新しい姉さん?

「いい加減に起きないと怒るよ、幸ちゃん?」


 唐突に耳元に聞こえてきた声。それに俺の名前の呼び方が特定の人だという事を教えてくれる。


「由美姉ちゃんか……おはよう」


「おはようじゃないでしょ? ちゃんと授業受けないと成績に響くよ?」


「いいよ……俺は一般受験で受けるつもりだから。成績なんて最低限あればいいよ」


「もう……それでいいならいいけど。それよりも一緒に屋上に行ってご飯でも食べ

ない? 早く行かないといい場所取られちゃうからさ、ね?」


「わかったから……ちょっと待ってよ。寝起きなんだよ……」


「そんなの後でいいから、行くよっ」


「ちょっ、待っ」


 昼休み。俺とは一学年違うはずの小鳥遊由美。小学校の時に仲がよかった姉のような存在だ。そしてそんな由美姉ちゃんが俺がいるクラスへと入って来ては、俺の事を昼食に誘ってくる。

 そんな光景を見ている他のクラスメイト達は動揺が隠せないようで、視線が俺の方へと一直線に向けられる。


「また視線の的になった……嫌だな」


「そんなの気にしなくていいじゃん。私は視線の的になるのは大好きだけどなぁ」


「由美姉ちゃんだけだよ、それは」


 手を引っ張られながら、俺は由美姉ちゃんの目的地である屋上まで連れて行かれる。廊下を歩いている途中、数人の男子から「殺す」なんて言葉が聞こえてきたが、気にしないことにする。


「ねぇ…………幸ちゃん」


 手を引っ張っている由美姉ちゃんは俺の方へと振り向いて何かを口にしようとしているのだが、その口は何か重たいものでも口にするかのように、全く動かない。

 そして、最終的には、


「ごめんね……何でもないや」


 と、誤魔化すための微笑みを向けてくる。

 なんとなくだけど、由美姉ちゃんが言いたいことは理解できた気がする。

 俺の予想だと、由美姉ちゃんはこう言いたかったんだと思う。


『私と別れた後、何かあったの?』


 多分、これで合ってるはず。

 これ以外、俺の頭の中では考えられないんだ。だって、由美姉ちゃんは同じ中学校に俺が行くと思っていたんだ。なのに、翌年の入学式に俺はいなかった。

 姉ちゃんはその理由が知りたいんだと思う。


「今度、ちゃんと話すから」


「……わかった」


 それだけ伝えると、由美姉ちゃんは返事をしてくれた。

 由美姉ちゃんには申し訳ないけど、今は話したくない。話すタイミングは必ずどこかであるはずだから。

 だから、今は普通に楽しもう。

 平凡な人生がどれだけ大切なのかを感じながら、毎日を過ごそう。波乱万丈なんかいらない。俺はただ只管に平凡な人生が欲しいだけなんだから。

 そして、屋上へと着いた俺たちは広々とした場所を確保して昼食を取ることにした。

 雲一つない快晴の空。太陽の光が優しく差し込む屋上。こんな場所で静かに昼食が取れていることも、平凡な日常だ。

 何も起こらない平凡な日常。


「由美姉ちゃん……」


 俺が名前を呼ぶと、自分で作ってきたサンドウィッチを口へと運んでいた由美姉ちゃんが俺の方へと顔を向ける。


「どうかしたの、幸ちゃん?」


「今度さ……また、弾いてくれないかな? カノン……」


 思い出の曲。

 まだ何も起こっていなかった時に大好きだった曲。それをもう一度ゆっくりと聞きたい。静かに心を落ち着かせて。


「うん……いいよ。じゃぁ、明日にでも音楽室借りて弾こうかな……」


「……ありがとう」


「どういたしまして、早くご飯食べよ?」


 そして、俺も自分で作った弁当に箸を向けてご飯を食べる。

 食べていくのだが……おかしい。


「……おかずが減ってる」


 そう、さっきよりもおかずが減っているのだ。

 まだ食べ始めてから五分も経ってない。それに、今回の弁当は量も少なめにしてきたんだ。だから、一目で分かる。


「おかずが減った……」


 箸が宙でパチパチと音を立てながらいると、俺の後ろ。そこからは、


「おいしいねぇ、これ。由美の彼氏のお弁当凄く美味しいよぉ?」


 と、のほほんとした声が聞こえてきた。


「ちょっとっ! 幸ちゃんのお弁当、私だってまだ食べてないのに先に食べないでよっ!」


「いいじゃんかぁ、凄く美味しい匂いがしたんだもん。お腹が減って仕方がなかったんだもん……許してよぉ~」


「絶対に許さないわよっ! 萌笑もえの馬鹿っ!」


「由美が怒ったぁ~、彼氏く~ん、どうにかしてよぉ」


「はぁ……」


 突然現れた彼女に俺はたじたじだし、緊張もしていた。


(背中に柔らかいものが二つ当たってる……それに、由美姉ちゃんと同級生ってことは女子なんだよな……要するに……胸だよな……)


 背中に当たっている二つの柔らかな胸。それも昨日、帝島の胸を押し付けられた時なんかよりも格段に大きい胸。

 押し付けられているだけで理性が飛びそうになる。


「いいから萌笑っ! 幸ちゃんから離れてっ!」


「もぉ、意地悪なんだからぁ~。これでいいんでしょぉ?」


 俺の背中から離れた萌笑という由美姉ちゃんの同級生。そんな彼女の柔らかな感触を脳の隅に記憶しながら、俺は振り返る。


「どうもぉ~、礼美萌笑あやみもえだよぉ? 入学式にも行ったんだけど、先生たちに追い出されちゃったんだよぉ……先生たち、酷いよねぇ?」


 自己紹介をされた俺は目の前にいる先輩を知ってる。

 昨日の体育館へと移動する時に教師たちに捕まった先輩だ。

 緑色のネクタイが自分の胸で強調されて、自分の学年を強調する形になっている。そして、ブラウン系の長い髪に凛と顔とは裏腹なのんきな口調。

 そんな先輩も由美姉ちゃんと同じくらいに美人だ。

 グラビアをやっていてもおかしくないプロポーションで、そういうのが似合いそうだと思うのは、たぶん他の生徒も同じだと思う。


「幸ちゃん……目が厭いやらしいよ……」


「………………………………」


「もう……幸ちゃんの馬鹿……」


 由美姉ちゃんに馬鹿と言われた俺は、少なからず心に傷を負った。


「それで萌笑が屋上にいるなんて珍しいね。どうかしたの?」


「いやぁ、由美と一緒にご飯でも食べようと思ったんだけどね? 由美が嬉しそうな顔しながら一年生の教室に入って行ったからずっと追いかけてたのぉ。そしたら、由美が男の子連れて屋上でご飯食べてるから、一大事だって思ってね?」


「要するにずっと追いかけてたってことよね?」


「そういうことぉ~、分かってくれた?」


「わかったから……幸ちゃんのお弁当を抓み食いしようとしないの。本当に怒るよ?」


「由美ちゃんが怖いよぉ~、彼氏君、何とかしてっ!」


 二度も同じことを繰り返して、由美姉ちゃんって意外と学習しないのかな?

 そんな楽しくも、まだ日常的な時間を俺は過ごせた。

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