第16話 星の瞬くその理由は

 激しく揺れる馬上にあって、ふと満天の星空を見上げた時、アンドレアは屋敷の冷たい部屋の中での出来事を朧気に思い出した。



「アンドレア様、先程から外ばかり見られていますが如何なされましたか。空の星などを追いかけられましても何も生み出せはしませぬぞ。ささ、机に向かい勉学の続きといたしましょう」


「すいません、星の瞬きに目を奪われてしまいました。ですが先生、なぜ星は瞬くのかご存知ですか? 私、以前から気にかかってましたの」


「ほう、なかなか良い疑問ですな。ですがそれは今は関係のないこと。有意義にお時間をお使いくだされ。そして知識を蓄えねばなりません。よろしいですかな、世界は意外にも狭くゴニャゴニャ……」



 アンドレアは堅物の偉い学者先生の説教にも似た講義が大の苦手だった。


 目の前に広がる果てしない空をまるで無いものの様に言ったり、手で触れるられる筈のものすら否定したりと、まるでちんぷんかんぷんな事ばかり言うからだ。


 学者先生以外の大人も同じように苦手と感じていたのは、何故だったのかを今は分かる気がした。


 実際に手で触れ、目で見て経験しなければ、蓄えたその知識、それはただの滑稽な絵空事のように思えたからだった。


 机に溢したミルクのように好奇心がアンドレアのなかで徐々に広がりをみせ、限界まできた彼女は突然に馬の鞍に両膝を立て、ニコの首筋に這わせるように腕を回す。きつく抱きつきニコの耳元であのとき学者先生にした質問をしようとした。


「舌を噛まないように気を付けるから、だから一つだけ答えて欲しいの。お願いニコ。お願い……」


 振り返りたくても振り返えれず、背中にアンドレアの思っていたより軽い体重と、暖かい体温をもろに感じてしまったニコは、動揺してしまう。


 鼓動は速くなり、冷静な判断がややできなくなってしまった。それを抑えるために、仕方なくアンドレアの質問に答えることにした。


「き、気を付けるんだよ。馬の縦揺れで舌を噛むと痛いじゃ済まないからね。で、何だろう、今聞かなければならない程の事って」


「ありがとう、大したことじゃないのよ。でもニコはどんな風に考えてるのか気になったの。だから教えて欲しいの。星はなぜ瞬くのかを」


 それを聞いた瞬間、幼かった頃に星空の下で浴びた懐かしい風が心の中に吹き込み、柔らかく優しい風景が鮮明に蘇った。



「ニコ…… ニコ…… 何処だ」


「父さーん、屋根の上だよ!」


「危ないじゃないか、そんな所で。はやく降りてきなさい」


「嫌だよ、だってあと少しで星に手が届きそうなんだもの」


「ははは、そうか、星を取りたいのか。私も今いくから落ちないようにしてそこで待っていなさい」


「うん」


「で、星には手が届きそうか」


「それがね、上手く捕まえらんないんだ、あと少しなんだけどね。やっぱり父さんみたいに背が大きくならないと駄目かなあ」


「それがなあニコよ、大人になるほど星との距離は広がる一方だ。きっと余分な知識が増えたからだろう。だから星に手が届くのは子供の頃だけだろうなあ」


「よくわかんないなあ。小さいと届くのに、大きくなると余計に離れるなんて、なんだか変だよ」


「そうかもしれないな。今あるその気持ちや感じかたをいつまも変わらずに持ち続けられたならば、あるいは」


「なんだか難しい話だね。じゃあさ、星はなぜ瞬くの?月は星みたく瞬きはしないのに」


「ほう、なかなか良い質問だ。そうだな、では一つお前に話をしてやろう。遠方に暮らす星の民の民話だ」


「ほしのたみ?」


「ああそうだ。星の民……」



 星は互いを呼びあっている。


 いつかまた一つになろうと。


 暗闇の海で互いの存在を見失わぬように。



 遥か昔、神話の時代。地上から見える月は二つだった。


 二人の月の女神は互いの美しさを競い合っていた。


 暫く争いは続いたがやがて決着がつく時がきた。一方の月の女神は七色に輝くすべを得た。


 もう一方の女神は三色が限界だった。敗れた女神は約束通り粉々に砕かれ、その欠片は暗がりの空へ撒かれた。


 七色に輝く月を引き立たせるようにと。


 砕かれた体は星となり、涙がいつまでも流れ、それは美しい瞬きになった。


 その様子を見て勝った月の女神は微笑んだ。


 微笑みに涙は無縁。


 だから瞬くことはない。



「世界はきっと広んだ。あとから調べたけれど、これはリングランド北方に暮らすある民族に伝承されている話だったみたい。いつか行ってみたいなあその地に、その時はアンドレア君も一緒に……」


 そう言いかけてニコは振り向いた。そこには空のずっと先を見上げたまま、やや陰りのある表情をしたアンドレアの姿があった。


「どうかしたかい?」ニコはアンドレアの心中を探るように声をかけた。


「ううん、なんでもないわ。会話を切ってしまってごめんね。ただ、あまりにも今が、今この時が輝きすぎて急に怖くなっちゃった」


 その語尾のか弱さは、アンドレアの心が徐々に萎んでいくのを表していた。


「あ、ああ」


 返す言葉を持ち合わせていたニコだったが、そのもの悲しいアンドレアの表情につられて相槌を打つのが精一杯となってしまった。



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