第31話 また会えるよね?
揺れる馬車の上でニコは目を覚ました。
流れる景色は何度か見た、見覚えのある豪華な建物ばかりだ。
瞼がやたらと重たく感じるのは、まだ意識がぼんやりとするせいか。
ニコは瞼を再び閉じ、ゆっくりと肺に空気を送り込む。
鼻孔をくすぐるような野バラの薫りを感じた。
そして、妙に居心地の良いものに頭が包まれている事に気付き、その重い瞼を一気に見開いた。
視界には、朝だか夕方だか区別のつかないどこまでも鮮明な茜色の空。
と、それを覆ってきたアンドレアの近すぎる顔。
なぜかアンドレアの大きな瞳は濡れていた。
「あ、あ……」
状況をうまく把握出来ないニコは唖然とした表情で口をパクパクさせた。
ニコの頬に大粒の雫が数滴落ちてくる。
同時にアンドレアが泣きじゃくりながらニコを抱え込むように抱きついてきた。
「よかった、よかったわ。私、ニコが死んでしまうのかと……」
「え? あ、うん……。僕は死なないよ、それより一体なにが起きたっていうの?」
嗚咽を漏らしながらニコにしがみつくアンドレアは更に力を込め、ニコを締め上げていく。
「んなっ、ちょ、く、苦し……アンド……く……」
すると横たわったニコの頭上からニールの声が聞こえた。
「お! やっと起きたか。って、おい、アンドレア! ニコが死んじまうぞ!」
はっと我にかえったアンドレアは、自分の腕の中で幸せそうな笑みを溢しながら痙攣を起こすニコを見て悲鳴を上げた。
「ニール!! ニコがまたっ!?」
「あ、あのなぁ。もう付き合いきれねーっての。それよりほら、もう着いたぞ。ここなんだろ?」
ニールは屋敷の門に刻んである紋章を一目見てから言った。
「えっ? あぁ、そうよ……」
この時、一瞬だけ顔を曇らせたアンドレアをニールは見逃さなかった。
「なんだよ今の顔。家に帰って来れたのに嬉しくないのか?」
「いいえ、そんなわけではないけれど……」
「ふーん、まいっか。じゃ、馬車裏口に回すぞ」
「え、ええ……」
ニールは馬に鞭を入れ、馬車を屋敷の裏へと回した。
アンドレアがビクッとするほどの勢いで突然起き上がったニコは、この時ようやく自分が何処にいるかを知った。
「お、やっと起きたな(本当は二度目だけど)。具合は大丈夫か?」
ニールは荷台に乗るどこか沈んだような雰囲気のニコの背中に話しかけた。
「ああ、ニール。なんだか少しだけ記憶が曖昧でこんがらがっているけどなんとか……」
「そか。なら良かった。それよりほら、屋敷の裏口だ。送ってこいよ、俺はここで待っててやるからさ」
「ありがとうニール。それじゃあアンドレア行こうか」
荷台を飛び降りたニコは翻ると、右手をアンドレアへ差し出した。
エスコートのために差し出された手を握りしめ、ニコを真似るようにアンドレアは荷台から飛び降りた。
二人はゆっくりとした歩調で手を取り合いながら、アーチ状の植栽で作られた裏口の木戸を開け、姿を消していった。
アンドレアはニコの手を離したかと思うと、石畳の小道を小走りで駆け、庭の真ん中にある噴泉へ移動した。
朝靄の中にあって、木漏れ日のように所々に射し込む日の光を浴びるその姿は、物語の挿し絵に出てくる真っさらな聖女を連想させた。
華奢な腕を後ろで軽く組み、物思いに耽るアンドレアは振り返る事なく静かに口を開いた。
「私ね、今晩起きた全ての出来事…… 星が降ったあの丘や、光輝くアヴェリノア、それから、そんな素敵な広い世界を私に見せてくれたあなたのこと。一生…… 一生忘れないわ」
少し離れた場所で立ち止まり、アンドレアの背中を静かに見守っていたニコの顔は、儚く消え行くモノを見ている様な表情となっていった。
自然と溢れて目頭を熱くさせるそれは、一度溢してしまったらもう二度と同じものは手に入れられないもの。
頬を伝うそれと同時に、ニコは何かとても大切なものを失ってしまう不安に包まれた。
アンドレアはゆっくりと振り返り、ニコと視線を絡ます。
「あなたはあの丘で言ったわ。永遠なんてあったら駄目だって。でもね…… 私の中に確かに存在しているのよ。感じることが出来るの。私が生きている間は私の中に永遠が存在してしまうの」
とても自然に出したとは言い難いアンドレアの笑顔はニコの心を大きく揺さぶった。
このまま消え去ってしまいそうな彼女にもう一度触れようと、ニコは右手を差し出した。
「ま…… また会えるよね?」
平静を装う不自然な笑顔のアンドレアは、押し黙ったままその問いに答えることはなかった。
その沈黙をもってニコはアンドレアの答えとし、それを飲み込んだ瞬間に、所々で感じていた違和感の正体を掴んだ気がした。
星の降る丘でのアンドレアとの会話、帰り道の馬上での言葉、アヴェリノア門での立ち振舞い。
アンドレアのどこか物悲しげに肩を落とした様子は、もう二度と自分とは会うことが出来ない事からくるものだったのだと。
ニコは力なく右手をだらんと下げた。
下唇を噛み、それでも決っして笑顔を絶やす事のないアンドレアは、自らの感情が目から零れてしまう前に、堪えきれなくなる前に、別れの言葉を口にした。
「ありがとう……。そしてさよなら……。私は永遠の夢を抱えたまま鳥籠に帰ります」
綿がよりあわされたものよりも強く絡んでいたと思われた二人の視線は、アンドレアが強引に振り向くことでいとも容易く切れてしまった。
何も出来ずにたちすくみ、徐々に遠退いていく背中を見ることしか出来ないニコは、掌で顔を覆う途中で動きを止めた。
掌には涙がとめどもなく落ち、それが指の間から次々と零れ落ちていく。
様々な顔料で汚れた筈のその掌は、涙が洗い流したかのように、色彩までもが失われていくようだった。
そしてそれはアンドレアも同じ様に感じていた。
ニコから離れた分、屋敷に近付く程、世界が急速に色を失っていく感覚に襲われていた。
ニールは陽射しを沢山蓄えた、太陽の匂いのする藁の中でぐっすりと寝ていた。
余程荷台での寝心地が良いのか、時折ムニャムニャと寝言をいっている。
そんな中、突然乾いた革をしごく小気味の良い音が鳴り、馬車が動き出した。
「お!? おおお」
ニールは寝ぼけ眼で慌てて体を起こすと運転席に目をやった。
「待たせちゃったね、ごめんニール」
ニコは振り向く事なく背後のニールに謝った。
「あ、ああ。そんなことはどうでもいいんだがよ」
ニールはあぐらをかき、後ろに手を着き体を支える格好になる。
ニコとアンドレアの別れ際を興味無さげに振る舞うニールだったが、本心は違っていた。
しかし、帽子を深くかぶり顔を伏せるニコの様子が一つの答えとなっていたので、それ以上踏み込む事はしなかった。
ガタガタと大きく揺れる馬車の上、二人の間には暫くの沈黙が続いた。
「ねえニール……」
清みきった朝の空気には不釣り合いな、どことなく重い雰囲気を退けたのはニコだった。
「お、おう。なんだ?」
藁をいじり、陰鬱な気分を紛らわしていたニールは、一言返すと重い頭を持ち上げた。
「あの時の約束、覚えてる?」
「ああ、そりゃな。俺の親父が死んだとき、ハーフヒルズの大風車の前でしたやつな。忘れるわけねーだろ」
「僕は世界中に存在する全ての色を作り出す」
「俺は大金持ちの大商人になる」
「僕は今回の旅でまた見つけたよ。新しい"僕にしか見えない色"を。どうにか再現したいなあ」
「ほー。ま、せいぜい頑張れよ…… ん? お前泣いてんのか? やめろよ湿気っぽいのは」
アンドレアとの別れで出尽くしたと思われた涙が自然と溢れ、再びニコの視界を歪ませた。
「ちっ、違うよ。そんなんじゃない!」
必死に涙を否定するニコではあったが、親友のニールには、例え背中越しでもニコの感情が手に取るように分かってしまっていた。
「それにしてもなんだな。一番でかい星を取り逃がすあたり、やっぱお前らしいや」
「え? なんの事?」
ニコはその訳のわからぬ慰めの言葉に疑問符を浮かべたが、二日後にその答えを知ることになる。
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