第28話 さあ、帰ろう

 数を減らした流星の最後の一つが長い尾を引き、地上に到達するかしないかのところで一際眩い光を放ち、音もなく消滅した。



「さ、帰ろっか」


 アンドレアとの抱擁と、見たこともない天体の演舞の両方に名残惜しさを感じつつ、ニコは優しく微笑みながらアンドレアに言った。


 コクンと小さく頷いたアンドレアだったが、ニコの胴に手を回したまま、一向に離れる気配を見せなかったので、ニコは今一度同じ言葉を繰り返そうとした。


「さあ、帰ろ」


「もう少しだけ…… こうしてたいの」


「う、うん」


 アンドレアは少し強めの口調でニコのそれを退け、永遠という幻想よりも、今というこの時を選びとったようだ。


 ニコは早まる鼓動を知られまいと、自分の胸にぴたりとついたアンドレアの横顔を少しだけ引き離そうとしたが、彼女はそれを良しとはせずに、離そうとした分だけ力を込め引き戻す。


 困惑を隠せないニコの表情はそれでもいくらか明るいものだった。


 どれだけの時が流れただろうか。何も生み出すことのない二人の若者の抱擁は、長い時間を刹那に変える力をもっていた。


 相手の呼吸、力の入れ具合、時たま擦れる布の音、触れ合っていることで、言葉以外にこんなにも気持ちを相手に伝えることが出来る事を、二人は学んだ。



「ねえニコ、星の鼓動が聴こえる……」


「うん……」


「ねえニコ、もしもよ、もしも……私が、このまま連れ去ってとあなたに言ったら……」


「家に無事に送り届けるよ」


「……」


「それから迎えに行く。必ず」


「……ありがとう、好きよニコ」


「うん、僕もアンドレ……」



 そんな時に限って、予期せぬ訪問者は突然として訪れてくる。


 二人の熱い抱擁をまじまじと目撃してしまった彼の者は、二人を引き離す声を上げた。


「かあーー! なんだってっーの、こんなとこで逢い引きか! うわー!! まいったなあ」


 丘の黒い草を掻き分け上がってきたソールのその大声に、アンドレアは飛び上がる程驚き、悲鳴をあげながら堪らずニコを目一杯の力で突き飛ばしてしまった。



「ちょ! え? あ、アーーーンドレアァー!」


 丘の急勾配を、ニコは背中からぐるぐると勢いよく転がり落ちていった。


「あちゃー、ありゃ死んだな、成仏しろよニコ。骨は拾ってやっからな」


 ケラケラと笑いながら、ソールはそんな冗談を言った。


 目を見開きながら両手で口を押さえ、転がって行ったニコを追いかけようとしたアンドレアの背中に向かってソールが声を掛ける。


「お嬢、大丈夫だよ。あいつはあんぐらいじゃ死にゃしないから、それよりもう皆集まってるぜ。さ、帰ろうや」


「あ、でも……ニコが」


ほら見てみろ、と言わんばかりにソールは持っていた松明を丘の下のニコに手信号の様に振ると、それに合わせて独特な高音の指笛が途切れとぎれに聞こえてきた。


「な、言ったろ。『此方こっちは大丈夫・心配するな・合流地点で待つ』だとよ。あん? なんだその顔は。ああ、今のか? 松明は光信号、指笛も音の信号だ。俺達の通信手段だ、覚えておいて損はないぜ。なんなら夜の手ほどきと一緒に教え…… がべっっ!!」


 ゆっくりと崩れ落ちるソールの背後から、鬼の形相のメルが姿を現した。


「まったく、この軟派野郎。狼だってあんな汚い口ききゃしないよまったく」


 固く握られた拳をブラブラと振り、メルはソールを踏みつけながらアンドレアの手をとった。


「さ、お嬢ちゃん、帰ろう!」


 コクりと頷きアンドレアは手を引かれるがままに丘を下って行った。


 ソールは大地にキスをしながら、薄れ行く意識の中で思う。


(くそっ……どうしてこんなにリングランドの女は強いんだ……いいのはケツだけかぁ……うぐ)




 ニールをはじめ、一同は狐につままれた様な表情で二人の話を聞いていた。


「嘘じゃないって! 本当にあったんだ。みんなも見たでしょ?」


「ニコの話は事実よ、私も見たもの。あの大きな白い月を」


二人があまりにも真剣に突如として頭上に現れたという月の話をするので、ますますニールは首を傾げた。


「確かにな、なんの前触れもなく星は降ってきたよ。だが、今も言った通り、なんの前触れもなくだ。俺達は月なんか見ちゃいないんだ。お前らなんか変なもんでも食ったんじゃないか?」


 ニールは二人の言い分をそんな風に切り捨てながら、木にくくりつけてある馬の手綱をほどいた。


「さ、乗った乗った、話の続きは無事に街についてからでいいじゃない、夜が明ける前にお嬢ちゃんを送り届けなきゃ色々面倒になるよ! さ、帰ろう!」


 メルは、納得のいかない表情で互いの顔を見合わせていたニコとアンドレアの肩をポンと軽く叩き、軽めの調子で帰還を促した。



 一足先に馬に跨がっていたゴードンはそんな二人とすれ違う間際に一言贈る。


「君達が見たものは揺らぐことのない真実。だとするならば、例え誰に疑われようと、信じてもらえなくとも自分達が揺るがなければよいのだ、それこそが真実よ」


 二人はゴードンに向かい、揃って一礼すると少しだけ晴れやかな表情になった。


 のだが、ゴードンが通り過ぎてから少しして、アンドレアがポツリとニコにだけ聴きとれる声で呟いた。


「流石ね隊長さん。だけど、最後のウインクはなんだか頂けなかったわね」


 まさかのアンドレアの一言に、ニコは愛想笑いで相づちをうち、眉を上げながら思った。


(い、意外と手厳しいんだなあアンドレアは……)


 遅れて走ってきたソールが息を切らせながら合流し、ようやく全員が揃ったのを確認したゴードンは、勇ましい顔付きで号令を出した。



「それではこれより帰還する!」



「「はっ!!」」


 兵士等二人は背筋を伸ばし声を揃え敬礼をした。


「ここに来た時と同様、隊列は金剛石ダイヤ型で行くとする。戦時もそうなのだが帰還時の気の抜けた時が何よりも危険な事を肝に命じておくように。特に青年、君は危ういな。何か大事を達成した時特有の間の抜けた顔付きになっているぞ」


 ゴードンに指摘された通り、この時のニコはある種の達成感に包まれ、誰が見ても分かる惚けた顔付きになっていた。


 ニコは左右にいる見事な立ち姿の兵士を慌てて真似ると、これまた大きな声で返事をした。


「は、はい!」


 ゴードンはその姿を確認すると一言だけ付け加えた。


「青年よ、君は婦女を一人抱えて走るのだ。その自覚無しに行くのならば、その認識は甘い。人一人の命を預かっていると云う心構えをしっかりと持ち帰還するとしよう」


 ニコは真剣な面持ちでゴードンの言葉を受け止め、緩んだ気を引き締め直した。



 そこでまたしてもこの男の登場である。


「はっはーん、怒られてやんの。丘の上であんなことやこんなことして惚けてるから…… ぼべぇ!」


 もはや云うまでもない、お決まりのこの流れの後、崩れ去るソールの背後から目を吊り上げたメルが髪を逆立て登場した。


「人の事を茶化してる暇があるなら自分の装備をきちんと整備しときなさいよ。隊長さんね、ニコの次に危ないのはソールだって言ってたよ」


 仰向けで転がり目を回すソールをまたいだ格好で覗き込みながら、メルは小言をいい続けた。


 苦笑しながらそれを見ていたニコだったが、メルの連れてきた馬に視界を移した時、ある事に気が付いた。


「ねぇメル、その馬の両脇にくくりつけてある大きな麻袋なに? 来たときはなかったよね? 何だか丸いモノが沢山入ってるみたいだけど」


 そう声を掛けられたメルは、ソールに小言を言うのをピタリと止め、急に神妙な面持ちになった。


 そして何故だか不気味な笑みを溢すと、鋭い目つきでニコを一睨みし、低い声でゆっくりと語り出した。


「聞いてしまったね…… 知りたいかい? 袋の中身を…… そうさ、これは頭蓋骨さ……フフフ」


 それを聞いたニコは口をパクパクしながら目を白黒させ、メルから一歩下がり距離をおく。明らかに動揺している。


 ニコは背中に嫌な冷たいもの感じながらも、やっとの思いで重い口を開けた。


「な…… な、なんで頭の骨が? 訳がわからないよ!? それに一個や二個じゃなく、そんなにも沢山!?」


 メルがそこまで話しかけたところで、急にニールが話を遮った。


「ちょっと待てメル。まだニコに中身をばらしちゃ駄目だ。帰ってからにしよう、でないとこいつきっと馬鹿になっちまうから」


 二転三転する会話の内容と、それを遮るニールの真意が上手く飲み込めず、ニコは消化不良を起こしたような感覚を覚え、あからさまに不満を抱いた顔つきとなりフンと鼻息を荒くだした。


「ニール、なんだって言うのさ」


 そうニールに言い返しながらニールの表情を伺ったニコは、何かにピンと来たらしくまたも声を荒げた。


「あ! ああ! もしかして、黒曜石の神殿、削り取ったんじゃないの? そんなのだったら僕、本当に怒るからね!」


「落ち着けって。大丈夫だ、神殿には手を出してないから。お前が怒るようなことはしてないよ。むしろ涙を流して喜ぶさ、だけど今は話せない。気持ちが浮わついて、またゴードンに説教喰らわないようにだ。よかったな、お前の親友が親切な野郎でさ、ハハッ」


 そう言って馬に飛び乗ったニールをニコは疑いの目で見続けた。






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