第2話:船霊

 翌朝、マンション入り口にて紫織は一人そわそわと忙しくしております。

〔落ち着きなさいな〕

「むむむむりです……まつりさんと登校……まつりさんのお迎え……!」

〔まだ来てもおりませんわね〕

「未来視しそうなのを抑えてるんです!」

〔こんな適当な屋外でしないの〕

「わーん……!」

 はー。ほんっとにこのポンコツ娘は。

 そんなことを思っていると、来客用の駐車スペースに赤い車がやってきて止まりました。

 運転席から降りたまつりさんが手を振ります。

「おはよ、紫織」

「お、おはようございます……!」

 まつりさんの外見年齢は普段よりマイナス5歳……くらいでしょうか。紫織と同年代。

 ユングィスの《変幻》、応用すると容姿を微調整できてしまいますのね。存在強度の高さが窺えます。

「忘れ物はない?」

「はいっ」

「よし。じゃあ助手席にどうぞ」

 ……エスコートが完璧。

 紫織はもうメロメロでぽやややんとおめでたい状態。まさに骨抜きですわね。

 使い物にならない紫織に代わってシートベルトをつけてやり、まつりさんと雑談することとしましょう。

「あなたと妹さんは海外で活動なさってるそうですけれど、紫織につきっきりになって大丈夫なんですの?」

「うん。そもそも僕らは休暇を長く取る主義だから、3ヶ月は暇だよ。フローラさんと伯父さんのお手伝いもしたかったしね」

 なるほど、そのご夫婦は実質三つ子を育てていますから大変でしょう。

「しばらく日本にいるつもりで仕事調整したし、心配いらないよ。ありがとうね」

「いえ。……紫織もなんとか言いなさいね」

(まつりしゃん♡)

「ダメだこのポンコツ娘」

「あはは……ポンコツっていうとシェルかニズを思い出すなー……」

 苦笑しつつも運転は正確な安全運転。

「お父様と真逆ですわね」

 ミズリさんは危険運転がデフォルトと聞いたことがございます。

「あれは……父さんは母さんのために運転するからスピード出しまくるだけで、母さんさえ乗せなきゃそこそこ安全なんだよ……」

 ……そこそこなんですのね。

 せっかく車で(わたくしを除けば)二人きりだったというのに紫織はうへへえへへと目も当てられない有様のまま、走り続けた車は大学の駐車場に到着いたしました。

 またも完璧なエスコートで紫織を車の外へと導きます。

「あ、ありがとうございます……」

「いえいえ。素敵な女の子とドライブできて光栄だよ」

「はわぁ♡」

 使い物にならない弟子をどうしたらいいのかしら。

 幸いにもまつりさんはお優しいですけれども、いちいち思考停止しないでほしいものですわね。

 まつりさんと一緒に魔術学部へと向かいましょう。

「いまの魔術学部1年はなにやってるの?」

「ええと、大きい必修が魔法陣基礎2と、神話学と……あ、詠唱理論! とってます」

「お。詠唱も講義やるようになったのか」

「? もしや。まつりさんも寛光生さんだったんですか?」

「そうだよー。魔術学部の一期生」

「はわー!?」

「とはいえ大昔だから、今日は楽しみ。教授さん方に事情は話してあるからね」

「こ、公認……!」

 見慣れた道を歩いていくと、木のようでいて金属のような素材でできた門に辿り着きました。

 ここを境に淡いの流れが様変わりするのですから素敵ですわね。異種族と神秘持ちがひしめく大学構内にて、淡いを換気する役割を果たしているようなのです。

「……アーケードも変わってない」

「当時からありましたの?」

「うん。実はこれ、あらゆる世界でここにしかない物質なんよね」

「こんなにも恐ろしい物質は誰が作ったのです?」

「魔術学部のボス」

「……そうでしたの。どうかと思いますわ」

「はは、同感」

 アーケードをくぐればさすがに紫織と完全交代いたしましょう。

 どぎまぎする紫織に笑って手を差し出すまつりさん。弟子がごめんなさいね。

「大丈夫?」

「ひゃっい……」

「僕じゃ釣り合わないだろうけど、恋人役をさせてね」

「 わ   」

 まあ、これは恋人繋ぎ?

 まつりさんったら、すごく自然な動作で指を絡めますのね。

 本日初めの講義のため、小教室のひとつに入ります。となると誰より早くきて紫織を待ち構えている男の方のストーカーが……

「なっ、七海さん!」

 おりましたわね。

 彼の名前は存じません。実験もある学部にふさわしくないブランドばかりの装いと、場違いにいじくった髪型が鬱陶しい男子です。

 紫織はまつりさんしか眼中にありませんから顔を覚えているかさえ疑問ですけれども。

「誰だその男子は!?」

 聞かれれば自慢の人を紹介するモードに変わります。

「こちらはまつりさん。留学生さんです! あ、翰川先生の息子さんです」

「はじめまして。紫織の友達?」

「いえ。知らない人です!」

 元気よく返答するからストーカーくん落ち込んでますわよー。

「……まあいいか」

 まつりさんは紫織の肩を抱き寄せて微笑みます。

「僕は翰川纏理。紫織さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいているよ。よろしくね」



 唐突な婚約宣言には当然大騒ぎになったわけですが、まつりさんも紫織も周りのことなど気に留めません。

 未来視への衝動と妄想でパンクした紫織に代わってわたくしが講義を受ける羽目になったのは仕方ないとして、平然と隣で板書をとっていたまつりさんといったらもう……

「……恨みますわよ」

 現在昼休み。中庭の見えるフリースペースでまつりさんと二人きり。

「どうして?」

「あ、もういいです」

「どうして……!?」

 だって言っても無駄だってわかるのですもの。

 このひとどう考えても気品と美貌で目を惹きますものね。注目されるなんて慣れっこでどうでもいいのでしょう。

「授業、あなた勉強の余地ありますの?」

 本日の講義は全て初歩的な内容ですから、魔法に精通したまつりさんならば知っていることばかりでしょう。

「そんなことないよ。僕が受けた当時よりも魔法は進歩しているわけだし、昨今の潮流を感じ取りつつ若者たちのレベルや興味も知れる。有意義な時間だった」

「……変態なのに真面目」

「変態はいろんな性格と同居できるんだよ」

 嫌な情報ですわね。

「まあいいです。……紫織への実質プロポーズが子どもの遊びなのではと心配ですわ」

「本気だよ。出会う前から好きだった」

「……真意は?」

「母さんから聞いて存在を知った日、僕は紫織という存在を体感した。表情と仕草の全て、振る舞いも優しさも何もかもが愛しく、胸が高鳴る思い出になったよ」

「えーと……?」

「紫織と出会って確信したよ。僕たちは結婚するんだって」

「……………………」

 あらやだ。まつりさんったらストーカーと違った方向でヤバい発言を飛ばしますわ。いや、ストーカーより遥かにヤバいですわ。これはさすがの紫織も……

「愛してる」

(はわぁ……♡)

 割れ鍋に綴じ蓋のいい夫婦になるんデショウネ(諦観)。

 不躾にもまつりさんを見抜かせていただきましょう。

 ……困ったことに紫織のことを本気で愛しておられます。恐ろしいひと。

「……あなた、未来が見えるタイプですのね」

「見えるのとは違うんよ。体感してるというか……ここらは説明が難しいや」

 とにかく、と言葉を切り、わたくしと紫織に微笑みかけます。

「僕は紫織と結婚して毎日ドキドキする。もちろん全て楽しいわけじゃなくて困難もあるけれど、その全てがかけがえのない思い出になるってわかってる。だから結婚したい。……ま、いまは普通にお付き合いしようか」

「……」

〔紫織、返事をなさい?〕

「…………し、心臓が、もちません……」

 紅潮する紫織に向ける眼差しはとても暖かで、このひとになら子孫を任せられると思いました。

「こここ恋人からよろしくお願いします……!」

「こちらこそよろしく」

「お弁当を作ってきたのです。ど、どうでしょう?」

「嬉しいな。いただくよ」

 料理を絶賛された紫織がのぼせたり次の講義まで構内デートしたりとあれこれありましたが、割愛いたします。

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