第12話
二十五年前。嵐瑠璃子は忍びの郷にいた。もっとも忍者としてではなく新型の忍者ガジェットの開発班にいた。優秀な開発者として、だった。
元々優れた技術を持つ忍びの郷だったが、瑠璃子の居た時代、忍鋼は外の世界の加工技術の進歩によって飛躍的な進歩を遂げていた。一度進んだ技術も持ってしまったが故に、別の視点からのアプローチを忘れていたのだ。
隠れ蓑マント、万能マスターキー、パワード鎖帷子、どれもこれも忍者の任務には欠かせない重要な忍者ガジェットは、瑠璃子が外の世界の技術にインスピレーションを受けて開発したものだった。
やがて瑠璃子は考えた。この忍鋼はより広い世界で研究するべきではないか、と。外の世界では原材料の不足で机上の空論となってしまった様々な発明も、忍鋼なら実現出来る。そしてそう言った科学者や開発者をスカウトしていけば、忍びの郷の技術も大幅に上がる。
そう信じて上層部に嘆願した。結果はもっと自由に郷から出てみたいと考える層を活発化させてしまった。忍びの郷は真っ二つに別れて内乱を起こしかねない程の大論争を起こし、最後は発案者の瑠璃子は追放処分を受けた。
外界の勢力、人間との過度な接触は忍びの郷では御法度。発覚すれば追放などの厳しい処分が下される。その掟を嫌う若い忍者が声を上げ始めたタイミングだったからか、郷長の忍の決断は素早く厳しいものだった。
「お前は忍びの郷に多大な貢献をしてくれた。故に殺しはせん。だが掟を軽んずる事は例え誰であっても許されんのだ。外界の連中に同情なんぞしよって…もう二度と、忍鋼に触れるで無いわ!」
忍の一喝と共に郷を追われて、瑠璃子は外の世界で細々と暮らすしかなかった。忍鋼が無ければ瑠璃子の研究は続けられないものばかりだったから。
幸い手先の器用さやデザインセンスは忍鋼が無くても実現出来る。だからオリジナルの服を作ってネット通販で生活の地盤を固められた。今ではそれなりに繁盛しているこのブティック、アライアンスを立ち上げることも出来た。
そして十六年前。瑠璃子は自分と同じで忍びの郷から外の世界へ追放された弾に出会った。ボロボロの洋服を着て、いかにも浮浪者としか思えない容貌だった。
「お前は、弾かい?深南雲さんトコの…」
「済まない、嵐さん…一晩だけでも泊めてくれないか…」
「…さっさと入んな!訳は後で聞くから、まずは風呂に入って!!」
一晩まずはゆっくりと寝かせ、瑠璃子は弾に事実を聞いた。傷こそ無いが僅か数年ぶりに会うかつての仲間が行き倒れていれば、何があったかは大体分かってはいたが。
「お前ほどの忍者が、どんな不始末をしたんだい?」
「…追放処分で済んだのは奇跡かもしれません」
そう言って弾はただ一枚だけ持っていた写真を取り出す。雨に濡れ土に汚れてはいても、写真に写っている女性は美しく儚げな笑みを浮かべていた。
「外に女作ってたのか。そりゃ婆様も怒るってもんだ」
「まぁ、違いはありませんよ。言い訳だってしない。ただ、未亜は…」
未亜。螺厭の母は、不慮の事故で身体を悪くしていた。未知の毒ガスを吸ってしまい、肺や血管に自然治癒しない傷がいくつもあった。
その原因は弾の部下の不始末だった。日本政府の依頼により国内に逃亡してきた国際犯罪組織のメンバーの暗殺任務を遂行する途中、忍者ガジェットを一般市民の住む住宅街のど真ん中で取落すミスを犯してしまった。誤って毒ガスが流出してしまい、弾は責任者として毒ガスの被害から市民を守るべく奔走した。
だがたった一人だけが間に合わず、毒ガスをモロに吸ってしまった。そのたった一人の犠牲者が未亜だった。
「治療法は郷にはあったんだ。だけど、婆様は外界に忍びの技術が流出する事態は避けたいと言って、未亜を見捨てようとしたんだ」
「なるほど。ただでさえ忍者特製の毒ガスが漏れ出て技術が一つ流出したって上に、更に医療技術まで流出すれば、婆様にすれば恥の上塗りか」
「せめて、命だけでも救いたかった。だから、薬を盗んで、彼女に飲ませた」
「そしてバレて追放処分か。そりゃ災難だったね。ま、同郷の縁だし、同じ追放仲間だ。ここで住み込みでしばらく働いていくかい?」
「良いんですか?」
「良いさ、その代わり…」
瑠璃子はニヤリと笑い、ポカンとしている弾に写真を突っ返した。
「この娘を泣かせるんじゃ無いよ」
「いえ、そう言う関係では無いのですが…」
「つべこべ言うんじゃ無いよ!!叩き出してやろうか!?」
「そんな殺生な…」
何を言われたのかもわからないと言った顔で弱る弾を、瑠璃子はそれから一年近くは面倒を見た。戸籍も用意したし、僅か一年で瑠璃子の元を離れた弾は医療器具メーカーの2MCを創設し、そしてどんどん会社を大きくしていった。
そして忙しい合間を縫って、弾は未亜と何度も会いにいっていた。身寄りがなく、また毒ガスの後遺症の心配があった彼女を弾は放っては置けなかった。
幸いなことに三年ほど経っても毒ガスの後遺症は確認出来ず、二人は結婚することになった。一人息子の螺厭も生まれてすくすくと生意気に育ち、会社もまた大きく成長していく。だが螺厭が10歳の時、未亜は自宅で倒れて緊急入院となってしまう。毒ガスの後遺症が、十三年の時を経て未亜の身体を蝕んでいた。
十三年で進歩した外界の医療技術も、弾が作り上げた2MCの器具も通用しない毒ガス。手の施しようの無いと言われた未亜を救うために、弾は命を捨てる覚悟で追放された忍びの郷を目指した。
かつては郷の薬で十三年の間は症状を抑えることが出来たのなら完治も出来るはず。愛する妻を救う為、命懸けで郷のある山にたどり着いた弾を待っていたのは婆様ら郷の上層部達だった。
「郷と何ら関係の無い外界の一般市民の為に、薬も医者も工面するつもりは無い。この入り口はこれより永久に封鎖する」
それだけを言い残し、郷の入り口前で取り残された弾の目の前で郷の入り口は爆破され、弾は永遠に忍びの郷に戻るすべを失ってしまったのだ。
結局どんな手を尽くしても未亜は救えなかった。唯一助けられるはずの手段はあれど、届かないところにあるのなら無いも同じこと。むしろ目に見えているのに届かなかったと言う怒りと苦痛が、弾を変えてしまったのだ。
「許せん、許せん。未亜が何をしたと言うんだ!?忍びの郷の不始末で理不尽に命を蝕まれたと言うのに、恨み言一つ吐かず忍者だった俺を愛してくれた彼女を、救えたと言うのに救うなだと!?そんなに掟が大事か!?平和を影から守る正義の忍者を謳いながら、人一人の命を踏み躙る悪じゃないか!!」
悪鬼の様に悍ましく子供の様に純粋な叫びを聞いて、瑠璃子は止める言葉を持たなかった。だがたとえ天才と呼ばれた弾でも外界から断絶された忍びの郷に何か出来るはずも無い。そうタカを括っていた瑠璃子は、家庭を顧みなくなった弾に変わって螺厭の面倒を見ることしかしなかった。
だが事件は起きた。国外の傭兵を雇い、密かに忍者達を捕らえて情報を聞き出し、そしてこの国の政府の中の一部と癒着し本格的な忍びの郷への復讐を始めたのだ。
「…」
「アンタみたいに若い子は知らないだろうけどね。忍びの郷ってのは秘密を守る為って名目で色々と後ろ暗いこともやって来てたのさ。勿論、弾が正しいって訳じゃ無いし、このままじゃ取り返しのつかない被害が出てしまう。忍鋼や忍者ガジェットの技術の流出は、世界のパワーバランスを大きく変えるし、傭兵どもに渡れば裏の社会にあっという間に広がる。そうなる前に止めないといけない」
瑠璃子は苦々しい顔で雨の降る窓の外を眺めてため息を吐く。忍びの郷への復讐が目的なら、もっと良いやり方がある筈だったのに。愛する妻の死が弾の中にあった良心を閉じ込めてしまったのだ。
「本心を言うとね。忍鋼と忍者ガジェットの流出さえ無ければ弾の方を手伝っていたよ私は。だけど…」
「分かってる。忍びの郷の不始末は、今は関係ない。今は、あの人達を止めないと」
「どうやって?」
「私が戦います。忍者ガジェットも残り少ないけど、やれるだけの事はやらないと」
決意は変わら無い。たとえどんな裏があったとしても、たとえ忍びの郷に原因があったとしても、紅は戦う覚悟は出来上がっていた。
「忍びの里の為に、なんて言い出す女じゃ無くて良かったよ。なぁ螺厭」
「んー。ん、んー」
「アンタ、起きてたの?」
「んーんー」
目をぱっちり開けて喋れないなりにジェスチャーとうめき声だけで意思疎通を図って来る螺厭に、少し呆れつつ紅は手甲を操作して螺厭を縛り上げていた電磁ロープを解いた。
「ぷはっ!あーあーあー。全くもう、随分と暴力的だなぁ。今時流行らないよ、こう言う暴力ヒロイン」
「アンタなんかのヒロインに誰が成るもんか!」
散々から嫌味を言われた辺りの事を思い出してムカムカしてしまう紅。しかし螺厭はどこ吹く風と言わんばかりの様子で手首をさすりつつ、紅を真剣な表情で見つめる。
「な、何よ…」
「ここまで来たからには覚悟を決めてくれるんだよな? 親父の計画を止めて、可能なら殺してくれ」
「…それ、は…」
「出来ないなんて言わないでくれよ?せっかくここまでお膳立てして来たんだ。君だって、親父には生きていて貰っちゃ困るハズだしな」
軽い口調、軽い態度、深刻な話をしているとは思えない表情で、なんてこと無さそうな自分の父の死を望む螺厭。紅はそんな螺厭を前に腕を組み、雨の降り注ぐ窓の外を見つめた。
「嫌よ。アンタがやれば良いじゃない。私の使命は忍びの里の解放よ」
ゆっくりと螺厭に近づき、その額を指先で何度も突きながら憎々しげに吐き捨てる。
「私は、アンタの、操り人形、じゃないの。お判り?」
「けど、それ以外、事態を解決、出来ない、んじゃないのか?」
ドスドスと音を立てて壁際まで追い込まれていく螺厭。結構額が痛い。涙目になって睨みつけるが、紅はもう螺厭相手には一切気を許さんと決意しているらしく、目すら合わせようとはしなかった。
自業自得と言えばそれまで。分かってはいたし最初からそのつもりでは居たが、想像していなかった胸の痛みがチクリ。
「私は捕まえるまで。そこから先までなんて出来っこないし、もっと言うならアンタの家の都合まで知った事無いわ。お父さんを殺したいくらいに憎いなら、アンタ自身の手でやりなさいよ」
「そう来る?」
「それにね、アンタのお父さんは、アンタのお母さんの為にって動いてるんじゃない。息子のアンタが、なーに他人事みたいな感じの顔をしてるのよ。その辺も気に食わないったらないっての」
グリグリと人差し指で螺厭の額を突いて、そのまま壁に螺厭の頭を壁に押し付けていく。結構苦しそうに何度もギブアップ、と言いたそうにタップしてくるが、それすら信用出来ない。
「アンタ、一体何を企んでるのよ?アンタの口から聞いたって信用出来ないから、さっきみたいに嘘発見器にかけて尋問に掛けてやるわ。嘘付くたびに指一本へし折ってやるんだから」
「そんな、酷い…」
「酷いのはアンタよ…!!さぁ改めて全部吐きなさい!!」
泣きそうな顔をしてみせる螺厭。だがもう紅は騙されない。涙目で暫く懇願して来るが、無表情を貫くと溜め息混じりにスッと涙を引っ込めて見せた。
「そうそう。少しは素直になったじゃない」
「そっちこそ。これでもうそこんじょらの詐欺師に引っかかりそうにもないな」
「こんの…!!」
代わりに減らず口を叩くようになってしまった。紅はそんな螺厭を苦々しい顔で睨みつけるものの、やがて諦めた。こいつ相手にそんなことしてる暇なんてない。下手に会話しても碌なことにならないのなら、必要最低限の会話で済ませればいいだけの事。そもそも忍者の紅が、例え無関係とは言えないくらいには関係者であっても、外界の人間相手に接触する理由なんて無いのだし。
「ま、そういう事ならちょっと家まで戻ろうか。あ、そうそう忍者ガジェットは置いておいてくれよ」
「嫌よ」
「忍者ガジェットのリニューアルだっての。わっかんないかなぁ?」
心底馬鹿にした様子でため息をついてくる螺厭。紅は無言でクナイを取り出し、なんの感情も湧いていない顔つきで顔面に突きつけた。咄嗟に紅の腕を掴んでクナイの切っ先が螺厭の鼻先ギリギリで止まるが、紅は片手で螺厭の両腕を少女の腕力からは想像もつかない程のパワーでどんどんクナイを押し込んでいく。
「忍者ガジェット、パワード鎖帷子を舐めんじゃないわよ。多少壊れてたってね。このままアンタの腕ごと潰さないだけ慈悲深いと思いなさい」
「お、お慈悲をー!!」
クナイでゆっくりと顔を抉り取って殺すのが慈悲深いと言うのか。螺厭は一切の容赦も、それこそ慈悲も無い、このまま螺厭を殺す事に一切の躊躇いのない紅の目つきに思わず悲鳴を上げていた。
「ったくもう…次にふざけたら本当にクナイで串刺しにして川に流してやるんだから」
「仕上がってるわねぇ…」
すっかり擦れて、殺しに何の躊躇いもなくなってしまった紅。瑠璃子はそんな紅の半日前までのキラキラした、忍者としての使命感に燃える決意と僅かな恋心を滲ませた目付きは消え失せ、殺しも厭わぬ冷徹で感情の見せない本物の忍者の目つきに変わり果ててしまっていた。
それが螺厭の計画ではあったわけだし、そうじゃ無いと今回の作戦は成功しない可能性は高いと螺厭に言われて納得もしたし協力したのだけれども、この結果には一人のおばさんとしては少し悲しい。
「そこの馬鹿が言う通り。私も昔は忍者ガジェットの開発者としてそれなりの腕はあるんだよ。今までは忍鋼が無かったから実現しなかった私のアイデアを、貴女の忍者ガジェットを改造する形で実現する。間違いなく戦力強化になるわ。信じてくれないかしら」
「貴女のことは、信じられる気がします」
「仲介役の俺のお陰…あ、やめてやめて死んじゃう死んじゃう」
再びクナイが螺厭の鼻先に突きつけられ、螺厭は悲鳴を上げながら必死に紅の腕を抑えた。
「黙らされたくなかったら静かになさい…」
「はい…」
これ以上からかったら殺される。螺厭にそう思わせてくれる本気で殺す目つき。丁寧な喋り方が余計に殺意を感じさせてくれる。
流石に青ざめた顔で黙り込む螺厭。紅はフンと鼻を鳴らし、瑠璃子の作業テーブルの上に自在手裏剣や電磁クナイ、隠れ蓑マントや手甲などの忍者ガジェットを一思いに置いていく。口の中の浄化親不知など、いきなりは外せないものを除けば全部だ。
「あ、そうそう出来ればパワード鎖帷子も改良したいから脱いでくれる?」
「鎖帷子も?ま、まあいいですけど…」
忍び装束の帯のボタンを押す。正規の忍び装束の帯が結ぶのが難しいと若手の忍者が言い出し、様々な機能を搭載するついでに勝手に締まる機能も追加されたのだ。
「便利なもんねー。私の居た頃は、帯の結び方一つで深夜まで残されたもんなのに。忍びの郷もゆとりの時代か」
シミジミと呟く瑠璃子。瑠璃子が忍びの郷で学生をしていた頃は、毎日毎日厳しい訓練と座学の繰り返しだった上に礼儀作法や慣習なども叩き込まれたものだ。
昔を懐かしんでいる瑠璃子にどんな顔で聞けば良いのか分からない紅が助けを求めて螺厭を探すが、螺厭はとっくに部屋を出ていた。
そう言えば、鎖帷子を脱ぐと聞いた途端に減らず口が聞こえなくなったと思っていたが、着替えを見ない様に離れてくれていたらしい。変な所で紳士的な所は本性晒し出す前から変わらないな、と呆れたと感心の入り混じったため息を吐きつつ帯を緩めて忍び装束を脱ぎ、パワード鎖帷子を脱いでテーブルの上に置いた。
「…綺麗な肌してるわね。もしかして、もう十六歳?」
「え、ええ。先月で十六歳になりました」
「あー。じゃ、その、ね?房中術、とかの訓練ももう始まってたりするの?」
「ぼ、房中術?未成年のくノ一に房中術を強制するのはセクハラですよ?一年前にも、教官が生徒に房中術を強要したのがバレて去勢された事件が…」
「へえ!!そっかあー!!良かったじゃない!!私の居た頃は、十六の誕生日には房中術の訓練開始ってふざけたルールがあったのよ!!みーんな、十六になる前の夜は泣いて過ごしたんだからね?」
「あ、そのルールは三年前に廃止になりました。先輩のくノ一のみんなの声が届いたって!」
ワイワイキャッキャと割とえぐい忍者トークを繰り広げる二人。扉の向こうでスマホを片手に時間を稼いでいた螺厭はため息混じりにその場を離れる。どうやら、紅の着替えにはもう少し時間がかかりそうだ。
どうして女子の着替えやら準備やらはこうも喧しく手間の多いのか。首を傾げつつ、雨の止み始めた曇り空を見上げて顔をしかめる螺厭。もうすぐ夕方、刻一刻と時間は過ぎて行っていた。
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