第2話 唐突に私たちが恋人になってしまった件

「あー、もう、私。何やってるのかな……」


 ディナータイムを終えて、店じまいの手伝いをして。

 ちなみに、お父さんたちは一部始終をどこかで観察していたらしく、


「これで、店は翔吾しょうご君に継いでもらえば安泰だな」

「ちょ、ちょっと、お父さん、ちょっと気が早いよ」

「いいんじゃないの?別に一時の付き合いにするつもりもないでしょ?」

「そ、それはそうだけど……」


 などとからかわれて、恥ずかしいやら何やら。


「私も、もうちょっとタイミング考えれば良かった」


 ベッドにうつ伏せになって、少し凹む。

 実のところ、今日のタイミングで、先輩の真意を聞くつもりはなかった。ただ、昨日、先輩の事を考えていると、妙に寝不足になってしまって、それで、気持ちを聞きたくなってしまった。


「でも、私も、彼氏持ち、かあ……」


 今はもう十月で、私たちが高校一年生になって半年。気の早いクラスメートは、早くも彼氏を作っていたりして、なんとなく羨ましいなあという気持ちはあった。一緒に学校で食事を食べたりとか、放課後イチャイチャしたりとか。明日からはそういう事が出来るんだと思うととても嬉しい。


「ああ、でも。嬉しいけど、落ち着かない……」


 今までの先輩との距離感というのは、学校では、会えば挨拶はするくらいの仲。別に仲が悪いわけじゃないけど、先輩の教室に行くのもなんだか妙な目で見られそうという自意識とかが邪魔して、そういう事も出来ないで居た。それでいて、高校になってからは毎週のようにうちに来てくれて、二階の空いた席でどうでもいい事を小一時間も話すのが当たり前のようになっていた。


「本当に、恋人同士ってどう振る舞えばいいのかな?」


 知識はあるけど、先輩との間でそう振る舞うのがなんとなく気恥ずかしいというか、今も想像しただけで顔が熱くなっているのがわかる。


 こういう話について免疫がないものだから、クラスメートにもよく「ピュアだねー」なんてからかわれるし、「柚葉ゆずははそのままで居てね」などと不本意な言葉を送られる羽目になっている。


(うん。でも、明日からは、恋人らしく、ちゃんとしよう!)


 いつまでも、恥ずかしがってばかりは居られない。少なくとも、出来るだけ長く恋人……あるいは、その先には、結婚……は気が早いよね。ただ、翔吾先輩の事はお父さんもお母さんも昔からよく見知っているから、それこそ、一緒にうちをもり立てて行くことだって出来る……はず。


(だから、それ以前の問題だってば)


 頬を叩いて意識をはっきりさせる。本当に私たちは恋人としてうまくやってけるのだろうか。たぶん、大丈夫だと思うけど、少しだけ自分に自信がなくなって来た。


(でも、全然ドラマチックな出来事はなかったなあ)


 恋愛というのは、もっと何かドラマチックなものだというような意識があった。もちろん、映画とか小説とか漫画とかの刷り込みなのだとは思うけど、同年代でお付き合いしている女友達は意外にまだ多くなくて、どういうのが「普通の恋人同士」なのかよくわからない。街角でカップルが腕を組んでいたり、ちょっと人気の無いところでハグしていたり。そんな光景を見た事はある。でも、変にそれを真似て恥をかくのも嫌だし。


 でも、先輩はなんで私の事を好きになってくれたんだろう。私は、先輩がうちに通い詰めている内になんとなく意識するようになったという経緯があるけど、先輩のききかけは何なんだろう。


◆◆◆◆


 お父さんたちが営む中華料理屋「鳳凰一番ほうおういちばん」は物心ついた時には既にあった。お父さんとお母さんは夫婦揃って店の営業で忙しかったから、小さい時は、お母さん同士が付き合いのあった翔吾先輩の家に預けられる事がよくあった。


「せんぱい。ちょっとここがわからないんですけど」

「ん?何だ何だ?」


 そんな間柄だったから、夜は翔吾先輩に勉強を教えてもらったり、ご飯をご馳走になって、店の営業が終わる頃に家をお暇するという事が頻繁だった。思えば、歳の近い子が近くに居た方が寂しくないだろうというお父さんたちなりの配慮だったんだろう。


 私は私で、優しい先輩がなんとなく好きで……ときっと、この頃は恋ではなかったと思うけど。とにかく、宿題でわからないところとかを丁寧に教えてもらったりした事もあって、私が中学になるくらいまでは割と親しい付き合いをしていた。


 ただ、学校では、一学年離れると、どうにもお邪魔する気にはなれなくて、校内で会ったら、「おはようございます」や「こんにちは」を軽く言って別れる事が多かった。


 あ、そういえば。


「柚葉は、将来の夢はなんなんだ?」


 あれはいつだっただろうか。

 小学校の真ん中頃に、ふとしたきっかけで尋ねられた。


「お父さんたちのお店を継ぐつもりです!」


 子ども心に近所の人たちで盛況な自分の店が誇らしくて、いずれ私が店を継ぐのだと漠然と決めていた。


「そっか。柚葉ゆずははもう将来の夢を決めてて偉いな」


 なんて言って、頭をなでてくれたのがなんとなく気持ちよくて、身を任せたものだった。


「先輩もお店一緒にやりませんか?」


 あ、そういえば、そんな事も言ったっけ。あんまり深い意味はなくて、単に仲良くしているお兄さんと一緒にお店をやれたらなという子どもっぽい願い。


「いいな、それ。でも、柚葉は甘えん坊だから、もう少ししっかりしないとな」


 なんて子ども扱いをされたのが悔しくて、


「しっかりして、色々出来るようになったら。一緒にお店やってくれますか?」


 なんて事を言っていた。一緒にお店をやることの意味は全然わかっていなかったのだけど。その言葉に、先輩はなんだかびっくりしたような顔をして、


「じゃあ、その時は一緒に店をやろう。約束な?」

「はい。約束です」


 なんだか、私、凄く恥ずかしい約束をしている。

 でも、そうか。この話がある意味原点だったのかもしれない。


◇◇◇◇


(いつからか、しっかりしないと、と思うようになっていたけど)


 思えば、これを機会に、精神的に自立しようと色々考えを変え始めたのだった。

 お小遣いは無駄遣いをせずに貯金する。

 家事も出来る限り自分でも出来るようにする。

 約束自体はすっかり忘れ去っていたけど、質素倹約とか、身の回りの事を一通り出来るようになる事を今の自分がやけに意識しているのは、この頃の延長線上にあるのかもしれない。


「あの約束、先輩は覚えてるのかな」


 個人的には、むしろ忘れ去っていて欲しいくらいまである。


 もちろん、私にとってきっかけになったのは確かだけど、あれ自体は黒歴史として抹消してしまいたい。でも、偶然か必然か、今の私は先輩の恋人だ。


「もし、覚えている、と言われたら」


 穴を掘って埋まりたい。凄く埋まりたい。別に嫌じゃないけど恥ずかしすぎる。


「でも、じゃあ、忘れている、と言われたら」


 と想像して、これもまた恥ずかしい事に気づく。だって、私だけが一方的にたわいない約束を意識した恥ずかしい人間という汚名を背負わなければいけない。それは避けたい。


 よし、これは聞かないことにしよう。世の中には知らない方が幸せな事だってきっとある。うん。


 あ、そう言えば、葛葉くずはちゃんには報告しておかないと。九重葛葉ここのえくずは。私と同じ小学校からの付き合いにして、同年代では一番仲の良い友達。中学の時は三年間一度も同じクラスにならなかったけど、今年は一緒のクラスだ。ちなみに、とにかく葛葉ちゃんは美人で、でも、それを鼻にかけないところもあってか、よく私と葛葉ちゃんと二人で話していると、特に男の子によく声をかけられる。きっと、葛葉ちゃんだけだと話しかけるのに勇気がいるんだろうけど、そういう様子を見ているのがなんとなく楽しかったりもする。



「もしもし、こんばんは。葛葉ちゃん」

「こんばんは、柚葉」


 聞き慣れた声が夜のしーんとした自室に響く。

 ちなみに、仲良くなったきっかけに、名前が似ているというのがある。葛も柚もともに植物の名前で、その後に葉が続くなんてところが。そんなこともあって、妙に親近感を覚えたものだった。


「あのね。その、翔吾先輩と……今日、恋人になったんだけど」


 葛葉ちゃんと話すときは、大体、こんな感じでいきなり用件に入ることが多い。


「え!?も、もう!?早いわね!?」


 スマホ越しにでもびっくりしているのがわかる。

 そういえば、先輩が私目当てなのかどうかをちょくちょく葛葉ちゃんに相談していたけど、進捗はあんまり話してなかった。


「ちょっと、私の事をどう思ってるのか今日気になって先輩に聞いてみたら、好きだってという返事が返って来て。知ってると思うけど、私も好きだから、じゃあ恋人になりましょうって」


 妙なチキンレースをしていたことは黙っておく。


「おかしい」

「え?」

「柚葉がそんなにストレートに聞けるわけがない!」

「ええ!?そんな事言われても……」

「吐きなさい!なんか、変な展開にでもなったんでしょ」


 鋭い。


「はい。実は……」


 ということで、事の顛末をあらかた白状する羽目に。


「あんたの事だからそんな事だろうと思ったわよ」


 案の定というべきか、ため息をつかれてしまった。


「で、でも、結果オーライでしょ?」

「まあいいけどね。でも、男子どもは残念がるだろうなー」


 んん?葛葉ちゃんが何か妙なことを言った気が。


「なんで私?それを考えるのは葛葉ちゃんでしょ?」

「いやいや。何言ってるのよ。気づいてなかったの?」

「何が?」

「二人の時に話しかけて来た男子とか、大半が柚葉目当てよ?」

「ええ。そんなわけないって。葛葉ちゃん鈍感なんだから」


 だから、話を葛葉ちゃんにパスしていたのに。


「あのねー。葛葉。あんたは少し自分のスペックの高さを自覚しなさい?」


 しかし、かえってきたのは予想外の言葉。


「別に言うほどの事はなにもないと思うけど」


 家の手伝いがてら覚えた料理スキルくらいは我ながら少しは誇れると思うけど。

 ただ、それくらい。


「テストで常時8割キープしてるのに?」

「普通に授業聞いてればわかると思うけど」


 基本的には、授業で学んだことの延長線上で解ける問題しか見たことがない。

 むしろ、高校の勉強ってこんなに簡単なのか拍子抜けしているくらいだ。

 おかげで、勉強以外に色々時間を割けて感謝しているけど。


「スポーツだって、大体何でも得意でしょ」

「きちんと毎日身体を動かしてれば、そこそこは出来ると思うけど」


 それにしたって、部活を専門でやっている子にはかなわない。


「誰にでも親切だっていつも評判なのに?」

「そ、それは嬉しく思うけど。将来、店を継ぐことを考えて、スキルを鍛えている面もあるし。自分のためだよ」


 もちろん、親切心はあるにはあるけど、人と接する機会を増やすのは、将来に店を継いだ時にためになるだろうと、そんな考えもあってのことだった。実際、店の手伝えをして実感するけど、人をよく見るというのは重要なスキルだと思う。


「じゃあ、料理は?」

「それは、さすがに少しは。でも、まだまだだよ」


 それにしたって、あくまでクラスの子に比べてのことだ。将来は安定して同じ味を出し続ける必要があるのだ。今のレベルに胡座はかいていられない。


「あー、そういえば、柚葉は昔から涼しい顔してそういう天然キャラだったわ」 

「何が天然なの?」

「だから、鈍感なのは、柚葉の方」

「いやいや、葛葉ちゃんの方でしょ」

「……嘘だと思うなら、翔吾先輩に聞いてみたら?」

「なんで翔吾先輩?」

「男性視点ならよりわかると思うから」

「わかった。その話はともかくとして、ちょっと相談があって」

「はいはい。私がまだ彼氏居ないのわかって相談?嫌味?」

「嫌味じゃなくて。恋人ってどう振る舞えばいいのかわからないから」


 だから、そういう知識を私よりは持ってそうな彼女に相談したかったのだ。


「そういうのは、自然になんとかなるわよ。きっと」

「投げやりだよー」

「あー、もう。で、何が聞きたいの?」

「たとえば。明日、お弁当作って行った方がいいかなって」


 一瞬、空気が凍った気がした。


「お、おう。いきなり彼女の手作り弁当ですかい」

「なんで口調変わってるの?」

「いやー、柚葉は相変わらず凄まじいムーヴをするなって」

「だって、彼氏のためにお弁当とか、よくあるんじゃないの?」

「それはあるみたいだけど。初日にやろうとするあたりがよ」

「初日だと……まずいかな」


 だんだん自信がなくなって来た。


「まあ、翔吾先輩ともそこそこ付き合い長いし。いいっちゃいい?」

「どっちなの?」

「一般論としては、数日くらい経ってからでいいかなと思うけど、あんたらの間柄なら、いきなりそういうのでもいいのかもしれないし」

「それなら、たぶん……大丈夫だと思う」


 というか、私を目当てに足繁く店に通っていたくらいだ。いきなり弁当を作ってくるくらいで引いたりはしないだろう。


「あとは……キスとかハグとか、そういうの、どのくらい期間が経ってからとか」

「言っていい?」

「どうぞ?」

「さすがに、それは私の手に余るわ。二人で話し合って決めなさい。以上、終了」


 もうやってられねーとばかりの投げやりな声。


「と言われても……」

「不安になるのはわかるけど。結局、あんたたちの関係でしょ?二人で決めていいと思えたのなら、大丈夫よ」

「そう、なのかな……」

「そういう、ちょっと臆病なところも、翔吾先輩なら可愛く思ってるから、自信持ちなさい。クラスの癒やし系代表!」

「べ、別に癒やし系なつもりは……」

「はいはい。もう言い訳は聞きません。それではお休みなさいー」


 強引に電話が切られてしまった。


「でも、私達の関係、か……」


 確かにそうかもしれない。

 一般論がどうかじゃなくて、私がどうしたいか。

 そして、先輩が受け入れてくれるかの方がずっと重要なのは確かだ。


 私が迷った時に、葛葉ちゃんはこうやって叱咤激励してくれて、本当にいい友達を持ったと思う。


「よし。明日はお弁当を作ろう!」


 結果はそれから考えればいい。

 ということで、そろそろ寝て、早めに起きないと。


「朝5時に目覚ましセットすればちょうどいいかな」


 炒めものならさっと済ませられるだろうし。

 それと、ご飯と軽くデザートをつければなんとかなるだろう。

 

(明日から、楽しくなるといいな)


 そんな事を思いながら、眠りについたのだった。

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