六話 新しい生活 ※ハンス視点
サラ・ノイラートは不思議な人だ。
初めて会った直後にいきなり結婚してくれと言われた時には、なんて非常識な奴だと思った。
だが話を聞くうちに、認識を改めた。突拍子もない結婚話にも彼女なりの理由があり、苦しんでいるのが窺えた。
「妹に奪われないものを持ちたいと思ったんです。あの子が全てを奪っても、知識だけは奪われませんから」
その言葉に心惹かれた。僕が研究を始めたのも、同じような理由だったからだ。何も持たない僕が階級社会で搾取されることなく生きていくためには、知識が必要だった。知識だけは身分に関係なく、学んだ者にのみ与えられるものだからだ。
家族から逃れるために知識を蓄えていた彼女は、聡明で、芯の強い女性だった。渡された論文がそれを物語っていた。
その論文は、一人で作成したと思えないほど素晴らしい出来だったのだ。
彼女の研究は、僕が男爵になるきっかけとなった薬、コンゲラートと呼ばれる解熱剤に関するものだった。
コンゲラートの効果を高める方法についての研究で、実験も信憑性が高かった。特に、他の薬剤との組み合わせで効果が変わるのは興味深い。
これが本当なら、より効果の高い新薬の開発が可能となるだろう。早速再現性を確認しなくては。
「……ンス、ハンス!聞いていますか?」
「っ!すみません、考え事をしていました。あなたの研究の再現性を確かめたくて……」
しまった、今日はサラと買い物をする予定だったな。
「そんなことだろうと思いました。予定を変更して、一緒に実験でもしますか?」
呆れながらも笑って許してくれる彼女が愛おしい。
「いえ、せっかくのお休みですし、あなたの洋服がもっと必要でしょう?」
「大丈夫ですよ、最低限はありますし。それにハンス、さっきからずっとソワソワしてます」
ほらほら、と言いながらサラは僕を実験室へと連れて行く。
あぁ、幸せだ。
結婚なんてしなくて良いと思っていた。僕が男爵になってすぐの頃、何人もの貴族が出資や結婚の話を持ってきた。
貴族のしがらみに囚われるのが嫌で断ってばかりいる間に、冷酷非道な男爵などと呼ばれるようになっていった。
それでも構わなかった。研究資金は国から十分貰っていたし、独りでも生活できる。
けれど、もうサラのいない生活は考えられない。
「サラ、僕を利用してくれてありがとう。愛していますよ」
「急になんですか?……私も愛しています」
顔を真っ赤にして呟く彼女を見つめながら、僕は研究に取り掛かった。
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