第8話 真実

 しかし、いきなり帰れとは。明日がその日だと言うならば、確かに一般の兵士は休むべきだろう。始まる前の我々はただの見せかけ、本当に働かなければならないのは警察やら諜報機関だ。


「何はともあれ、リーシャの誕生日を祝う事が出来るんだ。今この場限りでは感謝しておこう」


 顔の出血は無かった。どうやら、本当に近くを横切っただけらしい。


「冷静に考えると冷や汗ものだな」


 再度自分が死と隣り合わせだった事を認識し身震いする。


「いかんいかん。これから戦争かも知れんのにこんな事ではリーシャに会えなくなる」


 心のどこかにある恐怖心を和らげて、体に活を入れる。そうこうしていると家に着いた。


「二時間程か。体感ではもっと長いんだがな」


 扉を開け中に入る。


「あれ? 鍵閉め忘れたか」


 極度の緊張で記憶があやふやだ。これでは新兵と変わらんではないか。


「平和とは… なんとも」


 リーシャと出会ってからの色々な事を思い出し、自然と笑みがこぼれてしまう。

 少し咳払いをしてにやけた顔を元に戻し、寝室に戻る。シャワーを浴びる前に、服を置く体でリーシャの様子を確認しよう。もう寝ているだろうか。日付が変わると同時に誕生日プレゼントを渡す予定なのだが。


「ん?」


 扉を開けようとしたが、最後までしっかりと閉まっていない事に気付く。とすると私が家を出た時か。寝室が寒くなっているだろう。悪いことをしたな。

 扉を開け部屋に入る。ベッドの上には誰も居なかった。


「もしかして怒って帰ってしまったか… ああなんて事を… 居留守でもして家にいるべきだったか?」


 と後悔を呟きながら服を掛けようとすると、机に置いてある一枚の紙が視界に入る。


「これは… さようなら? 嘘だろ?」

「はい」


 突然後ろからの聞こえる声。それを聞いて安堵する。その声は紛れも無いリーシャの声だった。


「リー…」

「動かないで下さい」


 リーシャはそう言うと私の左脇腹から手を伸ばし、背中に顔を埋める。


「遅かったですね。ハインさん」

「いや… すまん。出来るだけ早く帰ってきたんだ。ゆるしてくれ」

「仕方ないですね」


 と言って、ゆっくりと離れて行く。それと同時に腰が軽くなったような気がした。


「リーシャ? それは拳銃…」


 振り返るとリーシャは、抜き取った拳銃を左手で構えこちらに向けていた。全身を黒い服で包んでいるが、右手や足は赤い液体でまみれ、いつ倒れてもおかしく無い状態だった。


「…止血を」

「動かないで下さい!」


 現状が分からず、とにかく医療品を取りに行こうとした矢先リーシャに制止させられる。


「しかし、その傷は…」

「まだ…分からないんですか?」

「…分からないし、分かりたくもない」


 傷を見た時点でどういう事か分かってはいたのだろう。しかし、頭はその事実を否定していた。


「私が他国のスパイだった。ただそれだけです」

「……」


 それを聞いて、ただ何も出来ずに立ち尽くしていた。本来なら、拳銃を取り上げて無力化するべきなのだろう。だが体を動かす事は出来なかった。


「……と言ってくれ」

「なんと?」

「嘘だと言ってくれ!」


 違う。そんなはずは無い。エルムは大丈夫だと言っていた。


「嘘です」

「……」

「全て嘘なんです。ハインさんの事が好きだと言ったのも仕事です」

 

 僅かな希望が見えたと思った瞬間、それは粉微塵に吹き飛んで行った。


「最初から最後まで全て嘘。ハインさんは騙されてたんですよ。私に絆されて、簡単に色々話てしまうんですから」

「しかし… エルムは…」

「こちらの工作にガリアの傀儡が勝てるとでも本気で思っていたんですか? もう少し真面目にやった方がいいと思いますよ?」


 頭の中で何か切れた。悲しみだろうか怒りだろうか。いや両方だったのだろう。足に力が入り、体勢も低くしてリーシャをベッドに押さえつけた。


「乱暴な人は… カハッ… 嫌われますよ」

「少し静かにしてろ」

「もしかして… まだ間に合うとか… 思ってません?」

「思ってる!」


 エルムなら、大佐ならどうにか出来るはずだ。


「もう無理ですよ… ハァ… あの人は許してくれなさそうですし。投降も交渉も…する気有りませんので…」

「まだ、私が頼めばどうにかなる」

「ほんと… お人好し… そう言う所が… 嫌いなんですよ。そうやって誰にでも…」

「リーシャだけだ」

「嘘も…つくんですか?」


 自然と、何かが込み上げて来た。何か絶対的な壁がそこに有るような感覚に襲われた。


「意地悪しすぎましたかね… 泣かないで下さい。後味が… 悪いので」


 もう耳から入って来るものを整理出来ない。ただリーシャの治療を行う事で意識をはっきりさせようとした。


「もう手遅れ… です… 血が…」

「黙ってろ」

「もって後… 数分です。これでもまだ… 私の事を愛してくれているのなら… 二つ程お願いを… 聞いてもらえませんか?」


 リーシャの声は弱々しいものになっていた。言葉を発したら何も聞こえなくなりそうなので黙って頷く。


「一つ、私の事は忘れて下さい。二つめは… そこにあるプレゼント… もらえませんか? 一人だと… やっぱり寂しいので」


 涙のせいで少しぼやけて見えるが、リーシャは少しだけ笑っている。

 用意してあったプレゼント。その箱の中には以前言っていた指輪が入っている。


「右手は使えないので… 左に」


 言われた通り、指輪を左手の薬指にはめた。表情はあまり変わっていなかったが、今までで一番嬉しそうな目をしている。


「そういう知識は… あるんですね…」

「…悪いが一つ目は無理だ。私には出来そうに無い」


 一年も無かったが、恐らく今後忘れる事は無いだろう。


「ハァ… なら、変更… 幸せになって下さい… 私のせいで不幸になった…とか 怒りますよ?」

「……」


 もうリーシャの左手に力は入っていなかった。脈は薄れ、息をしているかどうかも怪しくなっていた。

 そこで、扉を叩く音がした。それは数時間前にも聞いた音だった。


「誰にも… 騙されたら… ダメですからね」


 黙って見守るしか無かった。数十秒早く正しい判断が出来ていればリーシャは生き長らえたかもしれなかったのに。


「お元気で…」

「待てリーシャ」


 どこにそんな力があったのか、左腕のみでベッドから押し出された瞬間、リーシャの口元でガリッという音がする。

 リーシャの瞳からは光が失われ、二度と動く事は無かった。

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