第11話

「おのれ、おのれ、おのれ…」


 呪詛の様なうめき声を上げながら、忍びの郷の里長の婆様こと伊邪忍(しのび)は粗末なベッドの上でもがき苦しんでいた。


「婆様、しっかり。必ずや助けは来ます」


 医療班の忍者の声も虚しく、忍の全身に回った毒は老体を確実に蝕み続けていた。


「がぁぁあぁあ…!!よくも、よくも!!裏切り者共め…!!」


 全身の血管の中を針金が流れているかの様な激痛。本来ならそのまま痛みでショック死するか、もしくは心臓の動きを緩やかに停止させて死に至らしめる特殊な猛毒。それを裏切り者の侵略者に打ち込もうとして返り討ちに遭い、自分自身がその毒で苦しめられている。


 地獄の苦しみの中、十分な解毒剤も治療器具も無い特別房の中で忍は老いてなお鋭さを失わない目でガラスの壁の向こうを睨む。


「ふん、ざまぁ無いな」

「貴様…弾!!」

「自分で自分の首を絞めるとはこの事だ。わざわざ苦しませる毒なんぞ使うからそういう事になる」


 そう言いながら侵略者達のリーダー、弾と呼ばれた男は苦々しい顔を隠そうともせずに少量のカプセルと水の入ったペットボトルを牢の中へと差し入れた。


「これだけ?」


 しかし、そのカプセルの中に入っているのはほんの少量の解毒剤。忍の毒を中和するには全然足りない量だった。


 唖然とする医療忍者。しかし弾はそんな彼らを鼻で笑って入口の扉を閉める。


「せいぜい苦しめ。その為にも、死んでもらっては困るからな」


 止むを得ずカプセルと水を忍に飲ませる医療忍者。僅かに呻く声が収まり苦しみのあまり喉を掻きむしっていた腕がだらんと崩れ落ちた。


 弾はその光景を無言で見つめていた。呼吸も荒く、脂汗で全身びっしょりで、起き上がることすら出来ない忍を何の感情も湧いていない顔で冷たく見下ろす。積年の恨みを晴らす為にやっていることだと言うのに、その顔は興味すら湧いて来ない様子だった。


「こんな事をして、先輩の良心は痛まないのですか?」


 特別房の中から医療忍者が弾を睨みつける。


「ああ、痛まないな。郷を追われ、全て失ったあの日からずっと、俺の中に良心なんて物は無くなったのさ。ハハハ、正に因果応報じゃあないか婆様?」

「黙れ、黙れ黙れ…貴様なんぞに、この郷を好きにさせるものか…必ず、必ずや復讐してくれるわ!!」

「楽しみにしていよう。だが、助けは本当に来るのかな?」


 バサッと懐から取り出した封筒を特別房の中に投げ入れる弾。医療忍者がそれを拾い、ばら撒かれた写真を見て愕然とする。


「そんな…」


 郷の外で任務を進めていたエリート忍者達の死体の写真だった。ある者は銃で撃たれ、ある者は車に轢かれ、またある者は爆破テロによって。歴戦の強者、郷自慢のエリート忍者達は最早壊滅状態だった。


「残りは後一人、お前達の期待の星だけだが…まぁ、一人ではどうすることも出来んだろう。所詮、子供だ」


 それだけ言い残し、弾は特別房に背を負向ける。毒に呻く忍はうわ言のようにおのれ、おのれと呟き続け、医療忍者は立っている気力も失いへたり込んだ。


 ざまぁないな。心の中でそう呟きながら地上に出た弾は順調に進んでいる忍鋼の掘削作業を見物するべく郷の外れにまで歩いていく。


 懐かしい光景だった。ふと足を止めて周囲を見渡した弾はそんな感慨にふけっていた。

 

 小さい頃火遁の術の取扱免許を取る為に毎日通った教習所。真夏に同期と一緒に水遁の術の耐久勝負をしたプール。勝手に手裏剣の練習に使って先生に怒られた桜の木。どれもこれも皆懐かしく、そして腹立たしかった。


 思い出が美しければ美しい程、理不尽に奪われた憎しみが募っていく。何故この俺がこの郷を追われなければならなかった?何故忍者としての未来を奪われなければならなかった?


 何一つ、恥じ入る事などしてこなかったのだ。だがその結果が追放だと言うのなら、自分の忍道に従って生きていた俺を拒むのなら戦うしかない。例え非道に堕ちたとしても、すべき事を成さなければ。


「さっきは楽しかった?」

「…ああ。楽しかった。本当にね。心の底から楽しめたよ」

「だったらもうちと楽しそうにするもんよ。ま、気持ちは分かるようで分かんないけどね」


 今回の襲撃で組んだくの一、紫煙宣風(つむじ)。弾がかつてこの忍びの郷に居た頃、家が隣同士で年も同じの幼馴染みだった。爆発物関連のエキスパートで迎撃システムのコントロールルームなど郷の重要施設への立ち入りすら許されるほどの人材だ。弾は彼女の協力が無ければこの作戦は成功しなかったと断言できる。最も、何故協力してくれる気になったかについては教えてくれない辺り微妙に信用できないのだが。


 宣風は厳重にロックされた鉱山の入り口の扉に特殊な爆薬をセットする傭兵を見渡しながら、足元に転がって来た反房中術キャンペーンのチラシを拾い上げる。


「未だにやってたんだな、このキャンペーン。俺には今更って話だよ。俺を追放してもう十八年にもなるのに、技術ばかり進歩して、それを扱う忍者の心は全く進歩していないって証拠さ」


 そのチラシを見て鼻を鳴らす弾。宣風は懐から取り出したマッチを擦ってチラシに火をつけると、そのままタバコにも火をつけた。


「そう悪く言う事ばかりじゃ無いよ。ま、たしかに実現したのは最近の話だけどね」

「確か君だったよな、宣風。房中術実習が嫌だって、部屋に閉じ篭もってた」

「あの頃は本気で嫌だったよ。誰だってそうさ。あんたら男共が羨ましくて仕方なかった」


 爆薬のセットが完了し、退避を終えた傭兵がスイッチを入れた。派手では無いが強烈な爆発が鉱山の入り口を吹き飛ばし、封印されていた忍鋼の掘削現場へと続く坑道がその姿を現した。


「依頼完了ももう間も無くだ。その前に、何としてでも不確定要素を排除していきたい。頼めるか。大蛇」


 不意に弾の言葉を聞いて、一人の大男が姿を現した。隠蓑マントの光学迷彩だ。一瞬驚かされた旋風が胡散臭そうに鼻を鳴らす。しかし大蛇と呼ばれた男は気にも止めず、不貞腐れた様子でこちらを遠くから見つめる影に向けて手を振った。


「そういうことだ。先生のやり方を良く見ておくんだな、影」


 顔をしかめる影を他所に大蛇はははは、とおよそ忍者とは思えない程の高笑いを残して再び隠蓑マントにくるまって姿を消した。


「…いいの?アレ、相当な曲者よ」

「構わない。郷に恨みを持ち、こちら側についてくれるのならなんだって構わないさ。貴重な戦力だからね」

「そう。アンタがそれで良いなら、それで良いよ」


 それだけ言い残し旋風は懐からタバコを取り出し、火をつけた。忍びの郷の特性タバコ、忍スターのミント五ミリ。その姿に弾が珍しそうに眉を潜めた。


「そんなの出来たのか?俺がいないうちに」

「そりゃ、この郷は特産品の輸出なんてしてないからね」


 得意げに煙を燻らせる旋風に、弾は暫し呆気に取られた様な顔で凍りつくのだった。



 深南雲家のすぐ隣。嵐瑠璃子は降り出した雨を眺めていた。若者向けのブティックと言う事もあって、平日の午前中などは暇なもの。おまけに雨まで降り出しては客足など見込めるはずもなく。


 ふう、と閑古鳥の中でため息を吐いた瑠璃子の耳に、ドカン、と激しい音が聞こえてきた。怪訝そうに入り口を見ると、思ったよりも細身の足がブティックの入り口のドアを蹴り開けた。


「あらあら。もうちょっと礼儀正しく入店してくれないと」


 雨に濡れた少女は意識を失った螺厭を引き摺りながらゆっくりとブティックの中に足を踏み入れる。瑠璃子が目を細めると、即座にヒュンと音がして手裏剣が飛んできた。しかしその手裏剣は瑠璃子の顔のすぐ目の前に静止する。


「危ないじゃないか。私は一般市民だよ?そういうのは良くないんじゃないかって思うよ?」


 あくまで親切なおばちゃんの顔を崩さず、瑠璃子は手裏剣を軽く叩いた。勿論、切り傷なんて付かないように手袋をつけて。だが鍛えられた忍鋼製の手裏剣の刃に触れて無事な手袋なんて普通は無い。


「どいつもこいつも嘘つきばっかり。貴女も、忍者なのね」

「嘘なんてついてないわ。だって聞かれなかったじゃない」


 しれっと真顔で言い放つ瑠璃子。今朝に会った時の親切なおばちゃんの顔つきからは想像も付かない程の無感動な顔。本性表した螺厭と同じ顔つきだ。


 思わずカッとなった紅が拳を握り締め、その怒りをぶつけるように引き摺っていた螺厭を瑠璃子の前に投げ捨てる。螺厭は忍者ガジェット、超電磁ロープで縛り上げられ意識を失うまで電撃をくらわせてある。暫く起きる事は無いだろう。


「それにしても、何処で気付いたのよ?さっきまでは怪しんでる気配すら無かったのに」

「コイツが自分から言ってきたわよ!」


 簀巻き状態ではあるが、生きてはいる螺厭。気を失っているらしく、脚で突いても反応は薄い。紅は冷たい眼差しで螺厭を見下ろす。午前中には見せていた親愛すら覗かせていた眼差しは、今や立派な忍者の眼差しだった。具体的に言って、殺しさえ厭わない敵意の篭った目つき。


「なら私達は味方だって分かって…ああでも、そんな目をしてるくらいだし、殺す程度じゃ済まないくらい怒ってるんだろ?何言われた?」

「…」


 ワナワナと握り締める拳に力が入り過ぎて震え出す紅。思い出すだけでも腹立たしい。あの薄ら笑いに、心底馬鹿にしきった様子で吐き捨てられた暴言の数々。そして何より、そんな男をつい一時間前まで心を許し、あまつさえ一緒に居て楽しいとまで思ってしまった自分に。


「忍者だって言うから最初に会った時からずっと、いつ気付かれるかドキドキしてたのにガッカリしただの…まさか本当に警察なんぞに追い詰められてると思わなかったよ、まぁでも、お陰で見つけ易くて楽だった、だの…!そもそも俺がわざわざ部屋を調べろって言われなきゃ調べないのかよ、だのぉ!!大きなお世話よこのぉ!!」

「へぶっ!!」


 紅の蹴りが炸裂し、螺厭は簀巻きのままブティックの壁まで蹴り飛ばされた。一緒意識を取り戻し、そして再び痛みで意識を失う螺厭。紅はまだ納得いかないのか、手甲の指向性磁力で螺厭をふんじばっている超電磁ロープを引き寄せて螺厭を手元に呼び戻すと、今朝とは全く違う理由で赤面しつつ、涙目になって胸ぐらを掴んだ。


「あーあ。ま、そこは完全に自業自得だね。全く、女の子を泣かせるんじゃ無いって教えたのに」

「な、泣いてない!!怒ってるだけ!!」

「そう言うのを泣かせるって言うのさ…」

「余計なお世話よ…大体、なんでこいつはそんなにも実の父親を止めたがってるのよ!こいつの言葉なんか信じられないし、アンタに全部吐いてもらうわ!」

「…知りたいかい?なら教えてあげる。君みたいな若者忍者にはちょっと聴きたくない話も混じってるけどねえ」


瑠璃子は僅かに哀しげに笑うと、テーブルの上に置いていたタバコに火を灯した。


「さて、まずは…」



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