第29話 カウントダウンⅥ

 教室である学園長室へと戻ってきた三人を由愛が笑顔で迎えてきたことで、さっきまでの冷え切っていた空気は消え去り、一樹の後ろにいる女子二人は駆け足で由愛のもとへと近づいて、由愛の頭を撫で始めた。


「なっ、何するのよさっ!?」


 普段とは違う反応をされた由愛は困惑しつつも、頭を撫でられているのが嬉しいのだろう。無邪気な笑顔を周りへと向ける。そんな光景を見ていた栖偽や斬時、そして珍しくも目を細めているはずの憐矢が鼻血を出しながら気絶してしまった。

 気絶している三人の表情といったら、幸せな夢でも見ている子供のような無邪気な笑顔で、普段無表情の斬時や憐矢には似つかない笑顔で倒れている。


「ここまで危険な存在だなんて思ってなかったわ……」


 部屋の隅で腕を組み、片足だけで体重を支えている揮移はというと……。


「先輩……何で目を瞑ってるんですか?」


 そこには力一杯に目を瞑っている揮移がいるのだ。顔に皺が寄る程の力で、由愛の今の表情を断固として見まいといった感情が読み取れる。


「綺兎部君、人には見ていいものと、見てはいけないものがある。その一つが由愛のエンジェルスマイルだ。推測なのだが、彼女の笑顔自体に能力が使われているかも知れない。それも、能力の形を変えて。人の感情に直接訴えかける由愛の笑顔。それ自体がすでに能力なんだよ」


 依然、揮移は目を瞑りながら真剣に口にしている。だけど、一樹にはその姿が真剣には見えない。何故なら、


「先輩、口元が緩んでますよ?」


 少し前まで真剣そうに口元は閉じられていたにも関わらず、その口元は微笑んでいるのだ。表情は依然と真剣なのに、口元だけが微笑んでいる。このアンバランスさが彼女の真剣さを無へと帰しているのだ。


「私だって真剣に話がしたいのだが、目の前で由愛が笑顔でいることを想像してしまうと、どうしてもこうなってしまうんだ。許してくれ」


 許すも許さないも、そんなことは言っていないのだけど……。

 教室にいた三人の男子は床へと撃沈し、壁に寄り掛かっている学園一位は顔に皺を寄せながら微笑んでいる。


 なんなんだ、この光景は……。


 これから真剣に訓練をしようと思っている矢先にこの状況……。誰かが仕掛けているとしか思えない。

 教室の中央で頭を撫でられている由愛と、頭を撫でている明日奈に幸。彼女たちは、頭を撫でるという行為を止める気配を感じられない。この釈然としない教室の中、一樹はというと自分の定位置となった高級そうな机の目の前にある、これまた高級そうなソファへと腰を掛けて集中し始める。

 自分の中の天使の力をイメージしながら、確実にそれを現実へと形を具現化させようとする。その一樹の集中法が目を瞑って膝の上に手を返して置くという、極シンプルな瞑想というものだ。

 自分の集中力を高める為に、自分の意志で周りの音を聞こえないようにする。実際には音は聞こえているのだが、それに気が付かない程の集中力を形成するのだ。それまでにどれだけの時間が掛かるかと言うと、最短で三分長くて十分、と分単位になっているのがネックな部分だ。集中するまでの間は嫌でも騒がしい声も聞こえて来てしまい、それに集中力を阻害される。一回怒鳴りつけようかと思うのだが、そんなことをしている時間などもうないのだ。学園戦争はすでに一週間となってしまっているのだ。

 さっきの訓練中も、すこしだけでも能力があれと思う場面もあった。

 勾坂が訓練場に入った後、その訓練場からは発砲音と爆発音が聞こえてきたのだ。その爆発の振動は異常な程大きく、心臓へと直接響いてくる感じだった。訓練場の壁は、一応防音なのだが、それでも音が聞こえてきたとなると、勾坂の力量が計り知れないほどのものだというのは、すぐに理解できた。あれが学園二位の実力。間近で見ていないので、爆発の規模は分からないが、音だけでも危険だということは分かる。

 そして、一樹はそれ以上の力を手に入れようと努力をしているのだ。

 学園の生徒でも、あそこまでの力をつけるまでに二年以上は掛かる。そんなものを一樹は、あと十ヶ月程度で手に入れなければいけない。


「流石に無理だったか?」


 集中しながらも、そんなことを口にした。もう、その時点で集中力は一樹の頭からは剥がれ落ちていて、もう一度最初から集中をし直さなければならなくなる。

 面倒くさいという感情が籠った溜息が口から吐き出されると、ゆっくりと空気を肺へと送り、ゆっくりと外へと吐き出す。そんな深呼吸を何回、何十回と繰り返していくと、自分でもわかった。今の自分の耳には他の音が一切聞こえないことを。

 そのままの集中力を維持しつつ、頭の中で小さく燃え上がる炎をイメージする。手の平に、その小さな炎が出現することをより強固なイメージ力で固めると、頭の中で何かが弾ける様な感覚が出てくる。それを合図と思い、瞑っていた目を開いて、手のひらを見つめる。そこに小さな炎が出現するイメージを。

 目を開けてから数秒間の間は、何も変化することはなかった。手の平には何も現れず、ただ単に手の平が空へと向いているだけ。そんな光景が続いたのだ。

 だけど、一樹のイメージは崩れない。普段ならここで諦めるはずの一樹なのだが、一週間と迫った学園戦争のためにも諦められない。


 諦められる筈がないだろっ!


 学園に入った当初の自分を思い返す。

 中学での成績はこの学園では意味を為さなかった。そして、自分には天使の能力を使うこともできない自分に落胆し、この学園では底辺でいることを決めていた前までの自分。

 そんなものとは金輪際、決別したいと思っている自分。自分には多少なりとも可能性があるはず。天使でもあるミカエルが言っていたのだ。


『一樹君には何かしらの力がある』と。

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