第4話―ヴァルハラ防衛戦線―

「楓、今からずっとお前に会えるからな。俺がずっと側にいてやるから」

 ヴァルハラに戻った颯太はすぐさま王宮で眠る楓の元へ。

 たとえ年老いていたとしても自分の大切な妹であり、この世界に残された繋がりだ。

 彼は眠る妹の白く染まってしまった髪を優しくなでる。

「今度は離れない。絶対に」

 自分が眠っている間、楓はいったいどれだけの苦労を乗り越えたのだろうか。

 彼女が作り上げたハングドマンというレジスタンス、この広大なヴァルハラの都市、それに変わっていた名字、それが彼女の今までの人生を物語っているよう。

「お前はよく頑張ったよ……だからゆっくり休んでくれ」

 颯太は最後にそう言い、部屋を後にした。

「よかったね、楓さんにずっと会えるようになって」

「あぁ。まぁこれも黄泉が手伝ってくれたってのもあるけどな。俺一人で出撃してたらどうなってたかわからないし、貞操が……」

 部屋の外で待っていてくれた黄泉と合流し、二人で歩く。

「あはは、もしかしたらいい経験になったかもよ?」

「嫌だっての、男の尻で童貞喪失って……つかお前、あの時めちゃくちゃ笑ってたよな。それ、許したわけじゃないからな」

「あれ~、そうだっけなぁ?」

 なんて話しながら歩いていると、ぽつり、と颯太の頬に雫が落ちる。

 彼が見上げると、これ以上なく膨張した真っ黒い雲から、ぽつぽつと雨が降り注いできた。

 それはすぐに勢いを増し、弾丸のように勢いをつける土砂降りへと変わる。

「めっちゃ降ってきたじゃん!」

 露天商は手早く売り物を片付け、屋内に撤退していく。住居を作る男たちも、街行く子供たちも、皆慌てて家の中に逃げこんだ。

「黄泉、どうする? こんなすごい雨じゃバイク運転するの危ないだろ?」

「うん、そうね……どこかの店に入りたいけど、雨がいつ止むかわからないし……もし明日まで降ってたらお店の人に迷惑かかっちゃう。だから宿があればいいんだけど」

「王宮まで戻るか? 奏多さんに相談して少しの間いさせてもらえれば」

「どこにあるかわからない宿を探すよりはそっちの方がいいかも。うん、戻ろう! 颯太、走るよ!」

 黄泉は颯太の手を取って走り出す。

 激しい雨の中、走る二人。けれど彼らの表情はどこか楽しげだ。

「これだけびしょびしょになってたら、なんだか逆に気持ちいいね!」

「はは、そうかもな! 子供の頃を思い出すよ! 学校の帰りに雨が降って来てさ、みんなと一緒に走って帰ったんだ! その時の気持ちに似てるや、なんだかワクワクする!」

「あたしも子供のころ、雨が降ってたのに外に出たことあるんだ! お母さんに叱られたけど、あの時は楽しかった! キミが言うみたいに、ワクワクしてた!」

 彼らの心には、忘れたはずの幼心が浮かび上がっていた。いつの時代も幼心が感じることは変わらない。

 降り注ぐ雨が、彼らの心の汚れを洗い流し、純真な部分を見せ始めたせいだろう。

「ねぇ! このまま雨が止まなくてさ、世界が沈没したらどうする? アディムズもバビロンも、クワトロエースも全部全部沈んじゃうの! そしたら戦いなんてなくなるよね!」

 彼女は颯太の手を離し、踊るようにクルリと回った。雨を纏う彼女は、まるで妖精のように見える。

「はははっ! そうかもしれないな!」

「でね、あたしたちは水に沈んだ街の中で生活するの! 楽しそうじゃない?」

 なんて夢見る彼女を颯太は目で追った。くるくる、くるり、彼女は雨の中で舞い踊る。

 びっしゃりと濡れた髪が肌に張り付き、服の裾からは吸いきれなかった水が垂れ落ちているのに、彼女はそんなことを気にせずに踊る、踊る。

 楽しそうに、来るはずもない幼稚な夢を並べながら。

 颯太はそれを止めることはない、いや、止められることなんてできなかった。

 彼の双眸は彼女の動きを寸分逃さず捉え、離さない。離れられない。

「キミは世界が平和になったら何がしたい?」

「俺は……」

 颯太は何も言えなかった。キラキラと雨の雫を纏い、屈託なく笑う彼女の笑顔を見てしまったから。

 いや、その笑みの奥、雨に紛れて流れる涙に気が付いてしまったから。

 黄泉は夢を見て、それが絶対に叶わないことを知り、泣いたのだ。戦いしか知らない人間に、泣いたのだ。

 その時だった。空がピカリ真っ白に光ったと思うと、時間差でごごぉんと腹の底まで轟き響く低い音が鳴った。

「きゃっ! 雷!? 颯太、いそごっか!」

 雷で我に返った黄泉は走って先に行ってしまう。

 彼はいまだに動けない。足に杭でも打たれたみたいに動けないのだ。

「俺は……」

「キミ! 早くしないと雷に打たれて死んじゃうよ!」

「俺は、君が泣かない世界だったら、何でもいいよ。平和でも、戦いがあっても」

「え? なんて言ったの?」

「なんでもない! すぐ行くよ!」

 彼の足はようやく動き、黄泉と共に走る。

 ようやく王宮にたどり着いた時には、二人の身体はぐっしゃりとずぶ濡れだ。

 服は水を吸い込みすぎて異様に重くなり、濡れた肌からは刻一刻と体温が逃げていく。

 黄泉が一つ、くしゃみをした。

 しかしその音は、遠くの雷鳴と重なり消えていくのだった。


「お二人とも、ずぶ濡れじゃないですか!?」

 奏多は二人を見て驚きの声を上げる。急いでタオルを持ってきて二人に渡した。

「急に雨が降ってくるんだから、仕方ないよな?」

「えぇ、そうよ。文句なら空に言ってほしいかな」

 二人とも雨の中ではしゃいでいたことは内緒にする。いったん屋内に入ってしまうと途端に思考はクールダウン、あんなに楽しそうにはしゃいでいたことが恥ずかしくなってしまったのだ。

「まぁ天気はいつの時代もどうにもできませんから。予報では明日まで降り続くみたいですよ」

「なるほど。じゃあ、泊まれる部屋って用意できますか? この雨だとバイクじゃ危なくて帰れないんで……」

 言うと奏多は困ったように顔をしかめた。

「部屋のほうは用意できるのですが……一部屋しか空きがなくて」

「こんなに部屋が多いのに?」

 颯太は廊下の扉たちを指さした。このフロアだけでもざっと20~30は部屋がある。

「ここは許可がある者しか入れません、研究などの機密事項が多くありますから。もし入れたとしても用が終わればすぐに出て行ってもらいます。万が一情報を持ってバビロンに寝返られたら、たまりませんからね。私たちとしても疑うようで悪いのですが、最悪の一手を想定しておかなければ人は守れません。ですから来客用の部屋は待合室一つだけなのです」

 颯太は黄泉と顔を見合わせる。彼女は頷いて奏多に言う。

「奏多さん、あたしたち、別に同じ部屋でもいいですよ」

「いえ、ですが年頃の男女が同じ部屋でというのは……何か間違いがあったら私は楓様に会わせる顔がありません。楓様のお兄様を預かるのですから」

「大丈夫よ。あたしたち一緒にお風呂入ったことあるけど、何もなかったし。だから間違いなんて起こらないよ。ねぇ、そうでしょう?」

「ま、まぁな……」

 颯太は何食わぬ顔で頷くが、内心では悲しみに暮れていた。

 一緒にお風呂も入ったし、これから一緒に寝るというのに、彼女はあっけらかんとなにも間違いは起こらない、と言う。

 それは自分を信頼してくれている、ということだ。だというのになぜ悲しくなるのか。

 自分は黄泉に男として見られていないのではないか、それが悲しくてたまらない。

 彼は惹かれ始めていたのだ、黄泉という女の子に。

「ほら、颯太も言ってるし、大丈夫よ。だから部屋を貸してほしいな」

「わかりました。ただ、部屋から出る際は私をお呼びください。先も言った通り機密事項がありますから。楓様のお兄様とそのご友人であろうと、それは守っていただきますから」

「わかったから、とりあえず着替え欲しいな。着替えはあるでしょう?」

 その後奏多に部屋へ案内され、交互に部屋の中に入り着替えを済ませた。

 着替えると服の温かみがわかる。冷えていた身体があっという間にぽかぽかとしてくる。

「ここが来客用の部屋ねぇ。にしては豪華よね、ベッドまでついてるし」

「見栄張ってるんだろうな。ほら、王宮の外側は豪華だけど内側はあんまりだし。多分外に向けての威厳があるんだろうな」

「ふぅん」

 部屋はそこまで広くはなかったが、大きなベッドが一つ、テーブルを囲むようにソファが備えられており、天井にはシャンデリアまで吊られていた。

 颯太はソファに身を沈める。柔らかなソファはとても座り心地がよく、このまま眠ってしまえそう。

「あたしお風呂入ってくる。体冷えちゃったしあったまりたいなぁ。ねぇ、キミも一緒に入る?」

「え?」

 突然の誘いに颯太の心臓がどくり、と跳ねた。

 もちろん頷きたい。しかし理性が働きそれを阻害する。

 理性と本能が彼の脳内で戦っているが、その戦いに決着をつけたのは黄泉だった。

「なんて、嘘だよ。キミってば赤くなっちゃって、面白いの」

 にやにやと小悪魔的な笑みを浮かべ、彼女は部屋に備え付けられた浴室へ向かう。

「絶対覗かないでよ! 前も言ったけど覗いたら殺すから」

「……」

 颯太は返事することができなかった。

 争っていた理性と本能が頭の中で行き場を失い、呆然とするしかなかったからだ。

 呆けた彼の鼓膜を、シャワーの水音が振動させる。

 それに混じって微かに香るシトラスの石鹸の匂い。

 彼は扉一枚隔てた先にいる彼女のことを思う。

「俺は、黄泉のことが……」

 自分がこの世界で目覚めて一番初めに出会った女の子。

 それからずっと一緒にいて、相棒のようにも思える存在となっていた。

 それどころか、黄泉は颯太の心の拠り所になっていた。

「黄泉が笑ったら嬉しいし、悲しんでるとこっちまで悲しくなる。で、あいつを笑顔にしてやりたくなる。俺は黄泉のために、生きてみたい……」

 普段はニコニコしている表情も、ふと見せる悲しげな表情も、彼にとってはどれも愛おしい。

 そう、永遠に自分だけのものにしたい、と思えるほどに。

「はぁ……まさかこんな世界で恋するなんてな……」

 彼は自嘲気味に笑って見せた。だが、その表情には喜びが混じっている。

 この世界で黄泉に出会えた喜びが、彼を満たしていた。

 ふと、窓に目を向ける。外は変わらず大雨だ。

 つい先ほど雨の中、二人はしゃいだことを思い出す。とても幸せで嬉しかった。

 そしてあの時黄泉がふと見せた涙、それを拭ってやりたいと思った。

「俺が、幸せな世界を作ってみせる。それが、この時代に目覚めた俺に与えられた使命なのかもしれない」

 少し大袈裟かもしれないが、自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 楓がもう戦わなくていい世界を作る、それに続き、黄泉が幸せに暮らせる世界を作る、それが彼の目標に加わった瞬間だった。


 夜、雷は去ったものの雨はまだ勢いを弱めず、地面を濡らす。黄泉が言った風に本当に世界が沈没してしまうかもしれない、そう思えるくらいに。

 颯太たちは奏多が作ってくれた料理を味わい、あとは眠るのみとなっていた。

 外の規則的な雨音が、やけに眠気を誘う。

「じゃあ俺は寝るよ、おやすみ」

 颯太は言い、ソファにどっかりと腰を下ろし腕を組む。そのまま目を瞑ろうとしたが、黄泉がそれを遮った。

「え? キミ、ソファで寝るの? 体痛くならない?」

「いや、これ、結構ふかふかだし寝心地よさそうなんだ。それに、女の子そっちのけでベッド使う男って嫌だろ?」

「キミは気を遣いすぎ。一緒に寝よ。ベッド広いしさ、二人くらい余裕で寝れるって」

「……それってまた冗談?」

「今度は本気。あたしだって男の子がソファで寝てるのに、ゆっくりベッドで眠れるわけないし」

「でも……」

「キミなら変なことしないってわかってるから」

 そう言ってベッドに座りニコニコと笑う黄泉。とても颯太を信用している、という表情だ。

 しかしそれが彼の心を逆撫で、痛いくらいに傷つけた。信用というのは時に、ナイフのように鋭い。

「俺が、本当にいい奴なのかよ……」

 颯太は揺らり、と立ち上がりベッドまで歩き、そこに座る彼女を押し倒した。

 ばふり、と黄泉の背がベッドに沈み込む。

 戸惑う黄泉の瞳と、暗くくすんだ颯太の瞳がぶつかってしまう。

「颯太……なに、してるの……? ふざけてるなら、やめてよ……今のキミ、怖いよ……」

「俺は、男なんだ……だから、我慢できる保証がない……黄泉の信用を、裏切るかもしれない……」

 黄泉に覆い被さったまま言う颯太。

 彼は内心、しまった、と思った。心の痛みに突き動かされてやってしまった行為、それが彼女を傷付けてしまっている。

 その証拠に、黄泉の瞳からはつつぅ、と涙が零れていた。

(黄泉を泣かせたくなかったのに、さっそく泣かせてるじゃないか……)

 彼は自分の行動に吐き気を催す。だが、欲望はもう止められない。傷がガソリンのように欲望の炎を焚きつけたのだ。

「俺は、お前が思ってるより、いい奴じゃない……」

 低く、唸るように彼は言い、黄泉に顔を近づけた。

 彼女はビクリ、と肩を震わせたが、真正面から颯太を見つめた。覚悟を決めたような、それでいて颯太を慈しむような、複雑な瞳。

 怯えているようにも見えるし、諦めているようにも見える。わけがわからない瞳だ。

 それに捉えられ、彼は動けなくなってしまう。

「颯太……いいよ……来て……あたし、キミなら、大丈夫だから……キミなら、全部、許せるから……」

 涙に濡れる大きな瞳、それがゆらゆらと揺れ、颯太を惑わせる。

 間近に感じる彼女のいい香りが、生温い吐息が、ごくり、と唾を飲む音が、敏感に研ぎ澄まされた彼の感覚を揺さぶる。

 どくん、どくん、と鼓動が高ぶり、口から心臓を吐き出してしまいそう。

「颯太……」

 彼女が自身の名を呼ぶ。愛おしそうに。

「黄泉……」

 彼はドクドクと高ぶる自分の胸を、思い切り叩きつけた。それはもう何回も。

「え!? 颯太!? なにやってるの!?」

 驚く黄泉にも構わず、颯太は自分の心臓を叩き続ける。

「俺は! 俺は! 黄泉を傷付けたくない! 黙れよ! 俺の心臓!」

 彼の心臓は高ぶりを収めた。それが痛みのせいなのかどうかはわからないが。

 ふぅ、と大きく息を吐き、ベッドにごろりと横になる。

「そういうことだ、黄泉……ごめんな、俺は抑えが効かなくなるかもしれない」

 天井のシャンデリアを眺めていると、視界の中央に黄泉が割り込んでくる。

 今度は申し訳なさそうな顔だ。

「ごめんね、颯太……あたし、キミのこと、信用してたんだけど……キミはそれが苦痛だったんだよね。本当にごめん、あたしが無神経だった」

「いいよ、黄泉は悪くない。我慢できなかった俺が悪いんだから……」

 颯太はそう言ってベッドから立ち上がり、またソファに戻ろうとする。

 だがその手を黄泉が握った。とても温かな掌だ。

「キミばっかりかっこつけてずるいよ……ほんと言うとね、あたしだって我慢してるんだよ? あたしだって女の子の前に人だし、そういう気分が抑えられないことだって……」

 恥ずかしげに頬を染め、彼女はそっぽを向いた。

(めっちゃ可愛い……今までで一番かわいくないか?)

「だから、お相子にしよ。で、一緒に我慢大会。明日の朝まで一緒に寝て、我慢できるかどうか」

「なんだそれ」

「さっきも言ったけどキミばっかりにかっこつけさせたくないし、キミがソファで寝るのにあたしがベッドで寝るって言うのも心が痛むし、だったら一緒に我慢しよってこと」

「……」

 颯太は何も言わず、ベッドに横になる。黄泉に背を向けて、だ。

 彼女と向き合えば何をするかわからない。

「ありがと、颯太」

 ニコリ、優しく微笑んだ彼女の顔を颯太は見ていない。しかし背でそれを感じていた。


 二人がベッドに潜り、30分は経過した。

 だが二人とも眠れずにいた。

 颯太は先ほどの罪悪感と、隣で黄泉が眠るドキドキによって。

 彼女も颯太のドキドキにあてられ、眠れなくなっていた。

 雨音だけが真っ暗な部屋に反響する。

 その沈黙と襲ってこない眠気に耐えきれず、口を開いたのは黄泉だった。

「まだ起きてるよね?」

「……まぁな」

「そっか……じゃあ、今まであたしがずっと考えてたこと、言っていい?」

「なんだ?」

 黄泉は一呼吸あけて言う。

「あたしたちは明日、ヴァルハラを出る。でもキミは、ここに残りなよ」

「え……?」

 それは颯太にとって予想もしていなかった言葉だ。今まで相棒のように一緒にいた黄泉が、別れを告げてきたのだから。

 彼は思わず起き上り黄泉のほうを向いた。彼女は颯太に背を向けたまま、話を続ける。

「キミは楓さんが大事なんでしょう? この世界でたった一人残った家族だもん。だから、最後まで側にいるべきだよ」

「そ、それはありがたいけど、お前たちがここを出なくても」

「あたしたちはレジスタンスでアディムズハンターだよ? 自分の力でアディムズと戦えない人たちを助けるために戦いに行くの。それにバビロンに襲われてる人だって助けたい。あたしたちはそのために戦ってるんだよ?」

 颯太は彼女の過去を思い出す。アディムズに襲われ、バビロンに親を見殺しにされた。

 そんな彼女は自分のような人を出さないために戦っている。

 それは咲奈も瑛人も同じだ。

 だが颯太にはそんな過去はない。颯太が戦う理由は楓と黄泉だけ。

 どちらが重いか、と問われれば、迷うが。

「ここを出れば次またいつ戻って来れるかわからない。もしかしたら途中でアディムズかバビロンに殺されるかもしれない。もしキミが死んだら、楓さんは悲しむよ」

「でも……俺は黄泉たちが死んだら悲しい」

「フフッ、そう言ってくれて嬉しいよ。あたしたちには悲しんでくれる人なんていないから……」

 彼女は小さく笑い、颯太を見つめ言った。

「キミは優しすぎるよ。戦いに向いてない。すぐ死んじゃう。だから連れていけない。どう、これで分かったでしょう?」

「……」

 颯太はもう何も言えなかった。何か言ったとて、それはすべて黄泉の反論によって撃ち落されてしまう、そんな気がしたから。

「わかった。俺はここに残って、楓と一緒にいる。でも約束だ。絶対に、死ぬなよ。次アッシュギアが帰ってきて、お前がいなかったら、俺が殺しに行く。アディムズになったお前を。お前を殺したバビロンの奴らを」

「いいよ、その約束、乗った。ほら、手、出して。指切りね」

 黄泉が小指を差し出してきた。颯太も小指を出して、お互いの指を絡めあう。

「これで成立ね。じゃ、この話はもうおしまい。寝よっか」

「……あぁ」

 これが黄泉と過ごす最後の夜になる、そう思うと颯太は眠れなかった。

 これで最後なのだ、一度くらい、とよこしまな考えが頭をよぎったが頭を振り邪念を吹き飛ばす。

 最後くらい、黄泉の信用を裏切りたくなかったから。

 隣で彼女の寝息が聞こえる。規則正しい、気持ちよさそうな寝息だ。

「……最後だってのに、暢気に寝て……勝手だよな……」

 その呟きは、降りしきる雨音によって掻き消えた。

 闇が次第に彼を眠りへと誘い、次に彼が目を開けた時には黄泉の姿はそこにはなかった。

 代わりに置かれていたのは一丁の拳銃。彼女が護身用に、と颯太に残したのだ。

 雨はとうの昔に降り止んでいたようで、地面の水たまりは日を浴びて小さくなっている。

 けれど彼の心には、大きな水たまりが出来上がっていた。


「黄泉は行ってしまったんだな……」

 颯太は窓から外を眺める。

 昨日の雨など忘れたみたいに、街行く人々は活気溢れている。

 そんな彼らをぼぉっと眺めながら、颯太は一人溜め息を吐く。

 一陣の風が窓から吹き込んでくる。それが部屋に残った黄泉の香りをすべてさらいだしてしまう。

「黄泉……」

 彼が呟いた時、扉がノックされ、奏多が入ってきた。

「颯太様、黄泉様は出ていかれましたよ」

「知ってる。楓と一緒にいたほうがいいって俺を置いていったんだ」

「アッシュギアは機体の最終整備のため昼過ぎまではここにいるでしょう。お別れを言うなら今ですよ」

「別れなんて、言えないですよ……」

 奏多は何か言いたげに口をもごもごさせている。

 やがて覚悟が決まったのか、口を開いた。

「颯太様は、黄泉様のことが好きなのでしょう? 昨日の態度を見ればわかります」

「そっか……俺の気持ちは、周りにばれてたのか」

 颯太は自嘲気味に笑う。周りに気付かれるほど、黄泉にお熱だった。それを恥じるように。

「ですから颯太様。後悔なきようお別れを」

「いや、行かない。行ったら、約束を破っちまう」

 彼はぎゅっと拳を握る。爪が手のひらに食い込むくらい強く。

 そうしないと、奏多の言葉に従ってしまいそうだから。

 痛みで無理に約束を思い出す。楓の側にいる、だから次に黄泉に会うのは彼女が自分の意志でこちらに帰ってきた時か、彼女が死んだ時だ。

「俺はここで楓と一緒にいる。黄泉の気遣いも大事にしたいし」

 黄泉は颯太のためにここに残れと言ってくれたのだ。その気持ちを無碍にすることもできない。

「そうですか……あなたがそう言うなら私は何も言いません」

「そうしてくれ」

 颯太は窓の外をまた眺めた。温かな陽気だ。眠たくなってしまいそう。

「……で、奏多さん。なんでまだいるんですか?」

「傷心の男を観察しています」

「……意地が悪いな、奏多さんも……一人にしてくれ」

「いえ、冗談ですよ。颯太様、家を探しに行きましょうか」

「家?」

「えぇ。黄泉様が最後に頼んでいたのです。楓様と一緒にいるならこちらで家を構えたほうがいいだろう、だから家を探してやってほしい、と」

「ったく、そんな気を遣わなくてもいいのに」

 彼は面倒そうに、けれど嬉しそうに言った。そしてぐっと伸びをして気分を入れ替え、外に出る。

 新しい生活の場を決めるために。

 しかし行く先々で彼はちらちらと時計を見る羽目に。

 黄泉たちが出発してしまったかどうか気になるのだ。

 結局何も決められず、彼の頭には家の間取りなんて残ることもなく、昼の12時になった。

「はぁ……まったく、颯太様は時間ばかり気にされて。そんなに未練があるならば無理をしなければいいのに」

「ほ、ほら、喉元過ぎれば何とやらって言うだろ。気にしてるのも今のうちだけだし」

「本当にそうですかね? これは1週間うじうじコースだと思うのですが」

「うぐっ……てか奏多さん、なんでずっと俺についてくるんです? 家くらい一人で見て回れますよ」

「まぁたまの息抜きですよ。私だって王宮にずっと籠っていれば気分が滅入ってしまいます。楓様もたまには羽を伸ばせと言ってくれますし。ほら、それよりもお昼を食べましょう。おいしいハンバーガー屋さんがあるんですよ」

 奏多の誘いでハンバーガー屋へ行くことに。

 久々に食べる好物のハンバーガー、しかし颯太の心は晴れないままだ。

 いまだ黄泉を引き摺って曇り空。

「本当に重症ですね。そこまで入れ込んでいたとは……」

「俺だって驚きだよ。自分がこんなに黄泉を好きだったなんてな」

 颯太はハンバーガーにかぶりつく。はみ出したソースが、ポタリ、テーブルに落ちた。

まるで血のように赤いトマトソースだ。それが颯太には自分の心から零れ落ちたようにも見えた。

「失って初めて気付くってのは、このことなんだよな」

「まだ間に合いますよ?」

「気持ちが揺らぐからそれ以上言わないで……」

 奏多の言うとおりアッシュギアに戻ればどんなに楽か。しかしそうしてしまうと黄泉との約束もあるし、楓のこともある。

 もしアッシュギアに戻り、ここを出れば次に楓に会えるのはいつになるかわからない。黄泉以上に楓は大切な存在なのだ、颯太にそんな選択はできない。

「話、変えませんか? 話してると自然と時間が過ぎる気もするし」

「いいですけど、何の話をします?」

 颯太は唸り、答える。

「俺、奏多さんが楓のこと、そんなに慕う理由を知りたいかな。楓は今まで何してたのか、そういうことも知りたいし」

 なるほど、と奏多は呟き瞳を閉じる。色々と思い出しているみたいだ。

 瞳を開き、ハンバーガーを一口齧ると彼は話し始める。

「私が8歳の時、楓様に出会いました。その時の私は親をアディムズに殺され、傷心でした。私はいつ死んでもいい、子供ながらにそう思っていたのですが、いざアディムズに襲われるとそうではなかった、必死に逃げてしまったんです」

「誰でも生きたいと願うよ。それは当たり前のことだと思います」

「えぇ、そうですね。私は必死に願ったんです、生きたい、と。両親が死んで天涯孤独の身になっても、生は諦めきれませんでした。そんな時です、私とアディムズの間に割って入ったのが、楓様の操るクワトロエースだったんです。当時はクワトロエース開発が始まったばかり、今みたいなスマートなシルエットではなく、四角い箱を繋げたような滑稽で不細工な機体でした。ですが私にはその機体が、まるで神様の遣いではないかと思えるくらい、かっこよく見えたんです」

 奏多は遠く奏多を見つめ、続ける。

「そう、あれは両腕がチェインソーで、腰にショットガンを下げてました。なんともバカげた武装でしたが、あっという間にアディムズを倒し私を助けてくれたのです」

「ちょ、ちょっと待てよ。その機体の名前って」

「チェインソー・ガンマンですよ」

「チェインソー・ガンマン……俺が乗っていたのと、同じ機体だ……」

 これは何という数奇な運命だろうか。

 過去に妹の楓が操っていた機体が、改良され、時を超えた兄へと受け継がれる。偶然にはできすぎているそれは運命と呼ぶにふさわしい。

「楓様はチェインソー・ガンマンで数えきれないほどの人を助けてきました。あの機体は私たちにとって希望の象徴なんです。まさか颯太様がそれに乗っているとは思いもしませんでしたが」

「いや、でも今はアッシュギアにあるから、もう俺の機体じゃないんだけどな」

「そうでしたか……ですがあの機体はまた別の誰かが乗り、誰かの希望の象徴になるのでしょうね。そう、楓様と私みたいに」

「そうならいいな」

「えぇ。私はそれ以降楓様の後を追いかけ、楓様のために生きようと決めたのです。そうして私は今、楓様のお世話と警備主任という立場を得た。それもあの人が助けてくれたから、今度は私があの人を助けるんです」

「そうか……楓は、いい人を部下に持ったんだな」

 自分のために命を賭けて戦ってくれる人がいる、そう思える人がいるくらい楓は立派になったのだな、と颯太は感じた。

「私はあの人と同じ時代に生まれて、本当に良かったと思っている。あんなに強く、優しい人を他に知りませんから」

「楓は本当に立派に成長したんだな……俺が知らない間に、強くなって……」

「颯太様の知る楓様はどういう人だったんですか? 私は戦う楓様しか知らないので、教えてほしいものですね」

「う~ん……楓は甘えん坊でさ、いつも俺の後をついてきて甘えてきたんだ。いつになったら兄離れするんだって母さんたちに笑われてたりもした。でもそういうところが可愛かったし、兄として誇らしいって思えたんだ」

「あの楓様が甘えん坊だったとは……てっきり昔からあんなに強いのかと。街一つ拳で制圧したことがあると思っていました」

「人の妹を何だと思ってるんだよ。あいつは奏多さんが言うみたいに、強い人じゃなかった。俺と離れる時も泣き喚いてたし。多分、無理してるんだよ、強くならなくちゃって。俺がいなくても大丈夫、いや、俺がいつ目覚めても大丈夫なように、強くなってくれたんだ……」

 颯太は楓のことを思い出す。

自分の後をちょこちょこと着いてきた彼女。小さくて甘えん坊だった彼女。

「いいですね、兄妹って……私は兄妹なんていませんから、憧れてしまいます」

「まぁ、そうかもな……でも俺はまだ、楓が誇れるような兄になってない。この世界であいつが自慢の兄だって言えるくらい、成果を出さなくちゃ」

 颯太は残ったハンバーガーを口に放り込み、ジュースでそれを流し込む。

「だからまずは黄泉のことを信じて送り出す! それでヴァルハラで暮らして、ここに住む人たちの助けになれるよう働く!」

 彼はすっと立ち上がり、拳を握り締めた。それが決意の表れだ。

「えぇ、頑張ってくださいね、応援してますから」

「それじゃあさっそく家探しの続きに」

 と、その瞬間だった。それは前触れもなく、訪れた。

 どごぉん! という轟音がヴァルハラ中に響き渡ったのだ。

 何事か、と店から出た二人は見てしまう。ヴァルハラを守る壁の上に立つ警護のクワトロエースが次々と爆発していくところを。

「な、なんで爆発してるんだ!?」

「そんなの決まってるでしょう! 敵襲です! きっとバビロンの連中です!」

「まさか、ここに直接!?」

 その時、颯太の脳裏に正樹の顔がよぎる。必ず報復する、その言葉が鼓膜の奥でリフレインした。

「あの時、完全に殺していれば……」

「颯太様! 早く王宮へ! 地下に秘密のシェルターがありますから、そこに楓様と市民を! 私はクワトロエースで応戦します! こうなったのも日々の訓練を怠ったせいですね……警備主任として情けない!」

 いつの間にかヴァルハラの門は破壊され、クワトロエースやアディムズが大量に流れ込んできていた。

 耳を塞いでも聞こえる悲鳴の群れ、上がる土煙、我先にと逃げ惑う人々、それはまさに地獄絵図そのものだ。

「……楓」

 颯太は大切な人の名を呟き、王宮へ走る。たった一人の家族を守るために。


 なぜヴァルハラがこうも容易く襲撃を受けてしまったのか、それは長年に続く壁内の平和のせいだ。

 壁の内側にいれば安心だ、という慢心、警備の兵も日々の警護に忙しく鍛錬を積むのを怠っていた、それらがバビロンの襲撃を成功させてしまったのだ。

 それにバビロンの連中は道中、アディムズの群れを刺激し、それを引き連れてやってきた。

 バビロンとアディムズ、二つの脅威にヴァルハラは晒され、めちゃくちゃだ。

 警備のクワトロエースが何機も潰され、居住区からは火が上がる。楽しそうな声は悲鳴に変わり、逃げ遅れた人はアディムズに食われていく。

 そんな街の様子を颯太は王宮の楓の部屋から眺めていた。

 王宮には生き延びた人々が集い、地下シェルターに避難しているところだ。

「はぁはぁ……くそ……あいつら、何の罪もない人たちを……」

 そう、ここにいる人たちに罪はない。ただ、一人で生きていけないから集まっていただけ。

 そんな彼らがこんな目に遭っていいはずがない。

「楓……俺はどうしたらいいんだ」

 彼は眠る妹の手をぎゅっと握りしめた。

「黄泉は……無事なのか? 襲撃の前に、ヴァルハラを出られただろうか……いや、出られていないだろうな……嫌な胸騒ぎがする」

「にい、さん……?」

 と、楓がゆっくりと目を覚ました。

 ぱちぱちと寝ぼけ眼を瞬かせ、外の様子を見た彼女はすっくと立ち上がった。

「兄さん! これはどういう状況なの!?」

「バビロンとアディムズが一気に攻めてきた……」

「街の人たちは!?」

「地下シェルターに避難させてるところだ。でも、大勢が間に合わずに……」

「そう……」

 楓は窓を眺め、悲しそうにその表面を、いや、自分が築き上げた平和だった街を撫ぜた。

「ねぇ、兄さんはどうしてここにいるの?」

 窓に反射した楓の瞳と、颯太の瞳がぶつかってしまう。獣のように鋭い目に射抜かれ、颯太は一瞬言葉に詰まってしまった。

「……楓を、守るためだ。大事な、家族を……」

「兄さんには私よりも大切な人がいるでしょう?」

「楓よりも大事な人なんて」

「黄泉って女の子、好きなんでしょう? 眠っていても、少しは外の様子がわかるのよ。それに、兄さんのことなら全部知ってる。だから兄さん、行ってあげて、大事な人を守るために」

「でも楓は」

「兄さん!」

 叱責するように叫ぶ楓に、颯太はビクリ、と肩を大きく震わせた。

「あまり私を舐めないでほしいな。私は兄さんがいなくても大丈夫なほど強くなった、だから大丈夫。兄さんは戦ってきて。私も、戦うから。兄さんと、この街の人たちと一緒に戦うから」

 彼女はそう言って窓から離れる。その足取りは力強く、今まで眠っていた老人とは思えないくらい。

 もしかしたら楓はこの時のために力を蓄えていたのか、颯太は思った。

「そうだよな……あいつは強くなった……俺も、大事な人を守るために強くならなくちゃ……今が、その時だろ!」

 颯太はぎゅっと拳を握り締めた。自分のやるべきことを自覚して、駆け出していく。

「兄さん、王宮にバイクがあるから、それを使って」

「あぁ、わかった。ありがとな、楓」

 彼はバイクにまたがり、戦火の吹き荒れる街へ繰り出した。

 好きになった女の子を守るために。

「待ってろよ、黄泉! 絶対に、死ぬな!」

 クワトロエース同士の戦いの足元をすり抜け、襲い来るアディムズを避け、燃え盛る家を迂回し、彼はバイクを駆る。

 エンジンを限界まで吹かし、トップスピードを保つ。ぐぉんぐぉん、唸るエンジン音、しかしそれは辺りの戦いの音で掻き消されてしまう。

 だが、そんな彼の目の前に少年が現れた。親とはぐれてしまったのだろうか、泣いている。

 彼は急ブレーキをかけ、その少年に駆け寄った。

「ここにいたら危ないぞ。逃げろ」

「でも……ママが……ママが……」

 少年が指さした先、それはごうごうと真っ赤な炎に包まれる家だった。見ると少年の頬はすすけ、服が焦げ、痛々しい火傷が見て取れる。

「ママが……逃げなさいって……ねぇ、お兄ちゃん! ママを助けてよ!」

「ごめん……」

 颯太は少年を抱きしめ、小さく呟いた。もう母親を助けることはできない。

 この子の母親は、この子を守り死んでしまったのだ。

「うわぁぁん! ママぁ!」

「泣くな、逃げろ……じゃないと、お母さんが何でお前を守ったか、わからないだろう? だから頼むよ、逃げてくれ」

 颯太は少年の肩を抱き、言う。しかし少年は首を横に振り泣き続ける。

 少年にはまだ颯太の言葉を理解することができないのだ。

「お願いだ……逃げてくれ!」

 そんな時だ、バビロンのクワトロエース、タイタンⅢが颯太たちを見つけ、襲い掛かってきた。

 ライフル銃を彼らに向け、引き金にかけた指が動く。

「こんなところで……死ぬのか? 俺も、この子も」

 このまま撃ち抜かれて死んでしまう、逃げようにも少年を抱えて逃げ切れるわけがない。

 せめてこの少年だけは。颯太は少年を守るように抱きしめた。

 こんなことで守れないかもしれない、けれど万が一自分が盾になり、少年が生き延びてくれれば。

 だが、覚悟を決めた颯太にいつまでたっても銃弾は訪れない。

 不思議に思った彼は、恐る恐る振り返った。

 そこには、赤と白のボディが特徴的なクワトロエースが立ち、颯太たちを襲ったタイタンⅢを撃破していたのだ。

「颯太様、無事ですか!」

「その声、奏多さんか!」

「えぇ! 早くその子をこちらに! 私のフリーダム・アベンジャーが絶対に守ります!」

 フリーダム・アベンジャー、それが奏多の機体だ。鞭のようなしなやかな動きをする剣を持ち、次々とタイタンⅢを屠っていく。

 少年を奏多に預け、颯太はまたバイクで駆ける。

『聞け! ヴァルハラの民たちよ! ヴァルハラを守る剣たちよ!』

 そんな時、街全体に楓の声が響き渡った。街の各所に設置されたスピーカーから流れている。

『今、私たちは卑劣な連中により攻撃を受けている! しかし案ずることはない! 私たちは正義の側にいる! 正義が負けるはずがない! それに私はお前たちを信じている! お前たちは負けない! こんなところで負けて死ぬほどのつまらない命ではないことを、私は知っている! だから戦え、剣を抜け! 侵略者を討て! そして、死ぬな! 私たちは明日をこの手で勝ち取るのだ!』

 楓の言葉に鼓舞された兵士たちの動きが変わった。今まで押され気味だったというのに、果敢に立ち向かい、敵を討ちとっていく。

 これが楓の求心力なのだ。

「楓、俺も頑張るから……待ってろ、黄泉、みんな!」

 アッシュギアが見えてきた。颯太はフルスロットルでバイクを駆け、アッシュギアへと辿り着いた。


「ドクター! いるか!? チェインソー・ガンマンは!?」

「颯太か。やっと来たのぅ」

 ドックでは待ちかねていたとでもいうように朽木がいた。彼は顎髭を触りながら颯太を見定めるように眺める。

「ドクター、俺に機体を!」

「お前は変わった。ようやく、なんのために戦うかわかったようじゃな。そういう奴にこそ、チェインソー・ガンマンは任せられるというものよ」

 ほほほ、と笑い、朽木はチェインソー・ガンマン・ゼータを指さした。

 その隣には王蜘蛛が立っている。だがジェット・スナイパーと重兵衛がいないことから彼女たちはすでに戦っているのだとわかる。

「俺は楓も大事だけど、黄泉も大事だし、咲奈も大事だ。もちろんドクターも瑛人もな。だから俺は戦いに戻ってきた。こうしないと、大事なものは守れない!」

 颯太はチェインソー・ガンマン・ゼータのコックピットに乗り込んだ。

 カギを回すとモニターが立ち上がる。

 ようやく戻ってきた、ここが自分の居場所だ、彼はそう感じていた。

『颯太よ』

 スピーカーから朽木の声が響く。

『お前はさっき戦うと言った。その機体は戦い、殺すための機体ではない。断ち切るための機体じゃ。悲しみの連鎖を、その刃で断ち切るのじゃよ』

「悲しみの連鎖を……?」

『今まで誰も成しえなかったことじゃ。じゃが、この世界にもう一度舞い戻ったお前ならば、それができるかもしれない。時間の流れを超えたお前じゃ、決められた運命を壊せるかもしれん』

「ドクター、俺にはそういう大役、できませんよ」

 颯太は笑って言う。今までアニメや漫画の中で見た英雄を気取っていた自分に別れを告げるように。

「俺ができるのは、身近な人を守ることだけ。悲しみの連鎖は、皆で断ち切るんだ。俺も、チェインソー・ガンマンも、黄泉も咲奈も瑛人も、あんただってそのうちの一つのピースにすぎない。でもそれが全部繋がったとき、一つのパズルが完成するみたいに、平和になるんじゃないかな」

『はんっ! ガキのくせに臭いこと言いおって 生意気じゃよ』

 そういう朽木だが、声音はどこか嬉しそうだ。

『そんな臭いこと言う間があれば、出撃して来い。大切なピースを守ってくるのじゃ』

「わかってますよ、ドクター! それじゃあ行くぞ、相棒……チェインソー・ガンマン・ゼータ、颯太、行きます!」

 背のジェットを吹かし、トップスピードでチェインソー・ガンマン・ゼータは飛び出した。

 そして戦場を駆け抜けていく。目指すのは黄泉だ。

 モニターには黄泉の機体の位置が表示されている。だから迷うことはない。

 道中邪魔なアディムズを切り裂き、バビロンの機体も切り裂き進む。

 そして彼女の元へ辿り着く。

 ジェット・スナイパーは今、タイタンⅢに囲まれ絶体絶命だ。

 重兵衛もアディムズと戦い、ジェット・スナイパーの救援に行けずにいる。

「黄泉―!」

 颯太は叫んだ。操縦桿を思いきり傾け、タイタンⅢに近付き、その胴体を断ち切った。

 そしてジェット・スナイパーを守るように、敵の前に立ちはだかる。

『そ、颯太!? なんでキミが!? こんな危ない戦いに戻ってくるなんて、おかしいよ! あたしはキミの助けがなくても切り抜けられた!』

 黄泉の声がコックピットに響き渡った。たった数時間しか離れていないのに、なんとも懐かしい声音だ。

 颯太はやはり黄泉のことが好きだと再認識する。

 そしてそれは、彼女と再会したことにより爆発することに。

「俺は……俺は……黄泉が好きだからだぁーーー!」

 彼は叫んだ。自分が今まで出したことないくらいの大声を。獣の咆哮と言ってもいいくらいの声音だ。

 だが後に続くは静寂だけ。彼の声が大きかったためか、静寂が耳に重い。

 痛いくらいの沈黙、それを裂くように、コックピットに黄泉の笑い声が響き渡った。

『ぷっ……あっはははは! 嘘でしょ!? こんなタイミングで告白する!? あはは! やっぱりキミって面白いし、男の子ってバカだよね!』

「なっ……ば、バカってなんだよ」

『そんなこと、言われなくても気付いてたし』

「え……?」

 颯太は思わず間抜けな声を出してしまった。

 まさか自分の気持ちが見透かされていたとは、思いもしなかったからだ。いや、あれで見透かされていないと考える颯太も颯太だが。

『キミがあたしを見る目が前と変わってたなぁって言うのは気付いてたし、キミがあたしを妙に意識してるってのもバレちゃってる原因かな。だからあたしはキミを遠ざけたかったっていうのに……』

「遠ざけたいって……それじゃあ俺のこと……嫌い、なのか?」

『う~ん……キミが勇気を出して言ってくれたから、あたしも言うけどさ、あたしもキミのこと、好きかも。キミの発言とか行動とかさ、全部バカらしいなぁって思うけど、そういうところが愛おしいなぁって思うし』

「俺、微妙にけなされてない?」

『そんなことないよ。キミがいたから毎日が楽しかった。だから、キミが戦って死んじゃうのが怖かったし、あたしが死んじゃってキミが一人寂しくなるのも想像したくないくらい嫌だった。だからあたしは、キミを遠ざけた』

「そう、だったのか……」

 黄泉も颯太と同じで、大切な人を失うことが怖かったのだ。ただ、その方法が違っていただけ。

 颯太は大切な人を守る、黄泉は大切な人を戦いから遠ざける、それで互いの愛を守ろうとしたのだ。

 彼は一呼吸おいて、言う。

「なぁ、黄泉……お前にとって俺は、そんなに信用無いか? 俺はお前を置いて絶対に死ぬもんか。お前こそ、俺を置いて死にかけてるんじゃねぇよ。そんな奴が、遠ざけるとかかっこつけないでくれ。かっこつけるのは、男の特権だ」

『颯太……』

『あの~……颯太くん? わかってると思うけど、これ、オープンな会話になってるから、ボクにも聞こえてるんだけど……そういう甘いやつは、戦いが終わってからやってくれるかなぁ? じゃないと……オレ様がお前らをぶっ殺す! 戦場でそんな甘いこと言ってる奴は大っ嫌いなんだよ!』

 いつの間にか重兵衛が装甲をパージさせて、アディムズを屠っていた。

 我に返った颯太たちも連携して目の前のタイタンⅢを屠る。

『そうだね……颯太、まずはここから生き延びよう! お互い、絶対死ねないからね!』

「あぁ! こんなところで死ねるか! 仲間を守るために、それに、楓が死ぬなって命令したんだ! 兄として、それを無視するなんてできない!」

 チェインソーが唸り、包囲するタイタンⅢの腕を落としていく。所詮量産型の平凡なパイロットだ、それを避けきれる間もなく両腕が飛び、直ちに戦闘不能となる。

 颯太の加勢により形勢が逆転したかに思われた。

 しかし彼らの目の前にタイタンⅢとは別の機体が現れた。

 見た目はタイタンⅢと似ているが、それよりもスリムに、より洗練されたフォルムになっている。左腕にはバズーカ砲が、右腕には巨大な鉈のような武器が装備されている。

 そして何より目を引くのは、金色に輝くボディだ。戦場にあって一段とその存在感を醸し出している。

 まさに狙ってくれ、とでも言わんばかりの輝きだ。

「なんだ、あの金ぴか……」

 金色の機体は颯太たちを見つけると、バズーカ砲を突き付け言い放つ。

「ようやく見つけたぞ……お前たちだな、俺の輝かしい経歴に傷をつけてくれたのは! 約束通り、報復に来てやったぞ。嬉しくてちびったか!」

「その声……正樹か! やっぱりお前が率いていたのか!」

「すべては俺の輝かしい未来のためだ! 俺の未来は、このタイタンⅣのように輝いて然るべきなんだ! 汚名は、お前たちを屠って挽回する!」

 タイタンⅣに乗った正樹が襲い掛かってくる。眩いくらいの黄金の輝きが、彼の殺意の大きさを表しているよう。

『新型かぁ……いくら来ようと、オレ様の敵じゃないんだよぉ! オレ様がぶっ殺す!』

 豹変した悟志が駆る十兵衛がタイタンⅣに突っ込んでいく。

 だが颯太は嫌な予感がした。

 新型のタイタンⅣには何か隠された力があるのではないか、タイタンⅢには無い何かが。

 でなければいくら自信があるからと言って3機相手に1機で立ち向かってくるはずがない。

「止まれ! 悟志! これは罠だ!」

『罠? 知るかよ、そんなこと! ぶっ殺しちまえばそんなこと関係ねぇよ!』

「このバカ……!」

 颯太は思い切り操縦桿を倒し、叫んだ。

「間に合えぇ!」

 そして、タイタンⅣと十兵衛の間に割って入る。タイタンⅣに背を向け、十兵衛の刃を受け止める。

 次の瞬間、チェインソー・ガンマン・ゼータの背にタイタンⅣの伸びた左腕が襲い掛かったのだ。

 颯太は器用に操縦し、空いた手でショットガンを振り抜き、襲い来る腕を撃ち抜いた。

 銃撃により軌道がそれた左腕、そこから放たれたバズーカが颯太の機体の頬をじりり、と焦がす。

『何してるんだよバカ野郎がぁ! 今ので確実に殺してたぜ! あんなの簡単に避けられた!』

「そんなわけあるか! 避けたとしてももう一方の腕にやられてたのがオチだ! お前の機体は装甲が無い! 一撃受けただけで致命傷になるんだ!」

『だったらどうしたぁ!? それに文句でもあるのか、あぁ!? オレ様の機体にケチ付けてんじゃねぇぞ!』

「お前の機体に文句言ってるんじゃない! お前の戦い方に文句言ってるんだ!」

 颯太は叫んだ。通信機の向こう側にいる悟志に、いや、咲奈に。

「なんでお前はそんなに死に急いでるんだよ……咲奈を守るための悟志なんだろう? ならなんで、そんなに死にたがってる戦い方、するんだよ……本当は全部わかってるんだろう、咲奈? 悟志は死んだ、帰ってこないって。だから悟志と同じところに行こうとしてたんだろう?」

『違う……オレ様は……オレ様は……悟志……大事な妹を守るために……戦ってる……そう……オレ様……ボクは……ボク……?』

 うわぁ、と大きな叫び声がコックピットに響いた。その声音は、悟志ではなく咲奈のものだ。

「咲奈! お前が死ねば何のために悟志がお前を守ったのかわからなくなる! お前は生きなくちゃならない! 辛くても、背負わなくちゃいけないんだ!」

『ボクは……ボクは……』

 十兵衛はチェインソー・ガンマン・ゼータを蹴りつけ、拘束から逃れると思い切り飛びあがりタイタンⅣに襲い掛かった。

「仲間割れかと思えば今度はなんだ? まぁ何が来ても俺の敵じゃないがな!」

 タイタンⅣの両腕が伸び、十兵衛に襲い掛かる。

 しかし十兵衛は宙で華麗に身を捻らせて回避、刃を伸びた腕に突き刺し、重力の重みに引かれるがままに腕に裂け目を作りながらタイタンⅣへ近づいていく。

『ボクは、咲奈で、悟志だ! お兄ちゃんの思いと一緒に、生きていく! だからボクたちを殺そうとするお前を、倒すんだぁ!』

 タイタンⅣへ最接近する直前、十兵衛は刀を抜き、回転。そのまま勢いを乗せてタイタンⅣの胴体、ちょうど柔らかい胴体と脚部の付け根を真っ二つに切り伏せたのだ。

 地面にどしん、と膝をつくタイタンⅣ、それと同時に十兵衛もバッテリー切れで動かなくなってしまう。

「やった! 十兵衛の勝ちだ! やったな、咲奈!」

『ううん! 颯太、まだ終わってない! あれを見て!』

 颯太はモニターに映った光景を見て驚くしかなかった。

 切り裂かれた上半身からコックピットだけが飛び出す。そしてコックピットはジェット噴射を駆使して、逃げていくではないか。

「ずるいぞ、そんなの! 逃げるな!」

「逃げているのではない! 乗り換えるのだ!」

 コックピットが向かう先には、別のタイタンⅣが。

「備えあれば憂いなし! 持っててよかったもう一機! 今度は確実に仕留めるぞ、お前たち!」

 コックピットとタイタンⅣが合体し、動き出す。それと同時にその周りに待機していたタイタンⅢたちが颯太たちを取り囲んだ。

「ははは! これで形勢逆転! さぁ、マサキング様にひれ伏せ! お前たち、奴らは頭が高いぞ! 頭を垂れさせろ!」

「黄泉! お前は咲奈を守ってくれ! こいつらは俺が食い止める!」

 そう言って襲い来るタイタンⅢの前に立ち塞がる颯太だが、先の連中とは違い統率の取れた彼らの前に機体を押さえ込まれてしまう。

『颯太!』

 ジェット・スナイパーが援護射撃をするが、間に合わない。

 チェインソー・ガンマン・ゼータは複数の機体に取り押さえられ、地面に押し付けられてしまう。

 颯太は必死に操縦桿を動かすが、タイタンⅢたちを振り払う力は出ない。

「くそ……このままじゃ押し潰されて死ぬぞ……どうにかしないと……」

 彼はコックピットを見渡し、一つのボタンが光っていることに気が付いた。

「Zのボタン……ドクターが言っていた、変形のスイッチだ……なぁ、相棒……これを押せば何とかなるんだよな? 信じてるぜ、相棒!」

 颯太がボタンを押した、その瞬間だった。

 ぎゅいんっ! と動力が唸る音が響き渡り、コックピットにすさまじい衝撃が走った。

 コックピットからでは機体がどうなったかわからない。しかし、押しつぶそうとするタイタンⅢの勢いが弱まったのは感じていた。

「何が起こったんだ……?」

『颯太……その見た目……ハリネズミみたい』

 ジェット・スナイパーに乗る黄泉にはチェインソー・ガンマン・ゼータの変形する瞬間がありありと見えた。

 ほんの一瞬で、機体の身体からチェインソーが沸き上がってきたのだ。胴体も、背も、腕も足も頭も、そのどこからもチェインソーが飛び出し、取り押さえていたタイタンⅢの身体をずたずたに貫いた。

 だがそれだけでは足らず、回転を始めたチェインソーがタイタンⅢを切り裂き、拘束から逃げ出したのだ。

『颯太、ついに使ったか! それがチェインソー・ガンマン・ゼータの変形、ヘッジホッグモードじゃ! 生えてきたチェインソーは腕のものより脆いが、数で押し切るのじゃ!』

「ヘッジホッグモード、か……なるほど、こいつなら奴を倒せる!」

「いくら変形しようとマサキング様の敵じゃないぜ! 俺の前にひれ伏せ!」

「そんなこと、するかよ!」

 チェインソー・ガンマン・ゼータとタイタンⅣは走った、お互いに向かって。

 そしてぶつかり合う二機。

 チェインソー・ガンマン・ゼータが腕を振るたびに、生えてきたチェインソーが折れてしまう。しかしそれは確実にタイタンⅣに傷を付けていた。

 腕のチェインソーがなくなれば、足を。足のチェインソーがなくなれば、その胴体をぶつけ、タイタンⅣを傷つけていく。

 気づけばタイタンⅣの表面には裂かれた傷が何十と浮かび上がり、機体の光沢はなくなっていた。

 しかしいつの間にか、チェインソー・ガンマン・ゼータの身体の刃もほとんどなくなっている。

「はははっ! お前のチェインソーはもう無い! だが俺の機体は表面に傷がついた程度! これが力の差だ!」

「俺の機体の名を忘れたか? チェインソー・ガンマン……使える武器は、チェインソーだけじゃねぇ!」

 二丁のショットガンの連射がタイタンⅣの傷付いた体を襲う。傷を帯びた身体が抉れていくが、ショットガンの弾が切れてもその体は沈まない。

「タイタンⅣはハーディムズの身体を纏う鉱石を分析して作られている! この体の硬さはハーディムズと同じ! お前の攻撃はすべて無駄だ!」

「黄泉ぃ! 後は頼んだ!」

『任せて、颯太! キミの攻撃は無駄なんかじゃない! あたしがそれを証明してみせるから!』

 ジェット・スナイパーのライフル銃が輝き、フルバーストバスターが撃ち放たれた。しかしそれはタイタンⅣの身体をかすめるだけ。

「外してやがる! あはははっ! 肝心なところで、残念だ! 神は俺を、王として選んだんだ! 王の前に雑魚の攻撃など当たりはしない!」

『誰がお前に向けて撃つなんて言ったのかな? あたしは百発百中、今回も、外してなんかないよ』

 黄泉がそう言った瞬間、タイタンⅣの背後で大爆発が起こった。

 そう、黄泉が撃ち抜いたのはこの戦いの騒ぎで寄ってきたガディムズだ。

 銃撃の衝撃でガディムズは破裂、近くにいたガディムズもそれに巻き込まれ大爆発が起こったというわけだ。

 起こるオレンジの爆炎、まるでうねりを上げて暴れまわる竜のようなその炎にタイタンⅣは飲み込まれた。

 颯太たちはちょうどタイタンⅣの陰になるように立っているため、爆発の衝撃を受けずに済んだ。

 チェインソーの攻撃で傷を帯びた表面は爆発の衝撃により崩れ、その体はバラバラに砕け散っていく。

『やったね、颯太!』

「いや、まだだ! コックピットが逃げた! あれを止めないと!」

「くそ、くそ、くそぉ! このままじゃ終われない! 俺が王になるんだ! この世界を統べる王に!」

 執念のままに逃げ切った正樹は、新たな機体にコックピットを埋め込んだ。

 その機体は腕が6本ある、颯太たちに見覚えのある機体だった。

「あれは……王蜘蛛!?」

『王蜘蛛の開発はドクターしか知らないはずよ! ならあれは……』

「まさかこいつを使う日が来るとはな……昔中国マフィア共を制圧した時にずいぶんと手こずらされたこいつを……だがその強さも今は俺のもの! 中国の連中の力を借りているようで癪だが、今はそんなこと関係ない! 勝つ! ただ、勝つのみ! それだけだ!」

 颯太たちの前に王蜘蛛が迫ってくる。

「ダメだ……バッテリーが少ない! ヘッジホッグモードを使ったからだ! 黄泉は!?」

「こっちもダメ……フルバーストの放熱もあるし、援護できない! さっきの一撃でとどめをさせていれば……」

 二人のコックピットはバッテリー低下を叫ぶように緊急アラートが鳴り響いていた。

 彼らは王蜘蛛の強さを知っている。バッテリーの少ない機体で勝てる相手ではない、ということも理解していた。

「そ、そうだ! 奏多さん! 奏多さん、聞こえるか? こっちがやばい、すぐ助けに来てくれ!」

『ダメです! こちらはアディムズの進行を止めるのに手いっぱいで、援護に回れません!』

 遠くで奏多も戦っている、ならば自分たちでどうにかするしかない。

 だが勝ち目があるだろうか、不安になってしまう。

「これで終わりだ! ガキども、調子に乗った罰を受けるがいい!」

 王蜘蛛の6本の腕が同時に颯太へ向けて振り下ろされる。

 颯太は思わず目を覆った。襲い来る死を見たくない、と無意識下での行動だ。

 だがいつまでたってもその腕たちは颯太を襲わない。

『はぁ……これだからお前は弱いんだよ。俺がいないとだめだな、やっぱり!』

「その声……瑛人か!」

 聞こえた仲間の声に目を開けると、そこには自分を守るように敵に立ち向かう王蜘蛛の姿があった。

『そうか……お前がお俺の父さんたちを殺したのか……その機体は俺の父さんのものだ! 返してもらう!』

「お前……中国マフィアの生き残りか! だが構うものか! お前もお仲間のところに送ってやる! そう、地獄にだ!」

『いいや、地獄へ行くのはお前のほうだ! 俺にはあの時に持っていなかったものがある! 仲間だ! 心から信頼できる仲間がいる! だから、お前に勝てる! そうだろう、颯太!』

 言われて颯太は機体を立ち上がらせた。バッテリーも限界、しかし一撃加えるだけの力はある。

 正樹の王蜘蛛は瑛人の王蜘蛛と力比べをしており腕は使えない。体ががら空きなのだ。

「行くぞ、最後だぁ!」

 颯太は正樹の王蜘蛛の身体を、残るバッテリーで切り刻んだ。

 腕を切り落とし、足を切り、胴体を切り、頭を落とした。それを一撃でこなしたのだ。

 そして最後に、逃げられぬようにコックピットにチェインソーを突き刺し、地面にそのまま拘束した。

 それが戦いの終わりだった。


「……殺せよ、俺は負けたんだ。生き恥を晒すつもりはない。最後くらい、潔くさせてくれ」

 コックピットを開け、正樹が出てきた。彼は額から血を流しながらも、颯太たちを睨みつける。

 だが両手を上げ降伏の意を示す。その目は悔しさの表れなのだろう。

「バビロンに戻っても敗者は殺されるだけだ。誰に殺されるかは、俺が決めたい。いいだろう?」

 颯太もコックピットから降り、正樹に近づいた。その手には黄泉が残した拳銃が握られている。

「さぁ、殺してくれ……」

「いいや、俺は、殺さない」

 颯太は拳銃を正樹の方へ投げ捨てた。

 黒い殺意が地面を転がり、正樹の足元で止まる。

「お前、正気か? 俺がこれを拾えば、形勢逆転だ」

「あぁ、そうさ。でも、これがお前を殺さない証明であり、信頼だ。お前はそこまで醜い人間じゃない、そう信じさせてくれ。それに俺がお前を殺せば、俺もバビロンの連中と同じになる。俺をただの人殺しにさせてくれるなよ」

「ははっ……甘いな……だから童貞なんだよ」

「うるせぇ……とにかく、俺はお前を殺さない」

「条件はなんだ? 無条件で殺さない、なんて話はないだろう?」

「お前は仲間を連れてここから出て行け。お前の声なら、仲間も聞くだろう? もしお前が死ねば、あいつらは敵を討とうとなお戦うだろうな。お前が降伏すれば、仲間の命も助かるんだ」

 正樹はうつむき、拳銃を睨む。それを拾えば颯太を撃ち抜ける。

 しかし周りにいる彼の仲間たちに殺されてしまうだろう。自分をここまでコケにした颯太を殺して死ねるならば本望だ。

 彼は拳銃に手を伸ばした。

 だが、その手が途中で止まる。

「俺からも条件を出す。ここでただ逃げるだけじゃ、俺たちは野垂れ死ぬ。何せバビロンにも戻れないからな。だから、仲間たちだけでもここに置いてくれ。いや、それは贅沢だな。ほんの少し、あいつらが当分生きていけるだけの食糧をくれないか」

 そう言って彼は拳銃を手にした。その瞬間黄泉たちが動く。

 だが彼女たちの想定した未来とは違う動きを正樹はしたのだ。

 彼は自らのこめかみに銃を当て、叫ぶ。

「もし要求を飲めないのなら、俺はここで死ぬ! そうすれば戦いは終わらない!」

 なんと正樹は最後に、自らの命を人質に交渉を求めたのだ。

「ははっ……最後の最後に形勢逆転されるなんてな……あんた、やっぱりすごいや」

「なんたって、俺はあいつらの王様だからな。部下の命がかかってるなら、王だって命を張るさ」

「……わかった、要求を飲もう。拳銃を下ろせ。さぁ、戦いを止めてくれ」

 こうして戦いは終わった。

 ヴァルハラに侵入したアディムズは、正樹の一声によりバビロンの連中と協力し合いすべて倒した。

 この日、初めてヴァルハラはバビロンに勝利したと同時、バビロンと初めて手を組んだのだった。


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