第23話 プライバシーⅣ
心の底から憤怒が出てくると、声すらもいつものような声では居られなくなる。低く、より低くした声が、この室内に響く。
俺に抱き着いていた由愛はそんな俺から離れた。多分、今の俺は由愛から見たら抱き着いていられるような感じではないのだろう。近くにいた明日奈達も一歩後ろに下がった。
「イッキ……?」
強張らせた表情で俺に話しかけてきた明日奈に、申し訳ないと思いながら無視をする。
まだ他のことを思える程の余裕はあるみたいだ。
「でも、おかげで綺兎部君が力を使えるかもしれないことが分かったの。これは私としても綺兎部君としても、嬉しい情報でしょ?」
慌てた様子で言い訳のように口にする狗龍を見ていると一発殴りたいと思ってしまうが、狗龍が口にした言葉が、そんな俺の思考を止めてくれる。
「俺にも力が使えるのか?」
「多分だけど、綺兎部君は普通のやり方だと力が出せないんだと思うの。それは何でかって言われても私には分からないけど……」
「……………………………」
一樹はミカエルの隣に立っている狗龍を睨みつける。その視線には、殺気やその他諸々のドス黒い感情が混ざっている。
そんな視線を向けられた狗龍は小さく悲鳴を上げる。
その光景を見ていた一樹は、自分が何をしようとしているのかが、自分で理解出来ないでいた。重苦しい空気を体に纏いながら数歩と歩き、狗龍の目の前へと来ていたのだ。そして、
身体には知らないうちに力が籠められる。
今、俺は何をしたい……?
目の前にいる狗龍に向けられている拳は何がしたいんだ?
知らないうちに殴り掛かりたいと思っていたことが俺にとって腹立たしい。
「ごめん、ちょっと頭冷やすから待っててくれるか?」
一度、冷静になるために何もせずに、立っていることにした。心の中では、部屋に閉じ籠るようにして、心を落ち着かせようと……。
「イッキ……?」
心配そうに声を掛けてくる明日奈や由愛。だが、その声も今は届かない。一度、心の扉を閉じた一樹には何も聞こえない。一切の音は聞こえなる。
一樹が目を閉じてから数分と経つが、一樹は何時まで経っても表へと戻ってこない。
「綺兎部君……?」
狗龍も心配になって声を掛けると、
「決めたっ!」
と大きな声が室内に響く。そのこえで勾坂たち上級生は、驚いたのだろう。会話をしているのを止め、一樹の方へと顔を向けた。
「俺は狗龍さんを殴らないし、怒らないことにする。その代わりに、俺について教えてくれるか? 自分自身なんて俺には分からないし、俺はどこで産まれたのかすら分からない人間だからな」
サラッと自分のことを口にした瞬間に、近くにいた馴染みのある面子は口を開けっ放しにして、驚いている。
「一樹……お前、今なんて言った?」
「えぇ、もう一度言わなきゃダメなのか?」
「頼む……」
「しょうがないなぁ、だから、俺はどこで産まれたのかすら分からないし、誰の息子なのかも分からない。これでいい?」
もう一度、憐矢へと言い聞かせるように言うと、
「一樹……そんなこと俺達、聞いたことないぞ……」
「そりゃ、そうだろう。言うつもりもなかったし、聞かれていないし。聞かれてたら話してたかもしれないけど、まぁ、今だから言えることかな?」
「イッキ……そんな大事なこと、なんで私たちに言わなかったの……」
口元を手で押さえている明日奈の瞳からは、涙が流れてきていた。この学園に来てから、
三度目の涙だ。
「気にすることじゃないだろ。俺は孤児院に赤ん坊の時に連れて行かれて、そして母さんたちに出会った。それから、お前たちと出会って楽しい人生を送った。それで充分だろ? そして、今は天涯孤独に逆戻りした男の子ってな」
「天涯孤独ってイッキ、どういうことなのよ?」
「言葉の通りだよ。母さんたちは死んだよ、一年前に。旅行で一緒の車に乗っていた俺だけが、何故だか無傷で生き残った。流石に悲しかったなぁ、あの時は、ハハハ……」
俺は三人に向けて笑顔を向ける。そうしている方が、楽しく見えるはずだから。俺が楽しそうにしていれば、明日奈達も笑ってくれる。そう思って笑顔を向けたのだが……。
「無理して笑顔なんて作らなくていいよっ! 悲しいなら悲しいって言えばいいじゃんっ、何で私たちに隠し事してるのよ……」
「綺兎部君、そういう辛い時は素直に泣くことをお勧めするよ。私は泣くことが出来なくなってしまったのでね。涙が流せる君たちが羨ましいよ」
明日奈の荒い声とは真逆な冷静さが籠っている声が一樹に近づいて話しかけてきた。
「揮移先輩……」
その表情は普段のような無表情ではなく、少しだけだけれど、その表情には優しさが感じられる。
「私はこう無表情だろ? 昔までは私だって笑えていたんだよ。無邪気な笑顔が出来たのだよ。だけど、今ではできなくなってしまったさ」
「……なんで笑えないんですか?」
「それは秘密だよ。誰にも話さないことにしているんだ。だけど、君はまだ泣けるのだろ?なら、今のうちにたくさん泣いておいた方がいい。その方が後々楽だからな」
「そういうもんなんですか?」
「そうだ、だから今は泣いておけ。皆が見守っている中で存分に泣くことも悪い事ではないと、私は思うぞ?」
「そうですか……」
みんなが見ている中で泣く。結構恥ずかしいことだよなぁ。
目の前にいる明日奈や由愛、憐矢は俺へと微笑んでいる。その微笑みはどこまでも優しく包み込んでくれそうだ。そして、その周りにいる先輩たちも優しく見てくれている。
こんないい人たちがいるクラスにいることが、今の自分にとって幸せだと思わせる瞬間だ。
そう思っていると、自然と涙が溢れてきた。中学の時は、誰かの前に立つことを意識し、事故で親を亡くし、この学園に入れば役立たずのレッテル。普通の人生を送ろうとしても、何かが自分の邪魔をする。
目の前が歪んで見える。
「俺っ……今、泣いてるのか…?」
「あぁ、一樹は俺たちの目の前で泣いてる……。だけどな、それは関係ない。お前がどこで泣こうが、俺たちはお前のことを見守っててやる。俺たちの間にはそれ程の絆があるだろ?」
「まだ……先輩たちとは日が……浅いけどな……」
「大丈夫だよ。僕たちは綺兎部君とは仲良くなれそうだからね。これからよろしく頼むよ」
勾坂が差し伸べてきた右手は一樹へと向けられ、それを掴むように一樹の右手も前へと出される。
「こんなっ……俺だけど、いいですか……?」
「そんな君だから、僕たちは大歓迎だ。君に力が無かろうがそんなものは、些細なことでしかない。これからは、このクラスでもっと仲良くしていこう」
「……はいっ」
感情が爆発したよう音が頭の中で響いて、涙が常に頬を伝っていた。その日は、それだけでクラスの授業は終わった。ミカエルが一樹を気にして、授業を休みにしたのだ。
「今日はゆっくりしてきなさいよ? 一樹君の周りには個性的な女の子がいっぱいいるんだから」
最後に掛けてきた言葉の意味は理解できなかったが、一樹はそんなミカエルとクラスのみんなに慰められた。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために、とはよく言ったものね。見ているだけでも心が和む感じがするよ」
部屋の隅で壁に寄り掛かるようにして一樹たちを見つめている揮移は、天井を見つめながら言った後、その言葉に続けるように、
「貴方がいなくなってから何も考えられなかったけど、これからは少しだけど楽しい学校生活になりそうよ……」
それは誰に向けての言葉なのかは、彼女本人にしかわからない。だが、言えることはある。彼女の表情は、これまでの無表情が無くなり、その顔は悲しみの色で埋められていたのだった。
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