閑話 前日譚

これは、まだサラがノイラート家で不遇な扱いを受けていた頃の話。


家族がサラを置いて旅行に行っている間、サラはハンス・リーベルスという男爵のもとを訪れていました。




私が家を出るためには、この方の力が必要なのです。どうしても協力していただかなければ。


この冷酷非道な男爵に。


「一体何の用だ、サラ・ノイラート」


「急な連絡にもかかわらず、お時間をいただきありがとうございます。突然ですが、私と結婚してくれませんか?男爵が、結婚の話を全てお断りしているというのは知っています。ですが、私なら研究のお手伝いが出来ます。これは私の研究をまとめたノートです」


男爵に持ってきたノートを差し出しました。私が独学で研究した薬学に関する論文です。


サラは将来ティナに邪魔されずに生きていくために、様々な分野の学問を学んでいたのです。


「……これは、本当に君が?」


「はい。あの、どうかお役に立ってみせますので、傍においてください。一年だけでも構いません。どうかお願いします」


男爵の鋭いまなざしに見つめられて、サラの声が震えました。


無茶なお願いですが、どうにか受け入れてもらわなくては。でなければ、私はあの家族と一緒に地獄行きなのですから。


「君の能力は認めよう。だが僕は男爵だ。なぜ伯爵家の君が僕との結婚を望む?」


「それは……」


至極真っ当な疑問に、返す言葉もありません。なぜって、家を出るために必要な人物だからです……。他の貴族とのしがらみが少なく、ティナが奪いそうもなく、かつ私と早急に結婚してくれそうな方だからです、なんて言えません。




「何か事情がありそうだな。話してみなさい」


男爵は、冷酷非道とはかけ離れた優しい声で私に問いかけてきました。その優しい声に誘われるように、私は家族のこと、今後の計画のことを洗いざらい話してしまったのです。私って思っていたより口が軽いようです……。


「……それで、妹に奪われないものを持ちたいと思ったんです。あの子が全てを奪っても、知識だけは奪われませんから」


「そうか……」


男爵はそう言ったきり、黙り込んでしまいました。引かれてしまったようです。これ以上、男爵を困らせる訳にはいきませんね。諦めて帰りましょう。帰って別の方法を考えましょう。他にも何か方法があるはずです。


帰ろうと立ち上がると、男爵は私を引き留めました。


「そうだな。知識はだれにも奪われない。サラ、君が本当に良ければ、結婚しよう。そして君の計画に手を貸そう。その代わり、僕の研究を手伝ってくれ」


え?今、結婚しようって言いました?手を貸してくれるって?


「良いのですか?」


「あぁ、だからもう少し詳しく、計画について教えてくれ」




こうして私は、出会ったばかりのハンスと結婚の約束を交わしたのです。

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