fifth

判家悠久

episode.1 あの噂

 2003年5月10日土曜日の麗らかな午後。バルセロナは依然と観光者の坩堝で、あの不可解な都市伝説も一体何処にあるか吹き飛んでいる。市民の何れもは先月のチャンピオンズリーグのバッドマッチのほとぼりも冷め始め、決して表に出さないものの異常事態の緊張の内で生活を送っている。そしてここバルセロナを巡回するのは、この愛車準医療車両の銀のホンダ・CR-V。その車両内はバディが天然全開に、俺が毎度突っ込み、ただ無邪気な会話が弾むも、鮮烈した思いが巡る。


 俺アルマの隣では、バディのミアンが無邪気にマドンナのライク・ア・プレイヤーを口ずさむ。俺はやや溜息交じりで、2001年にミラノ・パリ・ロンドンを連れ回されたマドンナのドラウンド・ワールド・ツアーで、それは歌って無いだろうも。


「もう、アルマは硬いね。もうインターンでも何でも無いのに、これはこれって体系づける生真面目さはもういいよ。それは君の良さを存分に損なっているのだよ。全く。大体緊急救命医の君には、柔軟さが必要じゃな無いのかな、ねえ、」


 見た目そのままの未成年をやっと超えた21才かのベルギー娘ミアンが、相変わらずタメ口で話して下さる。ミアンはこれでも俺と同じアムステルダム大学附属病院の赤の対策委員会医療班の救命医師と救命看護師だ。仕事は即応鉄則以外実に自由な領域で、ミアンの出鱈目過ぎる身上書でも、間を置かず俺のバディとして付けられた。

 救命看護師としての技量は、その見た目とは打って変わってベテラン以上の領域で、温存療法はままにミアンの方が合っている時がある。何か一々飲み込んだ言い方になるのは、いざ俺達の関係性を語る時の間になっているので、まあ止む得ない。


 そう、皆が信じるかどうかになるが、俺達の出会いは強烈そのものだ。

 それは1997年11月のベルギーのヘント市の出来事だ。報道は一切閉じられているが、異形のハンニバルフランケンが完全収監されている獄監獄から破壊の程に抜け出し、憤怒のままに死傷者131名を出した。俺はその時アムステルダム大学のインターンであり、家の格式を持って選抜されては、緊急医療へり小隊に送り込まれた。足跡のままのヘント市郊外の現場は惨憺たるもので、まるでスレッジハンマーで殴られた惨劇は対処方法しか望めなかった。トリアージが次々進む中、いつの間にか大木に凭れた美女と視線が合った。それは誰もが諦めたブラックタグの付けた被害者だった。

 俺が引っ掛かったのは、自らも荒い呼吸で瞳孔も戻っていた事だ。どういう事かで、救命医療道具を手早く広げ、無数の擦痕から流れる血液を拭っては確認した。何れも腱が伸びきり数本で繋がってるかどうかの状態で、何をどうすればこうなるかで、堪らず美女の両手を取った。取ったものの両手の全指は砕けるか明日の方向に向かっており、どうして気絶して無いのか、はたと手を止めてしまった。


「ハイ、君は天使だね。皆が見捨てたのに、よくも見つけてくれたね。何より左腕が重症で、まずは腱を繋げてくれないかな。これやってくれないと骨がいつも明後日の方向でね。まあ、あのハンニバルフランケンも渾身の後頭部ラリアットでやっと沈黙だからね」


 俺は、やや向こうの大巨体も無様に転がる異形のハンニバルフランケンの後頭部を窺った。確かに頭蓋骨が陥没している。これを美女が仕留めたのかと思うと、この身体の状態を飲み込んで、確かに俺しかいないかで、緊急医療班に頼み込んでは手術テント台を何とか確保した。

 緊急手術は何故かハイペースで進んだ。美女の外傷からすると粉砕骨折の筈なのに、いつの間にささくれ立った亀裂骨折に変わっており、それではと懇願通り医療テントに万全に補充されていた人工腱を順調に繋ぎ合わせていった。そして全身麻酔されている筈の美女が俺のプレート見ながらこう微笑んだ。


「さすがは、アルマ・ヴァン・ヘルシング。今だと7代目かな、噂通りで何か感心しちゃうね。ああ、ついでに右の腱も繋いでくれないかな、私達オルタナティブは医者無精だから、こういう機会がないとメンテナンス出来ないからね」


 そして今、オルタナティブかと逡巡する中、ミアンが運転中の俺の右腕をパンと叩く。いつものお喋りは御覧の通りで、不意の懐かしい話の半分は記憶の底に収納される。

 俺はミアンに促されながらも、3度目となるグエル公園外周部のカフェ・フェルマータのストリートテントに向かう中、最新の注意を払いながらも、つい先日かの記憶がどうしても去来する。


「アルマのその笑み嫌だな。まるで野人時代の私のあれこれでしょう。そういうのは、あれか、あれだね」

「ミアン、お構いなく。M誓約書通りに患者及びその付帯事項は遵守し、良き隣人として取り扱う」


 そう、ベルギーのヘント市での凶悪事案から、その美女はどうしてもアムステルダム大学附属病院に搬送されて、俺が主治医の指定となった。まず俺はインターンでしょうも何もへったくれもなかった。91枚に及ぶ通称M誓約書となる詳細に書かれた、黒髪のベルギー美女ミアン・マクリーンのそれを読みながら署名しては、やれやれしかなかった。事前資料があるだけ、1代目と呼ばれるエイブラハム・ヴァン・ヘルシングの混沌の頃に比べれば、俺はなんて恵まれた方かもしれない。


 実際のところ、ミアン・マクリーンは、オルタナティブと呼ばれる肉体の限界があれどの不死身の種族の、現在50歳のレディだ。見た目は21歳のおしゃまな女性だが、老化の速度はここから減速するらしい。勿論不死身である以上、その理由は大いにある武闘種族だ。ドリップの様に闘争に暮れた果てに生まれたギフト、それはこの時代に必要かも署名中の質問は一切受け付けないと黙秘された。まあ名家であれば何れ巻き込まれてしまうのは、あの日から改めてヴァン・ヘルシング家故になった。


 アムステルダム大学附属病院に搬送されたミアン・マクリーンは、俺による総合診療として幾度もの根気の入る外科手術で、人口腱を当てては骨の矯正も行った。完璧な手術を経て専任教授達からは推敲論文3つで博士号を約束しようのお墨付きを貰ったが、そこは先代のヴァン・ヘルシング達に面目が立たないので実力をつけてからにして貰った。

 ミアンは度重なる外科手術とリハビリテーションで、3ヶ月で驚愕的に日常生活を送れる様になった。ただここからが保険内治療でも500万ユーロが掛かってしまい、手持ちの報奨金の貯金50万ユーロでも足が出てしまったので、アムステルダム大学附属病院の看護師として働きながら返すことになった。

 とは言え審議会で履歴書通りの年齢では定年漏れ無くで足が出るのではになったが、アムステルダム大学附属病院名誉看護婦長ヨハンナ・ヴェーメルが私に定年が無いのにとても不思議ねで、ミアンの医局配属はどうぞようこそになった。


 いざ勤務のそこからが、ミアンの野生児ネタになるのだが。女性寮の床直接に寝るは、下着は何とか着けさせるは、パンは何も付けず食するは。まあ決定的は食事の嗜好が笑い話で済まされたのが救いだ。

 一番好きなものが、自ら狩猟し熟成された干し鹿肉では、ミアンお前絶対ライフル銃使ってないだろうと想像に難くない。その見たまま天然振りが功を奏して、皆に愛され連れ回されては、今や見た目年齢そのままの女子の嗜好に落ち着いている。

 でもたまに兎を見ては口元が綻ぶのは、事情通以外可愛らしいで終わるのも、そろそろどうかにしろだ。

 その見た目女子のミアンは、医局の同僚の影響でほぼ女子になり、俺が逆に牽引される事も暫しになり、赤の対策委員会医療班に配属されてからは延々に連れ回される事になる。当然何もかも俺の奢りでだ。



 そして不意にか。カフェ・フェルマータのストリートテントの傍らで、フラメンコの定期演奏メンバー達が行くぞ行くぞの視線がこれでもかで投げ掛ける。イントロで流れるのは、今日はチャイコフスキーのくるみ割り人形の行進曲で、フラメンコアレンジされ早いパッセージでミアンなら出来るだろうの醸し出す。ミアンはステージ前の踊り場に進みフラメンコの決めポーズの挨拶を皮切りに、果敢に決めてはしなやかに踊る。

 ミアンは何処で学んだかバレエ経験者なのだが、如何せん身体能力が幸いしオリンピック体操選手以上の力強さも有り、様々な要素のダンスが混ざっては、訪れる各地のカフェであの娘は誰かの噂に登る。ただ俺の心配はそこではなく、ウルトラW級の伸身宙返りを見せないかで、いつもハラハラする。いた見ただけで体が軋むので心臓に全然優しくないからだ。たまにミアンがどうかの視線を送ってくるが、当然俺は却下する。ただ今日は趣が違った。


 興に乗った東洋人の女子がステージ前の踊り場に進み、威風堂々全でスタンディングに入る。そしてミアンの踊りに追随しては一際映える。

 このハプニングで観客のオベーションは上がって行く一方だが、ミアンと俺は得体の知れない感覚にとらわれた。ミアンは上がり調子に、本当に過去リハビリテーション上がりかのしなやかさを魅せる。ミアンのそれは本能の流れからで繰り出される踊りで、一般人いやバレエ経験者でも出来る筈が無いのだ。そして追随するのが名うてのダンサーならば透かさずエゴが出て、ミアンにどうの繰り出しを要求する筈が、それが全く無い、至って冷静だ。そして何処までも完全同期して行き、玄人でもまぐれなのかの判別をしかねる二人舞台を繰り出し、いつの間にかエンディングを迎えては、口々に上がるだろうのスタンディングオベーションを想像を超えて受けた。


 当然感極まった常連から奢られまくり、俺とミアンは悩ましい顔をやや正し、同じ席に素直に着いた東洋人の女子と談義が咲いた。東洋人の女子は是永芍薬と名乗り、東京の大学を卒業するも就職氷河期とやらで、それならばと世界の見聞に出ているそうだ。そして踊りの見事さは何故かになるも。


「ああ、そうですよね。高校生迄通っていたバレエ教室の先生からは見たまま個性が無いわねと有り難い指導を受けてでしょうか。それも私としてはどうなのですけどね。そして思い切ってアメリカン・バレエ・シアターの集中プログラムに行ったらそれはそれで、芍薬は何を考えてるか分からないで延々バーレッスンですよ。ニューヨークに行った大半がそれなんて、良い思い出になるんでしょうかね。ミアンとアルマ、どう思います」


 そこからは、是方芍薬とのニューヨーク談義になるも。ミアンは陸続きのユーロから出たく無い興味薄いなと、ミアンは挑戦者じゃ無いですよで、いつもの愛されキャラクターに無事着地した。

 そして、芍薬は別れ際にこう交わした。


「当分バルセロナにいるからまたお会いしましょう。そう気を付けて下さいよ、黒い獣、マッドドッグに絡まれたら、食されてしまうそうですから、何としても逃げて下さいね」


 凶獣のマッドドッグのそれは、俺達がバルセロナに逗留する理由だ。何れの防犯カメラもその素早さで、市井ではブレた画像しか抽出出来ずに、今や虚実入り混じったバルセロナ中の戒めにもなっていた。悪さをしてるとマッドドッグにガブリ喰われるからね。

 今回の件、俺とミアンならば容易い退治かと思われたが、何故か未だ出くわした事は無い。

 ただ芍薬は余裕の笑みを浮かべて、さらりとサヨナラを告げた。ただ者では無い何れかと、俺とミアンは察した。


 そしてこれは後に、赤の対策委員会に是方芍薬の身元を紹介したが、至って普通のA考課の私立大学卒業生も。アメリカン・バレエ・シアターが何度もスカラシップの誘いをしては、どうしても固辞された変わった娘で締められた。何故芍薬は肝心な所を嘘をつくのか。俺達を試して他ならない何らかのスペシャリストに違いないは深く確信した。

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