第4話 雨の付き合い

 周囲には酔っ払い。充満する酒の匂い。そして、隣には少しの酒で赤くなってしまったリーシャ。


「ハインさぁん」

「リーシャ? そろそろ止めておいた方が…」

「だぁいじょぉぶでぇすよ~」

「大丈夫そうには見えんが」


 一緒に食べに行き、帰りしに寄っていこうと言うから入ってみたわけだが。


「そろそろ帰ろう? な?」

「あと一本だけですぅ」

「一杯ならともかくだな…」


 確かに今日は遅くなっても、なんなら帰らなくても大丈夫だ、とあの店主は言っていたが。それでも駄目なものは駄目だ。


「外も暗くなってきたし。それにそのまま飲み続けると潰れるぞ?」

「……」


 応答無し。本格的にマズい事態になってきた。別に切羽詰まった状況では無いが、もしリーシャが完全に泥酔してしまったら私が担いでいく羽目になる。もちろんそれ自体が嫌なのでは無い。なんなら少しばかり嬉しさまで感じるが、そもそもどうやって帰るのだ?背負って行けばいいのか?もしかしてお姫様を抱いて行くように…。いやいや、それは無い。


「リーシャ、頼むから起きてくれ。寝るなら家で…」

「じゃぁ ハインさんの家で~」


 家に連れて帰ればいいのか?それで今夜はそこで寝ると?無理だ。却下だ。こちらの身がもたん。


「とりあえず君の家まで送って行くから。ほら、立てるか?」


 完全に寝てしまう前に送り返そう。この調子で迫られたら私の理性が木っ端微塵になる。

 リーシャの左腕を肩に回して無理やり立たせる。その間、もっと下さい~、などとわけの分からん発言をしていたが、それを聞き流しお金を払って店から出る。


「もぅ ハインさんの意地悪ぅ」

「なんとでも言いたまえ」


 飲み続ければ明日の朝、後悔するのは目に見えている。

 リーシャの家へ向かって、亀のような速度で歩いていると雨が降ってきた。珍しい事に随分と勢いが強い。


「リーシャ! 起きろ! 走って帰るぞ!」

「抱っこしてくださぁい」

「分かった分かった。背中に乗れ。離すなよ」


 少ししゃがみ、リーシャの両腕が前に回ってくる。そのまま足を持ち上げ、なるべく前傾姿勢を保ち、先ほどの五倍以上の速さで目的地に急ぐ。


「うぅ 寒いですぅ やっぱりハインさんの家に行きましょうよ~」

「何を呑気な事を…」


 いや、確かに一理ある。現在地からして、私の家に行った方が早い。十分以上も雨風に晒してリーシャが風邪でも引いたら大惨事だ。そう、これは仕方の無い措置である。


 頭の中の葛藤を抑えている間に家へ到着してしまった。玄関の鍵を開け中に入る。


「リーシャ。起きてるか? 着いたぞ」

「はい。もちろん起きてます」


 雨に打たれたせいだろうか、すでに酔いは覚めているようだった。


「ともかく、傘はあるからこのまま君の家に…」

「やっぱりハインさんは意地悪です」

「せめて疑問文で頼む」


 確かにこの状況でまた外に出すのは、少々配慮に欠けるか。


「いや、すまん。シャワーはそこの奥だ」

「ありがとうございます。前言は撤回しておきますね」

「ああ」


 リーシャが扉の中に入り、数秒後、陽気な鼻歌が聞こえてくる。他国の歌はあまり知らないが、一応リーシャと付き合い始めた辺りに色々調べた。あれは確か子守歌だ。内容は早く寝ないと狼がどうのこうのだった気がする。

 リーシャがシャワー室にいる間に自室に戻る。流石にずぶ濡れのまま家を徘徊するわけにもいかない。

 羽織っていたコートを吊し、座って日記をつけていると、


「ハインさん?」

「うおっ」


 静寂からの唐突なリーシャの声。我ながら情けない声を出してしまった。しかし、


「何故そんな格好なんだ!」


 リーシャが身に着けていたのは大きめの白いタオル一枚。肌と殆ど同じ色だが、透けていない所を見ると二枚目だろう。などと言っている場合ではない!


「いえ、その… 男性の… ハインさんのものしか無くて…」

「いやだが…」


 どうすればいいんだ?確かに言い分は分かるがそれでも裸はおかしいだろう。しかし、私のを着ろと言えばいいのか?


「別に、ハインさんになら見られてもなんとも思いませんけど」

「私が何か思うんだ。それに何故、私の部屋に来るのかね」

「やっぱりハインさんは酷いです」

「ああ、確かに。今のは否定できんかもしれん」


 そしてタオル一枚のリーシャはベッドに腰掛ける。よし、これはいける。


「シャワー行ってくる!」


 脱出口が開いたのだ。こんな好機を逃せるはずも無い。


 汚れた体を洗い流し、ついでに汚れきった心を浄化し、上着を一着余分に持って部屋に戻る。扉を開けて中を確認すると、リーシャはその白い肌を露わにしてベッドの上で横になっていた。


「もう秋だ。そんな格好で寝たら風邪引くだろ」


 幸いリーシャは掛け布団の下にいたので、そのまま肩まで布団を掛ける。

 そして私の何の邪気も無い手を、完全に寝ていたはずのリーシャがしっかりと掴んだ。そのまま引っ張られ、ベッドに引き倒される。


「起きてるのか?」

「もちろん。ハインさんと少しゲームをしたいな、と思いまして」

「ゲーム?」


 まったく、心臓に悪い。それに、リーシャのこの笑顔。何か企んでいると容易に予測出来る。


「どっちが遅くまで起きてられるかの勝負です」

「さっきまで酔い潰れていた奴の発言とは思えんな」

「いいじゃないですか。もしかして自信ありません?」

「いいや。私は早めに寝てしまいたいだけだ」


 今日は少し疲れた。肉体的にも精神的にも。酒でも飲んで早く寝たい。


「もぅ ゲームにならないじゃないですか」

「疲れたからな」

「じゃあ、こうしましょう。起きてる方が寝てる方を好きに出来る」


 何?


「好きに?」

「はい。何でもお好きに」


 何故だ。体が元気に。


「よーし分かった。後悔するなよ?」

「ええ」


 そして、横並びで寝る事になった。少し窮屈だったが、起きる分にはこちらの方が都合がいい。

 もし、リーシャが寝てしまったら何をしようか。いや無意識の相手に手を出すのは道徳的に駄目だろう。しかし、寝ている間限定だからな。


「リーシャ。起きてるか?」

「……スー……スー」


 寝てしまった。リーシャのとても朗らかな笑顔が目と鼻の先に存在していた。さて、ここからは私の自由なわけだが。いやダメだ。常識的に考えておかしい。それに、好きに出来るといってもナニをするんだ。


 脳内で幾度となく思考の空回りを繰り返し、体は金縛りにあったかの如く硬直していると、次第に窓から光が差してきた。

 結局一睡も出来ず、過剰な緊張と睡眠欲に揺さぶられて朝を迎えてしまったのだ。


「もしかして、起きてるんですか?」


 リーシャが起きたのだろう。私の意識は遠のく寸前だった。


「本当に、よく頑張りますね。ゲームは終わりですよ」


 結局、何も出来なったか。


「お休みなさいハインさん」


 視界に広がるリーシャの手。その手に導かれるように、私の意識は夢の世界に行ってしまった。

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