第5話 空には煙

「久しぶりだな。エルム」


 西ゲルマニア軍のとある駐屯地。そこで一人の男が、友人の帰還の報を聞きつけ飛び込んできた。


「五ヶ月ぶりと言った所か。それで今回はどこに行ってきたんだ?」

「東ゲルマニアだよ。何故貴様はそんなに嬉しそうなんだ」

「再開を喜ぶのは当然だろう。で、どうだったんだ?」

「南ゲルマニアよりはマシだった。ルーシ兵の数も減少傾向にある」


 同じ国名にも関わらず東西と南の三つに分裂しているのは、なんとももどかしい。

 だが、それも後少しの辛抱のはずだ。


「我らの宗主国様はなんと言ってるんだ?」

「ガリアからは音沙汰無しだ。案外あちらも余裕が無いらしい」

「なるほどな。それで、いつ始まるんだ?」

「言える訳が無かろう。も感づいてはいるが、それでも最後まで情報統制は徹底する」


 確かにそうなのだが。


「おかたいねぇ」

「貴様、事の重大さを分かっているのか?」

「分かってます分かってます。しかし、バレているなら隠しても仕方が無いだろう?」


 視線が衝突してから数秒後、溜め息と共にエルムが音をあげる。


「…実際の所決まっていない。今のままでは、少なくとも二重帝国とルーシを相手にする事になる」

「それでは何年後になるか分からんではないか!」

「そういうものだ。だが安心しろ。ルーシはこちらの動きに感づきつつも兵を引いている。欧州方面では無いどこかに動員予定でもあるのだろう。それに合わせる」

「よし。分かった」


 どうも体の高ぶりを抑えられない。後少しで私の故郷が帰ってくる。私がその先陣をきることが出来るのだ。そう考えるだけで、体が武者震いをしてしまう。


「ところでハイン。少し気になる事があるんだが」

「なんだ?」

「これを見ろ」


 そう言うとエルムは机の端に用意していた書類を私の前に差し出す。


「リーシャ・スモレンスキーのものだ」

「それがどうかしたのか? まさかっ」

「いや、大丈夫だ。何も出なかった」

「そうか…」


 これでやっと安心できる。もちろん、リーシャと付き合い始めて一週間足らずで疑念は吹っ飛んでいたが、それでもやはり心の奥底にわずかな不安があった。なにせリーシャの出身地はルーシ。東ゲルマニアの事実上の宗主国だ。政治的な不透明さが残っていたのは擁護出来ない。だが、諜報部大佐のお墨付きを頂いたのだ。もはや何も心配する事は無い。


「それでなハイン。前に儂の敷地で射撃をしただろう?」

「ああ」

「リーシャの腕前はどうだった?」


 あの日からというもの、エルムは仕事が忙しくなり全く連絡を取っていなかった。思い返せば、あの初デートのような何かを仕組んだ張本人は目の前の男だった。いや、仕組んでくれた、か。


「こちらに来る前はハンティングをしていたらしいし、それなりの腕前だったぞ」

「もう少し具体的に頼む」

「具体的にか… 五ヶ月前だからなぁ」

「憶えてる範囲でいい」


 と言いながら、どこからから取り出したのか、エルムは葉巻に火を付けていた。


「そうだな。構え方は洗練されていたな。軍人と遜色ない。ただ、射撃精度はそこまで高くは無かった」

「経験があるのにか? 二百メートルも無いはずだが」

「と言われてもな。少しなまっていただけだろう。それに的も人間サイズ。鹿や熊に当てるより難しいのは当然だ」

「…合計で何発命中していた?」

「いや、確か命中弾は一発も…」


 記憶を掘り返しながら報告していると、二秒間ほどの間周辺の物体が振動した。机上のガラス瓶や、壁に掛けてあるプレートがカタカタと音をたてる。


 その場にいた二人の軍人はそれが爆発の衝撃波であると瞬時に理解した。


「街だ。行くぞハイン」


 二人は建物から飛び出し、駐屯地内でエンジンをかけていた車を捕まえ現場に急行する。

 現場は既に警察によって封鎖されている。その中には、軍の憲兵も混じっていた。

 車から出たハインは、人だかりの中心に目を向ける。ハインは、爆発が起こり瓦礫の山となり果てた建物の立地に覚えがあった。

 腰に下げているリボルバー。それをリーシャにプレゼントしてもらったあの銃砲店があった場所だった。



 状況を把握した後、駐屯地に戻り報告書を受け取る。時刻は既に午後七時を過ぎていた。


「死者二名。従業員の遺体は見つからず、か」

「あのおじさん…」

「知っているのか?」

「前に行った事があってな」


 とても愛想がよく、リーシャとも親しかった記憶がある。

 リーシャに初めてプレゼントを貰った思い出の店だ。忘れる方が難しい。


「ともかく、捜査は憲兵隊ではなく警察がやることになった。火薬も取り扱ってたようだし、おそらくは事故だろう」

「リーシャになんと言えば良いか…」

「貴様の落ち度では無い。気にするな。それと四月まで酒はやめておけ」

「ああ。分かった」


 一通りの事務を終えた後、家への帰路につく。季節は既に冬の終わり。気温は氷点下まで下がり、視界には街灯と家々から漏れるわずかな明かりのみ。

 家の入り口まで十数メートルの所で、誰かがこちらに歩いてくるのに気づいた。


「ハインさん!」

「リーシャ。こんな夜中にどうした?」

「忘れない内にこれを届けようと思いまして」


 見ると、リーシャの手には一本のボトル。


「そう言えば、とっておいてくれと頼んでいた気がするが… すまないな」

「いえ」


 そしてボトルの受け渡し後、リーシャはすぐに帰ってしまった。


「私が丁度帰って来た時で良かった。しかし、エルムに禁酒を言い渡されたしな… これはお預けかな」


 そう言って、ハインは少し高めのワインを家の奥にしまい込んだ。

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