第29話 帰還

 ニールへの不信を募らせたニコは、しかめっ面になりながらも、手際よく帰還の準備を整え始めた。


 傍らには、アンドレアが何か言いたげに胸の前で手を組み、ぼんやりとこちらを見ながら立っている。


 馬に付けられた鞍の緩みを直しながら、横目でアンドレアの姿をチラリと見たニコは手を休める事なく声を掛けた。


「どうかしたかい? 何かいいたげな顔をして」


「ううん、なんでもないわ。気にしないで……」


「そっか、それならいいのだけれど…… だけれど、何かつかえているのなら吐き出しちゃえばいいよ。すっきりするからさ」


 ニッコリと微笑むニコにアンドレアは口を開きかけたが、何かに躊躇うかのようにすぐに口を閉ざした。


 ニコはその閉じた扉の鍵を、探そうか探すまいかと考えたが、彼女のどこか沈んだような面持ちを見ると鍵を探すのをやめてしまった。


「さ、準備は出来た。乗って」


 ニコは馬の脇腹の前で腰を低く下ろし、アンドレアに騎乗を促した。



 帰りの道中はなんとも静かなものとなった。


 駆ける馬の蹄の音、時折吹く強めの風に揺らぐ草花の音、そういったものしか感じ取れない何処か虚しさの残る移動だ。


 街道の両脇に生える新月草が、青白い光をゆっくりと落とし始めた頃、北の空は漆黒の闇を溶かす様に徐々に濃い紫の空へと変化していった。


 王都の近くまで進んだ頃、ニコはそこらじゅうにある黒いサークルを目にしていた。


 そして、ある変化に気付く。


「ねえ、アンドレア。影たちのサークルがあちこちにあるじゃない?来たときちゃんと見てた?」


「え、ええ。初めて見るものだし、物珍しいからずっと見ていたわ」


「じゃあ来たときとの違い分かる?」


「え? 違い?」


 アンドレアはニコの言う違いに気が付いていなかった。促されるままにサークルに目をやり、その違いを見分けようとした。


「あ! 本当だわ。真ん中に石の様なモノが置いてあるわね。あれは何かしら」


「うん。僕もさっきそれに気が付いたんだよ。今は急ぎで帰らなくちゃ駄目だから、また昼にでも来てみようと思うんだ。昼間なら安全だしね。何かしら分かったら知らせに行くよ、楽しみに待っててね」


「え、ええ……」


 そう言って押し黙ってしまうアンドレアに対してニコはまたしても違和感を感じた。


 少しでも先の未来を望もうとすると、そっと扉を閉めてしまう彼女の言動は、一夜の夢が終わりに近づいたせいなのか、はたまたそうさせてしまう他の要因があるのか、ニコは感じたその違和感の原因をどうにか柔げてあげたいと思った。




 街道の終わりと始まりの場所。


 即ち王都フェリパの外城壁が見えはじめた頃、辺りは暗闇を押し上げるように明るさを増していく。


 それまでは空の主役だった星々は、綺麗な白い光に包まれながら小さなものから次々と姿を消していった。


 一行は難なくアヴェリノア門まで到着する。




「諸氏よ、まずは互いの無事を存分に喜び分かち合おう。そして、何の意味ももたらさないこの往復に、嫌な顔一つ見せずに付き合ってくれた馬達に労いを掛けてやってくれ」


 ゴードンは振り向く事なくそう皆に言い、自ら跨がる馬の逞しい首を何度もさすった。


 一同は互いの顔を見合いながら、それぞれが笑顔になり、ゴードンがそうしたように丁寧に馬を労った。


 その和から外れ、一人の兵士がアヴェリノア門の横にある小さな呼び鈴を二度鳴らすと、城壁の小窓から門兵が顔をひょこっと出し、ゴードンの帰還を確認した。


 ほどなくして、軋む歯車の大きな音と共に大門アヴェリノアが大きな口を開くと、出迎えの夜勤兵が両脇に十数名程敬礼をしながら一行を待っていた。


 騎士団の凱旋をも彷彿とさせるその光景に、ニコをはじめとした皆は目を丸くした。


 真っ先に下馬したゴードンは、ニコとアンドレアのもとまで近づくと改まった顔付きになり、誰もが予想だにしなかった行動をとった。


「ちょ、な、なにを!?」


 ニコは驚きの余りそう言葉を漏らす。


 ゴードンは右手を胸に当て、頭をやや下げ顎を引くと、そのまま二人の馬の前で方膝をつき跪く。


 そこに居合わせた兵士やニール等もそれを見てざわついた。


「アンドレア様……」


 ゴードンから発せられたその一言とその姿勢を見てますますニコは混乱した。


 首をひねりアンドレアの様子を伺うと、そこには執事のジョエルと向き合った時同様の、貴族としての凛々しいアンドレアの姿があった。


「はい、なんでしょうか」


 アンドレアから発せられた言葉にも少女の面影は微塵も感じられず、それに圧倒される形でニコは背筋を伸ばしたまま固まってしまった。


「私はまず、貴殿に対して数々の危険にさらしてしまった事を謝罪を申し上げなければなりません。お許し頂けますでしょうか」


「いいえ、それには及びません」


「いや、しかし!!」


「今宵の出来事、そしてそれに関する全ての事柄は、どうぞその胸に秘めて頂きたいのです。察するに、ゴードンさんは私の身分を知ってしまわれたようですね。それを踏まえて私からの願いです。繰り返しになりますが、どうか今夜の出来事は内密にて葬って下さいませ」


「か、かしこまりました。仰せのままに処理させて頂きます」


「ご理解頂き感謝します」



 そんなやり取りの最中、ソールがニールにそっと馬を寄せる。


「おいおいニール。一体なにがどうなってんだ? 俺には二人のやり取りがさっぱりだ。隊長があんなにもかしこまってさ、まるでお姫様に謁見えっけんでもしてるみたいだな」


「ああ、そうだな。だけどお前の言ってることあながち間違ってもなさそうだぞ。アンドレアのしているあの髪留めの紋章見えるか? 記憶が曖昧で確かじゃないけど、ありゃあもしかすると……」


 ニールは顎を手にのせ、何かを思い出そうとする素振りを見せたまま黙ってしまった。


「うーん。俺は紋章官でもないし、頭の良い方じゃないからなあ。王家の紋章なら分かるけどよ、そこいらの貴族の紋章なんかわかんねーや。でもまあ、高貴そうな紋章だな、うん」


 ソールはニールを真似て腕組みをして頭を傾げた。



 ゴードンとアンドレアはその後、幾つかの公的な意味合いの言葉を交わしていたようだったが、ニコの頭には丸っきりそれらは入ってくる事はなかった。


 むしろ自らそれらのやり取りを拒んでいたのかもしれない。


 視線を落とし、険しくなるその表情。今まで自分の知ることの無かったアンドレアについての事柄が嫌でも耳から入って来てしまうこの状況を嫌ってくるものだった。



 ニコは知っていた。


 この世界には知らなくてもいい事が沢山あることを。


 知ってしまった後と前では、見える先の世界が様変わりしてしまう事を。


 ジャスと共に笑った黄色のパステルもそうだ。どんなに素敵な色を描き出すパステルでも、その原料を知った後では変わりのないはずの黄色が違って見えてくる。



 ニコは今までに、アンドレアの事について、自らが率先して深く知ろうとするような行動を起こすことはなかった。


 それは自らがそうしたのだ。


 余計な事柄を知ったとして、自分の抱いたアンドレアという偶像が壊れてしまうのを恐れたのかもしれない。



 ニコは他の情報の侵入を頑なに拒むため、頭の中で繰り返し思った。


 貴族の令嬢としてのアンドレアの願いを聞き入れたわけではない。


 自分とは生まれ育った環境の違うただの『同年代の女の子』の願いを叶えるために、ただそれだけの為に今こうして此処にいるのだ、と。



「……コ……ニコ」


 不意に肩を叩かれたニコは驚き肩をすくめた。


「ゴードンさんと話が終わったわ、さあ行きましょ……ん? どうかしたの、そんな険しい顔で」


 とっさに偽りの自分を作り出すように、ニコは無理矢理な笑顔をアンドレアにして見せた。


「ううん、なんでもないよ。それじゃ帰ろっか」


 そう言いながらニコは視線をゴードンに移し、丘までの警護をしてくれた礼を簡潔にした。


「うむ」と一度頷いたゴードンは、どこか感慨深げな表情でニコを見ると、その太くて逞しい右腕を差し出して握手を求めてきた。


「青年よ。願わくば君の思いが…… いや、すまん。今のは聞かなかった事にしてくれ。さ、夜が完全に明けてしまう前にアンドレア様を無事送り届けてくれ」


 ニコはゴードンの言いかけた言葉の続きを、その後に繋げた「すまん」という表現で理解し、アンドレアの表情をそっと伺った。


 アンドレアは顔を伏せ、自分の感情を悟られまいとあからさまな格好で隠した。


 何処からか吹いてきた冷たい隙間風が、ニコの心にひんやりと広がった。


 そしてニコは、アンドレアが何かを自分にひた隠していることを悟った。



「悪いけど私とソールはここまでね。この積み荷をニールの商業倉庫に降ろさなくちゃ」


 メルは馬に積まれた麻袋をバシバシと叩きながらニコに言った。


 メルの後に続きソールがすれ違い様にニコに声を掛ける。


「またなニコ。今夜の大冒険、久しぶりに楽しかったぜ。それに故郷に顔を出す理由も見つけられたしな。感謝するよほんと」


 ソールはニコの頭ををガシガシと揺さぶり、感謝の気持ちを満面の笑みで伝えた。


「ニールはこのあとどうするのよ。倉庫に顔を出すの?」


「ああ、悪いがメル、俺はそれパスな。ニコとアンドレアを送ってから倉庫に顔を出すから先に行っててくれ」


 ニールは二人に向かい拳を差し出した。


 二人はそれぞれすれ違う間際に拳を軽くぶつけた。


「じゃあね、ニコ。それからお嬢ちゃん」


「またな。後でお前の工房に顔を出すから気長に待ってろよ。思いっきり驚かしてやるからな。それとお嬢。あんた本当にいい女だ、このまま俺と……ギャフン!!」


「最後の最後まで絞まりがない男だよ!あんたって奴は」


 メルの痛烈な一撃を頭に喰らったソールは、頭の周りに星を飛ばし、馬の首にもたれかかって伸びてしまった。


 メルは伸びたソールの馬の手綱を器用に引き、明るくなりつつある通りに姿を消していった。

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