなく、客間にしては開かれた気配がない。……それなりに雑然としているあたり、物置かしら」

 現在は書斎から遠く離れた位置へ避難。巫女の言う通り物置だ。現代か少し前くらいの服が揃う衣装部屋とは異なり、伝統のものや異世界での礼服や家具が並んでいる。

「で? お姉様を相手にバグってらっしゃったの?」

「はい」

「はいじゃねーんですわよね。共同生活に無理がございませんこと?」

「無理などありません」

 今回の状態にまで到達するのは稀だ。

「ありありだと思うのですけれどー……そもそもお姉様の保護者さん相手にもバグられるのではなくって?」

「バグるの敬語表現は新鮮ですね。ミディニエ様とリフィニエ様については問題ありませんよ。一度殺させていただきましたため会話はできるように」

「『殺させていただく』なる日本語も斬新ですことよ」

 話しているうちに落ち着いてきたので戦闘態勢は解除する。

「で、鬼畜さんはこの偉大なる巫女に何をして欲しいのです?」

「俺には特定の神に対して愛情と殺意が混濁する機能不全がありまして……解除あるいは改善をしてもらえませんか?」

「……特定の」

「はい」

 とびっきりの弱みを見つけたとばかりに唇が歪む。

「それはつまり、竜神たちでしょうかしらぁ? あらあらまあまあまあまあまあ♡」

「ええ。楽しそうで良いことです」

「楽しいわ。とーっても楽しくて舞い上がってしまいそうですもの! 楽しませてくださったお礼に、協力して差し上げます」

「ありがたいですね」

「ま、謝礼は弾んでいただきますけれど。くーくくく……」

 この巫女は神かそれに近いものと相対するときには精神的優位を保っていたほうが良い。

 細かい説明を加えようとしたところで、部屋のドアが叩かれる。

『アリア』

『ごめん……伯母上が泣いてお腹張ったみたい』

「…………」

 姉だ。マーチの申し訳なさそうな声も聞こえる。

『アリア、アリア。おひるね』

『寝付くまで話してもらってもいい? いったん病院に連れていくから』

「……わかりました」

 ドアの前に立って声をかける。

「姉様」

『! アリア』

「眠いときには眠らなければなりません。いまの姉様は睡眠が必要なのですよ」

『でも、さびしい』

「……俺にも用事があるのです」

『んー……』

 どうかこれで落ち着いてほしい。

 すでに脳内で5回殺している。これ以上は色んな意味でもたない。

『……寝た。連れてくね』

「お願いします」

 二人の気配が家から消えたことに安堵する。

 自分が安堵したことに発狂しそうだった。

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