第27話 永遠
幻想的な月を呼び出した張本人の影達が完全に消滅したとき、その変化は突如として起きた。
満天の星空のカンバスを白き光と共に瞬時に塗り替えた満月は、まるで水面の波紋に揺れるように、ゆるりゆるりと大きく揺らぐと、僅かに淡い光に包まれながら、山間の霧が四散するようにゆっくりとその姿を消していった。
「ゆ、夢ではなかったわよね?」
アンドレアは両頬に手をあてがい、信じられないといった表情でニコに確認する。
「ん、ああ。僕も見た。あれは間違いなく月だった。でも…… あんなにも白い月、見たことないや。それにとっても大きかったね、本当に月だったのかなあ」
この丘を発見してから立て続けに起きた不思議な出来事は、非日常などといった言葉を軽く越え、奇跡や神秘などに置き換えた方がよほどしっくりくるに違いないとニコは思った。
五感で感じ取った全てを丁寧に記憶の戸棚へとしまいこみ、帰路についたらゆっくり考察しようと考えていた。
と、その時だった。
アンドレアがニコの袖を引き、何かを知らせようと無言のまま夜空を指差した。
それはまさに圧巻の光景だった。
丘を中心として、空からは放射状に降り注ぐ千や万の流れる星。
星の尾は消えることなく黒いカンバスに光の線を残してゆく。
輝く直線を描いては、次々と間を置くことなく青や白や黄に色を変えている。
降り続く星を映しだす、眼下に広がる湿地の大きな水溜まりには、光の線が大地から空へと放たれているように見え、上下の光景を合わせて光の
地上に到達する前に鮮やかに昇華し燃え尽きるもの、到達した地上にて星屑の光柱を上げるもの、空中で砕け、細やかな光の雨に姿を変えるもの、それぞれが華やかに、そして儚げに流星の役割を果たしては消えていった。
白百合は涙を蓄えていた。
花弁に蓄えた雫が零れ落ちぬように、空に向かって凛と咲いている様にも見えた。
アンドレアは静かに跪き、胸の前で手を組むと一時の儚き夢の空に向かい祈りを捧げた。
ゆっくり閉じられた瞳からは、溢れたそれが頬を伝い柔らかく組まれた両手に落ちる。
その美しい大粒の雫には、空から降り注ぐ幾つもの星達が写り混み、大空の遥かその先に在るものを描いていた。
その一部始終を押し黙って見ていたニコは悔やんだ。
こんなにも悔しい思いは、今後の人生に於いて訪れる事はないだろうといえる程に。
天才画家、ガビーのように空間を切り取り、それを後生に伝えられる術が自分にあったなら、それはどんな名画になっただろうか。
偉大な詩人、ミリルニーノのように言葉や文字で、目の前の光景を言い表せたなら、どんなに素晴らしい詩になっただろう。
パステルしか造ることの出来ない自分を卑下し、ニコはその光景をただただ見守る他なかった。
随分と長い間、アンドレアは祈りを天へと捧げていた。その間もニコは微動だにせず、アンドレアの後ろ姿をじっと見守り続けた。
ふーっと長く息をはきだし、心身の乱れを整えてからアンドレアはゆっくりと立ち上がった。
随分と前に汚れてしまっていたはずのスカートを二三度払い、再び手を胸の前で組むと、背を向けたままニコに話掛けた。
「こんなにも、こんなにも素敵な時間が……永遠に……」
涙を堪えながらだろうか、つかえながらもそこで言葉を切ったアンドレアに、ニコは言葉を返す。
「永遠なんてものはないんだ。あっちゃいけない。そんなものがあったなら儚さも、尊さも、全てがなくなっちゃうんだ」
アンドレアは静かに小さく頷いた。そして振り返ると、ポロポロと大粒の涙を溢しながらニコに抱き着く。
「うん、うん、ありがとう。ニコ、ありがとう……」
ニコは照れくさげに帽子の上から頭を掻き、次第に数の減り始めた星降る夜空を見上げた。
「ここが、アンドレアに見せたかった場所。見せたかったもの。いつまでも覚えていてね、忘れないで。いつか、僕もアンドレアも大地に返る日が来るけれど、その時まで、ずっと……」
ニコの胸の中でアンドレアは何度も何度も頷いた。
二人はその後、星が降りやむまで抱き合ったまま、言葉を交わすことなく夜空を見上げ続けた。
この時のニコは、アンドレアが流した涙の本当の意味を知るはずもなかった。
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