第5話学園生活Ⅳ
「それじゃぁ、先にやらせて貰うわよ……」
明日奈は地面へとうつ伏せになり、銃を構える。その姿はもう狙撃手と言ってもいい位の型の嵌りようだ。そのまま一度、薬室に弾丸を装填するためにボルトを引く。弾薬から薬室に入る弾丸は、特殊樹脂で作られたゴム弾。それは代理戦争でも使われている弾薬。
そして、明日奈は息を殺すようにゆっくりと目一杯、肺に空気を入れ、その二分の一の速度で息を吐く。途中で息を止めると、明日奈は標準が合ったのだろう、人差し指を引き金へと掛けて引き金を引いた。
ドンッ、と鈍い発砲音が終わると、明日奈は一息入れるように深呼吸をする。
深呼吸をしたってことは明日奈の今の一発は外れたんだ……。
物音を立てまいと、息を殺しながらうつ伏せに寝転びながらスコープの中を覗き込んでいる明日奈を見守る。
明日奈が使っている銃は、ボルトアクションなので一回一回リロードをしなければならない。銃身の横に付けられているボルトを引き、中から薬莢を排出させる。その一つ一つの動作が異様な程ゆっくりで、それだけの集中力を使っているのだと見ていてわかる程だ。
「…………………………」
いま、二人を包み込んでいるのは静寂。他の生徒も自分の射撃をしているが、その音は今の二人には聞こえない。それ程の集中力をこの一回の仕草に込めているのだ。
スゥゥゥ、と明日奈がもう一度息を整えたあと、息を吐く。そして、また吐いていた息を途中で止め、スコープの中を覗き込む。
さっきは外したけど、これで決めなきゃ……。
さっきの弾丸は、ほんの少し風でズレてしまい当たることが無かったが、今の状況は無風に近い。この状況なら当たる確率が高くなっている。
それから数秒とスコープを覗いていると、完全なる無風が訪れる。
今がチャンスっ!
この好機を逃すことはできない明日奈は、一気に引き金を引く。引き金を引いた瞬間に分かった。
――――これは当たる。
何回、何十回と銃を撃っていると分かってくる、この感覚的なもので標的に当たったかが分かる。実際にもう一度スコープを覗きこむと、そこにあったはずのアルミ缶は、そこから何メートルも離れた場所へ凹んだ状態で転がっていた。
「ふぅ……」
小さな溜息が出たが、それは安堵からくる溜息で失敗からくる溜息ではない。
「……明日奈、当たったのか?」
小さな音すら立てていなかった一樹が、明日奈の方へと近づきながら聞いてくる。そんな質問に平然と、
「あんなの楽勝よ。もう少し遠くてもよかったくらいよ……」
少しだけ見栄を張っている明日奈がいる。
でも、今のは運が良かったからできたようなものよね……風が完全に無風になったからできた。本当に運だった。
「次は一樹の番よ。その銃で本当に当たるのかしら?」
「そんなのやってみなきゃ分からないだろ? 実際に俺はこの銃でなら結構な確率で当たると思うよ? 授業中でも結構な数当ててきたし」
「でも、二発で当てられるならの話だけどね」
「…………二発」
二発はきついなぁ……俺の命中精度って意外と短いからできることであって、ここまで長距離だと多分、五発は必要かもしれないなぁ。
一樹が得意としている射程距離は、七百と狙撃手としては短い物であって、今のような一キロは流石に苦手なのだ。そして、明日奈はその長距離を二発で当ててしまっている。この状況だと、一樹はこのまま負けてしまい明日奈のことを一か月もの間、明日奈様と呼ばなければならなくなる。
そんなプレッシャーに心が圧迫されている時に話しかけてくる人がいる。
「一樹君だったら大丈夫よ。私が保証してあげるわ」
その声を聞いた瞬間に一樹は驚いた。そんな言葉を掛けてもらえるとは思っていなかったのだから。それに、自分が声を掛けてもらえるような成績すら持っていない。だからより驚いた。
「…………学園長」
「大丈夫よ、貴方なら一発の弾丸であの缶に当てることが出来るわ……。その代わり、能力を使わないといけないけどね」
「学園長。さっき言っていた観察したい生徒って一樹の事ですか?」
「ええ、私が観察したい生徒の一人。綺兎部一樹君、それに天野明日奈さん。もう一人は分かるわよね?」
「憐矢の事ですか?」
「そうね、貴方たち三人は私から見ていてもとても才能溢れる存在よ。鷹野目君の力は、これから鍛えていけば、この学園の中でも一ケタで争える程の実力になるわ。そして、天野さんは、その強気な心を力に変えることがよりできるようになればもっと上に行ける……」
そして、最後に一樹の方へと視線を向けると、
「綺兎部君にはいろいろと凄いことが出来るかも知れないのよ」
なんともはっきりとしない言葉がミカエルの口から出てきた。
「これまで多少強引だったけれど、勝手にあなたの授業を見せてもらってたの。それでも、貴方の力が発現しないものだから不思議でしょうがないのよ」
「学園長は俺の事をストーカーしてたんですか!?」
「一樹っ! なに、馬鹿なこと言ってるのよ、学園長に失礼でしょうがっ!」
隣に立っていた明日奈が思いっ切り、拳を頭に叩き込んできた。
「すいませんっ! 一樹がこんな馬鹿で……」
目の前にいるミカエルは、そんな二人に微笑むように笑顔を向けて、
「そんなことないわよ? 綺兎部君のそういう可愛らしい所とか、私はとても気に入ってるわよ? 私が自ら授業をしてあげたいくらいにね」
「…………そうなんですか?」
なんか釈然としない答えが返って来てしまった。
「学園長……俺って何で力が使えないんですか? 他の生徒たちは使えるのに、何故だか俺だけ使えないんです……」
「それも書類を見て確認済みよ。私もそこには驚いてるのよね……普通だったら使えるはずなのに、それが使えない……。どうしてなんだろうと思って、こっちもいろいろと調べたのよ」
「その結果は分かったんですか?」
少しだけ心配になりながらも、自分が何故力を使えないのかが気になる一樹は、多少の恐怖を抱きながらも真実を聞こうと覚悟を決める。
その覚悟は一樹にとってはとても大きな覚悟になっていた。力が使えないことは、この学園の中では一番の役立たず。そのレッテルを張られている一樹は早くもこのジレンマから抜け出したい。そして、もし本当に自分に力が使えないような人間だったのなら、この学園には居られないような気がしてならなかった。
「………………ごめんなさいね、その結果すらも分からなかったのよ」
「……そうなんですか」
意外なことにも、天使である学園長でも分からないことがあるんだ……。
「私だって全知全能っていうわけでもないのよ?」
「そんなことは思ってませんよ」
なんで俺の思考が読めたんだろう。やっぱり天使だから人の心まで読めたりするのかな?
「だから、私たちだってそこまで有能じゃないから」
「いやっ、もうそう言ってる時点で自分たちが有能だって証明してませんか!?」
「あはは、バレちゃった?」
ミカエルはその絶世の美女と言ってもいいかもしれないその顔で、満面の笑顔を一樹へと向けている。その笑顔は誰をも虜にしてしまいそうなもので、その笑顔を向けられている一樹もその一人になりそうになりつつある。
「学園長……一樹をそうやって誑かさないで貰えますか?」
どこか怒気を孕んだ言葉がミカエルへと明日奈の口から放たれている。その怒気を孕んだ言葉は、どこかミカエルを警戒しているというか、自分のものを取られまいと威嚇するような、そんなものが交じっていた。
「そんな怖い顔しないで、天野さん。私は誑かすつもりなんて一切ないわよ。ただ、綺兎部君が私が考えている物に加わることが出来る人なのかを確かめていただけだから」
「学園長が考えていることですか……?」
「まぁ、今は話さないけど、いずれ天野さんにも何かしらの伝令が来るはずだから気にしないで。あなたはもう決まってるんだもの」
「……はぁ」
学園長は何を考えているのだろうか、その思考は誰にも考えられないし、もしそれに辿り着いたとしても、多分私たちには理解ができないことなのだろう。
多少の警戒をしながらも、明日奈は学園長と一樹を見守る形で少しだけ離れる。
「それで、さっき俺に力を使えれば一発で当たるって言ってましたけど、俺には力が無いんですよね……」
「綺兎部君。私は貴方に力が無いとは言っていないわ。力があるかが分からないと言っただけで、おそらく貴方にも力はあるはずよ。だから、貴方の力を発現させようと私が直接教えに来たのよ」
「学園長自ら、俺に教えてくれるんですか?」
「そういうことよ」
目の前にいるミカエルは、人差し指を一樹の胸へと向けて微笑んでいる。そんな仕草にドキッとしている一樹がいるが、そんなミカエルを横から凄まじい殺気を放ちながら睨んでいる明日奈がいて、ミカエルは多少の苦笑いで誤魔化している。
何故、ミカエルがそこまで一樹に目を付けているのかは分からないが、一樹にとってこれは大きなチャンスと言える場面でもある。
この状況で一発の弾で当てれば、俺の評価は上がるはず……。
一樹はこのチャンスを逃すわけにはいかない。それほどまでに一樹の心の奥底では、学園最下位というレッテルが張られていることが許せない。力が使えないからといって、学園の最下位に見られていることがどうしても許せない。
「学園長……俺にご指導程、お願いしますっ」
一樹は学園長へ頭を下げた。
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