第6話学園生活Ⅴ

そんな光景を見ていて驚いている明日奈は、目の前にいる一樹の心境を多少だが理解できていた。

 一樹って前から、学園最下位っていう言葉が嫌いだったからかな?

 中学校からの付き合いである明日奈だから、何も言わずとも理解できてしまう。

 一樹の中学時代と、今の一樹とでは色々なものが変わってしまっていた。

 中学時代の一樹は、何でも難なくこなしてしまう人間だった。成績だって学年でも上位だった程の実力を持つ一樹が、この学園に来てからというもの、それまで培っていたものが打ち砕かれてしまった。

 代理戦争は天使の力を使えることが第一優先。

 学園の人間なら誰だって使えるはずである、天使の力を一樹はどうしても使えない。どれだけ努力しても使えることが無かったのだ。天使の力を使うにも才能は必要になる。でも、一樹にはその大切な才能という力を使う為に必要なセンスが無かったのだ。どんな授業に出ても、優無を言わさず必ず、底辺というレッテルが一樹に纏わり続けた。それからと言うもの、一樹はこの学園の底辺として生きていくことにしたのだ。それを目の前で見てきた明日奈は、一樹が時々見せる悔しそうな顔を何度も見てきた。だから明日奈には一樹が、この場でもう一度努力をしようと……天使の力を使えるようになろうと頑張ろうとしている訳が分かる。


「ええ、私でよければこれからも直接、指導してあげるわよ」


「ありがとうございますっ!」


 やっと、俺にも希望が見えてきたんだ。これまで教師の人たちに『役立たず』と言われてきた俺に、学園長が俺に直接、指導してもらえる……。これでやっと、底辺から抜け出せるっ!

 今の状況が嬉しくて堪らない一樹の顔からは、笑みが表へと出て来ていた。本当に嬉しそうに、心の底から喜んでいるような喜びに満ちた笑顔が出て来ているのだ。


「綺兎部君、これから私が言う通りにやってみて。それで、ダメだったら、私がこれからも、あなたが力を扱えるようになるまで手伝ってあげるから……ね?」


 前へと屈んみ込んだミカエの大きな谷間が視界の中に入ってくれば、


「顔を赤く染めないのっ!」


「明日奈っ! 俺がいつ顔を赤く染めたって言うんだっ! そうやってすぐに、手を出すのやめろよな。だから、彼氏の一人も出来ないんだっ!」


「うるさいわねっ! 良いわよ、私は心に決めてる人がいるんだから……」


「…………決めてる人がいるって、明日奈に好きな人がいるんだ、明日奈に好きになられた人が可愛そうだな……こんな怖い女子に好きになられて、同情するよ」


「…………そこまで言わなくたっていいじゃない……」


 怒られると思っていたけど、俺の言葉に地面に俯いた明日奈が予想外だった。


「やっぱり、そういうことよね。うんうん、分かるわよ。それが人間の青春よね」


「…………?」


「綺兎部君は理解しなくてもいいわよ。理解したところで貴方にはまだ分からないと思うし」


「そうなんですか?」


「そうなのよ」


 会話の途中で明日奈へと視線をズラせば、下に俯きながら、ずっと口々に何かを呟いている。


「それじゃぁ、綺兎部君はそのまま自前のライフルを持って、早く撃つ準備をしてなさい。途中で私がサポートするように教えるから」


 そんな明日奈を放って置いて、ミカエルはそそくさと一樹に撃つ準備をさせれば、一樹はミカエルに言われた通りに、自分の射程位置へと歩いて行き、地面へとうつ伏せで伏せる。その肩には、撃った際に銃口がぶれない様にするための銃床を当てている。

肩に銃床を当てている状態で、一樹は深呼吸をし始める。その呼吸のリズムは一定で、聞いている方もそのリズムに合わせてしまいそうになる。


『綺兎部君、君の中では天使の力のイメージはどんな感じ?』


 集中しているこの状況の中、ミカエルは口を動かしたわけでもなく、一樹の頭へと直接話しかけるような形で会話をしてくる。


『天使の力のイメージですか? ……俺の中では、大きな力ってイメージが強いです。二〇十五年まで、世界には戦争や紛争は絶え間なく続けられていたのに、天使がこの世に現れてから、たったの数日で世界からは戦争と紛争の二つが消えてなくなったんですよ。そんな天使の力が、壮絶や強大といった力のイメージしか俺にはできません。それに二○二五年の今となっては天使たちが世界の政治にも関わって来てるんですから』


『確かに私たちの力は絶大だとも言えるわ……綺兎部君だけじゃない、世界すべての人間が天使の力は大きいと思っているはず。でも、実際は違うのよ』


『……違うんですか?』


 意外な言葉を天使自身から、口に出されると驚かされる。


『私たちの力は、確かに大きいわよ。ただ、それを使ってる私たちの器が大きいだけで、人は私たちなんかよりも力を受け取れる分量が決まってる。だから、それ以上は受け取っちゃダメ』


 一樹の目の前にいる明日奈は、さっきまで俯いていたはずなのだが、今はさっきと同様に木に寄り掛かる形で、一樹とミカエルを見据えている。でも、その表情には一樹たちが頭の中で会話をしていると知らずに、ただ単に、撃つのを待っているような……息を殺しながら一樹たちを見ていた。


『少ない量を貰うイメージで撃ちなさい』


『…………えっ、たったそれだけですか?』


 至極簡単に語られてしまった一樹は、困惑を露わにした。それは頭の中でも、表情でも、両方で困惑を表していたのだ。そんな表情を見ていた明日奈はというと、


「……………………?」


 そんな一樹の表情を見て、不思議そうにしていた。それはそうだ。一樹たちは頭の中で会話をしていたのだ。頭の中での会話の内容に疑問を持った一樹がそれを表情に出そうが、結局は、明日奈にはどうかしたの? 程度にしか思われない。


『綺兎部君、集中して引き金を引いてごらん。それで当たらなかったら、貴方は賭けに負けて、一ヶ月の間ずっと天野さんに“様”を付けて呼ばなきゃいけなくなるわよ?』


 焦らせるような言葉をミカエルは、頭の中で掛けると、一樹の心の中ではプレッシャーが大波のように押し寄せてくる。

 俺のプライドをズタズタに踏まれる……。

 自分が負けた時の想像をすると、俺の体は拒否反応として大きく身震いをする。

 そんなの考えられない。俺が明日奈に様をつけて名前を呼ぶなんて、俺のこのプライドが断じて許さない。

 心の中で大きな決意を新たにすると、もう一度ゆっくりと深呼吸をする。何度も何度も大きく深い深呼吸を繰り返す。


「スゥゥ……ハァァ」


 それからは、一樹の耳にはどんな音も聞こえない。風に揺られる枝木の葉が鳴らす音や、森の中を飛んでいる鳥たちが空気を切り裂いて出す音、他の学生が打ち出す銃弾の音も一切、一樹の耳には残響すら残らない。

銃を構えてから一分近くが立っただろうか。何度も引き金を引こうとしている一樹だが、それでも引き金を引くことが出来ない。


 こんなにプレッシャーが大きいなんて思わなかった……。


 明日奈との賭けは、他人からしたらそんなことだろ? と言われてしまいそうなものだが、俺は普通のみんなとは違う。これまでの人生で難しいと思ったものなんて一つもなかった。だから、学園で上位のランクを狙ってやるって大きく、どんなことをしたって壊れない覚悟を決めてきたのだ。上位ランクへ入るということは、自分のハードルを一度は大きく決めていて、でも、自分なら簡単にやってしまう。そんな自意識過剰な考えを持って、この学園に来た俺は、すぐにそんな覚悟が崩されたのだ。どれだけのことをしても壊れないような崩れることのない城塞のような覚悟が、たった一つのもので崩されたのだ。これまで培ってきたものを一瞬で失い、自分のプライドまでも一度は捨てた。

 そして、今の俺はそのプライドを取り戻そうとしている。それがどれだけ大変なものなのかは、当事者である俺しか分からないかもしれない。自分に自信を持っていた俺が、一瞬で自信を失ったときの喪失感と言ったら……鬱になるんじゃないかと思うくらいだった。

それを他人の手を借りてでも、取り戻そうとしている。もしも、今ここで取り戻せなかったとき、俺に目を付けてくれた学園長にどんな顔をすればいい? 目の前にいる明日奈には、どんな目で見られる? それが頭の中で交差するように交わり合って行くことでプレッシャーはより大きなものに変わっていく。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 呼吸は乱れ始め、リズムも一定の物では無くなってしまう。

 まるでその姿は、自分のプレッシャーに押し潰されかけているようにも見え、自分自身に負け掛けているようなその姿。この一発で決めなきゃ、それで自分の首が飛ぶぐらいのプレッシャーを背負っているような空気。

 どれだけの静寂を彼の周りには張り詰めていただろうか。近くにいる明日奈は、とても緊張をしているような表情で一樹の背中を見つめる。


 頑張って、一樹……。


 彼女の心の中は、一樹にこの一発を当たって欲しいと言う気持ちに変わっていた。実際には、彼女としても彼には勝って欲しいのだ。昔のような、あの輝かしかった姿を取り戻してほしい。そんな願いが彼女の中にはあった。そして、その傍らにいるミカエルは、


 彼から匂ってくる懐かしい匂い……この匂いが確かなら彼は……。


 何かの思惑が頭の中で渦巻いている。そのミカエルの表情は、これまでのような、ふざけているような表情は一切消え、どこまでも真剣に物事を考えているような、そんな表情に変わっていた。

 彼女が頭の中で何を考えているのかは、人間である一樹や明日奈、他の全人類であろうと読み取ることはできない。それを読み取ることが出来るのは、同種族の天使だけだ。

 そんな二人の思惑とは別に一樹は自分のプレッシャーと対峙し続け、やっと決心がついたように、人差し指をゆっくりと引き金のもとへと移動させ、引き金に掛ける。

 その一瞬、一瞬にどれだけの覚悟が必要になるだろうか。一つの動きをするたびに、心拍数は大きく速くなり、これでは心臓が持たないんじゃないかと思うほどの速さへと変わっていく。どれだけゆっくりな動きでも、一樹の心拍数はそのたびに跳ね上がる。

 そして、その指は覚悟を決めて引き金を力強く引いた。


 ドンッ!


 一樹の撃った銃声は、森の中に響く。その銃声だけがやけに長い間、反響を繰り返し、何度も何度も耳元へと入ってくる。

 たった一発に込められた覚悟は、どんな結末を迎えたのか……。

 それは一秒と経たずに、彼が握っているライフルスコープを覗くことで確認することが出来たのだった。

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