episode.2 和解

 日がな中心地のカタルーニャ広場には通っていた。俺達の情報筋である老齢も矍鑠としたサウロ・アドルノは、ここ1週間程顔を見せていない。ただサウロも義理堅く、仲間を伝っては今日も急用の配管工事が入って来れないと、律儀に伝言は貰っていた。

 そのサウロ・アドルノが今日はいた。いつもは立ち話で、マッドドッグの話に二言三言、アルマもミアンも決して抜かるなよで精一杯の笑顔でお別れなのだが、今日は円周南西側のベンチに座っては、周りは厳重に仲間達に囲まれていた。どうやら今日迄、昔の手仕事が奮っていた訳では無いと深く察した。

 サウロにここのベンチに座るように促され、溜め息が深いままにサムライはこれだからと切り出した。


「マッドドッグの餌食になってるのは、ほぼほぼ悪人で、多くは窃盗集団の老いも若かきは説明するまでも無いだろう。奴らマッドドッグ騒動で大人しくなるかと思いきや、一方の市民はマッドドッグで気が気でなく隙が有りまくりになったところを、掻き入れどきとばかり大暴れしてやがる。俺達バルセロナ自警団も憚る事なく、弁えろと詰め寄っても、証拠あるのかですっとぼけるのが、実に歯痒かった。そう、かったになるのは、この一週間で窃盗集団の大所帯の4つが壊滅した。それもたった一人のサムライにだ。おい、日本の高倉健のカチコミは映画のクライマックスなんだろう、それを一人で4つも壊滅するなんて、今の日本人はどんなに強いんだよ」


 正確に言うと映画の高倉健は任侠で、カチコミは義理が立たないから立ち回りをするので、窃盗集団の大所帯の4つを壊滅させたサムライとは別格だ。

 そもそも現実に武装している大所帯を壊滅させたとなると、サウロがその情報を細かく確認したのであれば、一週間ぶりの再会になるのもやむ得ない話か。そして続く。


「日本人のサムライ、ゲンイチと名乗ったらしいが、日本人の名前は馴染みが無いから、サムライ・ゲンとその界隈で呼ばれている。見えない太刀筋でも、斬られたり、死んだ奴はいないらしい。武道では峰打ちと言うらしいが、この終始一貫した冷静さが、実に小憎らしいな。アルマ、ミアン、そのあいつをどう思う」


 サウロのその視線の先には、中央広場で子供等が群がる中、黒いスーツに襟足を伸ばした清々しい青年が左手に黒鞘の日本刀を携えては、子供達に時折笑顔で返していた。

 それにミアンがいち早く反応した。サムライとは五分五分で相手にするなと叩き込まれてる、と舌の根の乾かぬ内に、広場中央のサムライ・ゲンに突撃しそうな勢いだ。当然俺も行かざる得ないだろう。そしてソフィスティケートされた現代のサムライに、俺から先手を切っては、ただフレンドシップに挨拶をした。


「はい、サムライ・ゲン、元気はいかが。俺はアルマだ、子供達にモテモテなんて、本当は良い奴なんだろう」

「そうそう、バルセロナは緊急事態とは言え、持ってライフル銃よ。何で役立たずの日本刀持ってるのが、過信そのものだね。ああ美女の私はミアン、取り敢えずお会い出来て嬉しいと言っておくわね。ルーキーさん」

「アルマにミアン。全く、日本人と見ると、物騒な雰囲気とは誰に叩き込まれた。もっとも、俺はその愛称サムライ・ゲンがそのまま過ぎて嫌いだ。俺はの名前は黒田玄一、ヤクザでもマフィアでもチンピラでもない、ただの正義漢だ。以上だ」

「全く、武士は漏れなくそれ、聞くなそのまま、本当いけすかないわ」

「ミアン、何がどう珍しく不機嫌だ。俺達の即戦力になるかもしれないんだぞ」

「アルマ、それもよね。こんな奴、一発で吹き飛ばして見せるわ」

「それはどうかな、赤の対策委員会のアルマ・ヴァン・ヘルシングにミアン・マクリーンの両者さん。準非公開で見れるお前達の7の報告書は出鱈目で、後先を考えていない。まず俺が謹んで共闘を断る」

「何故だ玄一、俺達の素性を知ってるなんて、マッドドッグ対策で去る筋から派遣されたんだろ。組まない手は無い筈だ」

「尚更断る。今日迄マッドドッグ関連で死者傷者44名、うち未成年が23名、かつ若くして天に召された死者は9名に至り状況は切迫してる。アルマ、ミアン、この覆せない状況は、子供を餌にマッドドッグを誘い出すという下劣な方針を撤回しろ」


 俺は言葉を繰り出せなかった、ミアンも同様にだ。俺達はトラブルシューターの前に人命を疎かに出来ない医療関係者だ。負傷した何れも硬さに関係なく筋肉の部位を二度三度四度、噛みつかれ欠損し食われている。その歯型は鋭利な鋸の三重歯列そのもので決して獲物を逃さない。体力の無い者は直ちに神経性ショック死と精神性ショック死を伴い、外出手術でも手遅れが多かった。そう玄一の言う通り、確かに子供が多くの犠牲者になる事が多かった。でも、徐々に情報が集められ光明は見えているが、それはこの場では何ら理由にならない。

 そしてミアンがやっぱりブチ切れて、淡いピンクのジャケットを俺に預けた。


「あのね、玄一はひとでなしよ。私達は頑張った、それでも助けられない生命はあるの。それを一方的に手落ちだなんて、悪いけど退場を願うわ」

「ミアン、貴様がどうであろうと、俺には勝てない。影になっても、疾風になっても、塵一つになっても、俺は必ず気配を見つけ出し、必ず止めを刺す。その覚悟があるのなら掛かって来い」

「止めろ、ミアン、玄一、今はマッドドッグ対策が先だ。何より子供が見ている」

「よくも言う。子供が見ているも何も、この子達は帰る所も寝る所も定まらない。人から抜き取って、辛うじて生きて真剣に生きている人間だよ、都合良くだしに使うな」

「言うじゃ無い、玄一。それだったら、窃盗集団軒並み壊滅させるのを止めなさい。先々この状況下では教会に炊き出しに並んで、やっと凌げるかどうかよ。今は、もう、そう、上手く言えないじゃ無い」

「ミアン、それは無しだ。子供達の痣を良く見ろ、これは上がりの少なく常時折檻されたからだ。それに手持ちのお金も一切無い、その小さい靴を必死に縫っているが、もう限界をとうに超えている」

「アルマは漸く分かったようだな。この子達はこれから先が、やっと人生だ。悪事に安寧は一切無い、分かったら俺の前から消え失せて、見て見ぬ振りをしている大人連中に冷や水を浴びせろ」

「玄一、分かった。マッドドッグの対策には必ずや目処をつける。ただ約束してくれ、玄一一人で何もかも背負いこまないでくれ。玄一は剣豪だろうが、マッドドッグは猛禽類でも未だあった事の無い部類の凶獣だ。これ以上、仲間が死んでは、俺は悲しい」


 トラブルシューター及び医療関係者としての今迄の様々な思いが去来しては、涙がとめどなく出てしまった。隣のミアンはハンカチで鼻を拭った事で俺以上に相変わらずの共感だと悟った。

 そして堰を切った様に子供達が嗚咽した。


「玄一は強いんだぞ」

「世界一だ」

「目隠しでもオレンジを真っ二つなんだぞ」

「サムライは正義の味方だ、死なないんだぞ、知らないのかよ」

「玄一は、マッドドッグに噛まれた、私の友達に為に泣いてくれたの、そんなサムライを主は見放さないわ」


 黒田玄一に向かって、泣き腫らした子供達が我武者羅に抱きつき一気に溢れかえった。玄一の黒の一張羅の背広が、もはや光り始めているが、玄一はそんな事御構い無しに子供達を抱き寄せる。分かっている。方向性は違っても、生命を疎かにしないのは同じ思いだ。ただ、今日の今で、孤軍奮闘している玄一に寄り添える適切な言葉が出ないのが、本当に悔しい。それでも俺は繰り出した。


「玄一、日曜早朝のサグラダ・ファミリアの聖堂で、バルセロナ自警団の会議をしている。参加してくれると、必ずや士気が上がるし、大きく反省もしたい。勿論貧困対策も考えたいから、来てくれると嬉しい」

「その誠意、お前らがトモダチなら、時間の折り合いがつけば行く」

「ジャパニーズか、トモダチ、とは」

「アルマ、トモダチは、マイフレンドよ。そう言う、照れ隠しは、これだから武士は、本当にね、はあー、何か力が抜け切っちゃった」


 子供達の輪が、今覚えたての言葉“トモダチ”を連呼しては広場を狭しと駆け巡って行く。その微笑ましい光景を見ては、まなじりの下がりすぎた玄一を見た。俺はこう言う根が優しいサムライ、いやトモダチが大好きだ。

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