第33話 乙女の祈り
ニールが星を置いていった日から三日間。
ニコは工房の作業台に向かったまま、手を動かすこともせず、ただじっと星を見続けている。
観察しているわけではないし、見とれているわけでもない。
ニコはこの星を素材にして、新たなパステル色を造り出そうと考えていたのだ。それは、星の降った丘で見た、アンドレアと過ごした僅かな日々の中で見た、自分にしか見えない色の答えを具現化させる意味合いが込められていた。
おもむろに椅子から立ち上がったニコは、工房の本棚の隅にある手書きの古びたメモの束を手にした。ニコの父が書き溜めたそれには特殊な鉱石の加工の仕方、顔料の生成方法が事細かに記載されている。
その中でも、数ページにまとめられた一項を抜き取ると、作業台の前に並べて貼り付けた。
初めてじっくりと読み込んだその項には、父が一度だけしか扱ったことのないとされる『星』の記録が残されていた。短かな走り書きもあちこちに散乱している。
■ある商人から買い取った、この不思議な輝きの石は、何処で産出され、どういったルートを経てきたのかすら分からないものだ。
知人の学者に見せたところ、これは『星』だと言うことだ。学者自身、生まれて初めて見たのだという。
私はこの星と呼ばれる不思議な石を様々な角度から調べてみることにする。
石は鉄籠に収められている。そして宙に浮いている。原理や仕組みなどは全くもって不明だ。
丸一日観察していて分かったこと。それは太陽の動きと連動しているようだ。
日没と共に輝きだして宙に浮き、日の出と共に色を失い地に落ちる。
一部をナイフで削り落としてみると、硬度自体はあまり無いようで、意外と脆い。削り落としたものを粉末にすると、それが星の粉と同様のものだとわかった。
つまり、星の粉の原料はこの星だったのだ。■
ニコは星の粉の加工工程を頭に叩き込む。そして雑に椅子に掛けてある前掛けをすると、次いで黒ガラスの眼鏡をかけた。
鉄籠を開けると、両手で掬い上げるように星を掴む。宙に浮いているせいか、重さを一つも感じなかった。物を持っているのに重さを感じないのはなんとも不思議な感覚で、それだけでもニコは笑顔が溢れてしまう。
石の臼に星を慎重に移すと、星はその輝きを徐々に失いはじめる。光が完全に消失する前に手際よく加工を終えなければ駄目だと謳われていたために、ニコは手際よく次の工程に移行する。
立て掛けてある大型のハンマーを持ち、両腕に力を込めた。臼の前で腰を入れハンマーを構え、渾身の力を込め星を叩き割った。
音を出すことなく砕け散る星は、火花のような、虹色をした閃光を放った。何度かそれを続けると、ニコは肩で息をしていた。額にはうっすらと汗も滲んでいる。
黒ガラスの眼鏡を外し、大粒の星の欠片をすり鉢へ投げ入れる。それを麦粉のようになるまで磨り潰し、濾しては磨り潰しを三度ほど繰り返した。
きめの細やかな、滑らかな手触りの粉。ようやく星の粉が完成した。ただ、ニコは不安に思う所があった。なぜならば完成した星の粉は輝きを失い、ただの黒い粉へ変色していたからだ。
少しの焦りの中、天窓を見上げると、星の粉が変色した理由がわかった。深夜に始めた作業はいつの間にか朝を迎えていたからだ。
安堵のため息を一つつき、ニコは気持ちを切り替えパステルの製作に取り掛かった。
壁一面に備え付けてある顔料の入った引き出し。番号一番に入っている白色顔料ジンクホワイトを机に置く。
ベースとなるジンクホワイトに蒸留水を注ぎ、よく練った後、粘着材を混ぜ合わせる。その段階で星の粉も練り物に投入した。
さらに混ぜ合わすと、真っ白だった練り物は黒みがかった灰色に変化した。どことなく禍々しくも見える。
塊の練り物を小分けにし、いくつも棒状にすると、木枠へそれらを並べて入れ、凸形の蓋を当て体重をかける。
形成を終えたものを乾燥させるために、風通しの良い棚へ並べて移し、ようやく全工程が終了した。
ニコは計り知れない充実した時間をすごした。この瞬間が何よりも好きだった。作業に没頭する間は何も考えなくても良いのだ。そして、それが終わりを迎えると、製品は出来上がっているし、体を休めることもできる。
改めてニコは、体に染み着いた職人気質に満足するのであった。
ニコは夜になるのを待ってから、色のチェックに入ることにした。
乾燥しきったパステルは、淡く青い光を放ちながら棚を照らし出していた。
ニコはその様を見て新しいパステルの完成とした。そのパステルにニコは全ての想いを込めてこう名前をつけた。
『乙女の祈り』と。
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