episode.3 御光

 2003年5月25日日曜日早朝。サグラダ・ファミリアのミサの始まる前にバルセロナ自警団は常に勢揃いし情報を交わしては、忌わしいマッドドッグに困惑しながらも、ミサが始まると敬虔に包まれるのが毎度だった。

 アントニ・ガウディの実に有機的な聖堂で、今日は予想以上の議論が白熱し、それでも柔らかくも響き渡る。


 バルセロナ自警団の団長は、スペイン王室から招聘された強者スペイン王室祭礼官入江帯尊。ミレニアム前に即位したアルフォンソ18世は、教育係として各国の王室ゆかりの5人の曲者の手ほどきを受けて、皆の期待のままに推移している。その5人の曲者も教育係で本来ならば即位とともにお役御免も、スペイン国民の帰るな居残れの圧倒的な支持で、カトリック教会に由来した官職を経て、ままに立憲君主制を跨いで介入する。


 そう、スペインはカタルーニャの独立宣言施行かが折々で、特に繊細な州な扱いをせざる得なく。その都度、カタルーニャの急進派と穏健派の仲立ちとして入江帯尊が的確な采配を下す。

 駆除のバルセロナ自警団の志願者は日々バルセロナに乗り込んで来るので、入江帯尊が情報交換会の最初に丁寧な説明を施す。


 マッドドッグは推定ウクライナ発祥の凶悪生物として、ユーロを流れ歩き、ここ3週間程バルセロナに漂白中。活動は主に日が出ている内で、根城を叩こうも夜間ではどう暴走するかで一切の包囲は留められている。

 それは当然だ、立会者と画像分析から、体長3m強の毛の抜けた褐色のボクサー犬に近似も、耳は凶悪に尖り抜群の聴覚力を持ちターゲットをより選別する。何よりは凶暴な歯型が効率よく噛み切る為の鋭利な鋸の三重歯列で、肉片はあっさり平らげる。終いには何とか鉄扉の屋敷に逃げ込むも、マッドドッグはやっと諦めて帰るが、鉄扉があっさり捲られ、大熊以上の凶暴かの認識だ。


 当然ユーロ各国は秘密裏にウクライナに情報の提供を求めるも調査不足で。ウクライナサイドは一方的に非難を浴びる。

 そして憶測はただ飛ぶ。チェルノブイリの汚染の森で体組織が変化した犬種の何れか、また旧ソ連時代の実験動物の成れの果てか、或いはユーロの風習を鑑みて錬金術でキメラ化された悪魔か。皮膚片と付着液から解析すると大凡犬種で有り、遺伝子配列に何らかの捩れがある迄は判明している。ただ分かったところで、誰も駆除のしようが無い。

 隣の長椅子で絶賛二日酔いのヴァイス・ジーザスの姉御が、マッドドッグに出くわしGlock自動拳銃で全弾ぶち当てたが、肉片にささくれ立った位でいくつかの弾は弾かれ落ちていたそうだ。

 そうのこうのでライフル銃一択で警備するしかないが、常日頃自在に持って歩ける訳では無く、これが今日のバルセロナの困窮に至っている。


 ただ今朝の対策会は、やたら熱の帯びたものになった。それは、最前列の座らされたサムライ・ゲンいや黒田玄一の立ち振る舞いが大きい。

 先日のカタルーニャ広場で俺達が和解した事を発して、情報筋にして穏健派のサウロ・アドルノがどうにも泣き崩れた。いやそれは穏健派皆だ。主の教えとは、罪と贖いとはで玄一に一気に諭されてしまったからだ。それがそのまま今日に反映された。

 議論は白熱して行き、集った衆の為の英語から、本国スペイン語に、そしてスペイン語訛りがどんどん酷くなり、カタルーニャ語がほぼになっては、ユーロも長いミアンでも、もはや聞き取りは不可能になった。

 それでも長椅子の隣の絶賛二日酔いのヴァイス・ジーザスが、目を閉じたまま丁寧に解説して下さる。見た目はブロンドの髪も美しく往年の銀幕女優の美貌なのだが、ただ何処までも気さくだ。

 短期旅行でバルセロナを訪れたものの、バーでの交流と深酒がたたり5日で有り金を使い切ってしまい、重機扱えるならばサグラダ・ファミリアの現場へと熱烈に押し込まれた。もっとも今ではバルセロナ全ての酒の出る店全ての顔なじみになり、日当の特別手当てどれだけ貰ってるかだ。そう、碌にヴァイスの姉御の身元を知らないのに大丈夫かサグラダ・ファミリアの現場幹事になるのだが、ここで言わざる得ない。


 本名かどうかは戸籍上そのままヴァイス・ジーザスの姉御は、現役の英国陸軍特殊空挺部隊特務大尉だ。俺は三度修羅場で立ち会っている。要人救護のタスクチームの傍で、ヴァイスは謎の英国謹製の巨大重機で蹴散らし救出している。流石は特務大尉だが、何故か今やの多国籍軍への派兵は免除されて、ほぼ英国本国のテロ対策に専念している。俺もそれが一番適任かと思う。

 何よりコミュニケーション能力が長けている。俺も幼少の頃から医学の家系で、多言語を学ばされユーロ内がやっとなのに、ヴァイスは知識ほぼなしの三日でネイティブスピーカーになり爆笑トークを交わす。だからこそ、難解さが飛び交うカタルーニャ語の全てが分かってしまう。才能と容姿と生活習慣が一致しないのがただもどかしいが、これが大人の愛嬌なのだろうか。

 そして、ヴァイスはやっと目を開け、明るく頬杖を着いた仕草が、聖堂に溢れてきた日の光でとてつもなく神々しかった。大人の女性の魅力とは違うそれが、ミアンの秒速の突っ込みさえ阻止してしまうのだから、やはりただ神々しいのか。


「全く、何て酷いものかしら。話の筋は初っ端の解説通り、穏健派と急進派が真っ二つ。穏健派は今すぐ孤児を保護してマッドドッグから守れに、急進派はマッドドッグの被害対象者はバルセロナの市民全員だのカタルーニャの独立を見据えた慣らしね。まあこれの押し引きで、穏健派はバルセロナの子供は未来の宝だ、急進派は犯罪者の未来は極悪犯罪者だ。穏健派はイエスの教えは罪は購える、急進派はならば犯した犯罪を全て反省出来るのか覚えてもいないだろうですって、一々が腑に落ちるわよね。長生きしてると、洒落臭い政治が付きまとうものね、ああやだ。おお、両派いよいよ掴み合いとは、ここを聖堂と忘れて、理性がもうかしらね。うん、おっと、ここで帯尊自警団団長がそれならばバルセロナの孤児全て施設にスペイン王室の命で丁重に入居させるから、兎に角落ち着けですって。まあ最後は予算付けをどうするかが丸く収まった訳ね。とは言えマッドドッグ駆除には全く前進してないのが、ふうよね。ねえ、ここは7代目アルマ・ヴァン・ヘルシングの頭脳で何とかならないものなの、私の後衛はやっと慣れたから任せなさいよ」


 有るにはある。俺は日々の積み重ねで一仮説に縋る事にした。何としても人肉の味を覚えたマッドドッグをこのバルセロナを最後に仕留めなくてはいけない。俺はゆっくり立ち上がり、至ってノーマルなスペイン語で繰り出す。


「皆さん、どうかお静まり下さい。マッドドッグ駆除に、俺が立てた案を聞いて貰えませんか」

「ふん、部外者が何を言う、」

「ガスパール、アルマは英邁な医師だ。マッドドッグに襲われた市民の施術をして、良い案を持ってるに違いない」

「ガスパール、サウロ、いや皆だ。いつまでもライフル銃を携帯してバルセロナ自警団が警邏していたら、市民の不安が募り爆発する。ここで回避すべきは、デモを起こされ人混みになったら、マッドドッグの凄まじい餌場になる。予算なら幾らでもスペイン王室が手筈を付ける。アルマ、その案、どうか聞かせて貰えるか」

「入江帯尊自警団団長、予算よりはまずは人材です。俺アルマ、ミアン、ヴァイス、そしてサムライの玄一に法的裁量権を与えてくれませんか。損なって良い生命は何一つ有る筈もないです。この深い困難を救えるものなら、どうか無理を通して下さい」

「玄一、どうする」

「帯尊さん、俺は構いません。ただあと一人、外で聞き耳立ててるバディもです」

「ああ、お前らはやる気か、まあ良い雰囲気だな。アルマ、但しバルセロナ自警団全員が全力で補佐する、そこは絶対気兼ねするな。そう簡単に死ねない連中ばかりだから、引き際は全然分かってる」


 皆の視線が俺へと一気に集まった。そして皆の見る見る強張った顔が解れていった、もう信頼は存分に貰った。俺は拳を固めて、言葉を繰り出そうとした瞬間、ヴァイスが俺の左手の拳を触れ解いた。


「ねえ、ちょっと待って、ここまでにしましょう。現在朝7時11分、もう聖堂に信者を入れないと、行列を作っちゃって、それこそマッドドッグの餌場になっちゃうわよ。何より説話の前に、自警団の感情が滾っては、敬虔って何なのかしらね。そうよね、帯尊」

「ヴァイス、良い助言だ。午後のその会合が終わったら、一杯奢る」

「有り難く頂くわ、乾杯、」


 そして、聖堂中が、バルセロナ特有の大らかさが発揮され、思い思いに“乾杯”の声が端々で上がり、何事も無かった様に打ち解けてゆく。

 とは言え俺は今日も運転しなくてはいけないのだが、飲むかどうしたものかと思った瞬間に、ミアンが右手を握り、ヴァイスも左手を握っては、感謝の万歳を三度させられた。当然聖堂も日本の万歳が相次ぐ。このノリは太陽の都バルセロナではいつもの事だ。その証拠にサグラダ・ファミリアの聖堂に、今日は特にの陽射しが入っては、御光に満ち溢れてゆく。

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