第6話 誕生日には

 今日は三月七日。後数時間でリーシャの誕生日である。


「なぁ リーシャ」

「何ですか?」

「その… 少し寒かったりしないか?」


 少し暗い寝室。リーシャの奥に見える窓からは、いくつかの街灯と月明かりに照らされた街並み。


「これから暑くなりますし、ちょうど良いと思いますよ?」


 リーシャが視線を向けた先には、この前持ってきてくれたボトルがあった。


「その件なんだがな、今ちょっと酒は飲めんくてな…」

「特別な日でもですか?」

「色々あってな…」


 リーシャは不満げにこちらを見て来る。


「ハインさん」

「うん?」

「何があったか教えて下さい。この頃、お店でも全然お酒飲んでないじゃなですか」

「ちょっと酒の飲みすぎだって、エルムに言われて…」


 よりにもよって四月までの禁酒令だ。友人に言われただけなら少し位ともなるが、結局非公式ながら命令になってしまった。


「一日位良いと思いますけど?」

「と言われてもな」

「今日だけです」

「他のもので代用を…」


 うーん、と唸りながら思案しているとリーシャが溜め息をつく。


「分かりました…」

「うん? 本当か?」

「はい。それで次飲めるようになるのは何時ですか?」

「あまり飲まないでいると禁断症状が出るからな。四月辺りかな」

「そうですか…」


 と心底悲しそうに俯くリーシャ。

 すまないが、これも命令だ。


「…それならハインさん。ここに座っていただけますか?」


 ベッドに腰掛けているリーシャは、その隣に座るように促す。そして腰を下ろすとリーシャが話始めた。


「不安なんです。ラジオでも聞きました。戦争になるかもしれない、と。ハインさんがどこかへ行ってしまう気がして」

「私はどこへもいかんよ。それに戦争なんてそうそう起きるもんじゃない」

「でも、もしそうなったらハインさんは絶対に…」

「大丈夫だ。這いずってでも戻ってくるさ」


 数秒の沈黙後、リーシャの両手に顔を引き寄せられる。そのまま唇が重なる…直前で止まった。


「ハインさん。あなたは戦いに行ってはいけない人です。すぐに死んでしまいます」

「何を言い出すかと思えば… これでも実戦経験はあるんだぞ?」


 なんとか元気付けようとするが、リーシャの不安げな顔は戻らない。


「ダメです。ハインさんは戦場では生き残れません」


 流石にそこまで言って欲しく無い。もう少し信頼してくれてもいいと思うのだが。


「何を根拠に?」

「相手が若かったら? 子供だったら? ハインさんは絶対に躊躇するでしょう?」

「それが必要な命令なら… 撃つさ」


 この返答は正解なのだろうか。人間として間違っているのかもしれない。だが、こう言うしか無いのだろう。そうでもしなければ、離してくれなさそうだ。


「もし… 戦場で私と対峙したら、ハインさんは私を撃てますか?」


 これまで逸らしていた視線を元に戻す。視界に飛び込んで来たのはリーシャの真剣な瞳だった。


「…そんな事は起こらない。理由は言えないがね」


 そう言って頑張って笑みを作る。ただ、今はリーシャを安心させたかった。


「……ハインさん」

「ん?」


 リーシャの目には涙が浮かんでいた。どうすればいいのか分からない。


「……お願いです。せめて今日と明日はどこにも…」

 

 自分の判断力の無さを呪う。しかし体は、無意識ながら先ほどはなし得なかった行為をするべきだと訴えかけてきた。


「リーシャ…」


 お互いの唇が接触する僅か数ミリの所で、ドンドンッという音が聞こえてくる。リーシャの手を丁重に膝に戻して、玄関へ急ぐ。

 扉を開けるとそこにはエルムが立っていた。


「少佐、仕事だ。ついて来い」

「大佐殿。今すぐに、でありますか?」

「そうだ。お楽しみ中だったか? それなら悪いが途中で切り上げてもらうぞ」

「違う! いえ…違いますが…」


 夜中にエルムが私を呼び出すということは、おそらく何かが始まるのだろう。おまけに階級呼び、つまり軍務だ。


「だったらさっさと行くぞ」

「……」

「確か彼女の誕生日だったか。安心しろ明日の朝には帰してやる」

「了解しました」


 急いで部屋に戻り制服に着替え、拳銃を装備する。未だにリーシャから貰った方は使いこなしていないので、支給された物を持って行く。


「ハインさん! さっきどこにも行かないでって言ったじゃないですか!」


 部屋から出て行こうとした時、リーシャの声が突き刺さる。


「まだヤーとは言っていないぞ」

「そんな…」

「明日の朝には隣にいるよ。だから、今日は寝ておいてくれ」


 部屋から飛び出し、玄関で待っていたエルムについて行く。車に乗って数分、行き着いた先には数名の憲兵がいた。


「目標は教会だ。軍事的には重要目標では無いが、諜報部からの調査命令が出ていてな」

「それでわざわざ大佐が現場に出てきたのか」

「最後のは二年前だ。恐らく敵は居ないと思うが一応な」

「敵が出てきたら任せておけ」


 追加でやってきた憲兵と共に教会へ近づく。神父や修道士との数分の押し問答の後、どうにか入る事が出来た。


「それでどこから見ればいいんだか」

「とりあえず奥に行こう」


 と、足を進め出したその瞬間、教会の荘厳な静けさとは対照的な射撃音が響き渡る。それと同時に私の隣にいた兵士は後ろにのけぞり、そのまま力が抜けたように倒れてしまった。

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