第2話―彼女を知りたい―

 彼女との練習が始まり、一週間ほどが経過した。

 その間、日に日に練習の激しさはエスカレートし、同時に場所も時間も選ばないようになってきていた。

「先生、トイレ」

 授業中、七海さんが席を立つ。

 教室から出る瞬間、ちらりと私を見た。

「あ、あの、先生……私も、トイレに」

 恐る恐る手を挙げ、私も席を立つ。

 辺りの視線を少し感じながら、私は教室から出た。

 トイレに入ると七海さんに手を引かれ、個室に連れ込まれてしまう。

「七海さん、授業中はさすがに」

「え? でもここに来たのは菜々ちゃんの意志でしょ? あたし、別についてきてとか言ってないし。そもそも、あたしがおしっこしたかっただけだったら?」

 女子トイレの個室で、二人きり。

 お互いの息が当たるほどの近い距離。

 すらっとした彼女の指が私の首筋をくすぐる。

「菜々ちゃん、期待してたでしょ? 我慢できなかったのかな?」

「そんなことない……私、そんなにエッチじゃないし」

「そうかな? そんなこと言って、菜々ちゃんの顔、とってもエッチになってるよ?」

 七海さんに触られただけで、体が反応してしまう。

 彼女の小悪魔的な囁き声を聞くだけで熱く火照る。

 彼女の香りを嗅ぐだけで柔らかな唇を欲してしまう。

「物欲しそうな顔……そんなにあたしをゾクゾクさせないでよ」

「そんな顔、してない……んぐっ!」

 言葉を唇で塞がれ、いつものように舌で口内を犯される。

 服の下に滑り込んだ手が、体中をまさぐっていく。

「今日の菜々ちゃんは強気だなぁ。でもそれがどこまで続くかな? あたし、菜々ちゃんの弱いところ全部知ってるんだよ?」

「やっ……ダメ……胸は……」

「菜々ちゃんってホントおっぱい敏感なんだから。エッチおっぱいけしからん!」

「ダメだって……! こんなの……んきゅぅ!」

 体中に快楽が駆け巡り、びくびく、と制御できずに震えた。

「おっぱいだけですぐとろけちゃって。わかった? 菜々ちゃんはとってもエッチなの。言ってみて、私はエッチな女の子ですって。エッチなおっぱいでごめんなさいって」

「そんなこと、言えない……きゃんっ!」

「ちゃんと言ってよ、菜々ちゃん。もう高校生だよ? ちゃ~んと、言えるよね?」

 今日の七海さんはいつにもまして悪魔的だ。

 にやぁっと笑い、私を見下してくる。

 その視線にゾクゾクし、身体に送られてくる快感がブーストする。

「ほらほら、言わないともっといじめちゃうよ?」

「は、恥ずかし……から……ダメ……!」

「そっかぁ。ならしょうがないかぁ……今まで手加減してたけど、本気で行くしかないね」

 七海さんに便座に座らされ、上着をめくり上げられた。

 下着も摺り下ろされ、あらわになった胸に七海さんの舌が這う。

 レロレロと這っていく舌はこそばゆくて、それでいて何物にも代えがたい快楽を私に送り込んできた。

 そこからは数秒だった。

 私の身体に走る快楽は制御不能なほど膨れ上がり、爆発。

 全身から突き抜けるような衝撃で気持ち良さが走り、私はその疲れでぐでっと身体を七海さんに預けた。

「はぁはぁ……七海さん……」

「何? 菜々ちゃん?」

「わ、私は……エッチな……女の子です……エッチな……おっぱいで……ごめん……なさい……」

 私の言葉を聞き、七海さんは頬を紅潮させ、さぞ嬉しそうな表情を浮かべた。

 そして、まるで母親のように優しく私の頭を撫でる。

「よしよし。よく言えました。えらいね、菜々ちゃん。ほら、おっぱいべたべただよ? これで拭いて」

 七海さんが真っ白なハンカチを差し出してきた。

 私はそれを受け取り、身体に這わせていく。

 ハンカチで、身体に付いた彼女の唾液も私の汗も消えていく。

「じゃ、あたしは先に戻るから」

「う、うん……」

 七海さんはトイレを済ませた以上にすっきりとした顔で出ていく。

「あ、ハンカチ……洗って返さなきゃ」

 彼女のハンカチをポケットに入れ、数分後に私も教室に戻る。

 トイレで顔を洗ったから大丈夫だ、クラスの誰にもバレていない。

 そう、たぶんバレていない。

 私は自分に言い聞かせるのに必死で、その後の授業の内容は頭に入ってこなかった。最近授業が頭に入ってこないのはきっと、私のせいではない。


 お昼休み、屋上。二人でお昼を食べるのもすでに日常と化していた。

「今日はいいものがゲットできてよかったよかった。あたしは大満足です」

「いいもの?」

 七海さんは頷いてスマホを取り出す。

「ほら、これ」

『わ、私は……エッチな……女の子です……』

 聞こえてきたのは私の声だ。しかもとても濡れていて息も絶え絶え。これが自分の声かと思うと恥ずかしさが沸き上がってきた。

「ちょっと! やめてよ! 録音してたの!?」

「まぁね。面白いかなぁって思って」

「……絶対他の人に聞かせないでよ?」

「大丈夫だって。あたし、そんな悪いことしないから」

 あはは、と笑う七海さん。本当に信用していいのだろうか。

「う~ん……信用してないなぁ……じゃあこれでどう?」

 彼女は突然に私にキスしてきた。

 今までのディープキスではなく、唇にちょっと触れるだけの優しいキス。

 ほんの一瞬のキスだったけれど、私の身体には喜びが走り抜けた。

「約束のキス。あたしは絶対約束を破らない」

 にしし、と七海さんは笑う。

 突然約束のキスとは一体どういうことなのか。

 やっぱり私は七海さんがわからない。

 まだ深く踏み込めないでいるせいだ。

「っと、今日は見てほしいものがあるんだった」

 と、七海さんは何事もなかったかのように私にノートを手渡してきた。

 あの日、私をスケッチしたノートだ。

「これ、どう思う?」

 新しいページには、私をモデルにした服が描かれていた。

 白を基調としたドレスだ。すごく大人っぽいデザインだが、絵の中の私はそれを着こなしている。

「菜々ちゃんって結構すらっとしてるからこういう大人っぽいのでもいけるかなぁって。でも顔はまだちょっと幼いから、完全に大人向けじゃなくて小物とかで遊び心出してみた」

「すごい! とってもきれい!」

 私にはデザインの詳しいことはわからない。けれど感覚的にわかる。

 ただのイラストだけれど脳内でそれが現実味を帯びて浮かび上がっている。

 こんな風に容易に想像できるのだ、とてもいいデザインだろう。

「ありがと。お世辞だとしても、嬉しいよ」

「お世辞じゃなくて本気だよ。私はとってもいいと思う! ねぇ、もっと他のも描いてみてよ!」

「いいよ、菜々ちゃん見てると創作意欲が湧いてくるんだ」

 そう言って彼女は新しいページにすらすらとペンを走らせる。

 ノートと私の顔を交互に見、唸り、頭を掻いて、またペンを走らせていく。

「……今は、このままでもいいか」

「菜々ちゃん、何か言った?」

「ううん、何も」

 そう、今はこの取引関係でいい。このままお互い程よく踏み込まないのが心地いいのだ。

 それはただ、七海さんとの関係が壊れてしまわないかという臆病からくるものだったのかもしれないが。


 昼休みももうすぐ終わりだ。

 私たちは片付けて、別々に屋上から出る。

 教室への帰り道、廊下の奥から二人組の男子が歩いてくるのが見えた。

 一人は金髪でピアス、風野だ。

 もう一人は長身で風野とよくつるんでいる、確か中村だったか。

 二人は大声で話しながら、廊下のど真ん中を歩いている。

 周りの生徒の邪魔になっているのにも気付いていない、いや、自分たちが邪魔になっているとは思っていないのだろう。

「中村、聞いたか? 1組に高木と橋田って女いるだろ?」

「テニス部のか?」

「そうそう。あいつらって付き合ってるんだってよ、女同士なのに!」

「そういやよく二人でいるのを見るな。付き合ってたからか! ハハ、ウケる!」

「レズっていうの、きもいよなぁ! ハハハ!」

 まるで周りに言いふらすみたいにバカでかい声を上げて歩く二人。

 私はその話を聞き、胸が痛んだ。

 恋愛なんて性別は関係ない、そう思うのは私が女の子に惹かれてしまっているからだろうか。

「レズはきもいけど、女同士でヤってるとこ見てみたいよなぁ」

「わかる! でさ、その間に割って入って男の気持ち良さを仕込んでやるんだよ!」

「げすいなぁ! でもそういうの好きだぜ」

 本当に胸糞が悪い連中だ。

 下品な笑いを上げて、頭と下半身が直結してるみたいなバカ。

 そんな風野がどうして七海さんと付き合っているのか、本当に謎だ。

「そういや風野、お前の彼女、最近女とべたべたしてるよな? もしかしてさ、レズじゃね?」

「は? あいつは俺とヤるのが好きな女だぜ? そんな奴がレズなわけねぇよ。ま、もしレズだとしたら相手の女と一緒にヤるだけだぜ」

 あんな男に犯される、そう考えただけで背筋がぞっとし、鳥肌が止まらない。

 絶対に風野だけにはバレてはいけない。

 私はそう胸に刻み込んだ。


 その日の放課後、図書室でいつものように練習が終わった。

 私は快楽の余韻が残る力のこもらない体をイスに預け、ぼぉっと七海さんを見ていた。

 彼女のテクニックは日に日に凄まじくなり、私は抗うことができていない。

 七海さんがぐったりとした私を見て、にひっっと笑う。

 笑んだ口の隙間から、ちらりと八重歯が覗いていた。

(七海さんの八重歯、可愛いなぁ。今気付いた)

「菜々ちゃん、明日暇? 彼氏と約束あったけどキャンセルされちゃってさ」

「え? 明日?」

 まだぼぉっとする頭で予定を思い出す。明日は土曜日、果たして何かあっただろうか。

「う~ん……特に何もないけど……」

「じゃ、課外授業ってことで。12時に駅前公園集合ね」

 七海さんのいつもの小悪魔スマイルだ。また何か企んでいるな。

「課外授業?」

「菜々ちゃんもそろそろ気持ち良いの慣れてきた頃だろうし、次のステップにって感じでさ。外でしかできないこと色々教えてあげようかなって」

「外でしかできないことって……まさか、露出!?」

「ばれたら逮捕どころの騒ぎじゃないよ? あ、もしかして菜々ちゃん、やっぱりそっち系に興味出てきた?」

「ち、違う……!」

 顔が熱くなった。前よりも自分がエッチな子になっている。そう感じたから。

「ま、明日になってからのお楽しみってことで。もしどうしても露出したいっていうなら明日までに連絡してね。秘蔵のオモチャ、持っていくから」

「そんなの用意しなくていいから!」

 またにやにやとした七海さんの笑み。

 その顔を見るたびに知らず知らず私の胸はドキドキと高鳴っていた。

「じゃあ明日ね。遅れたらだめだからね」

 こうして私たちは別れ、翌日。


 天気は晴れ、気温はそこまで寒くはないくらい。日差しも照っており、絶好の外出日和だ。

 用意をし、11時40分に駅前公園に着いた。

 時間にルーズな人は嫌いだ。だから私はいつも待ち合わせには少し早い時間に着くようにする。

「ちょっと早く着いちゃったなぁ……どこかで時間潰したほうがいいかなぁ?」

「あれ? 菜々ちゃん、早いね」

「七海さん」

 公園には既に彼女がいた。

 ファッション雑誌の表紙を飾るモデルみたいにキレイで可愛らしい格好だ。いつもの制服姿とは違う雰囲気で、胸がまたドキリ、と高鳴った。

 一方の私は地味な洋服。おしゃれな七海さんと並ぶのは少し恥ずかしい。

「菜々ちゃんってば20分前に着くってことは相当楽しみにしてた?」

 楽しみにしていなかったと言えば嘘になる。が、ここで正直に言うとまたからかわれそうだ。

「そういう七海さんこそ楽しみだったんじゃないの?」

 だからこちらがからかってやるのだ。日頃の仕返しだ。

「うん、楽しみにしてたよ。だから早く来た」

 しかし七海さんがまっすぐに私を見つめて、しかもさぞ嬉しそうにニカっと笑ってそう言ったのだ。

 そんな表情でそんな言葉を吐くのは反則だ。

 顔が自然と熱くなり、鼓動も早まる。うるさすぎる鼓動、七海さんに聞こえていないだろうか心配になる。

「あはは、やっぱり菜々ちゃんって可愛い反応するなぁ。ほんとからかいがいある」

「え?」

「コンビニに用事あったから少し早く家出ただけ。それで待ち合わせより早くついちゃったってわけ」

 七海さんがからからと笑う。またからかわれた。

 それでも私の鼓動は早まったままだ。

 もし人の鼓動の数が一生のうちに決まっていたならば、この1週間ちょっとで私の寿命は10年は縮んだだろう。

「じゃ、行こうか。菜々ちゃん」

 七海さんはそんな私の内側など気にもしないであっけらかんと言う。

 だから私も平静を装って返す。

「行こうかって、どこに?」

「まずは服を買いにね。今日はファッションの練習よ!」

 こうして私は七海さんに手を引かれ、ファッションの道へと誘われた。


「菜々ちゃん、エンコーにファッションなんて必要ないって思ってる顔だね。実はエンコーとファッションは切っても切れない関係なの!」

 普段訪れないおしゃれな服屋。右も左もおしゃれな服で戸惑っていただけなのに、七海さんはそう言いだした。

「まずは見た目で覚えてもらえるってことね。おしゃれして見た目をキレイにしたら印象に残りやすいの。リピーターを増やすならまずおしゃれからね!」

 そう言いながら七海さんは色々な服を取り私の身体にあてては首を捻る。

「おしゃれしてるほうが年頃の女の子っぽく見られるってのもあるわね。男の人って結構いろんなところ見てるから、おしゃれに手を抜いてたらその程度の子なのかってなめられることもあるわ。女の子らしさを出すにはおしゃれしなくちゃ」

 彼女は何着か服を持ち、私を試着室へ押し込める。

「それにおしゃれってその人のイメージを付けやすいの。例えばあたしはギャル系で攻めてるし。菜々ちゃんは文学系女子って感じかな。清楚系は受けがいいのよ」

「これが……私?」

 七海さんの選んだ服を着た私は、鏡の自分を見て目を疑った。

 そこにいる自分はいったい誰なのだろうか。そう思うほど可愛らしかった。服を変えただけなのに、だ。

「菜々ちゃんの普段着って結構シンプルで地味目なんだけど、でもこうしていろいろプラスしてあげただけで可愛くなる」

「へぇ……すごぉい」

「でもあたしのおすすめは、これかな」

「え!?」

 七海さんが選んだ服は、結構胸元が開いていた。これでは胸が強調されてしまい、とても恥ずかしい。

「七海さん、私こんなの無理! 恥ずかしい!」

「ちっちっちっ。菜々ちゃんは何もわかってないなぁ。これがいいんだよ、これが!」

 ビシッと彼女の指が私の胸を刺した。胸に沈むくらい強く。

「服全体のイメージはおとなしそうな文系女子。けど胸元だけはセクシーな谷間見せ! おとなしそうだけど実はエッチなんだよっていう菜々ちゃんのイメージぴったりなファッション!」

「大人しそうだけど、実はエッチ……」

 私ってそういうイメージだったのか。いや、薄々気が付いてはいたけれども。

 こうはっきりと言われると少し落ち込む。

「男の人はこういうギャップに弱いの! あたしも弱い! あたしが男だったら絶対放っておかない!」

「そ、そうかな……?」

「とにかくこれにしなよ。絶対にこれ!」

「わ、わかったから」

 七海さんに押し負け、購入することに。

 しかし値札を見て私は絶句した。

「2万円!? って他のも合わせると5万!? 私じゃ無理……」

 お母さんが必死に働いたお金でもらったお小遣いだ。大切に使わないといけない。

 七海さんはためらっていた私から服を奪うと、レジへと持って行った。

「え!? 七海さん、私お金が」

「大丈夫。あたし、お金持ちだから」

 彼女はそう言って何のためらいもなく5万円を支払った。

「七海さんにプレゼント」

「そんな、悪いよ。受け取れない」

「もう買っちゃったしいいの。あ、店員さん、すぐ着るから値札取ってもらえる?」

 七海さんは断る私に無理やり服を着せて、服屋を後にした。

 私もその後についていく。


 数分歩いて、気が付く。周りの人たちが私に注目している、主に胸に。

「ね、ねぇ……これやっぱり恥ずかしいよ……」

「みんな菜々ちゃんがかわいいから見てるの。恥ずかしがってないで堂々としなよ」

「堂々とって言われても……」

 そんなことできたら苦労はしない。私は気を紛らわせるために七海さんと会話することに。

「七海さんってさ、おしゃれだよね。やっぱり服とかいっぱい持ってるの?」

「ん? まぁね。ファッションデザイナーになるって決めてるし、研究のためにいっぱい服持ってるよ。でも着ないまま眠ってる服も多いかな。デッサンして満足しちゃったりしてね」

 さすがポンと5万円出せる人の発言は違うな。声には出さないが。

「あ、そうだ! 菜々ちゃんに似合う服、あげるよ! そのほうが服も喜ぶだろうしさ」

「でもやっぱり悪いよ……ほら、フリマアプリとか今あるでしょ? そっちで売ったほうが」

「あたし、お金はいっぱいあるから。それに知らない人にあげるより菜々ちゃんが着てくれたほうがあたしも服も嬉しいし」

「そういうなら……」

 私たちは会話を続けながら歩く。

 話しながらだと視線は少しは気にならなくなっていた。

「じゃ、程よく歩いて汗かいたし、次はここで練習よ」

「ここって、銭湯?」

 校舎の屋上から見えていた煙突のある銭湯だ。昔からこの街を見守っていた、とでも言いたげな古びた見た目だ。まるで映画のセットみたい。

 何度か前を通ったことはあるが、入るのは初めてだ。

「どうして銭湯で練習なわけ?」

「噂だとここのお湯には美肌効果があるとか……」

「それってあくまで噂でしょ? それに私、温泉の美肌効果ってあんまり信用してないんだけど」

「まぁ美肌になるかどうかはともかく、冷え性とかにはお風呂が一番よ。これからどんどん寒くなってきたら身体がむくんじゃうし。だから銭湯で体を温めるのよ」

「一日だけで効果出る?」

「つべこべ言わずに入ろ、ほらほら」

 彼女に背中を押され、中に入る。中も結構年季が入っていた。

「おばちゃん、二人ね」

「タオルはあるかい?」

「持ってないや。おばちゃん、タオルも二人分ね」

 番頭のおばちゃんにお金を払い、脱衣所へ。

 脱衣所は奥の浴場の熱気が漏れてきており、むわっと熱い。メガネが一瞬で曇ってしまうほどだ。

 だが、秋風で冷えた身体には心地よい暖かさだ。

「それじゃあ入ろうか」

 そう言った七海さんはあっという間に服を脱ぎ去り、もう素っ裸だ。

 彼女の白い柔肌はまるでお餅のよう。すべすべとしていそう。

 きっと日々のケアを怠っていないのだろう。

 それに、胸もすごい。小ぶりだがプルっと弾力がある。それにつやつやでキレイだ。

「菜々ちゃん? あたしの身体じっと見て、どうしたの?」

「い、いや、なにも……」

 思ったより私は七海さんの身体を見ていたようだ。だが彼女はそんな私の視線を浴びていても体を隠そうとしない。

 きっと見られ慣れているのだろう。いや、そもそも私が身体を隠すような相手ではないと思われているのだろうが。

「ほら、菜々ちゃんも脱ぎなよ? もしかして恥ずかしがってるとか?」

「ち、違うけど……」

 いや、違わない。彼女に裸を見られるのは恥ずかしい。

 裸を見られるよりもっと恥ずかしいことをされたのに、だ。

「もう、じれったいなぁ。脱ぐならさっさと脱ぐ! ほら!」

「えぇ!?」

 いつの間にか私は七海さんに裸にひん剥かれていた。目に見えないほどの高速の手捌きだった。

「秘技、洋服脱がし。なかなか脱がない恥ずかしがりの人のために開発したんだけどまさかこんなところで役に立つとは……」

 さっと身体を隠そうとするが、七海さんのほうがやはり素早かった。

 手を握られ、じっくりと体を観察される。

「ねぇ、菜々ちゃんってさ、ワカメとか昆布とか、好き?」

「好きか嫌いかで言われると悩むなぁ……あ、でもおにぎりの具だと昆布が一番好き。どうして?」

「毛、ふさふさだなぁって」

 七海さんの手を無理やり振りほどき、大事な部分を隠す。

 どうにかして彼女の記憶を消してやりたい、そう思えるほど恥ずかしい。

「あはは、冗談だよ。大丈夫、たぶん普通の女の子レベルだから。他の子知らないけど」

 その言葉は何の慰めにもなっていない。

 私の顔は熱く、穴があったら入りたいくらい。いや、穴がなければ私自身で作るレベルだ。

 なのにどうして。どうして私の奥底はじゅん、と疼いてしまったのだろう。


「ふぅ、やっぱり熱いお風呂はいいねぇ。お湯にいろんなことが溶けていく感じがたまんないよぉ」

「私は熱いお風呂って苦手だな。すぐのぼせちゃって」

「確かに。菜々ちゃん顔まっか」

 顔が赤いのは熱いお風呂のせいだけではない。が、今はそういうことにしておこう。

「ねぇ、菜々ちゃん?」

「なに?」

「どっちが長く浸かってられるか、勝負しない?」

「私、熱いの苦手って言わなかったっけ?」

「ハンデ有りで。菜々ちゃんは2回までそこの冷たい水を浴びに行けるってのどう?」

 サウナ横の冷たい水、あれを浴びれば何とか耐えられるかもしれない。

「わかった。でもこういう勝負提案してくるってことは」

「そ。罰ゲーム有りで。負けたほうが勝ったほうの言うことを1つ聞くってどう?」

「面白そう。負けないから」

 こうして私たちは我慢対決を始めた。

 ただお互いじっとお湯に浸かり、5分が経過した。私はまだ何とか耐えられる。

 七海さんは余裕なのだろうか、気持ちよさそうな顔を浮かべている。

「こうしてただ浸かってるのも面白くないしさ、なんか話しようよ」

「いいけど、なんの話?」

「裸の付き合いってことでさ、お互いちょっと踏み込んだ話、しようよ」

 私はゴクリ、と身構えた。彼女はいったい何の話をするのだろうか。

 それを待つだけで少し体温が上がった。

「菜々ちゃんってさ、なんでエンコーしようと思ったの? エッチもしたことないのに、なんで?」

 とうとうその質問が来たか。

「契約ってことだからあんまり深く聞かなかったけど、やっぱり気になっちゃって」

 七海さんに話してもいいものだろうかと考える。

 いや、こんなこと私は彼女にしか話せない。

 彼女は私が夢を笑わないと信じて話してくれた。だから今度は私の番だ。

「えっとさ、私、お父さんが死んじゃって……」

 こうして私は彼女に話した。自分自身お金がいる理由を。

 5分ほど話しただろうか、彼女はその間黙って頷くだけ。変なからかいもなく、ただ真剣に話を聞いてくれていた。

「そっか。お母さんに負担かけたくなかったんだね」

「そう……って、ちょっとタイム。水、浴びてくる」

 話し込んでしまったせいで体が妙に火照る。水を浴びてクールダウンし、もう一度お湯に浸かった。

「あ、熱っ!?」

 が、水を浴びたのは逆効果だったようだ。水浴びし、冷えた身体はさっきよりもお湯を熱く感じさせる。

「え? もうギブアップ?」

「大丈夫。続ける」

 私はゆっくりと肩までお湯に浸かる。まだ大丈夫、耐えられる。

「で、なんの話だっけ。あ、お母さんに負担かけたくないってとこか」

 七海さんはう~ん、とうなり、私の顔を見据えた。湯気のせいで細やかな表情が読み取れない。

「ちょっと話逸れるけど、菜々ちゃんは安田とエッチできる?」

「安田って……担任の? うぅん……まぁ、できると思う。そこそこかっこいいし」

「じゃあ、国語の和田とはどう? キスできる?」

「あのおじさん先生と? うぅん……あんまりしたくないけど、我慢しろって言われたらぎりぎり」

「じゃあ理科の高田は? あいつのおちんちん、舐めれる?」

「絶対無理! キモデブだよ? 我慢できないって!」

「菜々ちゃんさ、エンコー向いてないと思うよ。それに、ほんとにエンコーして満足するの?」

 その声も、彼女の今まで聞いたどんなものとも違う。表情が読めない。

「満足って、何が?」

「菜々ちゃんも、お母さんもってこと」

 ぐっと目を凝らし、何とか七海さんの表情が読めた。今彼女は、怒っているのだ。

「菜々ちゃんはほんとは嫌だけど我慢してエッチしてさ、それで満足なの? お母さんは菜々ちゃんが実は体売って稼いだお金もらって、満足すると思う? あたしは絶対無理」

 七海さんは今、私のために怒ってくれている。

「七海さん、私、そんなこともうわかってるしさ、たとえ七海さんでも軽々しく無理とか、言ってほしくない」

 けれどそんなこと、もうわかっていたのだ。

「私が我慢して身体を売ってお金を稼いでもお母さんは喜ばない。でも、私が我慢しないとお母さんが壊れちゃう。お母さんを楽にしてあげたいから、私がいっぱいお金を稼がなくちゃいけないの!」

 気が付けば私は立ち上がっていた。

体に纏わりつく熱が感情をヒートアップさせている。私はもう一度水を浴びて、お湯に浸かった。

「七海さん、私は本気なの。覚悟もできてる。私が家族を守らなくちゃ」

「そっか。本気なんだ」

 彼女はふっと笑い、言った。

「わかった。これは菜々ちゃんの家族の問題だからあたしはこれ以上首突っ込まない。でもね、ひとつだけおせっかい焼かせて」

「……何?」

「困ったらあたしに頼って。あたし、エッチするの好きだから、手伝ってあげる」

「そんなの……」

「じゃあ罰ゲームね。この勝負であたしが負けたら菜々ちゃんのエンコー手伝う。それならいいでしょ? だって罰ゲームなんだから」

 どうして彼女はこんなにも私に優しいのだろう。

 私の頬に熱い液体が伝った。それが汗か涙か、私にはわからない。

「でもあたしだって菜々ちゃんにしてほしい罰ゲームあるから、本気で行くけどね」

 彼女は八重歯を見せて笑う。そんな彼女の表情が、ぐにゃりと歪む。

 目頭がぐっと熱くなり、視界が眩んだ。

「え!? ちょっと、菜々ちゃん!?」

 私の意識は深い黒に塗り潰されていった。


「……私、何してたんだっけ……」

 意識が戻り、目を開けようとする。が、光が眩しくて思うように目が開かない。

 起き上がろうにも体にうまく力が入らない。

 だが、感覚だけはじわじわと蘇ってきている。

「あれ? なんか柔らかいものが……」

 後頭部にむにっと柔らかなものがある。クッションにしてはやや抵抗がある。

「あ、気が付いた? よかったぁ。心配したんだよ?」

 七海さんの声だ。光に慣れてきた瞳をゆっくりと開くと、私を覗き込む彼女と目が合った。

「菜々ちゃん、のぼせて気絶しちゃったんだよ? とりあえずお水飲む?」

「ん……もらう」

 私は手を伸ばそうとしたが、腕が重い。まるで鉛でも括り付けられているみたいだ。

「無理しないで。飲ませてあげるから」

 彼女の手が私の頭を少し浮かせ、赤ちゃんにミルクでもあげるみたいにペットボトルの水を飲ませてくれた。

 とく、とく、とゆっくり口の中に水が流し込まれる。私が飲み込みやすいように量を調節してくれているようだ。

 七海さんならてっきり口移しかと一瞬頭をよぎったが、それはわたしの願望にすぎないようだ。

「七海さん、ありがとう。もう大丈夫だから」

 彼女は頷き、また柔らかな何かに私の頭を置いた。柔らかい何かは膝だ。今、膝枕をされているのだと気付く。

 だが不思議と恥ずかしさを感じない。恥ずかしさよりも安らぎが大きかったからだ。

「あれ? 七海さん、そのペットボトル……飲み口が、赤いよ?」

 彼女がペットボトルに蓋をする直前、飲み口に何か赤いものが付着しているのが見えた。

 ペットボトルの封を切る音が聞こえたからあれは私が飲むまで未開封だった。だからあれは私の口で付いた色ということになる。

「もしかして私、血出てる?」

「あ、違う違う。体、起こせる?」

「体? う~ん、まだ重いかも」

 七海さんの腕が背に回る。彼女の支えで私は体を起こした。

 彼女の膝枕に少し未練が残っていたが。

「はい、鏡、見てみてよ」

 言われるがままに鏡を見て、私は驚愕する。私が私じゃなかったからだ。

 その衝撃でさっきまでもやがかかったような思考が一瞬で晴れる。

「えぇ!? これって、私!?」

「そう。ちょっと化粧をね。菜々ちゃんって素材がいいから結構かわいくなったよ」

 口紅やらアイラインやら顔中に散りばめられたおしゃれの元。

 それが私をまるで別人のように変えていた。

 目はパッチリしているし、唇もプルっとしている。肌は白く、頬にはピンク色がさしている。

 お母さんに化粧を教えてもらったが、その時はここまで変わらなかった。

「これで男の人はイチコロかな」

「すごい……すごいよ、七海さん!」

 興奮のあまり私は七海さんの手を握っていた。それに気が付いて、あっ、と手を離す。

「これって、自分でできたりする?」

「うん。でも教えるのは今度ね。菜々ちゃんの調子が戻ったらってことで」

「別に今でも……あっ……」

 少しふらっとして倒れないようにぐっと腕に力を込める。頭がまだ重い。

 どうやら私の身体は思ったよりダメージを受けていたようだ。

「ほら、今はしっかり休んで。って、あたしが我慢大会しよって言い出したんだけどさ……ごめんね」

「いいよ、私も無理してたから。そういえば罰ゲームって」

「あー、それね……う~ん、やっぱりどうしよっかなぁ」

 七海さんは何か考えるようにして頭を掻いた。何か言い淀んでいるようだ。彼女にしては珍しい。

「負けちゃったし、私はどんなことでもするよ? 遠慮しないで言ってみてよ」

 彼女の罰ゲームはまた私をからかうようなものだろう。けれどそれを心のどこかで望んでいる私もいる。

「そ、それじゃぁ……」

 彼女は少し頬を染め、意を決したように口を開いた。

「あたしのこと、名前で呼んで!」

「えぇ!?」

 私は驚いた。彼女のことだからまた私をからかうような罰ゲームかと身構えていた。

 それが名前で呼ぶこととは。

「あたしは菜々ちゃんって呼んでるのに、菜々ちゃんはあたしを七海さんって呼ぶの、ちょっと不公平かなって思ってさ。だから、雪乃って呼んでほしい」

「わかった……えっと……ゆ、ゆ、ゆき……」

 が、思ったより彼女の名前を呼ぶのは難しかった。いつもの練習で感じる恥ずかしさの比ではないくらい恥ずかしい。

 マンガでお互いが名前で呼び合うのを気恥ずかしいと感じるシーンを何度か見たことある。その意味をようやく理解できた気がした。

「菜々ちゃん、あたしを、呼んでよ」

「ゆ、ゆきの……さん……」

 名前を呼ばれた彼女は頬を赤らめ少し顔を伏せてから、私を見た。その彼女の顔にいつもの小悪魔が戻ってきていた。

「あたしは菜々ちゃんって呼んでるのに、菜々ちゃんは雪乃『さん』かぁ。そっかぁ、雪乃『さん』かぁ」

「うぐっ……雪乃……ちゃん……」

「ん? なんて言ったのかな? 聞こえないなぁ?」

「雪乃ちゃん! 雪乃ちゃんって言ったの! 絶対聞こえてるのに!」

「あはは、ごめんごめん!」

 そう言って七海さん、いや、雪乃ちゃんは笑った。私もつられて笑う。

 脱衣所では声がよく響く。私たちの声が異様に大きくなって鼓膜へ帰ってきた。

「じゃ、菜々ちゃん。今日は帰ろっか」

「そうだね、雪乃……ちゃん」

 まだ彼女の名を呼ぶのは恥ずかしい。

 けれど次に学校であった時にはちゃんと言えるようにしておこう。私はそう胸に誓った。

 だがその誓いは、最悪の形で実現されることになるが、この時の私には知る由もない。


 週明け、登校して下駄箱で靴を履き替える私のもとに佳織がやってきた。

 秋風が冬の風に変わり始めたと言うこの寒い日に額に汗を浮かべている。それなのに顔色はやたらと青い。

「菜々、来て!」

「佳織!? ちょっと待ってよ! どうしたの!? 説明して!」

 有無を言わさず佳織に手を引かれる。

 教室へ向かう廊下の途中、やけに好奇の視線が私に向かっているのがわかった。

 視線で胸に穴が開きそうなほどだ。

「菜々、これ」

 佳織は教室の私の机を指さした。

 そこには『レズ』とか『きもい』とか書かれた紙とともに、屋上で雪乃ちゃんと約束のキスをした時の写真が貼られていた。

「ねぇ、嘘だよね? 何かのいたずらとか、そういうの……」

 バレた、とか、恥ずかしい、とかそういう感情は不思議と浮かんでこなかった。

 私は雪乃ちゃんの机を見る。そこにも同じ紙が貼られていた。

 彼女はまだ来ていない。私は彼女の机へ歩き、そこに貼られている紙をはがしてごみ箱へ捨てた。

 私の中に浮かんだことは、彼女を巻き込みたくない、ということだった。

「菜々? なにしてるの? 早く説明してよ……これって、何なの?」

 佳織が泣きそうな目で私を見ている。

 クラスメイトが私を見てくすくすと笑っている。

 私はただ一言、感情のこもらない声音を出した。

「佳織、ごめんね。私って、レズみたい」

 私の声で、佳織は泣き崩れた。

 クラスメイトは嘲笑に満ちた悲鳴を上げ始める。

 けれど私の心は痛まない。私のこの感情は、言葉で定義化されてすっぽりと胸の奥に収まったからだ。

そう、好きという言葉。いや、片思い、という悲しい言葉にだ。

「あんたたち……」

 だから私は叫ぶ。自分の心を偽らないで、そして雪乃ちゃんを傷つけないために。

「私はレズよ! 女の子が好きになってる! けどね、あんたたちが期待してるようなことは何もない! だって雪乃ちゃんは私のことなんて興味ないから! これは私の片思い! だから気持ち悪いのは私だけ!」

 そうだ、おかしいのは私のほう。

 いつの間にか雪乃ちゃんにハマり、彼女のことが好きになっていた。

「だからレズは私だけ! 私だけなの!」

 あぁ、いつの間にか涙が零れている。

 目がぐじゅぐじゅになり、鼻水もよだれも出てしまっている。なんとみっともない。

「私だけ……私だけレズなの……ほんと、なの……」

 その言葉がブーメランのように自分の胸に突き刺さる。

 女の子が好きなのは私だけ、私がおかしい。

「だから……これは……叶わない……恋なの……」

 そうだ、これは叶わない。自分にそう言い聞かせても、涙が溢れるほど諦めきれない。

 私はどうしようもないほどに雪乃ちゃんが好きになっていたのだ。

「菜々……」

 佳織は立ち上がると、私の机に貼ってあった紙をはがし始めた。

「私は菜々の友達だから、たった一人の親友だから、私は菜々を裏切らない。菜々がどんな人を好きだろうと、私は味方になるから」

 佳織は紙をゴミ箱に放り投げた後、私の肩に優しくそっと手を置いた。

「菜々。保険室、行こう? 静かなところでちょっと落ち着こうよ」

 うん、と私は頷いた。

 佳織とともに保健室に歩く。

 隣の彼女の熱が私を守ってくれているみたいに優しい。けれどその優しさが、今は痛い。

 だから私の涙は、まだ止まらない。


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