第4話―彼と彼女―
放課後、約束通り嬉野君とデートをする。
「この古本屋、僕のおすすめなんです。本に囲まれてると落ち着くんですよね」
「へぇ、そうなんだ。あー、でもこの雰囲気、なんか好きかも」
「河野さんは普段読書は?」
「マンガはよく読むけど小説はちょっと……って、なんで雪乃もいるわけ?」
なぜか雪乃も同伴で。
雪乃は私に声をかけられ、読んでいた古いファッション雑誌から目を上げる。
「う~ん……保護者同伴って感じ? ほら、嬉野が我慢できずに無理やりホテルに連れ込まないよう監視してる」
「なっ……」
そういうことを本人の目の前で言わないでほしい。
私だって少し意識してしまったし、嬉野君も顔を赤らめている。
「まぁ嬉野に限ってそういうことはないと思うけど、念には念をね」
嬉野君は恥ずかしそうに頬を掻いた後、咳払いをし、雪乃に向き直る。
「大丈夫ですよ、七海さん。僕は河野さんには手を出しません。誓います」
「へぇ? それって菜々に魅力がないから手を出さないってこと?」
「ちょっと雪乃。やめなよ」
少しからかいすぎだ。雪乃を止めようとするが、嬉野君がそれを制止する。
「いいえ、河野さんに魅力がないからじゃない。まだ高校生でそういうことをするのは違うと僕は思います。僕は真剣にお付き合いしたい。河野さんを大事にしたいんです」
嬉野君がぎゅっと私の手を握ってきた。きっと無意識での行動だ。
突然のそれに身構えていなかった私の胸はまたドクン、と高鳴る。
「だから学生の間はプラトニックな恋愛がしたいんです」
「あー、はいはい。わかったよ。聞いたあたしまで恥ずかしくなっちゃうじゃん。でも一つ忠告。大事にするのはいいけど、大事にしすぎるとどこかの誰かに取られちゃうかもね」
「あなたに、ですか?」
「あたし? そんなわけないでしょ。あたしたちはただの友達」
「……どうだか」
雪乃と嬉野君の間にバチバチと火花が散っているようだ。
まさに一触即発。
そんな空気を紛らわせるために、手近にあった本を手に取った。
「あ、この本面白そう! ねぇねぇ、二人はどう思う?」
二人の視線が本に向いた。これでケンカにならずに済む。
「へぇ。河野さん、結構いいチョイスだね。それ、僕が好きな本なんだ」
「読んだことあるんだ。どんな内容?」
「明治時代の女学校での女の子同士のラブストーリーなんだ。ストーリーは結構ドロドロしてるんだけどさ、描写がとてもキレイで女の子同士の隠れた恋がすごく繊細に書かれてるんだ」
「へ、へぇ……」
墓穴を掘ってしまったかもしれない。
嬉野君からはキラキラとした瞳が、雪乃からはやや呆れがちな瞳が送られてくる。
本を棚に戻そうとしたが、嬉野君がとても残念そうな顔をするのでレジに持っていくしかなさそうだ。
「あ、そうだ、嬉野。あたし、あんたに聞きたいことあるんだけど」
私がレジで会計を済ませている間、雪乃たちの会話が聞こえてきた。
「あんたさっき女の子同士の恋愛がって嬉しそうに言ってたけど、そういうのって嫌悪感無いわけ?」
「恋愛に性別って関係あります?」
「は? あるでしょ、普通」
「僕はそう思いませんね。別に女の子が女の子を好きになっても不思議じゃない。人間何人いると思ってるんです? その全員が全員、異性を好きになるっておかしくないですか?」
「じゃああんた、男に好きって言われたらどうするの?」
「僕が男に、ですか……そうですね。真剣に考えます。真剣に考えて、付き合うかどうかを決めます」
「男だからダメって言わないんだ」
「えぇ、もちろん。僕は世界にはそういう人もいるって知ってますし、特別気持ち悪いとも思っていませんから。それに相手は告白してくるってくらいだから本気で好きになってくれている。そんな相手をただの嫌悪感だけで嫌いとは言えませんよ」
「そっか……」
お会計が終わり二人に合流する。
なんだか難しい話をしていたようだが、私が戻ったことでそれも終わる。
「それじゃ次はどこに行きましょうか。今度は河野さんのお気に入りの場所、行ってみたいです」
「お気に入りの場所? そうだなぁ……」
「あ、菜々。あたし、帰るよ」
考えていると、雪乃がそう言ってふらふらと店を出て行ってしまった。
「雪乃!? 急にどうしたの?」
「ちょっと用事を思い出した」
雪乃がこちらを振り返らずに言う。
「それと嬉野。あたしはあんたのこと信用してるから、菜々を傷付けないでよね」
「言われなくてもわかってますよ、それくらい」
その会話を最後に雪乃は雑踏の中へと消えていく。
残された私たちはお互いの顔を見合わせ、ふと視線を下げる。
こうして二人きりになると何とも気恥ずかしい。
「どうしましょうか、次」
「えっと……私のお気に入りの喫茶店、行ってみる?」
「そうですね。少しお腹も空いてたんです。何か食べに行きましょう」
二人でカフェに向かう間、ずっと無言だ。
そのせいか街行く人の声がやたらと大きく聞こえる。
会社に電話をかけるサラリーマン、買い物に行く主婦たちの話声、下校する小学生たちのバカみたいな会話、バイクの音、車の音。何もかもが大きい。
けれどそれが無性に心地よい。
隣に自分を思ってくれる誰かがいる。それがこんなに穏やかな気持ちになれることを、私は初めて知ることができた。
私のお気に入りの喫茶店に到着した。路地裏にある少し地味な店構えだ。
中にはお客がおらず、店内BGMのジャズが静かに響いている。
「へぇ、ここが河野さんのお気に入りのお店ですか。落ち着いたいい雰囲気ですね」
「昔ここでお母さんが働いてたの。だから学校帰りに寄ってみたりしてさ」
テーブルを少し撫ぜる。昔は大きく感じていたそれも、今となってはちょうどいいくらいだ。
「ここって結構マンガ置いてて、私がマンガ好きになったきっかけかな」
店奥の書棚に行くと、そこには相変わらず大量のマンガが。
私が来ていた時とラインナップが少し変わっている。
「あー、私の好きだったの無くなってる……ちょっと残念」
私は席に戻り、時の流れを静かに感じた。
「嬉野君って甘いもの好き?」
「えぇ、大好きです。永遠に食べれますよ」
「ならよかった。私も甘いもの好きだから」
店員を呼び、パンケーキとコーヒーのセットを注文する。
注文を待つ間彼と二人きり。やはり沈黙が続く。
どちらも何を話せばいいか、敬遠しあっているように思える。
「あのさ、嬉野君」
だから私は意を決して口を開いた。気になっていたことを聞くために。
「私のどこが好きになったの? 一目惚れって言ったってどこが好きになったかってのはあるでしょ?」
嬉野君はそう質問されるかを想定していたかのようにすぐに口を開いた。
「瞳です」
「瞳って……目?」
彼は頷く。そして私の目を見て、話を続けた。
「意志のこもった瞳にすごく惹かれました。正直言って1年の頃は僕は河野さんのことはあまり興味がなかった。けれど最近、廊下で久々に河野さんを見た時、その瞳があまりにも強く輝いていて、それで惹かれたんです」
「そ、そう……」
こちらから話を振ったが、予想以上に熱弁するので頬が熱くなってくる。
これはきっと暖房のせいだ。そう自分に言い聞かせて私は平静を装う。
「最近の私の目って、そういう風に映ってたの? あんまり自覚無いんだけど」
「そうなんですか? 何か変わったこととか、ありません? 自分の中で気持ちが大きく動く出来事があったとか」
ドキリ、と胸が鳴り、私は思わず彼から目を逸らした。
彼の目が私の目を通して心の奥底を見透かしている、そう感じたからだ。
私はメガネをくいっと直すふりをして、彼の瞳から逃げる。
「あんまり思い浮かばないなぁ……あ、でもこの前お父さんが死んじゃったからかな……それでお金を稼ごうって思って」
お父さんが死んで私が家族を守りたいと思った。
私の瞳の変化の原因はそこにある。彼の前ではそういうことにしておこう。
「あ、ごめんなさい……僕、全然知らなくて。お父さんが亡くなったというのに、僕はその変化が好きだって……」
「あ、全然いいって。そういうのって私の事情だし、嬉野君がショックを受けるとかそういうのじゃないから」
フォローを入れるが嬉野君は申し訳なさそうに顔を歪ませている。
話を打ち切るには絶好のポイントだが、彼をこんな顔にしてしまいこちらも申し訳なく思う。
と、絶好のタイミングでパンケーキとコーヒーがやってきた。
「ほら、嬉野君。パンケーキ、食べよ? 出来立て熱々がおいしいんだ。だから冷めないうちに、ね?」
「……そうですね、じゃあいただきましょう」
嬉野君がパンケーキを口に運び、おいしい、と笑みを零した。
先ほどまでとは打って変わり、子供のような無邪気な笑顔が広がっている。
その笑顔を見るだけでこちらも幸せになってくるよう。
「おいしいです、このパンケーキ! 生地がふわふわで優しい甘さで、それにコーヒーにも合う!」
「でしょ? 私のお気に入りだからね」
私は自分が褒められたみたいに嬉しくなる。
彼が褒めちぎるパンケーキを私も口へ運ぶ。
昔と変わらぬ味だ。私のお母さんの味。
このパンケーキを考案したのは私のお母さんなのだ。
「ほんと、おいしい……」
変わっていくものがあれば、変わらないものもある。
彼とここに来ることがなければ、私はそれに気付かなかったかもしれない。
「嬉野君、ほっぺたにクリームついてるよ?」
夢中でパンケーキを頬張っている彼の頬にクリームが飛んでいる。
子供みたいで可愛らしく、思わず笑みが零れた。
「あはは、ほんとですね。おいしすぎて全然気付きませんでした」
彼は自分の指でクリームを拭い、ペロリ、と舌を出して舐めとった。
彼の真っ赤な舌を見た瞬間、私の背筋にぞくりとした感覚が蘇る。
雪乃が私の身体に舌を這わせた時の感覚だ。
諦めたはずなのに身体はまだ雪乃を欲している。
また身体を舐めてもらいたい、嬉野君ではなく、雪乃に。
「どうしたんですか? 手が止まってますよ? もしかしてお腹いっぱいですか?」
「あ、違う違う! ちょっと考え事! 全然食べれるよ!」
嬉野君の声で理性を取り戻す。
蘇りそうな感覚を抑えるようにパンケーキを食べる。
お母さんの味と雪乃の感覚が体内でせめぎ合い、ぎりぎりお母さんが勝った。
「ふぅ、おいしかったですね。また来ましょう」
「そうだね、嬉野君」
私は笑ってそう言ったが、はたして笑えていただろうか。
雪乃のことを隠すことに必死になっていた私にはわからなかった。
嬉野君も笑っていたことから、何とか隠し通せたとわかる。
「じゃあまた明日学校で、河野さん」
「うん、学校で、嬉野君」
こうして私たちの初めてのデートは幕を閉じた。
この調子でデートを続けて嬉野君を好きになれるだろうか、という幾ばくかの不安を残して。
私の不安は一週間たっても消えずにいた。
いや、膨れ上がってどうしようもなくなっている。
私たちは毎日のように放課後一緒に遊びに行く。
ファミレスで勉強したり、ゲーセンに行ったりカラオケに行ったり、いろいろだ。
嬉野君と一緒に過ごし、彼のことが次第にわかってきた。
とても優しくて笑顔が素敵だ。一緒にいるだけで安心する。
けれど、物足りない。
彼といるとドキドキすることもあるが、雪乃といた時のほうがよりドキドキする。
それに彼女の意地悪な笑顔が忘れられないのだ。
私は雪乃を欲している。
だが彼女は私から離れていく。
「菜々は嬉野君とお昼食べなよ。付き合ってるんだし。あたしは涼太と食べるから」
一緒にお昼を食べることも無くなってしまい、どうしようもない雪乃不足だ。
「大丈夫、河野さん? さっきからぼぉっとしてるけど」
嬉野君と食堂でお昼ご飯を食べることが日課になっていた。
箸が止まっていた私の顔を彼がじっと見つめている。
「う、うん……大丈夫……あー、たぶん寝不足かも」
私は嘘を吐く。
これで何回目の嘘だろうか。この一週間、雪乃への思いがバレないようにいくつも嬉野君に嘘を吐いた。
私を好きになってくれた相手に酷いことをしている。そんな自覚はあるが、やめられなかった。
「寝不足? 何か悩みでもあるの?」
「あ、違う違う。前に嬉野君と古本屋に行った時に買った小説読んでるの」
「あー、わかるな。本読んでると気が付いたら深夜だったってことよくあるよ」
小説は読んでいるが、1日10ページも読めていない。
それこそ寝不足になるほど読む、ということもない。
面白くない、というわけではない。今の私と主人公がダブってしまい、辛いのだ。
女の子を好きになった自分を隠して否定して生きている主人公が、まるで私なのだから。
「読み終わったら感想聞かせてよ」
「わかった」
それから私たちはいつもみたいに刺激の少ない他愛のない会話をし、教室へ戻る。
その途中、窓の外に金色の髪が見えた。
「あれ? 雪乃?」
彼女はカバンを持ち、校門のほうへ向かっている。
体調が悪くて早退するのか、それとも授業をさぼり帰ろうとしているのか。
だがどちらにせよ、彼女の背中は寂しそうに見えた。
「雪乃!」
だから私は窓から身を乗り出し、彼女の名を叫んだ。
それに気付き振り返る彼女。
だが彼女が一体どんな顔をしていたのか、冬の風で舞い上がった金髪のせいで見えなかった。
そして彼女はまた前を向き、校門から出て行ってしまう。
そこから3日間、彼女の姿は学校になかった。
「雪乃、大丈夫かな……?」
「心配なら連絡してみればどうですか?」
「SNSでメッセージ送ってるんだけど返信来なくて。既読はついてるんだけど」
昼休み、食事を終え教室に戻りながら、嬉野君と話す。
「風邪なのかなぁ? 返信できないくらい辛いとか」
「先生は何と言っているんです?」
「無断欠席だって」
うぅむ、と嬉野君は唸った。
たとえ自分のことじゃなくても真剣に考えてくれる、そこが彼の優しいところでもあった。
「じゃあ会いに行って確かめてみたらどうですか?」
「う~ん……でも私雪乃の家知らないんだよね」
「なら先生に聞けばいいじゃないですか。休んでいる間のプリントを持っていく、だったり、ノートを見せに行く、だったり理由はあると思いますよ」
「でもなぁ……この前先生には雪乃とつるむなって釘刺されてて」
「確か担任って安田先生ですよね? ならやり方はあります。僕も一緒についていきますから、一度聞いてみましょう」
嬉野君がまるで雪乃みたいににやりと笑う。
彼のそんな顔は初めて見た。
私はその笑みから何か得体のしれぬ恐ろしさを感じ、背筋にぞくりと寒気が走った。
が、彼の言葉に抗うこともできず、職員室へと来ていた。
「あ、安田先生いますか?」
私の声に気付き、先生がニコニコしながらやってくる。
他人に好かれたいためだけの上っ面の笑顔なのが見え透いている。
が、そんなことを言いに来たのではない、とぐっと堪えた。
「あの、雪乃の家教えてもらっていいですか? あの子に休んでる間のプリントとノートを持って行ってあげたいんです」
私の言葉を聞くと先生はその笑顔の仮面を外す。
面倒くさげな表情ではぁ、とため息をこぼした。
「あのな、河野。前にも言ったが七海とはつるむな。あいつが裏で何してるか知ってるだろ? それにお前もあいつと一緒にいるから変な噂が立った。違うか?」
私をバカにするのはいいが雪乃はバカにされたくない。
殴りかかろうかという衝動を、拳をぎゅっと握りしめ抑える。
「それにあいつは無断欠席だ。そんな奴に優しくする必要ないぞ。自分のことだけ考えてろ。もうすぐテストだから、その時間を勉強にあてろ。最近お前、授業中寝すぎだ」
私の我慢も知らず先生はそんなことを言う。
このままでは本当に殴り掛かってしまいそうだ。
が、そんな私を嬉野君は制すように前に出た。
「先生、僕からもお願いです。河野さんに七海さんの家を教えてあげてもらっていいですか?」
「嬉野、お前もか。ったく、七海の奴また善良な奴を」
「では少し強引なやり方で行くしかないですね」
嬉野君の口元が異様なまでに釣り上がる。
その笑みは先ほどとは全く違う、悪魔のような笑顔だ。
「教えてくれないと言うならこの写真を次の学校新聞に載せます。結構いい写真でね、よく撮れてるなと自信があるんですよ」
嬉野君がポケットから取り出したのは3枚の写真だった。
「なっ!? これは!?」
それを見た瞬間先生の顔が驚きと恐怖に歪んだ。
私もそれを覗き見る。
「これって英語の坂下先生だよね? あれ? でも安田先生って奥さんも子供も……あー、なるほどね」
1枚目の写真は車の中で安田先生と坂下先生がキスをしているもの。2枚目、3枚目は先生たちがラブホテルに入っていく写真だ。
どれもベストショットでお互いの顔がはっきりと映っている。言い逃れはできないだろう。
「嬉野……お前……!」
先生がぎゅっと拳を握る。それは耐えるための拳ではなく、相手を潰そうとする拳だ。
「先生。わかってると思いますが写真のバックアップはあります。ここで僕を殴って奪っても意味ないですよ? それに僕を殴った場合交渉決裂。次の学校新聞が楽しみですね? 先生、続けられると思わないでくださいよ?」
嬉野君が勝ち誇ったように、にたぁっと笑った。
これじゃあまるで脅迫だ。悪魔よりも恐ろしいことを平気でやって見せた彼に、私は生きてきた中で最大の恐怖を覚える。
だが方法はどうあれ私のためにこんなことをやってくれているのもまた事実だ。
嬉野君のことを嫌いにはなれなかった。
「このっ……! くそ!」
先生は怒り混じりに壁を殴ると、ずかずかと職員室の中へ消えていく。
次に出てきたときには手に持っていたプリントを私に手渡してきた。
プリントの裏には住所が書かれている。
「これが七海の住所だ。嬉野、これで交渉成立だな。その写真は寄こせ、こっちで処分する。データもだぞ。信用ならんからな」
「僕は約束を守りますよ。データは明日、USBで渡しますから。あぁ、それと……これ以上あんなことやめたほうがいいですよ? 僕以外の誰かに知られたらまずいどころじゃないですからね」
そう言って嬉野君はさっさと歩いて行ってしまう。
私も早足でそれを追いかけた。
「ねぇ、嬉野君。あの写真……」
「あぁ、あれね。何かあったときのために撮っておいたんだよ」
「すごいね。なんか週刊誌で見る写真みたいだった」
「ほんとはあんなもの、撮りたくないんですけどね……」
そう言った嬉野君の顔があまりにも寂しそうで、辛そうで、私は思わず尋ねてしまう。
「嬉野君がほんとに撮りたいものって、何?」
すると彼は振り返り、告白してきたときと同じように私の瞳を強く見つめてくる。
「僕が撮りたいものは、美しいもの。それもただ美しいだけじゃない。儚くて、少しでも衝撃を与えると壊れてしまうくらいの脆いもの。僕はその一瞬を撮るためだけに生まれてきた、そう言ってもいいでしょう」
「何それ……? なぞなぞか何か?」
「いつか河野さんにも見せてあげますよ。世界で一番美しくて儚いもの」
彼はふっと笑いかけてきた。
私には彼のことがわからない。
今の彼の表情は真っ白すぎて、私にはわからない。
「うわぁ……すっごい大きい家……」
先生に渡された住所を訪れ、私は驚嘆の息を漏らす。
広大な庭と真っ白な2階建ての家、何畳くらいあり、部屋はいったいいくつあるのだろうか。
アニメの金持ちキャラが住んでいそうな家が実際にあったということに驚き、さらにそれが雪乃の家だということにも驚く。
「雪乃ってお金持ちだったんだ……」
確か彼女は両親が仕事人間だから構ってくれないと言っていた。
会社でいいポジションについていなければこんな家に住めないだろうな。
「さて……それじゃあ……」
インターホンに指を伸ばすが、その指が知らず震えていた。
私は彼女に会うのが怖い。
休んでいる理由を聞くのが怖いのだ。
私のメッセージも無視して休むと言うのはよっぽどのことだろう。
「うぅ……頑張れ、私……雪乃のため……雪乃のため!」
けれどもし雪乃が何か悩んでいて、それを誰にも打ち明けられず一人苦しんでいるのだとしたら、助けてあげたい。
一人の友達として。いいや、彼女を思う一人としてだ。
私は思い切ってインターホンを鳴らす。が、いくら待っても返事が返ってこない。
「……留守かな?」
もう一度インターホンを鳴らす。少し待ってもう一度、さらにもう一度と鳴らす。
と、スマホにメッセージが届いた。
雪乃からのメッセージだ。
「帰って、か……やっぱりいるじゃん」
ただ一言だけのメッセージ、それで私が帰るわけがない。
彼女を助けたい、余計にそう思ってしまう。
「雪乃! お願いだから開けてよ、雪乃!」
聞こえていないだろうが、私は声を張り上げた。
もし聞こえていたら、と一縷の希望を託して。
しかし彼女からの返事はない。
「しょうがないか……待とう」
ここで帰るという選択肢は私には無かった。
私は門の前に座る。彼女が出てくるまでずっとそうしようと決めた。
「はぁ……寒いな……」
季節はもう完全に冬に変わっている。
吹き抜ける風は冷たく無慈悲だ。
10分も座っていれば私の肌は冷え切り、手足の先の感覚が鈍くなってくる。
体が熱を欲して無意識に屈伸したり、足踏みをする。
「雪乃……」
20分もすれば帰りたいな、と思うほど体の芯が冷たくなっていた。
さっきまで動いて熱を取っていたけれど、今はそんな気も湧かない。
私は門に背を向けて座り、ぎゅっと体を縮こませ体から熱を逃がさないようにするのに必死だ。
「何してるのよ、バカ」
ふと背後から声がして振り返ると、そこに雪乃がいた。
彼女の頬は少し蒸気し、目元が赤く腫れていた。泣いていたのだろうか。
「……雪乃」
「こんなに寒そうにして……なに我慢してるのよ。早く入って、風邪ひいちゃうから」
「うん……」
彼女に手を引かれて家の中へ。
中は暖房が利いていて、身体の冷えが見る見るうちに消えていく。
「すごいね、雪乃の家」
体が温まってくると、周りを見る余裕も生まれてくる。
通されたリビングでぐるりと辺りを見渡した。
大きなテレビ、高そうな柱時計、絵画や彫刻まで飾ってある。
まさにテレビやマンガで見るお金持ちの家だ。
「こんな絵とか彫刻、パパもママも興味ないのにさ。部屋に華があったほうがいいって買ってきたんだよ、笑っちゃうよね」
雪乃がマグカップを二つ持ってきて、溜め息混じりに言った。
マグカップが私に手渡される。
中身はホットココアだ。
「とりあえず飲んで温まってよ。話はそれからにしよ。あたしもこれ飲んで落ち着きたいから」
私たちは黙ってココアを飲む。
淹れたてで熱々のココアをちびちびと飲む間、私たちは無言だった。
ずずっとココアを飲む雪乃は、いつもよりも小さく見えた。やはり何か悩みでもあるのだろう。
だが聞くのはお互い時間を取ってからだ。私も雪乃も気持ちを落ち着ける時間が必要だ。
「ふぅ……それじゃ話しましょっか。菜々は聞きたいんだよね、あたしが休んでた理由」
「うん……聞かせてほしい」
「ま、あたしも菜々にしか相談できないなって思ってたし、ちょうどいいや」
雪乃はぐっと伸びをして、さも何もないかのようにあっけらかんとこう言った。
「あたし、妊娠したんだ」
頭をトンカチで殴られたみたいに、脳内も視界もぐらりと歪んだ。
そのたった一言で私の内側がぐちゃぐちゃに揺さぶられる。
次に放つ言葉が見付からずただ口をパクパクさせていると、彼女は自分から話を続けた。
「ちょっと前からさ、生理来ないなぁって思ってたんだよ。で、調べたら陽性で。笑えるでしょ?」
あくまで笑って見せる彼女に私は一言しか言えない。
「風野の子?」
その瞬間だった。彼女の顔に陰りがさし、何かを思い出したのだろうか、堰を切ったかのように涙が溢れ出した。
「涼太が……俺の子じゃないって……エンコーでできた子だって……だから
「そんな……」
「でもあたしエンコーじゃ絶対ゴム付けてるもん……病気とか怖いし……だから涼太の子なの……なのに涼太は……違うって……」
避妊具を付けていても絶対に妊娠しないわけではない、というのは保健体育で習った。
だが風野が言いたかったのはそういうことではないだろう。
きっと自分に責任はない、と言いたかったのではなかろうか。
しかし雪乃が欲していた言葉は違う。自分が責任を取る、という言葉だ。
「菜々……あたし、どうしたらいいの!? こんなのパパもママにも言えないよ!」
「ちゃんと両親には言ったほうがいいよ。大事なことじゃん」
「そんなこと言ったら、心配しちゃうじゃん……迷惑かけちゃう……」
「ねぇ、雪乃は親に心配してもらいたかったんじゃないの?」
彼女は以前、ギャルになったのは親に心配してもらいたいからだと言っていた。
ふるふると首を横に振り、彼女は答える。
「ほんとは違うの……心配してほしかったんじゃなくて止めてほしかったの。ちゃんとあたしのことを見てるって、あたしのことを思ってるって知りたかったの……でももう遅いよ……パパもママも止めてくれなかったから、あたし、本当に悪い子になっちゃった……」
ぐすり、と鼻を鳴らして涙を零す雪乃。
こんなに弱々しい彼女を見るのは初めてだ。
私も彼女の弱気にあてられて涙が零れそうになるのを必死にこらえた。
今の彼女が欲しいのは同情ではない。それは私がよく知っている。
「うぅ……涼太にも見放されて……パパもママもダメ……あたし、どうしたらいいのよ!」
「私が何とかするから」
「え……?」
雪乃の縋るような視線が私に深く突き刺さる。
「風野には自分が何したかちゃんと責任取ってもらう。私が認めさせる、絶対に。でもこれは雪乃と風野だけの問題じゃない。雪乃の両親との問題でもある」
「うん……」
「だから雪乃の両親との問題は私じゃ解決できない。雪乃が解決するしかない。ちゃんと両親に相談してほしいの」
「そんなの、できないよ……」
弱々しい言葉を吐く雪乃は私が好きになった雪乃じゃない。
私が好きになった雪乃は、どんな時も笑顔で、夢という壁にも臆せず立ち向かう強い姿の彼女だ。
こんなことで挫ける彼女ではない。
「私が先に風野との決着をつける。だから決着がついたら雪乃も闘って。それならいいでしょ?」
私は雪乃の返事を聞く前に立ち上がり、玄関へ歩いていく。
これ以上彼女に弱音を吐いてほしくないから。それに、私だって辛いのだ。
彼女の気持ちが痛いほどに私に流れ込んでくるようで。
「待ってよ! 決着をつけるって言っても、どうやって?」
「う~ん……殴り合い、かな」
呼び止める雪乃を置いて私は出ていく。
風野との決着をつけに、だ。
「大丈夫……絶対、負けないから」
そう、私は風野より雪乃を愛しているから。
この愛の深さで負けるはずがない。もし負けてしまうのなら、それは私の愛がまだ足りない証拠だ。
何度でも私は立ち向かおう、彼女を愛するために。
翌日の放課後。風は昨日よりも冷たく、荒々しく吹き荒んでいた。まるで決戦の時を演出するかのように。
雪乃に大口を叩いてみたものの、本当に殴り合いでケリをつけることができるわけがない。
今までケンカ経験のない私がヤンキーみたいな男に勝てるわけがないのだ。
護身術をうまく使えば男女の体格差でもどうにかなる、と何かのマンガで読んだ気がするが、今から頑張っても身に付かないだろう。
だから結局最後に残るのは、この口ということになる。
人として生まれた私たちが持った、最後の武器。
「大丈夫……私はやれる……」
私は校門前で風野を待つ。自分はできると言い聞かせて自信をつける。
「私は雪乃を助けるんだ……あんなクズみたいな奴から……」
生徒が次々と校門から出ていく中、目立つ金髪がやってきた。
風野だ。
「風野! ようやく来たわね!」
私は彼の前に立ち、威嚇するように大声で叫んだ。
だが彼はこちらの顔を見てもピンと来ていないよう。数秒考えてから、あ、と声を漏らした。
「あー、確かお前、俺の女にちょっかいかけてたレズだよな。レズが俺に何の用だ? 抱かれたくなったか? なんてな、はは」
いちいち発言が鼻につく男だ。だがもう我慢する必要はない。
私は怒りに任せて彼の胸倉を掴んだ。
「何言ってるのよ? 頭おかしいの?」
精一杯凄んで見せる。だが彼は全く怯まない。それどころか獣のような鋭い瞳で睨み返してきた。
「は? お前こそ頭おかしいだろ。人の女に勝手に手出してきて。レズだからってノーカンなわけないだろ? ったく、時間の無駄だ」
彼は私の手をさっと払い除け、去っていこうとする。
「待ってよ! 逃げる気? なにが時間の無駄、よ。かっこつけてんじゃねぇって」
「は? 逃げるだと? レズ相手に逃げるわけねぇだろ。舐めてると、殺すぞ?」
挑発に乗った彼はこちらを振り返る。ダメ押しでさらに挑発してやる。
「うわぁ……この歳になっても殺すって言う奴いるんだ。ガキみたい。恥ずかしくないの?」
「てめぇ……俺にケチ付けて何がしたいんだ? あぁ!?」
今度は風野が私の胸倉を掴み上げた。
これが男の人の力なのか、私の足は少し宙に浮いてしまっている。
怖い。圧倒的な暴力に曝されて逃げ出してしまいそう。
目頭が熱くなってくるのを必死に抑え、私は睨む。
風野を射殺してやるくらい、強く。
「雪乃のことよ。責任取りなさいよ」
「あいつが勝手に体売って孕んだんだろ。俺には関係ねぇよ」
「雪乃はあんたのために体売ってたの。あんたが誕生日だからいいもの買ってあげたいって前も言ってた。どうせあんた、雪乃から他にも色々貰ってるんでしょ?」
「お前バカか? そこまでわかってるなら気付けよ。あいつはただの金づるだ。貢いでくれるセフレだよ。そんな奴が妊娠したからって俺が責任取る必要ないだろ?」
「でも雪乃は妊娠したせいで学校来れなくなるかもしれないでしょ! ううん、学校辞めなくちゃいけなくなるかもしれない! このままじゃ雪乃の夢も無くなっちゃう!」
「なら堕ろせばいいだろ。誰の子かもわかんねぇのなんて気持ち悪くて産めねぇだろ」
吐き気がするほど最低だ。
怒りに任せて風野の手を振り払おうとするが、女の私にはどうすることもできない。
「つかお前も気持ち悪いんだよ。雪乃のこと盛ったメスみたいな目で見てよ。友達だからそういう関係じゃない、とか言って雪乃とつるんでるけどよ、お前鏡見ろよ。自分がレズだってバレバレだぜ。それに雪乃もだぜ。お前といると妙に嬉しそうにしやがって。あいつもレズだって気付いてないんだぜ、きっと。バカだからよ」
「雪乃をバカにするな!」
私は思い切り風野の手に噛み付いた。
いてぇ、と叫び彼は手を離す。
口内にじんわりと鉄の味が広がった。彼の血など味わいたくない、私はそれを地面に吐き捨てる。
「てめぇ……マジでぶっ殺す!」
風野が怒りに任せて拳を振りかざした。
殴られることは覚悟の上だ。私はやってくる暴力にギュッと目を瞑り耐える。
しかしいくら待っても風野の拳は飛んでこない。
どういうことだろうと瞳を開けると、そこには宙で拳を制止させたままの風野がいた。
いや、彼が静止させているのではない。腕を掴まれているのだ、背後に立っていた嬉野君によって。
「何するんだてめぇ……!」
「嬉野君!?」
「河野さん、ここは僕に任せてよ」
風野が必死に拘束から逃れようとしているが、嬉野君は離さない。
嬉野君の細腕のどこにこれほどまでの力が隠されているのか。
「おい、離せ! 離せよ!」
パッと手を離す嬉野君。腕に力を入れすぎていた風野はよろめき、体勢を崩した。
その一瞬の隙に嬉野君の拳が風野の鳩尾に突き刺さったのだ。
「ぐへぁ!」
唾液を吐き出しながら風野がうずくまる。その瞳はグラグラと揺れ、自分がなぜ負けているのかわかっていないように見える。
「て、てめぇ……なに、しやがる……! そもそも……お前は関係……ないだろ!」
「関係ありますよ。僕は河野さんの彼氏です。それでいて」
うずくまる風野の顔面に嬉野君は容赦なく蹴りを入れた。
アニメみたいに風野が回転して吹っ飛び、地面に激突する。
その衝撃で風野の口からポロリ、と歯が転げ落ちた。
「歯が……歯がぁ……!」
「あなたみたいな悪を絶対に許さない人間です」
「俺が……何……した……お前とは……初対面……だろ……」
口から血をダラダラと溢れさせながら風野が言う。
嬉野君はそんな彼を蔑み言った。
「初対面ですがあなたのことは知っています。この前廊下で大声で言ってましたよね、レズに男の気持ち良さを教えてやるって。他にも河野さんと七海さんのレズを見て、そのあと3Pしてやる、とも言ってましたよね」
確かに風野はそう言っていた。吐き気を覚えたからよく覚えている。
「僕はね、百合の間に割って入る男が、悪が、大嫌いなんだ! あんな尊くて美しいものを壊そうとする奴は万死に値する! 人間じゃない! 悪魔そのものだ! 今すぐ詫びろ! そしてその考えを改めろ!」
嬉野君はゲシゲシと風野を蹴りながら言う。風野はもう抵抗すらしない、ただただ泣いて懇願するしかできていない。
「す、すいませんでした……! もうそんなこと思ったりしません……だから、許してください……!」
「だめだね! お前は七海さんを妊娠させた! 僕の最推しカプを穢したんだ!」
「さい……おし……カプ……?」
「あぁ、河野さん。最推しカプっていうのは今僕の中で一番の押しカップリングってことですよ。今の僕の最推しカプが
「は、はぁ……」
「ひぃ! よくわかんねぇけど許してくれよ! 責任取る! 責任取るから! あいつが産むにしても産まないにしても責任取る!」
「ほんとですね? 言質は取りましたから」
嬉野君はポケットからボイスレコーダーを取り出し、それを私に手渡してきた。
「河野さん、行ってきてください。すぐに騒がしくなるでしょうから」
遠くから教師たちがやってくるのが見える。
「僕はこれでどんな罰を受けてもいい。雪×菜々を守れるのなら」
嬉野君がじっと私の目を見つめている。いつもの彼の力強い瞳だ。
「わかった。行ってくる。ありがとね、嬉野君」
「……僕は感謝される人間じゃありません」
「え?」
「いえ、独り言です。早く行ってください。でないと捕まってしまいますよ!」
私はボイスレコーダーを受け取ると脱兎のごとくその場から逃げ、雪乃の家へ向かう。
彼女を助けたい、その一心で私は駆け抜ける。
「待ってて、雪乃……今、助けるから……!」
雪乃の家に着いた頃、空から雪がちらちらと舞い降りていた。
「もう本格的に冬だね」
はぁはぁと息が乱れ、火照る身体はこんな季節に似つかわしくない。
私は季節外れの額の汗を手の甲で拭い、インターホンを押した。
「開いてるから入っていいよ」
雪乃の声に従い、家の中に入る。
玄関先で待っていた雪乃に彼女の自室まで通される。
「ここが雪乃の部屋なんだ……」
彼女の部屋にも大型テレビや絵画が置かれていた。他にも大きなクローゼットやブランド物のバックなどがある。
一介の女子高生の部屋とは思えないほど豪華だ。
それに、クラクラとするほど雪乃の匂いが充満している。それもそのはず、この部屋で常に雪乃は生活しているのだ。
ここにあるモノには皆、彼女の匂いが染みついている。
「っと、違う違う。雪乃の匂いにやられそうになってた……ねぇ、雪乃。これ、聞いて」
雪乃の匂いで酔ってしまいそうになる脳内を、頭を振って元に戻す。
そして彼女にボイスレコーダーを手渡した。
「これを聞いてどうなるの?」
「聞けばわかるって」
彼女が再生ボタンを押す。音声が再生されるが、それは私が風野と言い合いになったところから始まっていた。
「嬉野君、こんなところから録音してたんだ……」
つまりずっと私を見張っていたのか。なんと用意周到な事か。
自分の声を、しかも雪乃のために必死で言い争っているところを自分で聞くのは恥ずかしい。
だが、それを雪乃は嬉しそうに聞いている。
そして最後まで聞き終えた雪乃は、ふぅ、と溜め息を吐いた。
「まったく……菜々ってば無茶しちゃって……ケガとかしなかった?」
「うん、大丈夫。嬉野君が助けてくれたから」
「ま、持つべきものは頼りがいのある彼氏よね」
「ほんとそう」
私たちは笑いあったが、その後には沈黙が続いた。
雪乃が何か言いたげにモジモジとしているが踏み込めなさそう。
私も私でどう言っていいかわからず、たじろぐのみだ。
「えっとね、菜々……その……ありがと。嬉しかった、菜々があたしのために必死で怒ってくれて。無茶してるなって思うところはあったけど、あたしのためにやってくれたんだよね……めっちゃ嬉しいかな」
「あはは……あの時はなんていうか頭に血が上ってて後先考えずにやってたっていうか……その……やっぱり雪乃が大切だから……」
あの時のことを思い出し、私は軽く頭を掻いた。
やはり無茶していたし、雪乃のことしか考えていなかったと思う。
「あのさ、菜々」
雪乃が改まって私を見つめる。
「菜々がこんなことしてくれてるのって、あたしの友達だから?」
「え……?」
「友達だからってここまでしないよね? ねぇ、菜々はどうしてここまであたしのためにできるの?」
「それは……」
その先を言いかけて口をつぐんだ。
果たしてそれを言ってしまっていいものなのだろうか。
雪乃のことを愛しているからだ。
ずっと言いたかった言葉。しかし言ってしまえばもう元には戻れなくなる。
この友達の関係も終わりとなってしまう。
それにまた雪乃を困らせてしまう。もう彼女を困らせたくないのに。
「親友だから、かな」
だから私は嘘を吐く。
「嘘。ねぇ、ほんとのことを教えてよ……菜々、どうして嘘なんか吐くの? あたし、もう準備できてるんだよ? あたしだってバカじゃない、気付いてるの。だから、菜々の言葉でそれを知りたい。菜々があたしをどう思ってるか。ちゃんと教えて」
そうか、彼女にはもうすでにバレていたのか。
いや、バレていないと考えていたことがおかしかったのかもしれない。
風野も私が雪乃といるとメスの目になっていると言っていた。
やはり友達同士でも、嬉野君がいても、抑えきれなかったのだろう。
ならばもう我慢する必要なんかない。言ってしまうしかないのだ。
「私は、雪乃のことが好き。こんな言い方が正しいかわかんないけど、雪乃のことが女の子として好きなの。もうずっとずっと前から、好きだったの……だから、大好きな雪乃のためなら頑張れた。雪乃が幸せになれるなら私はどうなってもいいと思った。それくらい、雪乃が好きなの」
言いながら私の頬に涙が零れていた。
だがこれは悲しみの涙ではない。今まで我慢していたものを伝えられた、嬉しさの温かな涙だ。
「菜々……ありがとう。伝えてくれて」
雪乃が私の頬に伝う涙を指先で拭う。
か細い指が頬をなぞり、くすぐったくて思わず笑ってしまった。
「雪乃……好き……愛してる……」
私は雪乃に抱き着こうとした。しかし彼女が私の肩を押さえ、それを制す。
「雪乃?」
「ごめん、菜々」
「え……? ごめん……? それって……」
フラれてしまった。やはり雪乃は女の子と恋愛なんてしたくないのだろう。
それに私も私だ。思いを伝えただけで結ばれたと勝手に勘違いして抱き着こうとして。
「違うの、菜々。菜々の気持ちはとっても嬉しい、できれば応えてあげたい。でも、あたし、まだ心の準備ができてない」
雪乃の手が、ゆっくりと私の肩を撫でる。とても優しく、まるで母親が子供に何か言い聞かせるみたいに。
「菜々が言ってる好きっていうのは、将来もあたしと一緒にいたいって意味の好きだよね? 家族になろうってことだよね?」
「将来……家族……」
将来、と言われ頭の中にぼんやりとしたビジョンが思い浮かぶ。
朝、雪乃と一緒に起きて朝食を食べ、一緒に会社に行き仕事して、帰ってきて一緒にお風呂に入ってご飯を食べて、そして一緒に眠る。
常に雪乃と一緒の生活。
私が望んでいるのは、そんな生活だ。
「そうだね、私、将来ずっと雪乃といたい。雪乃と支えあっていたい」
「だよね……でも、あたしはまだそんな覚悟持ってない。嬉野はおかしなことじゃないって言ってたけど、女の子と付き合うってことに不安がある。それに将来までってなるともっと不安が大きくなる。いろんな障害もあると思うし、社会の目とかも怖い。だから、もうちょっと返事を待ってほしい」
「そっか……確かに、そうだよね……私たち、女の子同士だもんね。普通に好きとか嫌いとか、そういう問題じゃ済まないよね」
そうだ、私たちはマイノリティなのだ。
私は雪乃を好きになってから色々考えて、それでも雪乃が諦められなかったからこうして告白した。
でも雪乃は違う。まだ私みたいに考えていない。
それに雪乃にも将来がある。彼女には私との未来よりも彼女の望む未来を進んでほしい。
「それにさ、まだあたし自身の問題も解決してないし。妊娠したってこと、パパとママに伝えないと。菜々が頑張ってくれたんだもん、あたしも頑張らないと」
「そっか。頑張って、雪乃。応援してる」
「ありがと」
そう言って雪乃は私の頬に、チュッと軽くキスをした。
久々のキス、それが頬であったとしても私の顔は燃え上がるように熱くなってしまう。
「今の私にできる精一杯の答え……だから、もう少し待っててね。絶対、答えを出すから」
「う、うん……私、待ってるから」
と、私は熱に浮かされたように返事をする。
結局その日は眠るまで頬に感じた唇の感触を忘れることができなかった。
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