第19話 黄月欠石と星の粉

影の姿は遥か彼方にあった。周囲の安全を確認したゴードンは、徐々に馬の速度を弛めていく。


「まさかな、黄月欠石にあのような効力があるとは知らなんだ。正直驚かされたよ」


ゴードンはニコに並走しながら語りかけてきた。


「隊長さんごめんなさい、バングルの石を無断で砕いてしまって」


ニコは申し訳なさそうに石を砕いた事を謝った。


「何をいっているのだ、石一個、人の命とは釣り合わんよ。それより青年よ、君はあの石の知られざる効力を知っていたが、一体どこでその知識を得たのかね」


興味津々といった様子で、ゴードンが聞いてきたためニコはそれに快く応えた。


「僕はセントラルでパステルを作っているのだけれど職業柄、鉱石なんかを扱うことも多くて。ほら、天然の顔料の殆どは鉱石だから。それで資料を調べたり、鉱夫さんの話を聞いたりと新しい鉱石を探し回っているんです。その中で偶然知り得たのが黄月欠石の不思議なあの効力で 」


「何か、ふりかけていたようだが?」


「はい。あれは『星の粉』といって、とっても稀少な鉱物です」


「ほう。あれが星の粉か。実際に目にするのは初めてだな」


稀少鉱物『星の粉』それは金剛石ダイヤモンドと等価値で取引されている程の代物だった。用途は主に絵画用の顔料や陶器の絵付けに使われ、それを用いた作品も高値で取引されている。


一般人ではほぼ手に入れることが不可能なそれをニコは、父から僅かばかりの量を譲り受けていた。


顔料を作る過程で、たまたま発見した閃光の仕組みを、ニコはゴードンに説明した。


なるほどと頷くゴードンは、たった今手に入れた知識を、帰還したら上に報告しようと思った。


今までの黄月欠石の使われ方とは全く別の、非常に有用な使い方がこれからどれだけの旅人を救うことになるだろうか計り知れないが、この発見は勲章ものだと確信したからだった。


この時のゴードンの思いはあくまでも名誉にかられた邪な考えが横切ったものではなく、純粋に影に飲まれていった者達の事に思いを馳せてのものだった。


そこへニールがゴードンの元に近付いてきた。


「隊長、馬ありがとな。こんな臆病な馬でもさ、買えば二十万リングは下らないからなあ、助かったよ」


ニールはメルの馬から下馬すると、ゴードンが捕まえてくれた自分の馬に跨がった。


「なに、容易いことだ。それよりも怪我の具合は大丈夫なのか?」


「ああ、なんとかね、馬ぐらい操れるさ。みんなの足を引っ張らない程度は」


「ならば良いのだがな。無理は禁物だぞ。小さな油断の積み重ねがやがては身を滅ぼすような災いを招きかねんからな」


「そうだな、忠告ありがとよ。改めて肝に命じとくわ」


そんな二人の会話を他所にニコの頭はあの影の事で一杯になっていた。


考えを巡らせて頭の中が滅茶苦茶になる前に整理をしようとしたのだが、謎が謎を呼ぶように、闇が心の隅で静かに肥大するように、理解しがたい事が折り重なり、自分の頭だけでは処理しきれなくなっていた。


その時、一つの疑問が浮かんできた。


あの時、影の胴を突き抜けたのは自分一人ではなかったのだ。


もしかするとアンドレアも条件は一緒なはずだと。


彼女も何か聞いたかもしれない。


ニコは、目の前で鞍にしっかりと掴まっているアンドレアの耳元でそっとその事を尋ねた。


「えっ? わ、私は何も聞こえてはいないわ…… ただ怖くてずっと目を閉じていただけよ。あとはわからないわ。ただ……」


アンドレアのその語尾に妙な胸騒ぎを覚えたニコは、か細い声でそれを復唱する。


「た、ただ…?」


「え、ええ。ただ、ニコ。あなたの声は聞こえたの……」


「そ、そう。確かに僕、何か喋ったかもわかんない」


「ただね、私の知っている言葉ではなかったわ。なんていっていいのか、とっても不思議な感じ、違う国の? いえ、とても古めかしい……言葉で」


「ん? んん?? なんだって? あ、いや、なんでもない。なんでもないや。そっか、ありがとう」


アンドレアに自分が混乱してることを悟られぬよう、ニコはそこで無理矢理会話を断ち切った。


しかしアンドレアは既にそれは承知といった感じだ。うやむやで会話を終わらせたニコの心中を察し、それ以上その事について詮索するようなことはしなかった。


それは彼女の精一杯の気遣いであった。


様々な考えや思いがニコを飲み込もうとした。


しかし、ニコは今、自分のすべき事を最優先でやろうと思い返し、次々と湧いてくる疑問を打ち消すように、強い気持ちでそれらを振り切った。


心の隅に小さな黒い影を残して。

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