寝取られたのは独身最後の夜でした。

エノコモモ

寝取られたのは独身最後の夜でした。


太陽の光を受けて、きらきら輝く水面が地平線まで続いている。彩り鮮やかな珊瑚礁に魚。透き通る海の上を、水上汽車が走る。


「お。来た来た」


言いながら、俺はベンチから腰を上げる。列車の煙突からぽこぽことあがる水蒸気が、真っ青な空に溶けて消える。本島と繋がる線路の上を走ってきた汽車は、駅で止まった。


「この列車だったはず…」


綺麗な字で書かれた手紙を片手に、俺は改札を注意深く見守る。何せ彼と会うのは5年ぶり。見分ける自信はあるが、あちらが俺のことを見落とさないとも限らない。


「なんだ…?」


今しがた着いたばかりの列車から、ぱらぱらと人が降りてくる。その中にひとつ、人のかたまりのようなものがくる。どうやら誰か1人を中心に、周囲を人間が固めているようだ。


(お偉いさんが来るとは聞いてないけど…)


権力者とそのおつきかと思ったが、ふと周りを固めているのが女性ばかりであることに気付く。キャッキャと黄色い声があたりに響き、とても楽しそうだ。本島で人気の歌手がうちに観光にでも来たのかなあなんて、思わず釘付けになっていると、その中心人物が早足でこちらに来た。


(ん?)


「ただいま戻りました。我が主人」


彼は手を取る。膝をついて、手の甲にキスをした。誰のって、俺の。


「へ…?」


周囲の女の子達がキャーッと声をあげて、その場が沸き立った。






「何かと思ったよ…」


リバデネイラ諸島南東に位置する小さな島、ロロン島。美しい海に白い砂浜、そして建ち並ぶレンガの家々の間を、ふたりで歩く。


「すみません。久々の再会が嬉しくて、舞い上がってしまいました」


列車から降りてきた人のかたまり。その中央にいたのは、俺が待っていた相手だった。レオカディオ・サンタマリア。目の覚めるような金髪に群青の瞳。顔の中心を通る鼻筋は高く、そのくせとても優しい笑顔をする。


「5年しか経ってないのにこうなるのか…」


ぼやきながら、ずいぶん高い位置にある彼の顔を見上げる。


俺達の再会は5年ぶり。元々美少年だなんだと島中で有名だったが、少し見ない間に逞しく、そしてべらぼうな美形に成長したらしい。


「父上と母上はお元気ですか?」

「ああ、島長を引退したからふたりで世界一周するんだって。仕事を息子に任せて、呑気なもんだよな」


俺の名前はルイ・ロロン。数年前、第53代目島主だった父の跡を継ぎ、ロロン島領主54代目を襲名した。


そしてレオカディオとの出会いは15年前。本土で所謂奴隷として売られていたところを、不憫に思った俺の父親が買い取り連れ帰ってきたのがはじまりだ。当時の俺は15歳、レオカディオは5歳。年の離れた弟のような感覚で、兄弟のいない俺はとても嬉しかったことをよく覚えている。彼と共に過ごしたこの島での思い出は宝物だ。


「俺は島に居られればどんな職業でも良かったからさ。父さんの養子になって、島長はお前が継いでも良かったんだけど」

「島の領主はルイ、貴方です。俺には務まりませんよ。俺は貴方を支えることを選びました」


そんな俺の両親からの養子の申し出を断り、レオカディオは15歳の時、突然家を出た。長年共に暮らした彼は家族同然だ。寂しさのあまり父さん母さん俺と家族総出で止めたのだが、レオカディオの意志は固かった。生まれ育った島を離れ、本島の士官学校へと入学。優秀な成績をおさめた後、本島でも指折りの名家と養子縁組を結んだらしい。そして20歳を迎えた今、騎士としてロロン島の領主、即ち俺の下に就くために、晴れて戻ってきたと言うわけだ。


「いやあ、せっかく都会に出たんだから、わざわざこんな離島に戻ってこなくてもよかったのに。都心に立派な家もあるんだろ?」

「…ここが俺の故郷です。一度島を離れると分かりますが、こんなに美しい島は他にありません」


そこで言葉を切って、レオカディオは俺を見た。眩しそうに目を細め、言葉を紡ぐ。


「何より、ここには貴方が居ますから」


そう言って、表情を緩めて微笑んだ。彼の髪も瞳も太陽の光を受けてきらきら輝く。


「な、なんか照れるな」


あまりのきらびやかさに、俺は後頭部をかいて笑う。さすが都会に出た奴は違うなあなんてひとりごちる。そんなはにかむ俺を前に、レオカディオは先を続けた。


「ルイ。俺は…」

「実はな、家族がもうひとり増えるぞ」


俺がそう言うと同時に、レオカディオが足を止める。その視線は俺の背後、島の広場に釘付けだ。


「驚かせようと思って、秘密にしてたんだけど…」


満面の笑顔で、俺は報告を口にする。


「俺、結婚するんだ!」


彼の視線の先で、『祝!ロロン島領主結婚!』と書かれた垂れ幕が、風に吹かれてはためいた。






オリビア・エリサルデ。亜麻色の柔らかな髪が特徴的な、22歳の女性である。出会いは2年前。隣の島の行事に領主として参加した際に、声をかけてくれたことが始まりだ。そして俺は明日、彼女と入籍する。


小さな島の庶民派領主とは言え、仮にも島の代表者の結婚だ。俺の両親や交流のある島のお偉い方、奥様も招かねばならない。その準備期間も兼ねて式は来月である。


しかし入籍を明日に控えた今夜。すべきことはただひとつだろう。気心の知れた島の連中との独身サヨナラパーティーだ。


「我らが領主殿に、かんぱーい!」


愉快な音楽の音色を背景に、小気味良いグラスの音が響く。机の上に所狭しと並べられているのは豪勢な料理の数々。開けた大きな天窓からは、海の匂いを纏った風が入ってくる。


「いや、今夜に限っては領主“殿”はおかしい。領主“様”、いや。領主“ちゃん”が正しいのでは?」


島の友人が、どうでもいいことを、既に空になったグラスを傾け、大真面目な顔をして語っている。乾杯したばかりだと言うのに、どうやら既にだいぶ酔っぱらっているらしい。そんな友人を前に、俺は長い髪を靡かせ笑った。


「俺がかわいいからって惚れるなよ」


リバデネイラ諸島ロロン島。この島には少し変わった風習がある。それが、結婚前夜に、新郎は女になると言うこと。女装でもなく、魔法で一時的に本当の女になるのだ。


起源は花嫁を連れ去る悪魔を混乱させるためだとか、家庭円満の女神から恩恵を与るためにだとか、諸説ある。が、結局は独身最後の夜に浮かれた新郎が悪さができないように、と言う説が有力らしい。


一夜限りとは言え、男を女に変える訳で。ゴリゴリの筋肉ゴリラやビール腹のおじさんを筆頭に、人によってはとんでもない化け物も生まれがちなのだが、今回は当たりだったようだ。


「あらやだ、私より似合うじゃない」


俺を見て、衣装を貸してくれた女友達が目を見開く。ありがたくはないが、魔法で女性化した俺は可愛かった。首を傾ければさらりと流れる黒髪、大きな瞳は黒目がちで、白い肌にレースのワンピースがよく映える。


「俺と結婚してくれ~」

「言ってろ」


友人からの軽口をいなしつつ、席を立つ。そういえばと婚約者を探すが、俺の視界には姿がない。


「あれ、オリビアは?」

「さっき、2階に向かうのを見かけたよ」


礼を言って、どんちゃん騒ぎに背を向け階段に向かう。ここは領主、即ち俺の屋敷の広間だ。2階には客間があり、オリビアに使ってもらっている。おそらくは自室で休んでいるんだろう。


(そういえばレオカディオもいないな…)


ふと気付く。彼のことは当然招待しているし来ると言っていたのだが、姿が見当たらない。今朝、結婚の報告をした後ぐらいから、彼は様子が少し変だった。長旅で疲れているのかもしれない。


(あとで料理の一部でも持っていってやろう)


「オリビア~」


歩きながら、婚約者の名前を呼ぶ。廊下を歩いている途中で、キャッキャと嬉しそうな彼女の声が聞こえた。


(女友達とでも一緒にいるのかな)


「おーい、オリビア…」


半分開いた扉を押して、部屋の中を覗く。するとベッドの上に、知っている金髪を見つけた。


「あれ?レオカディ、オ…」


俺の声は、尻すぼみになる。振り向いたレオカディオと、彼の下にいたオリビアと目が合ったからだ。


その格好は、ふたりとも裸だ。そう、裸、裸、裸。


「…え?」


オリビアはこちらを見てギョッと目を見開き、慌てて服を着ようとする。いや手遅れだろと頭の隅っこの方で冷静に突っ込みつつも、俺と言えば、小さな声を発しながら、扉閉めるのが精一杯だった。


「し、失礼、しました…」






「マジか…」


建物から出て、外を歩く。今の時期のロロン島は1年の中で最も星が輝く季節。闇の中に帯状に広がる星々の光は足下さえ照らす。点在するいくつもの星雲と重なって、幻想的な夜空を作り出している。


けれどとてもじゃないが、呑気に空を見上げる気にはなれない。俺の視線は地面に釘付けだ。海岸まで着いたところで、砂浜に寄せては返す波を呆然と見つめる。


(まさか、独身最後の夜に寝取られるだなんて…)


しかも、俺が絶大な信頼を置く騎士に。そして何よりの問題は、他ならぬ俺の婚約者がノリノリだったことだ。キャッキャと楽しそうな声が、耳にこびりついて離れない。


(オリビア…。あんなに好きって言ってくれたのにな…)


彼女は隣の島の出身だ。若くて可愛いと評判で、周囲からは俺の持つ金と地位が目的に違いないと散々弄られたものだ。


それでも俺はオリビアの愛を信じてた。しょうがないだろ。30を目前に控えている童貞は、「愛してる」とか「あなたと幸せな家庭を築きたい」とかそういう文言に弱いんだ。


「ルイ、ですよね…?」


声をかけられて、顔を上げる。背後には、レオカディオがいた。彼の問いかけが疑問形なのは、俺が女になっているからだと気付く。


「レオカディオ…」


慌てて飛んできたのだろう。彼は服こそ着ているものの、少しはだけた胸元や首筋など妙に生々しい。それを見ないようにして、俺は視線を逸らす。


「まあなんだ…。幸せにしてやってくれよ…」


呟いて、夜空を見上げる。温かい液体が頬を流れる感覚を感じながら、俺は呆然と夜空に煌めく星々を見つめる。


(結婚式、今から中止にできるかな…)


「まさかレオカディオもオリビアのことが好きになっちまうだなんて…」


なかば独り言のようにぼやく。今回は相手が悪かった。若くて格好いい彼に勝てるわけがない。


しかし悲哀に浸る俺を前に、レオカディオはとんでもないことを言い出した。


「は?あんな尻軽女、好きになるわけないじゃないですか」

「お、お前。人の婚約者に向かって尻軽って…」


たしなめようとして、はたと気付く。慌てて振り返った。


「はっ!?はあ!?ならなんであの状況になるんだよ!」

「いえ。あちらが誘ってきて。初めは俺もほんの少しも興味はなかったんですが…」

「あ、ああ…」


確かに、女の子に誘われてきっぱり断り切れる自信は俺にもない。しかし納得しかける俺を前に、レオカディオは更なる予想外のことを言い出した。


「貴方が挿れた穴だと思ったら、興奮してきてしまって…」


とても静かな時が訪れた。不規則な虫の鳴き声、そして一定の間隔で訪れる、波の音だけが周囲に響く。


「…は?」


一瞬気絶しかけたが、何とか意識を取り戻す。そして彼の台詞の中で、まず気になった事実を否定しておく。


「い、いや…俺、オリビアとえっちなことしてないよ」

「え?そうなんですか?」

「彼女が婚前交渉はダメだって言うから…」


家の決まりだからと彼女は話していた。そんな貞操をレオカディオには許すなんて、俺のことは本当に金目的だったんだな。


(そう思うと余計に悲しい気持ちにな、る…)


「…え?」


なにか重要なことを見逃している気がして、顔を上げた。レオカディオの顔をまじまじと見つめる。震える口を開けた。


「な、なんで、俺が挿れた穴だと思ったら、興奮、するの…?」


言いながら、言っていることの異常性を認識し、語尾はだいぶ小さくなってしまう。


「……」

「……」


俺としては、期待したのだ。趣味の悪い冗談だったって、レオカディオが笑い飛ばすのを待っていた。けれど彼からは何の返事もない。


「…ルイ」


レオカディオが視線だけを動かし、俺を見る。金の髪の隙間から藍色に輝く瞳が覗き、思わずびくっと震える。


「ま、まあそういうこともあるよな!俺、ちょっと用事思い出したから…」


無理矢理大きな声を出して、背を向ける。とにかくこの場から逃げ出そうと、波打ち際の砂を踏みしめた瞬間、上から腕が被さってきた。


「ヒギャー!」


そのままがっちり首をホールドされて、思わず悲鳴が口をついて飛び出す。するとレオカディオは俺の耳に口を寄せて囁いた。


「しっ。お静かに」

「いっ、いや、てか力強、」


もだもだ暴れるが、レオカディオの腕はほんの少しだって動かない。そういえば彼は士官学校を卒業したばかりだったと思い出す。いつの間にかこんなに成長してたんだね。


「貴方が好きです。ルイ」


そんな甘酸っぱい気持ちを吹き飛ばす台詞が飛んできた。耳元に温かい息がかかって、背筋が凍る。


「まっ!待て待て待て!それ好きっていうか、好きなの!?とりあえずお前重症だぞ!!」


だって、所謂穴兄弟の事実に興奮するなんて明らかに普通じゃない。たぶん末期だ。するとレオカディオは目を細める。冷たい表情で、怒りに身を任せるように早口で捲し立てはじめた。


「お慕いする貴方の結婚を前日に聞かせられたんです。暴走ぐらいしますよ」

「い、いや。俺はそんなつもりじゃ…」


まごまご言い訳をする俺をよそに、レオカディオはもう片方の手を伸ばす。ワンピースの上から俺の腹のあたりを触る。布越しの体温は、ゆっくり上の方へと移動してきた。


「れっ、レオカディオ!」


慌ててその手を掴んで、行き先を阻む。


「俺は、た、ただ、お前が…その。よ、喜んでくれるかなって…」

「喜ぶ?俺は貴方と結婚するためにここに戻ってきたのに?」

「そ、そうだったの…?」


初耳である。そしてできるならば聞きたくなかった事実だ。彼は恨みがましそうに、事の顛末を口にする。


「それでも、貴方が好きになった人ならと、必死に自分を納得させたんですよ。相手の女をどうにか始末できないかと近付いた矢先に、誘惑されて…」

「いやそれ納得させられてないじゃん!もっと頑張って自分を納得させてくれよ!」

「は?納得できるわけないでしょう」


俺の正論は、怒りではちきれそうな声に掻き消される。


「貴方に恋をして15年、恋慕を自覚して10年。絶対に結婚しようと心に決めて5年経ったんですよこっちは」

「ヒエ」

「貴方と永遠に一緒に居るためにわざわざ島を出て騎士となり他所の家と養子縁組を結び、さあこれからゆっくりじっくり貴方を落とそうと期待して帰ってきたら、明日結婚するなどと言い出して…」

「ごっ!ごめん!知らなかったから…。お、俺が悪かったよな!」


10年かけて蓄積された激情は止まる様子がない。それをぶつけられた俺の背中からは、汗が吹き出る。


(や、ヤバい…!)


まさかずっと一緒にいた、そしてこれからも一緒にいるはずだった家族同然の男から、こんなトチ狂った暴露を受けるとは予想だにしていなかった。もう俺の頭からはオリビアのことなど吹き飛ぶ。結婚前夜に婚約者を寝取られた事件が些事に思えるってどういうことだ。


「ルイ」

「ヒエッ」


突然、とても落ち着いた声色で話しかけられ、思わず悲鳴が口から飛び出てしまう。恐る恐る見上げると、満天の星の下、彼はにっこり微笑んで続ける。


「遅くなりましたが、女性の姿。素敵ですね。とてもよくお似合いです」

「そ、そう…。あ、ありがと。そんなに嬉しくないけど…」


戸惑いながらもそう返すと、レオカディオは引き続き俺にかかった魔法について話し出した。


「ロロン島に伝わる女性化魔法は、本当に質が高いんですよ」

「あ、ああ。なんか聞いたことあるな。観光資源にもなってるし」

「ええ。健康に害もなく、解かねば半永久的に効果は持続。何より、本物の女性になれる」

「…?へ、へえ…」


真意が分からず、俺はただ相づちを返す。今の俺の心を支配するのは、この場から逃げ出したい。ただその一点に尽きる。


「……」

「!」


そんな俺を見て、レオカディオはふと腕を外した。解放された俺が慌てて距離を取ると、彼は眉尻を下げ、とても悲しそうに呟く。


「どうやったら、恋人として貴方の下に居られるか、ずっと考えてきましたが…俺は重要なことを忘れていましたね」


彼が俯いた拍子に、金髪がさらりと音を立てた。長い睫毛を伏せ、小さな声を絞り出す。


「貴方が自らそう思ってくださらないと、意味がないと言うのに」

「レオカディオ…」


寂しそうなレオカディオの様子に、俺は思わず手を伸ばす。両手で頬を包むと、彼はそっとその体温に寄り添い、瞳を閉じた。


(レオカディオ…まさかそんな風に、思っていただなんて…)


俺にとっては家族同然、しかしどういうわけかレオカディオにとっては好きな人に向ける愛だったのだろう。恋心を隠し続けた日々は、辛く苦しいものだったに違いない。そう思うと申し訳ない気持ちと、彼の苦しみに気付けなかった自戒の念で、俺の心には後悔が降り落ちる。


「レオカディオ、俺は…」

「ロロン島の女性化魔法の何より素晴らしい点は、繁殖機能とそれに伴う生殖機能も付与されることなんです。まるで、本物の女性のように」


俺が口にしようとしていた謝罪は、あっさり掻き消された。俺はぱちりと瞬きする。


「は?」


急に話を戻されて、俺の頭を満たすのは戸惑いだ。そんな俺の腕を、レオカディオが掴んだ。


「わっ」


そのまま引っ張られて前につんのめる。するとレオカディオはもう片方の腕で俺の腰を支え、ぴったりと体を寄せた。


その状況に俺が焦る間もなく、彼は俺の顔を覗き込む。まるで踊り出しそうな体勢で。満点の星空と海の音を背景に。美しい笑顔で、涼やかな声を出す。


「今の貴方を孕ませれば、きっと貴方も喜んで俺をお側に置いてくれますよね」

「…え?」


その後はあんまり記憶がない。






「…俺は一体、何を…」


そして気が付いた時には、俺は結婚式場にいた。


「ルイ、準備ができたそうですよ」


窓の外には真っ青な空と海、そして島の絶景が広がる。


ここはロロン島の山の天辺にある教会である。小さな建物だが、島の冠婚葬祭を全てここでまかなってきただけあって、歴史は深い。白い外壁は島の緑に映え、観光名所としても有名だ。そしてそんな素敵な教会に、俺は今いるわけで。


(いや。俺が今、教会にいること自体は良いんだ)


この挙式は予定されていた。前述の通り、ここはロロン島の冠婚葬祭を一身に受ける場所。オリビアと俺の挙式は、今日この日、この場所だったのだから。


(予定では、俺はこれに花婿として参加するはずだったんだけど…)


結局、俺とオリビアは、婚約破棄へ進むことにした。それはまあ致し方ないと思う。あんな状況を目にしておきながら新婚生活を迎えるなんて、俺のためにも彼女のためにもならないだろうし。

そしてあれから1ヶ月が経つ俺の体が、何故かまだ女のままであることもまだ些末なことだ。


(何よりの、問題は…)


呆然と、机上の立て札を見やる。しかし、そこに書かれた新婦と新郎の名前は、オリビアと俺じゃない。きっちり変更されている。即ち、


「ルイ?」

「ヒギャーッ!」


その立て札の前に突然、レオカディオの顔が降ってきた。驚き、椅子ごとひっくり返りそうになる俺の背中に手を差し入れ、彼は俺を支える。背後で、椅子が倒れる音がした。レオカディオが俺の顔を覗き込む。


「驚かせてしまいましたか。先程から話し掛けていたのですが…考え事ですか?」

「い、いや。状況を、整理してた…」


自分で立とうと体勢を立て直す。しかし途中でドレスの裾を踏んづけそうになってしまい、慌てて足を引っ込めた。


(う…)


その拍子に自分の今の格好を思い出し、びくっと震える。だって俺が踏んづけそうになってしまったドレスは、現在俺が着ているんだもの。


「やはり、俺が選んだウェディングドレス。よくお似合いですね。変更がきいて良かった」


そして笑顔でそう話すレオカディオも、また華やかな衣装に身を包んでいる。銀色に煌めく鎧、彼の目と同じ色のベルベット生地のマント。ところどころ金のラインが入っているあたり相当洒落ている。そして胸に差した花は俺の頭を飾るものと同一のもの。騎士の最上級の礼装らしく、普段の男前ぶりに輪をかけて仕上がった彼は、爽やかな笑顔で口を開く。


「本来貴方とあの女との式だったと思うと腸が煮えくり返りそうですが…色々と無駄にならなくて良かったですね」

「ああ、そうだな。料金も先払いだったし招待状も配っちゃってたしねっ、じゃねーだろ!!」


そう、俺とオリビアの結婚式は、何故かそのまま、レオカディオと俺の結婚式へと差し替わった。


「いつの間にか全部決まってたんだけど!?」


婚約者とは破局、隣の騎士からはヤバイ性愛をぶつけられる。突如立て続けに起こった大事件のせいで、ここ1ヶ月俺は半ばショック状態であった。そんな俺を置いて、レオカディオは勝手に準備を進めた。日時はそのままに衣装や装飾の変更をし、招待客への訂正の連絡、そしてオリビアとの婚約破棄の後始末諸々。それこそ流れるように手際よく、一切の抜かりなく。全ては今日の、俺と彼の結婚式の為に。


「おかしい…おかしいだろ!ま、まず、父さんと母さんなんで喜んでんの!?」


何よりの問題は、結婚式の主役がすげ替わると言う衝撃の事態にも関わらず、俺の周囲が何故か全員心からの祝福を送ってきたことだ。独身サヨナラパーティーに参加していた連中も、今日の為に集まった参列者も、そして俺の親も。


「いやイカレてんだろ!俺の両親の立場からしてみば、息子が娘になった上に、兄弟同然に育てた男と結婚するんだぞ!」

「血も繋がってないしですし戸籍上も他人ですよ。貴方と結婚する為だけにわざわざそうしたんですから」

「こっ、こわ!いやそうじゃなくて、普通なら大反対するだろってことだよ!」


両親は、俺の結婚式に合わせ旅行から帰宅した。何て言えばと焦る俺を、母親は何も言わずぎゅっと抱き締めた。目に涙をいっぱい溜めて、幸せになってよかったと呟く。父さんはもらい泣きをしながら、その後ろでうんうん頷いていた。


「何その反応…!?レオカディオ!一体なにしたんだよ!」

「大したことは何も。俺の愛を懇切丁寧に説明しただけです」


彼はしれっとそう答える。反論しようとして、俺は気付いた。


そういえば、あの両親は映画でも劇でも禁断の愛とか何年越しの純愛とか、そういった題材に弱かったことを思い出す。レオカディオがどう言ったのかは知らないが、おそらくは俺への一途な恋心を明かし時には涙も見せつつ彼らのツボを的確に突きまくったに違いない。


「いや俺の両親単純かよ…。俺から婚約破棄したのに、オリビアもオリビアの両親も何も言ってこないし…!」


それどころか彼女の家からは祝電が届く始末である。花束とメッセージを両手に抱えた可愛いテディベアを呆然と見ていると、レオカディオはふんと鼻を鳴らした。


「あちらも不貞行為を貴方に見られていますからね。強くは出られません」

「不貞行為の相手お前だけど」

「だめ押しに都会のそこそこいい身分の男でも紹介してやれば、恩を感じこそすれ反対されることはありませんよ」

「し、幸せになるなら良かったけど、それはそれでショック…」


だって彼女からすれば俺はたたの踏み台だったかもしれないけど、俺にとってははじめての婚約者だったんだもの。そんな複雑な気持ちになる俺をよそに、レオカディオは貴方は甘いとか本当は地獄に送りたかったとか怖いことをぶちぶち言っている。


そして一通り騒いで、俺は気付いた。

 

(これ、マズイのでは…?)


レオカディオの念入りな下準備によって、皆が皆、祝福してくれていることは理解した。しかし反対がないと言うことは即ち、誰も止めてはくれないと言うことだ。この、俺とレオカディオとの結婚を。


(に、逃げな…)


「ルイ」


名前を呼ばれ、心臓が盛大に跳ねる。おそるおそるレオカディオを見ると、彼はにっこり微笑んで続けた。


「男性の時も当然、見目麗しかったのですが…女性となっても、貴方は完璧ですね。俺が好きになった時から、何も変わらない」


彼は長い脚を畳んで、俺の足元へと跪く。俺の手を取った。


「どんな女より、男より、誰よりも俺は一途ですよ。ルイ」


頬を桜色に染めて、青い瞳を情熱でいっぱいにして、彼は言う。


「愛しています。幸せな家庭を築きましょう」


白い手袋越しに、そっとキスをする。心底幸せそうなその笑顔は、俺の瞳の中できらきらと光る。その煌めきが彼の金髪のせいだけじゃないのは、たぶん確かなんだろう。


(こ、これは…)


顔の熱を感じながら思う。そう、独身最後の夜に、事件は起きた。


(寝取られたのって、俺の方?)


祝福の鐘が島中に鳴り響く。雲ひとつない真っ青な空を、海鳥が飛ぶ。太平洋に浮かぶ小さな島。本日。リバデネイラ諸島ロロン島は、絶好の結婚式日和である。

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