第17話 影①


ニコの前を走るニールが先程から辺りをしきりに気にしだし、時に立ち乗りになっては遠方を眺めていた。


ニコもそれにつられ自分の周囲を見回すとニールの行動の意味がわかった。


街道の外れのいたる所に馬を縦に二頭ほど並べた大きさの黒いサークルが点在していたからだ。


それぞれ野焼きの後のように草が燃えたようなものだったり、ただ単に草が立ち枯れしていただけであったり、中には草自体が黒く染め上げられた様な異様なものまであった。


ニコはそれ等を目視すると、影が近くで活動している事を悟り、目を細めてより辺りが見回せるよう目を凝らした。


「隊列を矢型アローに変更! この場を一気に駆け抜けるぞ! 引き続き周囲への警戒は怠るな!」


ゴードンの指示に従い、隊列は守備優先のダイヤ型から速度優先の矢型になり、やはりここでも中心にニコとアンドレアが据えられた。


暗闇に溶け込んだぼんやりとした影が数体確認できたのはそれからすぐの事だった。


何かを求めるように彷徨うその姿はなにものにも例えることのできない不気味さで、しかし人の心に何かを訴え掛けてくるような妙なものだった。


その躯体の大きさはまばらではあったが、どれも軽く人を上回るほどで、その大きさだけでも十分に恐怖の対象となりえた。


鈍く光る両目は青く、"青い目の影の一族"は人が見たままを表現しただけだった。


言い換えるならそれ以外は全て謎に満ちている存在だといえるだろう。


ニコ達から大分離れた丘の中腹で五・六体の影が和になり円の中心に向けて皆が手をかざしている。


中心からは青い焔の渦が立ち上がり、その焔から発せられる光りにより影の"影"が周囲に延びていた。きっと真上からみれば五芒星だか六芒星の綺麗な形が見えるに違いなかった。


「なあ、あいつら本当になにやってんだろな」


影の儀式に目を奪われていたニコに、ニールがふいに話しかけてきた。ニコはその儀式を眺めながら返事をする。


「そうだね、人には本当のところなんかわからないね。ただね、勘違いしないで欲しいんだけどね、僕はあの儀式の光りを見てるとなんだか落ち着くんだ。何て言っていいのかわからないけどこう懐かしいっていうのか……」



「うわっ!お前大丈夫かよ。影憑きになっちまったんじゃねーのか」


案の定、ニールは驚きを隠すことなくニコを心配してそんな言葉を投げ掛けた。


影憑きとは心を病んだ者や死期の近い者が影に魅せられる様を言い、この世界では死に逝く者にのみに使われる言葉だった。


「ああ、ほら、だから勘違いしないでねって言ったのに。僕はまだまだ沢山やりたいことあるし、影になんか魅せられたりなんかしないんだから!」


顔を曇らせたニコはやや精彩を欠き、普段あまりみせない怒りにも似た感情をそのときチラリと見せた。


ニールは普段と違うニコの様子を変に思い首を傾げる。



と、そのときだった。


ニールの乗る馬が突如として暴れだし、まるでデタラメに走り出したかと思うと前足を高く上げニールを振り落とした。


一瞬目の前で何が起こったのかわからず目を固く閉じ、ニコをきつく締め上げるように抱きついたアンドレアを余所に、ニコは転げ落ちたニールを踏むまいと手綱を強く引き馬を急停止させた。


それに併せてすぐ後ろを走っていたメル、ソール、最後尾の兵士も脇に逸れてから馬を停止させた。


馬が止まると直ぐにニコは馬から飛び降り、街道の真ん中で横たわるニールの元へ駆け寄った。


「ニール! ニール大丈夫かい!? しっかりしてっ」


体を地面に強打したためかニールは朦朧としてぐったりとしていたが、かろうじて意識はあるようだ。


「あ、ああ…… 悪い、気を抜いてた…… ニコ気を付けろ、影が近くにいるぞ。俺の馬も影に驚いたみたいだ」


ニールを抱き起こし、メルの馬にニールを載せようと下から押し上げていると、急いで反転してきたゴードンが大きな声をだした。


「影に囲まれるぞ! すぐにその場を離れろ!!」


その声を受けソールが周囲を見回すと、既に何体かの影がすぐそこまでじわりと距離を詰めていた。


「くっそ! なんだってんだ! そこらじゅうから湧いてきやがる」


ソールは見たままの光景を焦りを隠さずに言い放った。


影は街灯の火に集まる羽虫のように、まるで人に吸い寄せられるように、たちまちニコ等を取り囲む。そして、何をするでもなくぼーっとした様子で人を見下ろしている。


まるで無機質に輝く青い目は人の心を吸いとってしまいそうに渦巻いていた。


ふと、兵士が混乱してしまいそうな自分に言い聞かせるように呟く。


「か、完全に囲まれたようだな。だ、だが大丈夫だ。こちらには黄月欠石がある。しかし、どうしたらよいものだ。このままでは取り込まれはしないが動けもしない……」


メルが腰に掛けていた短剣に手をかけ鞘からそれを引き抜こうとしたがニールがそれいさめた。


「…… やめとけメル、あいつらには剣なんか意味ねーよ、影に実体なんかありゃしねーんだ。それにしても参ったな、どうしたもんか」


メルはそんなニールに歯を食い縛りながらも言葉を返す。


「わかってるわよ、そのぐらい! だけどなにか…… 構えてでもしてないと、落ち着かないし耐えられない!」


その声は強めの口調にも関わらず、節々から得体の知れない者に対する恐怖が感じ取れた。取り乱すメルのその様を見て、ニールは改めて事の深刻さを思い知らされた。


その一方では、顔を両手で覆い嗚咽を漏らしだしたアンドレアがすすり泣きながら皆に向かって謝りだした。


「……ご…ごめんなさい、私が…… 私が我が儘を言ったばかりに、皆さんを巻き込んでしまって……」


それに対してニールが咳き込みながら口を開く。


「馬鹿言ってらあ。ここにいるやつは皆、巻き込まれたなんて思っちゃいない。誰もが望んでここに来たんだ、謝るべきはヘマをかましたこの俺だ。みんなすまん!」


皆はそれぞれ不安に覆われた顔でそれを聞き力なく呆然と立ち尽くした。


まるで芯の折れてしまったようなニールの姿を見たニコは、影の和の外でこちらを心配そうに伺うゴードンに声をかけた。

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